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「舞台転生」(『スクリフェッド』)②


          *   *   *


「輪廻転生」

 彼が独り言のように呟いたのは夕方、昨日言っていた通り僕が彼に言われた通り飛鳥井家の屋敷に行き、彼と話していた時の事だった。

 その日は出発の為の準備に忙しかった。

 工場に出征の事を報告し、皆から祝福を貰った。皆から「お国の為に頑張って来い」と言われたが、僕にはそれが「死ね」と言われているようで複雑だった。彼も、そんな僕を見て上手く笑えないようだった。

「輪廻転生?」

「生まれ変わり……って言うのかな。生まれて、死んで、また生まれ変わるっていう日本の昔からの考え方だよ。本当は『生き物は苦しみから逃れる事は出来ない』っていう考えだったみたいだけど」

 彼は言い、遠い目になって黙り込む。話が見えず、僕は無言で先を促した。

「死んでも生まれ変わるだけだって考えれば、その考え方も受け入れられるのかな。それに、生まれ変わったらまた、来世で会えるのかもしれないし」

「来世……靖国に行くなら、魂の生まれ変わりなんて起きないと思うけどな」

「分かってる。でも、そう思わないとやりきれないよ。死ぬのは怖い……幾ら帝国臣民の義務だとしても、名誉だとしても。だけどさ、英霊になるって信じるより、生まれ変わるって信じた方が少し気が楽にならない?」

 その時、僕の脳裏に何かが過ぎった。

 僕は刀を振り、何処かで洋服を纏った一団と斬り結んでいる。隣で、誰かが洋服の男に胸を撃たれる。僕は倒れ込んだその誰かを抱き起こし、何かを囁く──。

 何だこれは? と思った瞬間、その記憶のようなものは消えた。

「俺が怖がっているから、励ましてくれようとしているのか?」

 僕は違和感を振り払うように言う。本当に怖がっていたからか冗談めかせず、少々痛々しい自虐的な響きになってしまった。

「そう思っていた方が、また会える気がするから。……それだけだ」

 彼は、一瞬はっとしたような顔になったが、すぐに頭を振った。それから、またぽつりと呟く。

「でも、俺がカズより生きるなんて、絶対決まっている訳でもないんだよな……」

「えっ?」

「戦争が終わるまで、何が起きるか分からないだろ、日本も。大きい声では言えないけどさ、どんな形でもいいから早く終わって欲しいよ」

「不安の連続だもんな。誠吉は、日本が勝てると思うか?」

 尋ねてから、あまりにも馬鹿馬鹿しい質問だったと思い直す。神風が吹く。絶対に勝利する。それ以外の答えでは非国民扱いされるだろう。こんな質問を外でして、誰かに聞かれたりしたら大変だ。

 しかし、彼は少し目を伏せ、僕の耳元に口を寄せて小さな声で言った。

「分からない」

 こちらを不自然に気遣うようではなく、それが(かえ)って僕を安心させた。


          *   *   *


 空襲警報が鳴り響いたのは、その数時間後の夜の事だった。夜の静寂(しじま)(つんざ)く不吉な音に、家族が頭巾を被り防空壕へ移動し始める。

 庭へ出た瞬間、遠くの空が赤く燃え上がっていた。怪鳥のような影が炎を背に飛び回っており、時折旋回する度に金属質な光が煌めく。……B29。

「一夫! 早く入りなさい!」

 母が、壕の入口から声を掛けてくる。しかし僕は、爆撃機の飛び交う方向を見たまま動けなくなっていた。

 彼方で空を飛び交う怪鳥が、卵を産み落とすかの如く銀色の焼夷弾を投下した。それは街並みの向こうに消え、炎の鳥が孵ったように建物に紅蓮の牙が喰らい付いていく。そちらは、誠吉の家──飛鳥井家の屋敷の方角だった。

「でも、俺がカズより生きるなんて、絶対決まっている訳でもないんだよな……」

 夕方、ぽつりと彼が零した台詞が蘇る。僕ははっとし、家族の静止も聞かず夜の闇の中を光の方向へと駆け出していた。


          *   *   *


 (おき)と化した道路。蹂躙され尽くした家々の残骸。赤黒い消し炭となり、元々人だったのかすらも分からない程の焼死体。進むに連れて、爆撃の痕跡が目に飛び込んできた。空気までが焼け付き、立ち込める煙と人体の焼ける臭いに息が出来ない。

 これが、聖戦の真の姿なのだろうか。自分は、これからこんな地獄のような征野へと動員されるのだろうか。

 考えるな。走れ。

 僕は頭を振り、煙を吸わないように意図して呼吸を制限しながら走った。嫌でも目に飛び込んでくる惨状も、次第に気にならなくなった。

 そして飛鳥井家の前へ着いた瞬間、僕は立ち尽くしてしまった。

 屋敷に、焼夷弾という卵から孵った真紅の蛇竜が巻き付き、その構造を呑み込もうとしていた。爆弾が直撃したのであろう壊れた屋根が、内側へと崩落する。

 竦む足に鞭を入れ、僕は庭の方、彼の部屋のある方へと回り込んだ。しかし、彼の部屋まで行く必要はなかった。

「誠吉……!」

 僕は、焼土の上に倒れ込んでいる彼に近づく。少し向こうでは防空壕が黒々と口を開けており、その入口には彼の家族が折り重なって倒れ、炎の壁の向こうに見え隠れしていた。壕へ入ろうとして、真っ先に爆撃を受けたのだ。

「誠吉、おい、大丈夫か……!?」

 彼を抱き起こし、僕は息が止まる。胸から腹にかけて巨大な赤い傷が口を開き、そこに大量の煤が上塗りされていた──ようだが、直視出来なかった。

「カズ……どうしてここに居るんだ……?」

 彼が、ぼんやりと目を開けた。焦点の定まらない虚ろな視線は僕の顔の上を彷徨い、やがてこちらと目が合う。霞んだ彼の目に僕の顔が映った瞬間、視界の曇りが一気に広がった。

 視界が滲み出し、息が苦しくなったのは煙のせいだけではなかった。

「誠吉! しっかりしろ! 助けてやるから……俺が来たんだから、もう大丈夫だから! 死ぬなよ、死んだら駄目だ!」

「いや……ごめん、カズ。もう無理だ……」

彼は微かに笑みを浮かべると、ぽつりと呟いた。

「俺、負けちゃったな……」

 僕は止め処なく漏れ出す嗚咽を堪え、何かを呟いた。何を呟いたのかは、自分でもよく分からなかった。

 後悔が、湧き立つ輻射と混じって胸の底を灼いた。

 僕は彼より早く死ぬと思っていた。赤紙を受け取り、戦地へ行くと。それは、彼は僕より早くは死なないという根拠のない思い込みになっていた。彼が僕より生きると、誰かが決めた訳でもないのに。

「泣かないでくれよ、カズ……死んでも生まれ変わるだけだって……」

「嫌だよ……そんなの、分かってても何の意味もない……!」

「……俺さ、一つカズに隠してた事があったんだ」

 彼が、ふっと笑みを浮かべた。その顔は、何処か申し訳なさそうだった。

「徴兵検査の時は気付かなかったんだけどさ……俺、この間、癌だって言われたんだよ。信じられないよな……まだ十九だぞ……?」

「えっ?」

「全然気付かなかった……持って、あと一年半あるかないかだって……笑えるよな。これじゃあ、今死ぬのも、兵隊になって死ぬのも、終戦まで待つのも……何も変わらないよ……」

「な……何で言わなかったんだよ……?」

 僕は声を絞り出す。それで、ここ数日の彼のおかしな様子に気付いた。

 ──俺の気持ちとしては、帰って来て欲しい。その時俺がこの街に居るのかどうかは分からないけど……

 ──俺がカズより生きるなんて、絶対決まっている訳でもないんだよな……

 彼が言っていたのは、自分の命が残り僅かだという事だったのだ。

 そして彼は、隠し続けていた。僕は出征への不安をすぐに口に出し、「自分はもうすぐ死ぬ」と言い切ったのに。

 強がる事すら出来なかったのに。

 僕よりもずっと怖がっていたのは、本当は彼だったのに。

「じゃあ……な、カズ……達者で……」

 彼はがくりと(こうべ)を後ろに垂れ、口を閉じた。その口元に微かな笑みが浮かんだままだったのが、何処までも切なかった。

 僕は声を上げて泣く。屋敷の燃え崩れる音や炎上する街の阿鼻叫喚、金属製の怪鳥の駆動音が、その声を掻き消していく。

 彼はもう居なくなってしまった。そう思う度に薄れていく視界が涙のせいだと気付いたら、自分がもうじき戦地で死ぬという事も何だか怖くなくなった。

 僕も、戦場で軍刀を振るい、銃爪を引くのだろうか。僕にとっての彼のように、誰かにとっての大切な誰かを自分の手で奪うのだろうか。

 幼い頃の記憶が蘇る。

 この街を駆け回った事。歩き疲れた夕暮れの帰路。

 そして、もっと昔の失われたはずの記憶も。


          *   *   *


 彼の弔いに出る事も出来ず、僕は翌日鉄道に乗り込んだ。

 未だ微かに煙を上げる街が、車窓の向こうに遠ざかっていく。

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