「西階段」(『スクリフェッド』)③
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千歳ちゃんは毎日学校に居る、と言ったが、あたしの方ではさすがに毎日行く事は出来なかった。本当なら行きたかったけれど、前に書いた通りシーズンがシーズンなので、西校舎で文化部が部活動を行う以上、二人で静かに過ごせる時間は限られていたのだ。
チャンスが巡ってきたのは、七月下旬からの高総体。各部活動は大会とかであっちこっちに出ていて学校には居なかったし、文化部も一般応援という事でそちらに出向いて、長い間学校が静かという期間が始まった。
○○を食べすぎると○○になっちゃうよ、とは子供の躾でよく言われる事だけど、アイスを食べすぎたあたしもアイスになったんじゃないか、と思うくらい、暑くて融けそうな熱気の中を学校に行き、西階段を訪れると、千歳ちゃんはいつも例の”秘密基地”に居た。あたしが階段の下から声を掛けると、いつもお日様が暗く感じる程の眩しい笑顔を見せてくれた。
購買で買ってきたアイスキャンディーを渡すと、彼女は嬉しそうに頰張った。彼女はいつも冬服のブレザーとストッキングを身に着けていて、暑くないの? と尋ねてもにっこり笑うだけだった。あたしなんか、地球温暖化が進んだ近年の夏じゃブラウスですら鬱陶しく感じる程だというのに。
でも、西階段を登って千歳ちゃんの傍まで行くと「暑い」が「あったかい」という心地良い感じに変わって、不思議と不快感はなかった。
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三回目に訪ねて行った時が、高総体シーズンが始まって最初に訪れた日だった。あたしが行くと、千歳ちゃんは何も見ずにスケッチブックに鉛筆を走らせていたが、すぐに手招きをした。
「次の土曜日、夜もここ開くらしいよ。来る?」
彼女は、悪戯っ子のような表情になって言った。
「夜に開くって?」
「この間美術部の子たちが言ってたんだけど、土曜日に彼らとその周辺で肝試しするんだって。顧問の先生にも許可取って、九時半までなら大丈夫だって。別に心霊スポットじゃないんだから、オカルトを求めるって訳じゃないみたいよ。有志の人たちで脅かし役をやって、まあ一種のお化け屋敷みたいな事するみたい」
「い、嫌だよ。ここ、本当に最初来た時怖かったもん。ふらっと入って、挑戦者と間違われて脅かされたら、あたし絶対に気絶する」
ふるふると頭を動かすと、千歳ちゃんはくすりと笑った。
「私、こっそり紛れ込んでびっくりさせようかなあ」
「やめときなよ。本当に怖そうだから、後でキレられちゃうよ」
「冗談冗談。……まあ、今時学校の怪談なんて信じてる人の方が少ないからね。そういう事をして刺激を感じたい人たちも出てくるんでしょ。美久麗ちゃんは知ってる、この学校の七不思議とか?」
「そんなものがあるの?」
今時、「七不思議」なんて死語だと思っていたから、あたしはびっくりした。トイレの花子さんもテケテケも、動く人体模型もこっくりさんも、今時の、しかも高校生なんて、誰も身近な存在として信じている都市伝説はないだろう。そんな風に考えていたから、あたしはついつい惹き込まれた。
「クラスの友達から聞いたんだけどね、まずこの西階段は真夜中に通ると、上りと下りで段数が変わるんだって」
実に七不思議でよくある話だったから、あたしは拍子抜けする。
「それって、検証不能じゃない? 真夜中じゃ学校、閉まってるよ」
「ちょっと前、山毘古が今より荒れていた頃、夜普通にここを通って屋上で花火とかバーベキューとかする生徒が居たらしいよ」
「ああー……」なるほど、ありきたりだと思っていたが、この学校が昔無法地帯だった事も噂に関係しているらしい。「他にはないの?」
「それから、学校の裏で裏山に向かって『やっほー』って叫ぶと、『足をよこせー』って返ってくるんだって。カシマさんって知ってる?」
「それも有名な都市伝説だよね。テケテケの正体だとかって言われてる」
「あれに近いものじゃないかな。これは五十年近く前の話だけど、裏山で公立高校の生徒が林間学校をしていた時、山登り中に足を挫いちゃった生徒が居て、でも引率の先生が怖い人で、その生徒を下山させないで無理に山頂まで歩かせたんだって。丘みたいな山だからって油断したんだろうね。生徒はどんどん悪化して、最終的に下半身を引き摺るみたいにして手で歩いたらしいの。
その結果皆に置いて行かれて、山頂に着いたのは日が暮れてからだった。その子、足を引き摺ったせいで酷く悪い菌が入ったみたいで、熱が出て、それでも先生は大丈夫だろうって放置した。そしたら翌日、その子は足を腐らせて死んじゃった。
先生は自分の責任になるのを恐れて、でも皆死んだ生徒がそんな事になってるって知らなかったから、それをいい事にして死体を山に棄てたんだって。そうすれば、到着していないのは迷子になっているからだ、って言えるし、後で見つかっても事故だったって言えるから」
「本当だったら、随分酷い話だね」
「多分作り話だと思うよ。ここが山毘古って呼ばれるのは、その『山彦』が聞こえるからだっていう都市伝説」
あったかくていい匂いのする、可愛くて妖精みたいな千歳ちゃんがあまりにもおどろおどろしい事を言い続けるので、あたしはちょっと怖くなった。でも、その怪談じみた話の内容がポピュラーな話を下敷きにしているだけに、話自体がそこまで怖い訳ではない。
「私が知ってる最後のはね、あんまり笑い事にはしたくないんだ」
そう言った千歳ちゃんの顔は、少し元気がなくなっているようだった。
「どんな話なの?」
「自殺した女の子の幽霊が出るって話。会う為には色々な条件があるんだけど、その条件を偶然にでも満たしたら、絶対に会う事になる。そしたら、祟られて同じように自殺に追い込まれる。……結構シリアスな話だよね。あんまり詳しい事は聞きたくなかったから、知らないんだけど」
確かに、この学校で自殺が多発したのは事実だ。だけど、それを当事者ではない人たちが面白おかしく言うのは、何だか関係者たちに対して残酷な気がした。こういう事は、決して昔の事だと思っちゃ駄目。悲しみを過去として風化させてしまうから、同じ事が繰り返されるのだ。
「あたし、全然そういうお話知らなかった。だけど、三つまでなんて、千歳ちゃんも中途半端なところでやめちゃったんだね。自殺の話で嫌な気分になった?」
「それじゃあ、この七不思議自体美久麗ちゃんに話したりしないよ。私は、怖いからそれ以上は聞かないようにしているの。だって七つ全部知ったら死んじゃうっていうんだもん。六つ知って、最後の一つをたまたま聞いたりしたら大変でしょ」
千歳ちゃんは、真面目な声で言った。「だから美久麗ちゃんも、これ以上聞こうとしちゃ駄目だよ。と言っても、今じゃ殆ど誰も知らないか」
「分かった。聞かないようにする」
肯くと、彼女が小指を差し出してきたので、あたしもそっとそれに自分の小指を絡めた。指切りげんまん。
「……暗い話になっちゃったね。ともかく、そういう事なら美久麗ちゃん、土曜日の夜は来ない方がいいかもね。美術部の子たち、結構本気みたいだから」
その子たちは、今千歳ちゃんが言ったような話を知っているのだろうか、とあたしは考えた。それでここで肝試しをやるのだとしたら、随分不謹慎な話のような気はするけれど。