白い結婚を宣言されたクラウディアが幸せを掴むまで。
「クラウディア。私はお前の事を愛するつもりはない。お前とは白い結婚だっ」
いきなり、ベッドに腰かけて夫を待っていたクラウディアに向かって言い放たれた言葉が、これだった。
「どういう事ですの?わたくしは貴方様と結婚したのです。ディフェルク公爵家の跡継ぎを作らねばなりません。勿論、政略だって解っております。でも、わたくしは貴方様と愛ある家庭を作りたいと何度も申し上げてきたはず。それなのにっ」
ショックだった。
クラウディアは冷たく自分に言い放つ、ベルハルト・ディフェルク公爵令息の事を愛していた。
クラウディアの実家であるテリス公爵家とは政略で結ばれた結婚である。
それは嫌っていう程、解っている。
だが、夫とは愛ある家庭を望んでいたのだ。
父も母も政略で結婚して、とても冷たい家庭で育ったクラウディア。
よその家では夫婦仲良さげな貴族達もいると言うのに。
二人は外では仲のいい夫婦を演じているようだけれども、兄と四人での食事中は一言も話をしない。
冷たい家庭だった。
兄とも仲が良い訳ではなく、クラウディアは孤独に育ったのだ。
だからこそ、政略とはいえ、結婚して暖かい家庭を築きたい。
自分のような寂しい思いを子供にはさせたくない。
うんと子供が出来たら可愛がってあげよう。
ベルハルトにも、愛情を注いで、笑いが絶えない家庭を築くのだ。
貴族らしくないと言われればそれまでだが、それでも、クラウディアは愛ある家庭を望んだ。
それなのに、冷たく言い放たれたその言葉。
涙がこぼれる。
「どうして、そんな酷い事をおっしゃるの?結婚するまではとても優しかったではありませんか?」
ベルハルトは冷たく、
「私には愛する人がいるのだ。その人を敷地内の別邸に迎えて、私達は愛し合っている。お前には正妻という立場を与えてやっているだろう?可哀そうなミレナは愛人の立場で我慢してくれているのだ。だから、私はミレナとの間に子供を作る。ミレナの子がこの公爵家を継ぐのだ。お前なんてお飾りで十分だ。しっかりと社交はしてもらうぞ。しかし、私に愛されると思って貰っては困る。いいか?念を押したぞ」
そう言うと、部屋を出て行ってしまった。
泣き崩れるクラウディア。
どうして?なんで?
ミレナという女がいるのなら、結婚を断ってくれてもよかったのでは?
いいえ、この結婚はディフェルク公爵家と事業を提携したいが為にお父様が頼んで結んだ結婚。
家と家の結びつきを強めたいと家同士で決まった結婚。
あああっ。このまま、ベルハルト様に愛されないだなんて。
わたくしは……
あまりのショックで泣き暮らすクラウディア。
テリス公爵家から着いてきてくれたメイドのメラニアが、
「お嬢様がショックな気持ちもわかりますが、少しは大人になられたら如何でしょう」
「わたくしの気持ちが解るのなら」
「これは政略。しっかりとお嬢様はディフェルク公爵で、ベルハルト様の正妻として立場をしっかりとせねばなりません」
「でも、わたくしはっ」
「それが貴族というものです」
冷たく言うメラニア。
公爵家にいた時から、この冷たいメイドが苦手だった。
でも、何年も自分の傍で世話をしてきてくれたメラニア。
結婚が決まった時、着いて来るのは当然だという態度で、ディフェルク公爵家に着いてきた。
メラニアはクラウディアに、
「まずは公爵夫人と仲良くなる事です。味方を増やしなさい。しっかりとベルハルト様の正妻として根を生やすことをお勧めします」
「解ったわ」
ディフェルク公爵夫人はおっとりとした人で、クラウディアはディフェルク公爵夫人と仲良くなるように努力した。
一緒にお茶をしたり、編み物が好きなディフェルク公爵夫人に編み物を習ったり、夫人のお茶会に一緒に連れて行って貰ったりした。
その中で、ベルハルトの態度を相談してみたりしたのだが、
「ごめんなさいね。我儘な息子で。わたくしからもよく言って聞かせますから」
とは言ってくれるが、ベルハルトはあれ以来、姿を見かける事もなく、食事時も公爵夫妻と一緒に食事をとるのはクラウディアだけで、ベルハルトはミレナと一緒に食事をしているようで。
ディフェルク公爵も、
「息子が愛人に夢中ですまない。私からも言って聞かせてはいるのだが」
「いえ、公爵様。お気持ちだけで……」
本当は悲しくて仕方がなくて。
でも、気遣ってくれる公爵夫妻の心が嬉しかった。
とある日、庭を見ていると、ベルハルトがミレナらしき女性と仲良さげに散歩している姿を二階のテラスから見かけた。
ベルハルト様に愛されるのはわたくしだったはず……
何で?仲良さげに歩いているの?
ミレナのお腹のあたりを優しく撫でているベルハルト。
あああっ。もしかして、子が出来たのかしら。
子が出来たら、わたくしは……どうしたらよいの?
「メラニアっ。愛人に子がっ?わたくしはどうしたら?」
「落ち着いて下さいませ。愛人に子が出来たとしても正妻は貴方様なのです。どんと構えていたら良いのです」
「でもっ」
「しっかりなさって下さいませ。貴方様はここから逃れられない。しっかりと正妻として頑張って頂かなくては」
そして、メラニアはクラウディアに向かって囁いた。
「愛人の子を自分の子として育てる事を、公爵夫妻に提案しなさい。よいですね?」
「そ、そうね。いかに憎い女の子でも、ベルハルト様の子。わたくしが育てないと」
納得はいかなかったが仕方ない。
ここから逃げられないのだ。
庭に降りて行くと、クラウディアはベルハルトとミレナに向かって、
「ごきげんよう。ベルハルト様。そちらは愛人のミレナ様?」
ミレナという女性は栗色の髪の可愛らしい感じの女性だった。
銀の髪の一見して冷たい感じだと言われる自分と比べて、クラウディアは悲しくなる。
キっとミレナを睨みつければ、ミレナはベルハルトの後ろに隠れて、
「奥様が睨んでますっ」
ベルハルトが凄い勢いでこちらを睨んで来て、
「ミレナが怖がっている。なんの用事だ?」
「ミレナ様に子が出来たのなら、わたくしが育てます。わたくしは貴方様の正妻。跡継ぎを育てるのは当然でしょう?」
ミレナは泣きながら、
「私の子を取り上げると言うの?ベルハルト様ぁ」
ベルハルトは怒りまくって、
「私とミレナの子を取り上げるとはっ?許さないっ」
そこへメラニアが、
「恐れながら、ディフェルク公爵様に提案すれば、了承して下さるでしょう。奥様は貴方様の正妻。跡継ぎを育てる当然の権利があります」
クラウディアは扇を手に、口元を隠しながら、
「男の子でも女の子でも、この王国の法律では公爵家の跡継ぎになれます。わたくしが育てますわ。わたくしは正妻。当然の権利があります」
胸が痛い。本当は自分の子を育てたかった。愛するベルハルト様と。
ベルハルトへの愛は、初夜の時に砕け散ったけれども、でも、それでもわたくしはまだ彼のことが好きなのだわ。
あの女へ向ける優しい眼差しをわたくしに向けて……
あの女に語り掛ける優しい言葉をわたくしにかけて……
こんな目で睨まないで。愛しているの。愛して欲しいの。わたくしは貴方の妻なのよ。
ミレナがベルハルトに縋って泣き崩れる。
ベルハルトはこちらを睨んだまま。
「父上と母上を説得する。私とミレナの子だ。ミレナに育てさせる。いいなっ」
結局、ディフェルク公爵夫妻はクラウディアに味方してくれて。
月が満ちて、ミレナが産んだ子はクラウディアが育てることになった。
可愛らしい女の子。
ベルハルトに顔立ちが似て、将来美しくなるであろう、そんな顔立ちの赤子で。
ベルハルトは容姿だけは美しかった。漆黒の宝石と言われていて、貴族女性達の間では憧れとして見られていた男性だ。
そんな黒髪の赤子を抱き締めて、クラウディアは思った。
この子に愛情を沢山注いであげよう。夫との愛情は手に入れられなかったけれども、わたくしにはこの子がいる。
クラウディアはレティーヌと名付けたその赤子をメラニアや雇った乳母と共に、愛情たっぷりに育てることにした。
「お母様ぁ。庭に素敵な花が咲いていたの」
5歳になったレティーヌはとてもクラウディアに懐いてくれて、小さな手に桃色の花を一杯抱えたレティーヌの前で身を屈めて目線を合わせ。
「まぁ、チャールズが摘んでくれたのね。よかったわね」
チャールズは庭師である。
レティーヌがおねだりして、花を摘んで貰ったのだろう。
「そうなの、おねだりして摘んで貰ったの。お母様にあげたくて」
「まぁ有難う」
ミレナが時折、こちらをじっと見ている事がある。庭へ出る時、メラニアがレティーヌの傍についていて、ミレナが近づけないようにはしているのだけれども。
あれからミレナに子が出来ない。
だから、レティーヌに未練があるのだろうけれども。
レティーヌはわたくしが育てているわたくしの子。渡しはしないわ。
ベルハルトがやって来て、
「たまにはミレナに会わせてやってはどうだ?この子はミレナの産んだ子だ」
「いえ、母親は二人はいりません。わたくしの子ですわ」
絶対に、この子は渡したくはない。ベルハルト様の愛情を得られなかった。だから、わたくしはせめてこの子の愛情は欲しいの。いえ、わたくしが愛情をたっぷりと与えてあげて。
せめてこの子と愛ある家庭を築きたいの……
レティーヌを抱き締めた。
レティーヌはきょとんとした顔をして。
「お父様。お母様を泣かせてはいけないわ」
ベルハルトはレティーヌの頭を撫でて、
「お前の母親は別にいる。本当の母親に会いたいか?」
何度も何度の今までレティーヌに聞いてくるベルハルト。
そのたびに胸が抉られるように痛む。
レティーヌは首を振って、
「私のお母様はクラウディアお母様。他にお母様はいらないわ。だってクラウディアお母様が他のお母様と会ったら悲しむから」
あああ、なんて優しいいい子なのでしょう。レティーヌ。貴方だけはわたくしを裏切らないで……
ベルハルトと上手くいかない分、レティーヌの事を可愛がって。クラウディアは必死にこのディフェルク公爵家で、ベルハルトの正妻として過ごしてきたのだけれども。
とある日、兄のシュルトが尋ねてきた。
仲が良いとは言えない兄シュルト。
「クラウディア。久しぶりだな。お前のお陰で我がテリス公爵家は助かっている。先ほど、ディフェルク公爵夫妻にお会いして礼を述べてきたところだ」
「そうですの。ところでお兄様。わたくしに何用でしょう?」
「お前、白い結婚だそうだな」
「どうしてそれを?」
誰が話したの?ディフェルク公爵夫妻?それとも……
「調べればわかる事だ。レティーヌという娘もお前の子ではないのだろう?」
「ええ、でもわたくしが育てているわたくしの子ですわ」
「我がテリス公爵家に戻って来て、新たにブルフェ伯爵家に嫁ぐ気はないか?」
「でも、ディフェルク公爵家から離れて、困る事になるでしょう?」
「いや、互いの事業の5年契約は終わりを迎えた。お陰で我がテリス公爵家の事業は軌道に乗ることが出来た。だから、次はブルフェ伯爵家と結びたい。そこの伯爵はお前より10歳年上だが、先妻が家を出て行ってしまってな。離婚している。お前と結婚してもいいと言ってくれている」
怒りが、心の底から怒りが沸いた。
いかに貴族の女性が政略で結婚するとはいえ、一生懸命、このディフェルク公爵家で夫に愛されない生活を我慢してきたのだ。自分の子ではないレティーヌを愛して、心の寂しさを埋めてきた。それなのに、今度は違う家に嫁げと?
「ディフェルク公爵夫妻はなんと言っているのです?」
「ご夫妻も賛成してくれている。このまま白い結婚を強いるのも申し訳ないと。だから、我が公爵家に戻ってくるがいい」
「レ、レティーヌは?」
「愛人が育てるそうだ。ベルハルト殿と共に」
「嫌です。嫌っーーー。わたくしの生きがいは今やレティーヌだけなの。レティーヌを育てることが生きがいなの。それなのにっ。わたくしからレティーヌを取り上げる気?嫌ぁーーー」
部屋を飛び出て、レティーヌを探す。
レティーヌは部屋で本を読んでいた。
レティーヌを抱き締める。
「レティーヌっ。離れたくない。お母様は貴方と一緒に居たい」
「お母様っ。レティーヌはお母様と一緒よ。ずうっと一緒よ」
レティーヌは抱き着いてきて。
「お母様と一緒っ。一緒なの」
何か察したのだろうか。レティーヌはぎゅっとしがみついて、泣きだした。
二人でワンワン泣いて。
泣いて泣いて泣いて。
だが、どうすることも出来ない。
もう、決まった事なのだ。
一週間後に、クラウディアはディフェルク公爵家を去ることになってしまった。
ディフェルク公爵夫人はクラウディアを抱き締めて、
「本当に貴方はよく我慢してくれました。ごめんなさいね」
「いえ、お義母様にはよくして頂いて」
ベルハルトはニヤニヤ笑って、
「ああ、やっとこの日が来た。愛しいミレナと可愛い娘と本当の家族が一緒に暮らせる」
レティーヌはミレナの元へ連れて行かれてしまった。
もう、二度と会えない。
ベルハルトの前に行くと、思いっきりその頬を叩いた。
ベルハルトは頬を抑えて、
「何をするっ?」
「わ、わたくしは貴方様のことなんて大嫌い。この5年間、苦しい思いをしてきました。でも、レティーヌだけは、レティーヌだけはわたくしの心の支えだったの。レティーヌを大事にしてあげて。幸せにしてあげて。世界で一番、一番幸せにしてあげて。貴方の事は恨んでいるけれども、わたくしはレティーヌの事を愛していたわ」
涙が止まらない。
唖然とするベルハルトに背を向けて、メラニアと共にディフェルク公爵家を後にするクラウディアであった。
新しく嫁ぐ予定のブルフェ伯爵は23歳のクラウディアより10歳年上の33歳の男性で。
初めてブルフェ伯爵家を訪ねて時に謝られた。
「事業提携の事で、無理やり君を娶ってしまってすまない」
頭を下げた男性は落ち着いた感じの黒髪の男性で。ベルハルト程の派手な容姿ではないけれども、それなりに整った顔をし、逞しい体つきの男性だった。
「わたくしと結婚する必要があったのでしょうか?今回の事業提携はわたくしと貴方様が結婚しなくても」
「君の兄上と私は親友でね。兄上に頼まれたんだ。妹には不幸な結婚を強要してしまった。今も愛人がいる中で、自分の娘でもない子を育てて暮らしている。だから、どうにかして欲しいってね。私も妻が出て行ってしまって、君の兄上に独り身を心配されていてね。だから、今回、君を妻に迎える事に」
「わたくしは……レティーヌの事を愛していましたの。娘として。あのままディフェルク公爵家にいても構わなかった。レティーヌの事を育てたかったの。お兄様は解っていない。わたくしはわたくしの幸せは……」
手をぎゅっと握り締めてくれた。
「でも、君は本当に幸せだったのか?ベルハルト殿に愛されず、自分の娘ではない子を育てて」
確かに……ずっとずっとベルハルトの愛が欲しかった。
だから、その分、レティーヌに愛を注いできたのだけれども。
本当に幸せだった?
わたくしは本当に幸せだったの?
ユリウスは真剣な眼差しで、
「私の名は、ユリウス・ブルフェだ。私の子を産んで欲しい。私と私の子に愛情を注いで欲しい。私は前妻を幸せに出来なかった。仕事にかまけていてね。いつも寂しい思いをさせて、出て行ってしまって。反省している。だから、今度こそ私は君と愛溢れる家庭を築きたい。可愛い子に恵まれて。どうか私と結婚してくれないだろうか。お互いに本当の幸せを探して、一緒に叶えていかないか?」
クラウディアの心は揺れた。
この人なら、わたくしの欲しい愛情を下さるかもしれない。
欲しくても得られなかった。夫からの愛……
可愛い自分の子が欲しかった。自分の子を産んで一杯愛することが出来るかもしれない。
信じてみたい。信じたい。愛溢れる家庭を築きたい。
レティーヌの事は気になる。離されたことは心がいまだに痛い。
ミレナはレティーヌの事を大事にしてくれているのだろうか?
愛情をたっぷり注いでいるのだろうか?
レティーヌはわたくしの事を思って泣いていないだろうか?
いえ、前を向かなくてはならないわね。
「解りましたわ。わたくしは貴方と結婚致します。一緒に愛溢れる家庭を築きましょう」
ユリウスと結婚することにしたクラウディア。
結婚式を盛大に行って、結婚式が終わって。初夜であるその夜、ユリウスは優しかった。
ベルハルトとは大違いで。
「私は君と結婚出来て幸せものだ。実はね。君の兄上から君の話をよく聞かされていてね。人妻ながらも、気の毒に思っていたんだ。私なら君を泣かせはしないのにって」
ベッドの中で、そう話すユリウス。
逞しいその身体に寄り添いながら、
「でも、貴方様は仕事人間で、奥様に関心はなかったのでしょう?」
ちょっと意地悪く聞いてみる。
「ああ、あの頃は仕事が楽しくて夢中でね。だから反省しているんだ。妻が出て行ってしまって、彼女は今や違う男と新しい家庭を築いているよ。今度こそ、間違えない。クラウディア。君の事を大事にするよ」
頬にキスを落とされた。
クラウディアは愛しい夫の胸に顔を寄せるのであった。幸せに胸が満たされて。
ああ、わたくしは夫からの愛をやっと手に入れられた。
欲しくて欲しくてずっと満たされなかった夫からの愛。
本当に幸せ、幸せってこういうものなのだわ。
ユリウスは家庭ではとても優しい夫だった。
外では仕事の鬼と言われてはいるが。
いつもクラウディアを気遣い、綺麗な花を買ってきて、プレゼントをしてくれた。
ベルハルトとなんて違うのであろう。
ベルハルトも結婚するまではプレゼントをくれたりはしたけれども。
その心が嘘だったと思うと、今では怒りを覚える。
でも、もういいの……
わたくしは今がとても幸せなのだから。
幸せに満たされた中で、結婚して2年で待望の男の子が産まれて、クラウディアはユリウスと共にとても喜んで幸せで。
そんなとある日、来客があるという。
客間へ行ってみれば、メラニアとそして、7歳になったレティーヌだった。
メラニアはディフェルク公爵家に残って貰うように、クラウディアが頼んだのだ。
ミレナが嫌がって、レティーヌの傍で働くことは出来なかったが、時折、レティーヌの様子を知らせてくれていた。
レティーヌは会った途端、クラウディアに抱き着いてきて、
「お母様、お会いしたかったですっ。私、私っ」
「どうしたの?元気にやっているってメラニアから聞いていたけれども」
「そう、書くように私から頼んだの。だってミレナお母様は出て行ってしまって。公爵家のお金で一杯宝石とかドレスとか買ったからって、おじい様に追い出されてしまって。お母様っ。お母様っーー会いたかった。お母様っーー」
泣くレティーヌを抱き締めるクラウディア。
涙がこぼれる。
わたくしだって会いたかった。
血が繋がっていなくても、貴方はわたくしの大事な子なのよ。
すると、荒々しく、止める人を振り切って入って来たベルハルト。
元、夫の顔を見て、クラウディアは驚いた。
ベルハルトはクラウディアを見て叫んだ。
「クラウディア。こんな伯爵家なんていないで帰って来い。お前の事を再び迎え入れてやると言っているんだ。レティーヌが寂しがっている」
レティーヌは首を振って、
「お母様は別の人と結婚しているの。だから我儘は言えないのっ。お父様っ」
「たかが伯爵家。我がディフェルク公爵家の方が格が上だ。当然、戻ってくるだろうな」
ユリウスが赤子である息子を連れて部屋に入って来た。
「ベルハルト様。妻との間に息子が産まれたばかりです。私は妻を愛しています。クラウディアを渡すわけにはいきません」
クラウディアはベルハルトの前に進み出ると、きっぱりと言い切った。
「わたくしはやっと愛する夫と、息子との生活を手に入れたのです。最低な貴方の元へ戻る気はありませんわ。ディフェルク公爵家での生活は辛かった。貴方はいつも愛人ばかり愛していて、わたくしは寂しかったの。でも、レティーヌ。貴方との生活は楽しかったわ。一緒に暮らすことは出来ないけれども、わたくしはいつもあなたの幸せを願っているわ」
レティーヌの傍へ行きその身体を抱き締める。
ベルハルトの事は今や大嫌いだが、レティーヌの事は大好きだった。いえ、今でも愛しいわ。
本当なら一緒に暮らしたい。
でも、それは無理でしょう。
だから、幸せを願うしかないの。
「レティーヌ。レティーヌ。レティーヌっ」
「お母様っ。お母様っ」
涙を流して、互いの名を呼んで。
この日の事を忘れないだろう。
ベルハルトの事は過去の苦々しい思い出。でも、レティーヌの事は、確かに愛していた。
本当の娘のように愛していたのだ。
それから、レティ―ヌとは手紙をやりとりだけはして、いつも心配していたのだけれども。
愛するユリウスとの間に、さらに男の子、女の子に恵まれて。
ベルハルトの代になって、ディフェルク公爵家は借金を抱え、爵位を売って平民落ちをしたレティーヌの面倒を見たのはクラウディアだった。
クラウディアは見捨てられなかったのだ。
大事なレティーヌを。
レティーヌを養女にして、いい結婚相手を見繕って、結婚させるまで面倒を見た。
「お母様。有難うございます。お母様のお陰でわたくしはこうして幸せになる事ができましたわ」
レティーヌの相手はとても誠実な良い人で。
結婚式でレティーヌは花嫁姿のまま、涙を流してクラウディアに感謝を述べた。
クラウディアは元公爵の義両親の面倒も、小さな屋敷を用意して路頭に迷わないように面倒も見て、メラニアは自分の元で働くようにユリウスと相談して、そのようにした。
仲の希薄だった兄とも距離が縮まり、家族同士の交流も深まって。全てがとても良い方向に行き幸せで。
一方、ベルハルトは恥も外聞もなく、クラウディアに助けを求めてきた。
「お前だってディフェルク公爵家の人間だったのだろう。だったら私を助けろ。元夫が路頭に迷うのは気分が悪いだろう。いまだに私の事を愛しているのではないのか?」
久しぶりに見た元夫、ベルハルトは痩せこけていて、若かりし美しき面影は無くなって、変わり果てていた。
やっと生活をしているのだろう。着ている物もボロボロで。
クラウディアはもう、ベルハルトに愛情の欠片もなかった。
「わたくしと貴方は赤の他人です。わたくしが愛するのは今の夫、ユリウス様だけです。もう貴方とは関係ありませんわ。どうか他を頼って下さいませ」
ベルハルトは土下座する。
「頼む。どうか金を貸してくれ。私はこのままでは死んでしまう。レティーヌに縋りたかったんだが、会う事も叶わなかった。レティーヌの父親が路頭に迷っては、元夫が路頭に迷って気の毒だと思わないのか?」
愛情の欠片もない。ベルハルト様なんて大嫌い。
いまだにわたくしは怒りが沸くの。あああ、でも愛情の欠片もないなんて嘘。
きっと、くすぶっているのね。愛されなかった遠い日の自分が。
「辺境騎士団への紹介状を書いて差し上げるわ。わたくしの兄が辺境騎士団長とお知り合いですの。そこで働かせてもらえばいいわ」
「有難う。クラウディア。有難う……」
うっかりクラウディアは忘れていたのだが、辺境騎士団はとある噂のある有名な危ない騎士団である。
紹介状を書いてあげて、その後、ベルハルトがどうなったのか、クラウディアが気にすることはなかった。
幸せってこういうものなのね……
有難う。ユリウス様。可愛い子供達。そしてレティーヌ。
クラウディアは、愛する夫と家族と、そして時折レティーヌと手紙をやりとりしながら、幸せに暮らしたという。