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「彼女と先輩」(『スクリフェッド』)③


          *   *   *


「随分混み合っているね」

「花火自体はエアルサミアからでも見えるだろうけど、おまじないは『花火の下に行く』って事が大事みたいだからね。去年は転倒事故があったみたいだけど、ルムートもさすがに『おまじないは嘘なんです』なんて大々的に言ったら大ブーイングだって分かっているんでしょ」

「本気で信じているって人も居ないと思うけど……」

「おまじないは、原理が分からない時がいちばんよく効くんだよ。受験の合格発表の時だって、神様お願い、って思うでしょ?」

 行き交う人波を慣れた足取りで抜けながら、ユーフォリナは言う。

 花火大会の当日、予想していたとはいえ私は人流に翻弄された。ユーフォリナに手を引かれ、彼女の希望で着た浴衣が崩れないように胸を押さえながら、よく見えない足元は縺れそうになる。

 こういう時、想い人を誘った女の子は「はぐれると困るから」などと言って相手と指を絡めるのだろう、と想像し、私は何だか恥ずかしくなった。

「私たちは、目的は男の子じゃなくて花火だもん。綺麗に見える所だったら、わざわざ真下に行かなくてもいいの」

「中二の時に見つけた、エアルサミアの落成記念モニュメントね。中央広場から大分離れた場所にあるから気付かなかったけど、あの丘みたいな場所を隠れスポットって言うのかも」

「一年生の時は、ハーミィの家の窓から見えたんだよね。でも、まさか一年でビルが建つとは思わなかったなあ……」

 初めてユーフォリナとニーカが家に来たのも、花火を見る為だった。少し遠くなってしまうが、人いきれの中で押し合い()し合いしながら見るより、三人だけの素敵な時間、という状況を楽しむ方がいいかという事で私が提案した事だったが、思い返せば私の家に遊びに来た友達は、あの時の二人を除いて小学校時代から居なかったかもしれない。

 だからこれ程印象深く心に刻み付いているのだろうか、三人とも女子だったから出来たような裸に近い格好で、窓際で齧った西瓜の氷のような歯触りや、カーテンを巻き上げた風、工業化が進んだ街に(かろ)うじて生き残った鈴虫の鳴き声までもが、今でも体に染み付いている。

 ビルの建造により家から花火が見られなくなると、私たちも公園に繰り出すようになった。

 丘というのは、公園の皆が集まる広場から林を隔てた場所にあり、人々が信じているおまじないの有効範囲に含まれるのかどうかは微妙だが、広場と遜色ないくらいに花火が綺麗に見えるスポットだ。場所が場所だけに訪れる人も居らず森閑としており、初めて芝生の上に腰を下ろした時、私たちは秘密基地でも見つけたかのようにはしゃいだものだった。

 混雑が最高潮の広場を抜けると、ユーフォリナはふうっと息を()いて私の手を離した。お菓子などを詰めた手提げの中身を確認し、無事を確認すると、「暑くなっちゃったね」と声を掛けてきた。


          *   *   *


「あれ、ニーカ?」

 綿菓子を頰張りながら丘に登ろうとした時、先客が居る事に気付いた。ユーフォリナは、それが誰かも分かったらしい。

「ハミィちゃん、ユーフィちゃん、何でここに居るの?」

 丘を登っていくと、ニーカが目を丸くしているのが分かった。その傍らには、当然の如くクリード先輩が腰を下ろし、控え目にこちらに手を振っている。

 私たちは彼らの所まで駆け上がる。何だか邪魔しちゃったかな、と私が思っていると、ユーフォリナが袖を掴んできた。

「何でって、去年まで私たち、ここで花火見てたでしょ? 私こそてっきり、ニーカは広場の方に居るんだと思ってた。ね、ハーミィ」

 と、言われても、私は「今年はニーカはクリード先輩と花火大会に行くんだろうな」と思うだけで、特に何も考えていなかった。でも考えてみれば、ずっと前にニーカは「いつか彼氏が出来たらここに連れてきたい」という旨の事を言っていたような気がする。ユーフォリナがあまりにも色恋沙汰からかけ離れたような態度なので、すっかり失念していた。

 ニーカはユーフォリナの台詞を、先輩との仲を友達らしく(からか)うものに捉えたらしく、耳まで赤くして浴衣の裾をもじもじと弄った。中学時代からさほど身長も変わっていないので、当時と同じ月見草の柄の浴衣を着ている。

「おまじないなんかしなくても、あたしは先輩と一緒に居たいだけだから……」

「もう、惚気(のろけ)ちゃって! あ、クリード先輩、こんばんは」

「こんばんは、ユーフォリナちゃん、ハーミィちゃん」

 先輩は、綿菓子以上に甘く、食べたら胃もたれしそうな微笑を向けてくる。黒地に白い霞草のシンプルな浴衣がほっそりした体の線を浮かび上がらせていて、私はニーカと同じく顔が熱くなったのを感じた。

「ニーカから聴いたよ。ここ、一昨年から三人で来ていたんだってね。僕は去年までこの裏のルムートの庁舎から見ていたんだけど、思いがけない穴場だったな」

「そっか、先輩は五摂家ですもんね。マイセン理事と一緒に、庁舎のバルコニーなんかで見られるんだ。……良かったねニーカ、あなたも頼めば特等席用意して貰えるんじゃない?」

「それは……」ニーカは、ちらりと先輩を窺う。

「実は僕から兄にも頼んだんだけどね、庁舎は特別の用件がないと一般人は入れないんだ。本当は僕はニーカを家にも呼びたいんだけど、それもなかなか許して貰えないしね。結構厳しいんだ、そういうとこ」

 先輩は言い、「だからありがとう、ニーカ」と彼女の髪を撫でた。彼女は増々赤くなり、それから少し申し訳なさそうに、私たちに上目遣いの視線を送ってくる。

 ユーフォリナは納得したように肯き、ニーカの隣に腰を下ろす。私は念の為、「いい?」と小声で確認してから同じように座った。

「ニーカ、わたあめ食べる?」

 ユーフォリナが、少しだけ齧った綿菓子をニーカに差し出す。

「あたしは大丈夫……ユーフィちゃん、二人は花火の後どうするの?」

「そうねえ……食べ物は大体買ってきちゃったし、お祭りは一通りぐるっと見るだけでいいかな。ニーカたちは?」

「あたしたちは……先輩、どうしますか?」

「そうだね、せっかくだからユーフォリナちゃんたちと一緒に回ろうよ。ニーカたちも、そっちの方が楽しいでしょう?」

 先輩は、ニーカに確認するように尋ねる。ニーカは一瞬驚きと戸惑いを経て、いつもの可愛らしい妹のような笑みを浮かべた。

「じゃあ、そうしようかな。いいよね、ユーフィちゃん?」

 ユーフォリナは顔を輝かせ、すぐにはっと何かを思い出したように表情を凍り付かせ、それからまたにっこりと笑った。

「学園の王子との誉れ高い先輩と、いつもよりこんなに可愛い友達と一緒にこの夜を楽しめる日が来るとはね。いやあ、幸せ幸せ」

「王子は照れるなあ。ヴィンセンシア家を継ぐのは兄だし、僕はあんまり自覚ないんだけど」先輩は頭を掻く。

「比喩表現の方ですよ。ニーカがお姫様で」

「それは知ってるけど、五摂家だ五摂家だって小さい頃から言われ続けた僕には、ついね」

「まあ比喩表現の方も、王子様は将来執政者(おうさま)になるって事を忘れたような使い方をされますけどね。……ねえ、ニーカはどう思う、お姫様になってみたいって思った事ある?」

「女の子だったら誰でも憧れる時期はあると思うけど……将来お后様になって(まつりごと)に携わるとか、無粋な事は言っちゃ駄目だと思うよ」

「えへへ……ごめん」

 ユーフォリナとニーカは、いつもと変わらず明るい。ニーカと先輩の蜜月に割り込んだようで気まずいような気持ちが捨てきれない私だったが、少しだけそんな空気が弛緩したように思えた。


 不意に、アナウンスが公園のスピーカーから響いた。

『えー、こちらルムートです。今年も流星祭宵宮、カンパニュラ国立公園花火大会にお越し下さりありがとうごさいます。ご来場の皆様にお願い申し上げます。例年の事ながら会場は大変混み合っております、事故防止の為……』

「そろそろだね」

 綿菓子の最後の一欠片(かけら)を口の中で溶かしていると、ユーフォリナが呟いた。

 何故か、胸がドキドキする。薄い浴衣の布地から、心臓の拍動が見えてしまいそうなくらい。それが、親友二人を隔てた場所にクリード先輩が居るという状況故の事なのか、祭りに浮き足立つ普遍的な高揚感からの事なのか、確かめる(すべ)はなかった。

 ドンッ! という低めの破裂音の後、空に丸い火の花が咲いた。一発目に相応しい、赤と黄色の入り混じった鮮やかで大きな玉。既に見た事のある光景とはいえ、やはり歓声が上がるのは止められない。

「綺麗……」

「ああ、本当に綺麗だな」

 ニーカと先輩の目が、残光を映してきらきらと輝いている。その輝きを絶やすまいとするかのように、二発目、三発目も続けて上がる。自然に、ごく当たり前のように二人の腕が絡み、手が重なったのを見て、私はまた少しだけ赤くなるのを感じた。

「……不思議。今までユーフィちゃんとハミィちゃんと来てた時と、何だか違って見える。でも、先輩と一緒だからって言っても、想像していたより変わった感じはしないや」

 ニーカが、少し躊躇いがちに声を出した。ユーフォリナがくすりと笑う。

「先輩だけじゃなくて、私たちも一緒に居るからでしょ」

「恥ずかしいなあ……」

 ニーカは、ちらちらとユーフォリナの顔を横目で窺う。心なしか、先輩と絡めた腕を気にしているようにも見える。

 ユーフォリナが、一瞬だけ表情を強張らせたように見えた。だが彼女はすぐにまた笑みを浮かべ、「ねえ」と私に話を向けてきた。

「赤の炎色反応が、聖晶水にジェヘナ鉱石を溶かしたものだっけ? いや、リトマイト鉱石かコペライト鉱石だったような……違う違う、コペライトは青緑色だよね」

「ユーフォリナ、興醒めするからここで魔科学の話はしないの」

 私は、霊薬療法(エリクセラピー)学科の必修問題を思い出して顔を顰める。

「じゃあさ、魔法コーディネートで、花火の演出に使う拡散術式が映える為の触媒は……」

「それも駄目」

「それじゃあねえ……」

 私はそこで、考え込むユーフォリナが懸命にニーカたちの方を見ないようにしている事に気付いた。思わず彼女の名を呼びかけた時、ニーカが私の表情の変化を悟ったらしい。途端にまた申し訳なさそうな顔になり、「ユーフィちゃん」と躊躇いがちに声を掛けた。

「なあに?」ユーフォリナが、微笑んだまま振り返る。

「えっと、その……楽しいね、こういうの。あたし、最近サークルにも顔を出せていなかったし、前みたいに皆で遊ぶ事もなかったから……」

 ニーカは、恐る恐るという感じに発言する。

「……勉強が忙しくなってくると、それどころじゃなくなってきちゃうもんね」

「ごめん……」

「何でニーカが謝るの? ……いいじゃん、今私、すっごく楽しいよ。出来れば、私も彼氏同伴が良かったけど」

 ユーフォリナは冗談めかして言うものの、一度気付いた事に見ない振りをする事は最早出来なかった。

 彼女は、確実に無理をしている。時々出るやっかみのような台詞に、本心が含まれている事が明らかに分かる。ニーカも後ろめたさがあるのか、ユーフォリナのその機微を敏感に読み取ってしまっている。

 ユーフォリナは、自分の心に対しては器用に振舞えるが、他人に対しては不器用なのだ。それは、彼女との付き合いが長い私やニーカだからこそ分かる事でもある。そしてユーフォリナも、それが分かられているな、と分かっている。

 だから、この空虚さが生まれるのだ。気が置けないはずの友人に忖度しているという気持ちが、何だか居心地の悪い硬さを空気に付加してしまう。

 ねえ、ユーフォリナ、と私は心の中で語り掛ける。

 温かく見守るのって、本当は難しい事なんだね。

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