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「彼女と先輩」(『スクリフェッド』)④


          *   *   *


 傍目から見れば和気藹々とした、しかし得体の知れない空虚さを抱えたまま、私たちは祭りを回った。クリード先輩は私たちのそのような内情を知ってか知らでか、いつもと変わらない調子で振舞っている。気付けばニーカやユーフォリナが先輩に話を振る事は少なくなっていたが、彼の方から声を掛けた時だけは、二人の空気が少しだけ弛緩するような気がした。

 最初に買い物を済ませておいたのは正解だったのかもしれない。ユーフォリナとニーカでは喧嘩にならないが、お互いが、特にユーフォリナが気を遣っているという陰々滅々とした空気は、ある意味喧嘩よりたちが悪い。

 そろそろ帰ろうか、という話が出た時、私は彼女たちに気付かれないよう、ほっと安堵の息を()いた。

「疲れちゃった……明日は私も、運営の手伝い頼まれてるんだけどなあ」

 立ったまま眠れそう、とユーフォリナは私の肩に上体を預けてくる。

「お茶でもして休憩してから帰ろうか?」

 先輩が提案した。ルムート庁舎のある都心だけに、カフェは比較的密集している。「勿論、お金は僕が出すからさ」

「えっ?」私は、つい口を開いた。「大丈夫ですよ、寮まではもう少しですし、コーヒーはお祭りとは無関係ですし……」

 さすがに、プリンスの先輩にそこまでして貰ったら申し訳ない。

「でも、ユーフォリナちゃんは疲れたって言ってる」

「先輩、紳士じゃないですか。良かったねユーフィちゃん」

「ありがとうごさいます、先輩……」

 ユーフォリナは、先輩とニーカを見て微かに微笑む。眠い訳ではないだろう、少し気を遣いすぎたのだ。私は考え直し、彼女に

「ちょっとリラックスしなよ」

 と囁いた。

 私たちはそのまま、学園に戻る生徒たちの波から抜け出る。祭りの後の公園を左手側に見ながら大通りを歩き、花火大会に合わせて営業時間を平時より延長しているカフェの一つに入る。

 これもニーカが先輩に教えていたのだろうか、先輩が迷わずに先に足を踏み入れたのは私たちが中学校時代から何度も通ったお気に入りの店で、ニーカたちの交際が報告された場所だった。『Drei Liebe』という看板が掛かり、クリーム色の壁が昼夜を問わず柔らかく温かな空気を作り出している。

 奥のテラス席は壁に伝ったアイビーが可愛く、私たちは空いている時はいつでもそこに座って葉の()を数えたり、機械質な街の中にあるささやかな緑を楽しんだりした。

「思ったより混んでいましたね」

 ユーフォリナは、浮き島の如く不規則に並んだテーブル群を見回しながら言った。

 昼間程ではないが、お店の思惑は的中していたと言える。浴衣姿の少女たちの一団や、やや大胆な私服を着たエアルサミアの学生カップルなどが三々五々それらに座っている。私はまずテラス席を窺い、空いている事を確認した。

 分かっているらしく、私たちは誰からともなくそこに小走りで向かい、ウェイトレスにコーヒーを注文してから席に座った。ニーカは苦いものが飲めないので甘いカフェオレを選んだ。

「ここ、いい場所だよね。僕ももっと早く見つけていれば良かったな。ルムートの仕事はグループ経営だけじゃないし、行政に関わるにはもっと身近な街を知っておかないと、だね」

 先輩は、アイビーの葉の一枚を指に挟み、葉脈をなぞる。今年の夏は日差しが強いのだろうか、白い斑の部分が若干多いような気がする。

「ユーフォリナが私たちに教えてくれたんですよ。彼女、こう見えて結構アウトドアなんです」

 私は、カップの(ふち)を舐めるようにコーヒーを啜るユーフォリナを示す。彼女が素で話せるような話題を振りたかった。

「三人の中だと、やっぱりユーフォリナちゃんがニーカやハーミィちゃんを引っ張る感じなのかな?」

「そう……なんですかね? でも確かに、三人で何かを決める時はユーフォリナが判断する事が多いかもしれません。服をお揃いにする時とか、街で遊ぶ時のコースとか、お昼食べる店とか。こういうのは知識ですので、必然と言ったら必然なんですけど……」

「えっ、そうかな?」ユーフォリナは小さく声を上げる。

「そうだよ。委員会とか決める時も、大体ユーフォリナが最後に決定するの。私たちの中でいちばん上手な判断が出来るのはユーフォリナだからね」

「全然自覚なかった……」

 彼女が恥ずかしそうに呟くと、先輩はにっこりと微笑んだ。

「でも、人や物事を牽引するっていう事は、ユーフォリナちゃんには向いていると思うよ。サークルでもよく見ていたから分かる。冷静に考えはするけど、積極性がない訳でもない。いざという時に選ぶべきものを選べるっていう事は、リーダーシップの大きな裏付けになるからね」

「そうですか?」先輩に褒められると、やはりユーフォリナでも微かに赤くなってしまうらしい。

「明日の流星祭運営委員も、ユーフォリナちゃんが手伝ってくれるんだよね?」

「はい、先生から頼まれたので」

「良かった。街ぐるみの祭りの全体の采配っていうのは、ルムートだけでは厳しいものがあるし、だからといって誰にでも任せられるって訳じゃないしね。連携が取りやすい人がいいから、ユーフォリナちゃんで本当に良かった」

「せ、先輩。あんまりニーカの前で、他の女の子の事褒めすぎちゃ駄目ですよ」

 ユーフォリナは、ちらりとニーカの方を窺う。ニーカはカフェオレのカップをソーサーの上で回していたが、不意に表情を崩し、頭をぶるぶると振った。それから、何かを考えるように目を伏せ、躊躇うようにその目をきょろきょろと動かした後、「先輩!」と声を上げた。

 室内のテーブルで談笑しながら学園のプリンスの方をちらちらと窺っていた他のお客さんたちが、何事かと私たちに視線を向ける。ニーカは瞬時に赤くなり、声を落として先輩の耳元に口を近づけた。

「先輩も、明日実行委員の仕事があるんですか?」

「話した通りだよ。まだグループ経営者の仲間入りをしている訳じゃないから、あくまでマイセン兄さんのアシスタントだけどね」

「こ、今夜時間ありますか……? せっかくだから、あたしの部屋に泊まりませんか?」

 私は、若干身を引く。なるほど、ニーカはこのような感じで先輩を自室に誘っているのか、という納得の気持ちと、私たちの目の前で、という彼女の大胆さに驚く気持ちが半々に入り混じっていた。

 ユーフォリナは、おや、というように首を捻る。クリード先輩はややこちらを気にするような視線の置き方で、囁きを返した。

「ごめんね、ニーカ。アシスタントでも、打ち合わせには参加しないといけないんだ。これから、ルムートに顔を出さなきゃいけない」

「そうですか……」ニーカは、落胆したように体を戻す。

「でも、部屋まで送って行ってあげるから。この埋め合わせには、また今度僕から誘うよ」

「まあ……仕方ないですよね。ごめんなさい……」

「ところでさ」ユーフォリナが、ニーカにスプーンを向けた。声を少し低くし、テーブルに身を乗り出すようにして彼女に囁く。左に居る私の前を体が通過するようにして、対極に座るニーカの右耳に声を掛けたので、先輩の耳にはギリギリ聞こえない位置だ。

「ニーカって、部屋に先輩を泊めた時って、寝るの?」

「寝るって……?」

「その……分かるでしょ、したのかって事……」

 ちょっと、何て事聞くのよ、と私は右手で顔を覆った。私も気にならない事はなかったが、それを言わないのは暗黙の了解というものではないだろうか。聞いても、せめて先輩本人の居ない所とか──。

 たちまち、ニーカの顔が真っ赤になった。羞恥から逡巡の表情になり、怒ったように口元を結び、最後はまた寂しそうに目を伏せた。

「ユーフォリナ、先輩の目の前で……」

 先輩に何事かと気付かれないよう、私はユーフォリナを席に戻そうとする。その時、私が立ち上がったタイミングで、ニーカの指が素早く動いて飲みかけのカフェオレのカップを倒した。

「あっ……ごめん」

 彼女が棒読み風に言うのと、私たちが反射的に身を引くのは同時だった。浴衣の薄い生地越しに、(ぬる)くなったカフェオレの液温が伝わり、掛かってしまったな、と妙に冷静に判断出来た。

 先輩は即座に動き、カップをソーサーに戻した。ニーカはおしぼりを取り、テーブルの(ふち)まで流れないように堰を作った。

「あああ、大変だよ二人とも! 掛かっちゃってる、早く洗わないと!」

「ニーカ、二人を洗面所に。片付けは僕がするから」

「すみません先輩! それじゃあ!」

 彼女は私たちの方に来ると、急き立てるようにして立たせてくる。私は彼女の不自然にわざとらしい慌て方を訝しみながらも、お気に入りの浴衣に茶色が染みたら大変なので従った。

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