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「舞台転生」(『スクリフェッド』)⑥


          *   *   *


 誠人が限界になったのは、合唱コンクール本番の四日前だった。

 授業中、彼が激しい眩暈(めまい)と吐き気を訴えて、僕が保健室に連れて行った。だがそれから間もなく彼は意識を失い、知らぬ間に呼吸が停止していた。すぐに救急車を呼び、心肺蘇生法を実施し、僕は付き添いで彼と共に病院まで向かった。

 救急隊の懸命な治療により、彼の呼吸は回復した。が、彼はそれから目を覚まさなかった。僕は夕方、不安に苛まれながらも、家からの連絡に従い帰宅した。

 感情を交えず端的に述べているのは、ここで僕が自分の感情の移ろいを克明に述懐しようとしても、言語化出来ないからだ。この時の恐怖にも似た不安は、当事者である僕にしか分からないと思った。そして何より、述べるのが(つら)かった。

 彼の意識が戻ったと連絡があったのは、翌日の明け方の事だった。


          *   *   *


 翌日、学校から帰る途中で僕は彼の病院へ行った。涙を拭いながら病室に入ると、彼が「俺が入院している間訪ねてくる時いつも泣きながら来るのやめてくれよな」と軽口を叩いてきた。

「病院の先生にさ、無茶するなって注意されちまったよ」

「俺もそう思った。全く、ヒヤヒヤするからやめてくれよ」

 僕は彼のベッドの横に座り、彼の手を取った。温かい。脈がある。生きている、と改めて分かったら、また泣きそうになった。

「でもさ、俺だけのせいじゃなかったよ。……病気が、前の検診の時から一気に進んでた。何でかは分からないけど、そろそろ本気で危ないってさ」

「えっ……? それって……」

 僕は絶句する。いきなり何を言い出すのか、と思った。

 だが、彼は平気そうな顔で続けた。

「手術する事になった。五日後だ」

「成功したら、どうなるんだ……?」

 何とか、それだけ尋ねる。そこまで彼の心臓が悪化していたという事も、彼が手術をしないと命を繋げないという事も、頭で整理出来なかった。彼が死に直面しているという事が生々しく突き付けられた気がした一方で、ここを乗り越えられればもう心配をしなくて済むのだという微かな希望的観測もしていた。

「冠動脈バイパス術、っていうんだけど、成功すれば再発する可能性は極めて低くなる、らしい。でも、まだ何もしていないしなあ……正直なところは分かんない」

「合唱コンクールは……?」

「出るよ」

 あっさりと言われ、僕は自分で聞いたにも拘わらず驚いた。

「当然じゃないか。だから手術はそれより後に調整して貰ったんだよ。言っただろ、今回は絶対に出るって」

「俺と一緒に、か……」

「昨日ぶっ倒れてからさ、夢見てたんだ」

 彼が、唐突に言った。心なしか、雑談のような感じだった口調が真面目なものに変わった気がしたので、僕は少しドキリとした。

 僕の手を握る彼の力が、微かに強くなる。

「変な夢って言ったらそれまでだけどさ、それで納得したんだよ。やっぱり俺は、お前を探していたんだなってさ」

「何の話……?」

 何を言われるのか、僕はドキドキしながら彼の言葉を待った。

 窓から差し込む夕日が、彼の頰を鉛丹(えんたん)色に染めている。その光景に、ふとデジャヴが襲ってきた。何かに気付けそうな引っ掛かりの中、彼は次のように話した。


          *   *   *


 それは間違いなくこの街なんだけど、今とは全然違うんだ。

 ビルもアパートも今みたいな店も殆どない、木造の住宅街だ。何と言うか、時代を遡ったみたいな感じだったな。

 夢の中で、俺は湯浅誠人じゃなくなってるんだ。だけど、丁度俺とお前みたいに、夢の中の俺には友達が居てさ。そいつが、俺の所に来て「戦争に行かなきゃいけなくなった」って言うんだよ。俺は悲しくなって泣いた。だって、せめてこの後は一緒に居られると思っていたんだ。

 俺、癌だったんだよ。全く、寝ても覚めても病気ばっかりだ。医者からは、持ってあと一年半あるかないかって言われていた。それが終わったら俺は死ぬ。俺、絶対そいつより早く死ぬと思ってたからさ。そいつが戦地に行って俺より早く居なくなっちまうんだって思ったら、やりきれなくなったんだよ。

 でも、何か随分シリアスな夢でさ。

 俺がそいつより生きるって、誰かが決めた訳でもないのに、俺はそいつの話を聞いてすぐ思い込んじまったんだ。そしたら、そいつが出征する前の夜に空襲が来て。それで、俺が爆撃を喰らう事になるんだ。信じられないだろ? 二度も裏切られるなんて。誰に裏切られたのかは分からないけどさ。

 俺が死にかけているところに、そいつが走って来るんだ。そいつが俺を抱き起こして、「死ぬな」って。「死んだら駄目だ」って言ってくるんだよ。

 そいつも、信じられないって感じだった。赤紙が来た自分より先に、俺が死んでいく事が。心配掛けちまったのは、結局俺だったんだよな。俺は最期まで言えなかった事を──癌で、もう長く生きられなかったんだって打ち明けて、死んだ。

「死んでも生まれ変わるだけだって」

 そんな事を言ったのを覚えているよ。

 で、目が覚めて直感で分かったんだ。

 そいつが、一芽だったんだって事にさ。


          *   *   *


「輪廻転生」

 話の終わり、彼は不意に呟いた。話を締め括るにしては不思議な響きに、僕は少し戸惑いながら尋ねる。

「生まれ変わりって事? 誠人、そういう系の本読むんだっけ?」

「元々は『生き物は苦しみから逃れられない』っていう教えらしいけどな。もしこれが生まれ変わりなら……確かに苦しみから逃れられないっていうのは本当だよ。戦時下、癌、そしてこの心臓って。けどさ、案外それも悪くないのかも」

「そんなの、本当にあるのかな? それじゃあ……あまりに不条理じゃないか?」

 僕は何とか口に出す。

 内心、胸郭の中では心臓が痛い程に鼓動していた。

 それはあまりにも、僕がこの間見た夢に似ていた。時任一芽ではない僕が、燃え盛る炎の中で誰か大切な人を看取る夢だ。

 あの時僕が看取ったのは、ここではない別の何処か、遠い輪廻の海を隔てたいつかの時代の湯浅誠人だったのではないか。この世ではない何処かに、魂の還る「根源」のような場所があり、僕たちはそこで運命を繰り返しているのではないか。

 その時、僕の脳裏に何かが過ぎった。

 荒地。塹壕のような場所で僕は身を低くし、頭上を飛び交う弾丸を凌いでいる。

 それが止むと誰かが、行け、と叫ぶ。

 僕は這い上がって駆け出す。

 やがて飛んできた一弾が胸に吸い込まれていき、意識がここから消える。

「死んでも生まれ変わるだけだって」と、誰かが屈託のない笑みを浮かべる。

 次に蘇ったのは、この人生と地続きの過去だった。

 彼と、病室で話し合った事。

 喋り疲れた夜更けの電話。

 どれだけ彼を想って泣いたのかという事。

「大袈裟だ」と彼が笑い、それが少し切なかった事。

「やっぱり、不条理だ」

 僕は絞り出すように呟いた。

「もし前世があるとして……俺はかつて、友達を失った。誠人も、前世で友達と生きられる時間を一気に持って行かれて、最後は炎に焼かれて人生を終えた。そして今、こうして医学に縋らなきゃ心臓も真面に動かない。……こんなの、おかしいよ」

「でも少なくとも、俺たちは再会出来た」

 誠人が、遮るように言った。僕の手を握る彼の力が、更に強くなる。

「それに俺は、まだ死ぬって決まった訳じゃない。五日後の手術で、それが決まる。医学の力でしか生きられない事も、俺の個性だ。前世とは関係ない。それに別れが必然だった前世より、今の方が何倍もいい」

「どうしてだよ……お前はどうして、そんなに強がれるんだ? 怖くないのか?」

「怖いよ。けど、強がっている事もない。これが自然体なんだ。大丈夫、合唱コンクールは成功するし、手術も成功する」

「無根拠だ」

「無根拠だけど、確信出来る。……不思議なんだよな。一人じゃ怖くて出来ない事でも、一芽が居れば何でか出来るように思うんだ」

 はっと気付いた時には、僕は涙を流していた。僕は、その台詞を知っている、と確信した。何で、誠人が言うんだよ、とも思った。

 僕、彼の前で泣いてばっかりだな。

「誠人……」

「何だ?」

「何があっても、俺たちはずっと友達だからな」

「来世も?」

「来世も。来世で、また誠人が病気だったとしても。お互いに長く生きられないとしても、少ししか一緒に居られなくても。それなら、少しの時間でも、俺たちが出会った事が悲劇だったと思わないように……」

 微笑もうとして上手く行かず、僕は握り締めた彼の手を額に押し当てて下を向く。

 頭の中で、「生命の還る海」のメロディーが流れ出す。

「あるかもしれない奇跡を書きました」

 作詞を行った高校生の述べたコンセプトの意味、そしてこの曲の意味が分かった。

 この曲が、かつてお互いを失った僕たちを再び繋いだのだと思った。

 そう。これは、別れの物語ではない。

 僕たちの、永遠の出会いの物語だ。

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