幕間
宵の口。
薄闇がその手を広げる、木々の合間。
二種の灯りが、森の奥へ奥へと尾を引いていた。
一つは、異形――――飢神の口から漏れる、命の灯『灯臓』の発光。
もう一つは人間――――狩司衆の先鋒が掲げている松明の火。
二つは木立の闇を縫い、時に交錯。
時に退きあい、地の上に星を散らしていた。
「二番組、そちらへ追い込む! 背後から狩れっ」
巨大な野兎のように跳ね回る《丙種》の飢神の群れを追い立てて、組頭の狩士が指示を叫ぶ。
先にあった松明灯りが陣形をとり、群れを待ち受けた。
挟み撃ちに合う丙種は、一時ぎゅうと身を寄せ合うと、
『キャァアアアア!!』
耳を劈くような威嚇を上げて、八方へ跳び散る。
獲物を追い詰めていた狩士たちは、窮して牙をむいた異形に、陣形を乱された。
「か、狩れ! 狩れぇ!」
組頭が煽るように声を張るが、跳ね回る飢神を捕らえることは難事。
混戦の最中。
一匹が蹴りを放ったのをもろに受けて、まだ歴の浅い若手が一人、木の根元へ吹き飛ばされた。
若い狩士は痛みに呻き、束の間警戒を途絶えさせる。
その空白が、命を無防備にした。
『キアアアアアアッ』
「う、わぁあああああ!?」
舌を剥き出して迫る、飢神の牙。
決して獲物から逸らすなと教示される刀を放り出し、恐慌に叫ぶ。
牙の向こう、飢神の灯臓が狩士を照らして、
――――ずぶり!
その発光は、鋭い一閃に刺し貫かれた。
一瞬、空に硬直する異形の体。
断末魔のような身震いがその体を走り、致命傷を受けた灯臓の明滅、停止とともに、どさりと地の上に伏す。
白刃に黒々と滴る体液を払い、若い狩士を救った男は目を細めた。
「頭狩様!」
若手が震えたまま白銀の男を見上げる。
男――――銀正はちらりとそれを見て、乱戦に陥る狩場へ目をやった。
丙種。
飢神の四つある階位の三等級。
最下級である丁種より力を増し、『殻』と呼ばれる器官が発現する、通称『獣型』。
丙種の殻は『牙』と呼ばれ、その名の通り、獲物の捕食ともう一つ。
飢神の中枢である灯臓を防御する役目を担う。
牙は再生力が高く、仮に切り落としてもすぐに戻り、灯臓を狙う狩士たちをてこずらせる。
「飢神の動きに気を取られるな! 各自距離をとって、陣形を組みなおせっ」
押されつつある配下に声を飛ばし、銀正は若手へ手を差し伸べた。
「あ、申し訳、ありませ、」
指先を震わせながら伸ばされた手を引き上げ、刀を拾うよう視線を投げる。
慌てて得物を手にした狩士を確認して、銀正は「気を抜くな」と静かに言った。
「何があっても、飢神から目を離すな。 確実に狩り取るまで目を背けるな」
そう言うが早いか、深緑の羽織を翻して、銀正は駆け出した。
黒に滑つく刀身を振るい、まずは一頭。
追い込まれて広げられた牙を受け止めている配下の背後から、発光を狩る。
その体が倒れ伏す前に踏み台にして、二頭目。
組頭が牙を切り落とした一瞬をとらえ、袈裟がける。
突然の乱入者に、飢神の目が銀正へ集中する。
群れの全てが香しそうに鼻孔をひくつかせ、どろりと唾液をまき散らした。
「頭狩! お下がりくださいっ」
飢神の狙いが絞られる。
組頭の警告に、銀正は低く体を身構えた。
『キャアアアアアアア!』
宵空に、いくつも跳びあがる歪な影。
牙を剥いて、銀の狩士へ襲い掛かる。
その全てを視界に収め、銀正は檄を飛ばした。
「立て! 私が餌になるっ」
群れる牙を悉く躱し、空へ舞う体。
飢神の背後を取った銀正は、刀を振るわず、構えを解いて静かに立ち上がった。
無防備になった餌に、振り向いた飢神たちは再び牙を広げる。
『ギャアアアアッ』
迫る脅威。
欲に狂った幾多の目を見据え、銀正はそれでも構えない。
灯臓の光に白銀の髪が照らされ、その時。
――――ずぶっ
ずぶ、ずぶずぶずぶ!
ずぶりっ
突き出された何振りもの刀身が、光を捕らえる。
己を餌に、牙の開放を誘った銀正。
その背後から飛び出した配下たちが、一時に飢神の群れへとどめを刺す。
しかし、わずかに及ばず。
刀の脅威から逃れた一頭が、勢いそのままに銀正へと迫った。
「っ!」
間一髪。
飛びのいてそれを躱せば、生き残った異形は無念そうに喉を鳴らし、木立の陰へと消え去った。
その口元に滴った鮮血を、べろりと舐めとりながら。
静寂を取り戻す森。
宵の闇は色を濃くし、空の灯ははっきりと瞬き始めていた。
「頭狩! お怪我を!?」
駆け寄ってきた組頭が案じる声を上げ、銀正の腕に裂けた傷口を押さえた。
「構わずともよい。 傷口は大きいが、それほど深くはない」
破れた袖を引き千切り、その布で傷口を縛ると、獲物を捕らえ損ねた狩士が「も、申し訳ありませんでした!」と頭を下げた。
それを押しとどめ、ほかにけが人がないか確認した銀正は、刀を収めて声を張る。
「今宵の狩はここまでだ。 夜が深く前に、急ぎ城下へ戻る。 組頭は下をまとめ、他に散っている組と合流して森を抜けよ」
頭狩として毅然と命を投げる銀正に、狩士たちはそろって頭を下げた。
夜の森に、狩りの終わりを知らせる笛が鳴り響き、美弥狩司衆の務めは終わりを告げる。
配下の先頭に立って森を外へと向かう銀正。
その背を、いくつもの目が見つめていた。
そして互いに囁き合い、ため息をつく。
「あれだけの飢神を前にして己を餌にするなど、勇敢なのか、無謀なのか」
「右治代の当主になって一年ほどなのに、見事な胆力だ」
「病弱だった亡き兄上に比べれば、まだ頭狩の器ではあるのかもしれぬ」
「だがやはり、我ら美弥狩司衆を率いるには、資格が足らぬ」
だってあの方は、
「あの方はまだ、『比肩』を持たないのだから」