「彼女と先輩」(『スクリフェッド』)⑦
* * *
「……という事で、水系術式転写型抗外敵性魔力剤、ATFEMの特許申請は、ルムート本体に引き継がれる方針で宜しいですね?」
純医学科や産業魔科学科のエリートたちが学問に励む、普段は近づき難い雰囲気のある別棟の二階、会議室。長方形に並べられた机に、私とアガサの研究室のメンバーと、経営法学科の生徒や教員たちが向かい合うように並んでいる。初めて経験する、学生ではなく研究者たちの顔をした人たちの並ぶ席に、私は何だかお腹が痛くなるように思った。
話し合いの終わりに、アガサが「宜しくお願いします」と言い、緊張がプラズマとなりそうな空気が幾分か和らぐ。私は書類で口元を隠しながらほっと息を吐き、アガサに呆れたように脇腹をつつかれた。
霊薬療法学科、経営法学科合同の、新開発の霊薬の発表とルムートへの特許申請について、学園内許可を出す為のカンファレンス。話し合う内容は、私やアガサのグループが考えて開発した霊薬についてだった。
実践が始まってから、これ程早期に完成まで漕ぎ着けられるとは思っていなかったので嬉しくはあったが、初めてこれ程本格的に、エアルサミア上層に繋がるような話し合いに参加せねばならないと聞いた時は正直憂鬱な気持ちになった。何だか、何がと明確には言えないのだが少し怖かったのだ。
話し合いの席には、クリード先輩も出席していた。私が話す間、時折助けを求めるように彼の方を見ると、彼が「大丈夫」と言うかのように肯いてくれる事がせめてもの救いだった。
壁際に並べられたパイプ椅子には、見学の為に先輩たちの後輩である経営法学科の一年生が座っており、その中にニーカの姿もあった。私は、プライベートでなかなか会えない彼女と思いがけず顔を合わせる事が出来たので軽く手を振ったが、彼女は微かに微笑しただけですぐに真面目な顔に戻り、ノートを開いてメモの準備に入った。
私がスクリーンの前に立って説明している間、皆の視線がこちらに向いている隙に、ニーカはノートに「お昼一緒にどう?」と書いて私だけに見せてきた。
* * *
研究室の先生や三年生がルムートへ承認を求める手続きを行っている間、二年生と一年生は昼休みに入った。
私とニーカ、クリード先輩は、逃げるように別棟を離れ、本館との間にある花壇の前のベンチで弁当のバスケットを開けた。話し合いが長引く事を予想して弁当を持参していた私だったが、考える事はニーカたちも同じだったらしい。
「ごめんね、ずっと連絡出来なくて。でも、ユーフィちゃんに連絡しても繋がらなくって……もしかしてハミィちゃんもかなって思ったの」
ニーカに言われ、私は首を振る。
「今日の為の準備とか、リバーシア霊薬科学会へのコンタクトとかでバタバタしちゃってね。こっちから連絡する時間がなかったんだ」
「良かった……ユーフィちゃんにHME切られてるって分かった時、ちょっとだけ、まだ怒ってるのかな、って思って……」
「別に、最初からユーフォリナは何も怒っている訳じゃないよ。ユーフォリナ、最近勉強忙しくてゼミに籠ってるの。ああ見えて、彼女も切羽詰まっているのかも。私とも連絡出来ないし」
私は、やはりニーカはまだユーフォリナの言葉を信じきっていないのだな、と考えた。ユーフォリナが先輩に聞いた限りでは、ニーカははっきりと自分の心境を口に出してはいないようだが、あからさまに疑心暗鬼の滲んだ事を口に出すのだから、心の表面と深層の乖離が分かる。友達を信じよう、という気持ちと、友達を大切にしよう、という気持ちが別物となっているらしい。
わざと、私はこれ以上切り込むような事は言わなかった。彼女には、自分で気付いて貰うしかないだろう。私たちが容喙しても、彼女にまた悩みの種を与えるだけだ。
「ユーフォリナちゃん、勉強大変なのかな?」
私の言葉を受けて発言したのは、ニーカではなく先輩だった。
「自生魔法基礎は全て終わらせて資格を取っておかないと、後期が終わってから留年するかもって言っていました。さすがに、これを全部完璧にやらないと一発で留年する、っていうのはないと思いますけど……」
「そっか……僕は自生魔法はさっぱりだけど、難しい事なのかな?」
「そういう学科を自分で選んだからにはやり遂げないと、っていうのがユーフォリナですからね。学園への及第をゴールと考えて、以降の学びのない生活に危機感を覚えない学生はただの馬鹿、だそうです」
私は、ふっと笑って軽口を叩く。先輩と話しながらこのような冗談を言えるようになったのも、「学園のプリンス」から「友達の彼氏」に認識が変わりつつあるからだろうか。少なくとも、先輩の顔を直視出来ない程緊張する、などという事は既になくなっていた。
「自他共に一切妥協を許さないながら、ちゃんと友達想いで、その関係は崩さないように頑張ってもいるんだからなあ……純粋に凄い人だと思うよ、ユーフォリナちゃんは」
「ねえ、ハミィちゃん」
その時、サンドウィッチを齧っていたニーカが再び口を開いた。
「なあに?」
「ユーフィちゃんの周りに、男の子の気配はないのかな? ハミィちゃん、何か聞いていない?」
えっ、と私は少々不意を突かれた。何故急に、と思いながらも考える。
「ユーフォリナ、結構モテるみたいだよ。でも、彼女が妥協しないのは恋愛も同じだからね、まだ特別に付き合っている人は居ない……んじゃないかな?」
一応、断言はしないでおいた。誰かの無意識の悪意を帯びた噂の始まりは、根拠のない事が言い切りの形で口に出された時からだ。
「好きな人も特に居ないって事か……」ニーカは、神妙に俯く。
「そういう事になるかな?」私には、彼女の解釈がよく分からない。
「だって、私が先輩と付き合い始めてから、少ししか経っていないでしょ?」
──まだ、ユーフォリナはクリード先輩の事を想う気持ち自体は否定出来ないみたいだけどね。
先輩本人と、この事を気にしていたニーカの前でそんな事を言う訳にも行かないので、私は曖昧に肯いた。