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「彼女と先輩」(『スクリフェッド』)⑪


          *   *   *


 その夜、私は夢と現実の間を彷徨っているようだった。

 朝方、浅く二度寝をした時などによくある感覚だ。夢を見ているような気はするのだが、それが起きている自分の想像なのか分からないような。その時私が体験していた内容は、私が二段ベッドの下で抱き締めているものがユーフォリナではなく布団の束で、背後でいつの間にか起きていたユーフォリナが誰かと話している、というものだった。

「……そこからが肝腎なのよ。で、どうなったの?」

 むにゃむにゃと聞こえていたユーフォリナの声が、そこではっきりした。それに、躊躇うように半音を漏らしているのはどうやらニーカのようだ。これは夢ではないらしいぞ、と私は気付き、目を閉じたまま耳をそばだてた。

 そして、ニーカの声が涙で濡れている事に気付いた。

「先輩と一緒のお部屋に泊まる事は出来たの。宿の人に『二部屋で宜しいでしょうか?』って聞かれた時、あたし、勇気出して声上げて『一部屋でお願いします』って言ったんだよ。だけど、シャワー浴びた後……先輩、なかなかその……しようか、って言ってくれなくて」

「……それで?」何だか、ユーフォリナの口調が尖っている気がする。

「あたし、もしかして先輩、怒ってるんじゃないかな、って気になったの。一緒の部屋にしようっていうのも、元々相談していた訳じゃなかった……というより、お互いに言い出すのを意識して避けていたっていうのかな。恥ずかしいし、ぎこちなくなるのが嫌で……あたしはお約束だと思って一部屋って言ったけど、先輩、それであたしの事、勘違いしてる蓮っ葉な女だって軽蔑したんじゃないかなって。それで……確かめたくて、あたし、凄い緊張したけど、自分から誘ったの」

「ん、だから、最終的にどうなったの? って。私が聴いてあげようにも、間に感情が入っちゃ事実が分からない。起こった事だけを簡単に言って」

「ユーフィちゃん、そんなに怒らなくても……」

「怒ってないって。私は、ニーカが私に伝えたい事、ちゃんと知りたいの」

 さらさら、という音がした。ユーフォリナが、カフェの時のようにニーカの手を取ったに違いない。

「分かった、続けるから……それでね、そしたら先輩……ごめん、今はまだ駄目だ、って。こういう事は、喜ばしく在るべきなんだって。今はまだ、自分は学生の身で、庶民の学校に通わせて貰っているのはヴィンセンシア家の善意だって。そこで、立場を自覚した上でそういう事をしたら、スキャンダルを好む者から不純異性交遊だって断罪されて、醜聞で家に汚名を着せる事になってしまう、君を婚約者として家族が認めてくれるまで、待ってくれないか、って……」

 ニーカは、最後で声を詰まらせた。ユーフォリナは息を詰めて黙り込んでいたが、やがて「はあ」と息を吐き出した。

「先輩も、色々大変なんだよね。家の名前とか大義とか、貴族には私たちにはない(しがらみ)がある。仕方ないって言えば、仕方ないよ」

「でも、そういう物語(ロマンス)って、今まで幾つも書かれてきたんだよね……皆、男性は最後に愛する人を選ぶって……」

「……ニーカ。ちょっとあんた、ティーンエイジャーになったにしてはメルヘンすぎるよ。貴族社会はもう小説とか戯曲に出てくるだけのものじゃないの、エアルサミアだって、ルムートっていう財閥がすぐそこに居るものなんだし」

「婚約者として家族が認めてくれるまで、って、それじゃあ認められなかったらあたし、どうなっちゃうの? そこまで先輩が考えないで、あたしの告白にOKしたんだったら……そんなの、残酷すぎるよ。先輩は今のあたしとの恋愛、遊びだって思ってて、最終的には家に縛られる事を望んでいるんじゃないかな……?」

「私には分かる。先輩は、ニーカの事を本当に大事に思っている。だけど、貴族っていうのは綺麗事だけじゃ行かないの。だから、卒業したらニーカと婚約する気があるんだって事、先輩もちゃんと言ったんじゃない。ルムートの上位に居るヴィンセンシア家は能力主義で、そこまで名門に拘っている訳じゃない、完璧を求めている訳じゃない。あんただって、ちゃんと自分と添い遂げ得る人間なんだって、クリード先輩は絶対に分かっているはずよ」

 ユーフォリナは厳しい口調ではあるものの、一途だった。紛れもない本心でニーカと話しているようだった。私は、毛布を抱く手にぎゅっと力を込める。

 ニーカが、再び潤んだ声を出した。

「……ユーフィちゃん、あたしみたいな恋人でもないのに、先輩の考えてる事、そこまで分かるの?」

「じゃあ、あんたには分かるの?」

 分かっててそんな事を言っているの? とユーフォリナは言い換えた。

「ニーカは、クリード先輩の何を理解しているの?」

「……分かんない。でも、家が……体裁が大事だって事は……」

「仮にそうだったとして」彼女の声が、少し低くなった。「そうだったら、ニーカはその恋を綺麗に諦められるの? はい、そうですか、って言えるの?」

「ユーフィちゃん……」

 傷心中なのであろうニーカに、このタイミングでは酷な問いではないか、と私は思ったが、彼女がどう答えるのかは気になった。

 張り詰めた空気の中、カチ、カチ、という時計の秒針の音とコンマ数秒ズレて、ドク、ドク、という音がマットレスの底から聞こえてくる。それが自分の鼓動だと気付き、私は二人に盗み聞きしている事がバレないよう、胸の位置をずらして布団で押し殺した。

「……それが分からないから、不安なの」

 体感時間の方が遥かに長い数秒の後、ニーカはそう言った。

「先輩が最後にそう言ったら、あたしはどうなるんだろう? 先輩に捨てられたら、あたし、生きていけないって思う。それくらい、あたしは先輩の事、愛してるの。だから……彼にも、それに応えて欲しいの」

 また、数秒の沈黙。そして、ユーフォリナが言った。

「私もそうだよ」

「えっ?」

「私も、未だにクリード先輩の事を愛しているの。諦められないの。あんたが先輩の彼女だって分かっていても、彼を想う気持ちが未だに捨てられないの」

 ──私だって、そうだよ。

 ユーフォリナが宣言した事で、私の胸の底でも、区切りを付けたと思っていた先輩への気持ちが小さく火を灯した気がした。その時、ニーカがどのような表情をしたのか私が見られなかった事は、幸だったのか、不幸だったのか、分からない。

 この会話の間、私はずっと寝た振りを決め込んでいた。

 目が覚めたと思っていても、寝た振りをしている体は段々眠ってくるようで、この話がどう幕を閉じたのか、いつユーフォリナが隣に戻ってきたのか、私は思い出す事が出来ない。


          *   *   *


 その翌日、私は何食わぬ顔で一日を過ごした。(くだん)の実験があったのか、ユーフォリナはサークルに姿を見せようとせず、ニーカもまた彼女と顔を合わせる事が気まずいのか、同じく放課後の美術室には未出席だった。

 私は部屋で、ユーフォリナにニーカにお泊まりデートの首尾を聴いていないか、などと殊更(ことさら)に質問はしなかった。彼女も、私が盗み聞きしていたなどとは知らないようで、敢えて昨夜のニーカとの会話をこちらに伝えようとはしなかった。だが、唯一の彼女の変化を言えば、私がそれを切り出す事を避けるかのように、最近遅くなっていた就寝時間が前の通りに戻った事だった。

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