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「西階段」(『スクリフェッド』)④


          *   *   *


 すっかり忘れていたけど、大規模改修工事というのも夏休み中に行われる事になったみたいだった。八月に入って夏休みが折り返し地点に来たところで、学校連絡用のアプリで通知が入った。その頃には高総体の応援に行っていた文化部の生徒たちも続々と帰ってくるようになって、西校舎は活気を取り戻していた。

 工事は、何十年も建ちっ放しでガタが来ていた西校舎から行われる事になり、それも一度基礎部を残して取り壊して建て直すという事だった。夏休み明けまで間に合わないので、二学期からの実技教科の実習は基本的に実施しない方針で、やむを得ない場合は近くの公立高校の実習室を借りて行う事になった。あたしも夏休み明け、登校して西校舎がなくなっていた時はびっくりしたなあ。

 通知を受け取った翌日、あたしは迷わずに学校に行った。その頃千歳ちゃんとは、明日は来れる、来れないという約束を取り決めて会うようにしていたが──彼女は珍しく、スマホは、というより携帯電話は持っていないみたいだった──、その日は約束なしでいきなり訪ねる事になった。

 行くと、既に西校舎には青いネットが掛けられ、そこから足場が組まれているのが透けて見えた。廃校のような外観もその奥に見えるので、大国に攻められた国が突貫工事で作った砦みたいだ、と思った。

 職員室で、例によって水守先生に会った。

「西校舎って入れますか!?」

 勢い込んで聞くと、先生はあっさり「入れるわよ」と肯いた。

「まだ解体作業は始まっていないし、各部活動も暫らく出来るって事みたい。昨日のClassiでの連絡にも書いてあったと思うけど」

「え? そ、そうだったんですか……」

 西校舎が解体される、という事だけ読んで頭が一杯になっていたので、下に書いてある事の方まで詳しく読んでいなかったのだ。あたしはちょっと()まりが悪かった。実を言えば、さっき書いたみたいにこれからの実技教科の事なども詳しく知ったのはこれより後だった。

「また忘れ物?」

「いえいえ、そんな。ちょっと、友達と会えるかなって」

「何か、あっちでの部活動してる子?」

「まあ、そんなところです」

 千歳ちゃんとの出会いについて話せば長くなるし、わざわざ否定をするまでもないので曖昧に返事をした。時短、時短。早く千歳ちゃんにこの事を教えないと、と思っていた。彼女、携帯ないみたいだから。

 そこまで考えて、学校、携帯のない生徒にはどうやって連絡しているんだろうな、とふと気になった。一応保護者にも連絡出来るようになっているし、今時携帯を持っていない保護者というのもそうそう居ないだろうから、別に問題はないのかも。


          *   *   *


 西校舎に入った時、中はなけなしの窓も外からの足場とネットで塞がれていて、床にもブルーシートが敷かれているので、全体的に暗さが一気に増していた。それが、微かな日光をタイミングよく拾えばギラリと反射して、大きな魚が死んでいるようで気味が悪かった。つるつる滑るし、工事現場特有の石灰のような匂いはするし、美術部主催の肝試しがこれより前で良かった、と思った。今やったら、雰囲気は前以上に完璧じゃないだろうか。

 天井の向こうからは、文化部の生徒たちの声が聞こえてくる。音楽室は今は合唱部の方が使っているらしく、管楽器の音色の代わりに歌声が響いていた。

 西階段を四階まで登ると、いつもの場所に千歳ちゃんが座っているのが見えた。彼女の頭上から差す日光はいつも通り、足場で遮られてはいなかった。

「やっ、元気?」

「美久麗ちゃん? 今日は来ないんじゃあ……?」

 彼女は目を丸くする。あたしは階段を登った。

「ちょっと伝えたい事があってね。千歳ちゃん、本当にずっとここに居るんだね。学校に住んでるみたい。音楽室が使われてるから、ピアノは弾けないのに」

「いつでも弾けるよ。吹奏楽部も合唱部も、ずっと弾いてる訳じゃないもん。待っていれば、一日のうちいつかは」

「そっか……」よっぽどだな、と思いながら、あたしは彼女の隣に座る。家にあったピアノは弾けなくなってしまったとの事だったが、どういう事なんだろう。こんなに好きなら、まさか処分されてしまった訳ではないだろうに。

 あたしはスマホを取り出し、昨日来ていた連絡をもう一度確認した。解体作業が始まるのは八月十日から、もう一週間ちょっとしか期間がない。

「あのね、千歳ちゃん。この校舎、なくなっちゃうって知ってる?」

 彼女の、この場所への愛着を再確認したばかりだったから、最初にどう切り出すべきか一瞬悩んだ。けど、率直に言う事にした。残念だけれど、こういう事はよくある話だ。

「Classiが来てたの。大規模改修工事、西校舎から始まる事になったんだって」

「くらっしー?」千歳ちゃんは、本題から外れた場所に反応する。

「連絡用アプリ、先生が言ってるでしょ?」

 高校では全体で導入されているのだから、名前くらいは知っているだろう、と思ったけれど、千歳ちゃんの反応は芳しくない。少しの間彼女は首を傾げていたが、「まあいっか」と言った。

「ここ、壊されちゃうの?」

「一時的に、だけどね。基礎は残して、来年には新しく校舎を建てるんだって。教室とかもちゃんと戻すみたいだし。でも、夏休みの間に入れなくなっちゃうかも」

「そう……なんだ。知らなかったな」

 千歳ちゃんの顔が、切なげに歪んだ。だけど、それは残念がっているというより、殉教者のような、何かを怖がっているような表情だった。

「音楽の授業をこっちの教室では出来なくなっちゃうけど、その代わりにオルガンみたいなものはクラスごとに配布されるみたいだから。先生に言えば、休み時間にも使えるようになると思うよ。夏休み中も、他にも静かな場所はあるから、読書やお絵描きも出来ると思うし……」

 あたしは、想像とは違った、けれど想像していたよりどちらかと言えば悪いような彼女の反応に、思わず早口になる。千歳ちゃんは、そこで初めて気付いたというように顔を上げ、あたしの顔をまじまじと見てきた。

「もしかして美久麗ちゃん、私の事、気付いていなかった……?」

「えっ? 何の事?」

「……いえ、何でもない。私から言う事じゃないと思うから」

 あたしが更に何かを言う前に、千歳ちゃんは「でも本当に困ったなあ」と言った。

「場所を移す事は出来ると思うんだけど、戻ってこれるか分からないんだよね。新校舎が完成する頃まで、私はここに居られないかもしれないんだ」

「それって、転校とか?」

 高校生活が始まってからまだ十二分の一くらいしか経っていないのに、もう転校しちゃうのかな、と思った。改革以降、山毘古の偏差値はまあ高い方で、私立とはいえそこそこ難易度はある学校なのだ。滑り止め時代の名残りで一般受験の問題はそこまで難しくもないのだけれど、そう簡単に入れるという訳でもない。

 千歳ちゃんは「そうねえ」と、少々俯きがちになった。

「遠くへ行っちゃうかもしれない。けど、本当にそうなるのかは分かんない。新校舎が経つまで無事なら、またこうしてここで遊べるかも」

「遠く?」

「誰も届かないくらい、遠くにね」

 寂しい事言わないで、とあたしは言った。もし転校するなら、その時は新しい住所を教えて欲しい。そしたら何かの機会に、機会がなかったら作ってでも、会いに行けるかもしれない。知り合ってから間もないが、あたしはそれくらい、彼女の事を大切に思うようになっていた。

 そう言うと、彼女は微笑みながらありがとうを言った。でも、繰り返すようだけど本当にそうなるかは分からないから、あんまり心配しないでね、とも。

「出来れば新校舎が完成するまでここに居たいな。……そうなった時、美久麗ちゃんは来てくれる?」

「勿論よ。そしたら冬休みとか、来年もここで、ね」

 あたしは、彼女と連絡が出来ないのが寂しいな、と本当に思った。そんなあたしの思いを感じたのか、千歳ちゃんはこう言った。

「その時が来たら、合図するから」

「合図?」

「美久麗ちゃんにも分かるよ」

 今日の千歳ちゃんは、何だかよく分からない事を言うんだな。最初にあたしの言った事が思いがけない衝撃で、でもそれを別に、この場所にそこまでの思い入れがないあたしに過剰な反応で見せたりしたら困らせちゃうかも、って考えていたのかもしれない。

 あたしはそこでわざと「そういえばさ」と話題を変え、いつも通りの音楽や絵画、最近あった事についての雑談に切り換えた。それで、大規模改修の話の湿っぽい空気は流れた。

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