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「西階段」(『スクリフェッド』)⑨


          *   *   *


 あたしが、先生の語りをそのまま再現する事は出来ません。台詞として書くのは、どうも不自然な気がしたから。それに、あたしには先生の様子を細かく書き起こす描写力もない。下手に物語風にして、この事の重大さを希釈させてはいけない。そう思うので、ここからはそのあらましだけを書きます。

 十五年前の千歳ちゃんが救おうとした子は、当時二年生だった。彼女より一年先輩だった訳だ。その先輩も女子で、比較的大人しかったのが仇になって、いじめっ子たちの標的にされた。

 いじめ。絶対にいい言葉じゃないけど、この言葉は行為そのものより性質(たち)が悪い。相手を拷問に掛け、自ら死を望むまでに尊厳を蹂躙するものでありながら、子供の遊びの延長線上にあるような軽さを帯びている。

 実際、その二年生もかなり酷い事をされていたらしい。机やロッカーに落書きされる、現金を強請(ゆす)られる、或いは家から盗むように強要される、寄ってたかって身体的苦痛を与えられる、校庭で服を脱がされる、昼食に虫や生ゴミなどの汚物を入れられる、それ以上、ここに事細かに書く事も憚られるような事も。

 それが分かったって事は、千歳ちゃんは助けようとしたその子を、確かに助けられたんです。彼女に引っ張られて校舎の壁にぶつかったその子は、速度を殺しながらずるずると落ちて、かなり酷い怪我はしたけど意識はあり、命に別条もなかった。代わりに千歳ちゃんは悪い落ち方をして、即死はしなかったものの、首を脱臼して呼吸が止まってしまった。頭から落ちても、命だけでも大丈夫だったのは、それが冬で、校舎の間に雪が積もっていたからだそうだ。

 一緒に落ちた二年生は教師に全てを話した。彼女が死んでいたら、千歳ちゃんも死んでいたに違いない。何しろ、見えづらい場所だったのだから。そうなると、投身に失敗した二年生がそこで自棄を起こさなかったのは不幸中の幸いだったのだろう。千歳ちゃんは救急搬送され、一命を取り留めた。が、低酸素脳症となって昏睡状態に陥ってしまった。

 そして、それから十五年間目を覚ます事はなかった。


          *   *   *


 七不思議は、その頃生徒の間で面白おかしく広まっていた。だが、そこにお決まりの文句「七つ全てを知ると死ぬ」が加わったせいで正式に揃ったものはなく、実際にはあの階段の話のような定番からローカル的なものまで、七つを超えて囁かれていたに違いないと水守先生は言う。

 そして千歳ちゃんが眠りに就いた翌年、彼女に助けられた生徒がまた自殺を試みた。関わりのない第三者が重症になったというのに、加害者たちは尚もやめようとしなかったらしい。いじめは止んだように見えても、決して油断は出来ないものなのだそうだ。水守先生たちも、加害者を厳しく罰した。だが、それが原因で、年が変わってから一層悪くなって再発した。

 次は、本当にその生徒が死んでしまった。あの”秘密基地”の辺りで、千歳ちゃんが残していたスケッチブックや色鉛筆、文庫本の間で、睡眠薬を大量に飲んだ事が原因だった。

 その生徒は亡くなる前、いじめが再発した事は口に出していなかった。再発の事実は、後から裏付ける証拠が幾つも見つかって明らかになった。代わりに、生徒は死亡する前、両親や同級生にある話をしていた。

 西校舎に、制服を着た少女の霊が出る。彼女はどうやら自殺したここの生徒の幽霊らしく、怨念のせいか、それとも独りで居るのが寂しいからか、誰かを求めているようだ。彼女に魅入られれば、あちらの世界へ引き込まれる。

 それは、出所不明の噂として七不思議に織り交ぜられ、語られた。結果、その生徒が死んだ事で、噂の信憑性は一気に高まった。後から考えれば、これは自殺した彼女なりの復讐だったのではないだろうか。自ら命を絶つ前に幽霊の噂を広め、自分を死に追い込んだ者たちから安寧を奪うという。

 当然、当初は信用されなかった。だが、やがて本当に、西階段でそれらしいものが目撃されるようになった。それが千歳ちゃんである事は、その前年の一件を知る者たちでも誰も考えてもみなかった。

 だって、千歳ちゃんは当時、眠ったままでも生きていたから。幽霊なんて荒唐無稽な、超常の存在だと思われていながら、ある種のルールは皆の中で作り上げられていたみたいだ。固定観念とでもいうのかな。

 でも水守先生は、最初に噂を聞いた時、千歳ちゃんじゃないかと思ったらしい。確信はないし、そのような事を考えるだけでも不謹慎だとは思っていたようだが、彼女が西階段を好んでいた事は知っていたから。口に出しちゃ駄目だ、口に出しちゃ駄目だ、って、先生はずっと抱え込んでいた。だから、皆がその幽霊の噂を七不思議として面白おかしく広める事に苛立ちを覚えながらも、それを咎める事も出来なかったそうだ。


          *   *   *


 二年後の夏休みのある日、今年のあたしと同じように学校に忘れ物をして、部活動がない日に学校に来た生徒が居た。その生徒の時代にはもう西校舎は実習室ばかりになっていたけれど、まだ幾つかクラス教室も残っていたらしい。その子のクラスも西校舎にあって、忘れ物をした彼(または彼女? 水守先生はずっと「その子」と言っていて、あたしには性別は分からなかった)は鍵を借りてそっちに向かった。

 西校舎に入った時、あたしと同じくピアノの音を聞いた。教室も四階だったらしいし、それで西階段を登ったついでに音楽室を訪ねた。そして、部屋をこっそり覗いてびっくりした。

 その生徒は、千歳ちゃんの同級生だったからだ。今でも意識が戻らない彼女が、何故ここに居るのか。彼はまたは彼女は、水守先生を問い詰めた。そして、去年死んだ先輩の言っていた噂は本当だったのか、と聞いた。怖いのも当然だったと思う。その千歳ちゃんは幽霊にしか思えないだろうし、噂では幽霊と会ったら死ぬって言われているんだから。

 その子は本気で怖がったけど、それが水守先生には許せなかった。だから、先生はその話を聴いた時咄嗟に「稲波さんは自ら死のうとした人を助けてあんな事になったんだから、もっと敬意を払いなさい!」って叱責してしまった。それで、本気で怖がっていた彼または彼女を逆上させてしまった。

 その子は言ったらしい。

「それが本当なら、稲波は学校を恨んでいるんじゃないですか!? 勝手に死のうとした奴を良かれと思って助けたのに、それで自分が死んだようになって、だからそいつを殺したんでしょ!」

 そして、

「お節介だったんですよ、稲波は! 勝手に他人の死に際に手を出して、八つ当たりするとか最低だ!」

 あたしはこの話を先生から聞いて、酷い、って思った。そんな事言う奴こそ死ねばいいのに、ってまで思ってしまった。だけど、先生はそれから自分を責めた。取り返しの付かない事をしてしまった、悔やんでも悔やみきれないって言った。

 その生徒は夏休み明け、学校に来なくなった。

 どうなってしまったのかは、先生の態度を見ればすぐに分かった。少なくとも、自殺ではなかったんだと思う。


          *   *   *


 千歳ちゃんは、幽霊なんかじゃない。だけど、もう自分の体が目を覚ます事はないんだって、自覚していたんだと思う。

 彼女が何に囚われていたのか、あたしには分からない。未練だったんだとは思うけれど、それが何なのか、理解した気になるのは傲慢というものかな、と。ただあたしが、西校舎が取り壊されるって言った時、彼女が「完成までに遠くに行っちゃうかもしれない」と言った悲しい目を、忘れる事は出来ない。

 きっと彼女は、踏ん切りを付けたんだろう。あの時は、ただ横たわった自分の体が衰えるのを待つだけの状態だった。そして、あたしが最後の日々を毎日会おうって言って、それで覚悟が出来た。

 未練に終止符を打つのは、自分自身なんだ、って。

 でも──最後に、ほんの一欠片だけ残った未練が、あたしだったのかな。

「そうなった時、美久麗ちゃんは来てくれる?」って彼女が言った意味を、あたしは「新校舎が完成した時」だって思って、勿論よ、って返事をした。お互い、勘違いしていたんだ。彼女が言った「そうなった時」って、()()()()()()()()()()って意味だったんだね。

 千歳ちゃんは、あたしが気付いていないって事に気付いていたみたいだから、あたしの返事を勘違いしたって思うのは、結構恣意的な見方を含めた、意図的な誤解だった可能性もある。だけど、それだけ、あたしが最後の友達で良かったって、思ってくれていたって事だよね──。

 ……ごめんなさい。自分に酔っているみたいになっちゃって。

 でも、本当の事なんです。


          *   *   *


 これは、後から知った事だ。

 あたしと千歳ちゃんが最後に会って連弾した日から、寝たきりになっていた彼女の体調が急変して、彼女はずっと生と死の狭間を彷徨っていたそうだ。免疫が落ちている中での院内感染とかではない。眠りが深くなっていくように、バイタルが弱まっていった。

 そしてあたしが金縛りに遭った翌日、彼女は眠ったまま息を引き取ったという。

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