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比翼の花嫁  作者: 壺天
68/79

五十七

 最初。

 遠目に見たそれは、餌に群がる蟻の群れのようでもあった。

 しかし、それらは近づくにつれ、すぐにそれぞれがそれなりの図体を持つ異形だと視認できるようになる。

 奴らは堪えがたい欲に乱されたように、常にはさらさない灯臓を晒して、牙から唾液を滴らせていた。

 見張りであった美弥の狩士は、それをずっと見ていた。

 近づく。

 近づいてくる。

 大波が打ち寄せるように。

 大群の飢神が、遠吠えを背に群れなして押し寄せる。

 喰われる。

 本能的な恐怖が足元から這い上がり、のどを掴んだ気がした。

 そして奴らが堀を越え、見る見る間に城下を囲う壁に阻まれ山になって。

 その体を登り、最初の飢神が飛び込んできた、



 ――――その時だ。




 凄まじい爆音と火炎と共に、飢神が吹き飛んだ。




 火炎は飢神を飲みこみ、風圧はその身を切り裂く。

 刹那の一幕。

 爆発の残滓をまとった飢神は、気絶したらしき様子でそのまま地に落ちた。

 すると、すぐさまそこへ赤銅の狩士たちが、飢神の灯臓へ止めを刺しに飛びかかる。

 飢神は弛緩した牙の合間から急所を裂かれ、絶命した。



 全てを見ていた。

 鮮やかな火炎の全てを。

 そして狩士は、その気迫を感じ取る。

 はっと顔を上げ、その人を見た。

 濃紺の防衣を被った細い体。

 その人は、美弥城下の瓦屋根の上。

 まるで燃え盛る火炎の如き気配を纏って、静かに佇んでいた。






 *






 切っても切っても、湧くように現れる。

 その異形の黒波の中、銀正は叫び続けていた。


「西から三! 東に五ッ 正面から六体! すべて丙種です!」


「足止めろ! 一匹たりとて城へと近づけるなッ 全て城下で食い止めるんだ!」


 すでに強襲が始まって半刻過ぎ。

 狩場は混迷を極めていた。

 次から次へと壁を上がってくる走脚(=四足二足の飢神)や、空から舞い降りてくる有翼(=翼を持つ飢神。走脚より少数)。

 地に潜ったり、切り込んでも二重の牙を持つために狩取れなかったりと、行動や形質が異なる奇種。

 ありとあらゆる飢神が、息つく暇もなく押し寄せてくる。

 その中を、銀正は駆けていた。

 補助役として比肩のない銀正のために付き添っている二人を率いて、休む間もなく刀を振るい続ける。

 そこへ、


「頭狩っ 前です!」


 配下の声に振り向けば、目前に前衛の左厳の壁を突破したらしき乙種。

 すでに手傷を負っているらしく、切り落とされた腕から体液を振りまきながら銀正に向かってきていた。


「お下がりください、頭狩!」


 補助役が前に出て銀正を庇う。

 そのまま乙種に切りつけ、もう一方の腕を飛ばすと、二人がかりで牙を押さえつけた。

 銀正は生まれた隙を見逃さず、素早く接近。

 一太刀で灯臓を飛ばす。

 飢神は瞬間絶命。

 銀正は振り返りざま、腹から発したげきを飛ばす。


「私を守ろうとするなっ 前に出続けるんだッ この一波、一度押し返されれば飲み込まれるぞ!」


 すでに城下は飢神であふれ、そこかしこで爪や牙と刀が食い合う音が響いていた。

 餌を求めて獰猛に轟く咆哮。

 飛び交う伝令の叫び。

 むせ返るほどに漂う、人の血と異形の体液の匂い。

 まさに生き地獄。

 そんなこの世の地獄に、それでも銀正は声を飛ばし続けた。


「前衛のおかげで大物は足止めされている! 左厳の方々が取りこぼした小物を、全部止めるんだッ 一匹たりとて見逃すな!」


 厳然と命じる声に、配下の応じる返答が届く。

 その瞬間、




 バアアアアアアン!!




「!?」


 頭上で、爆音と閃光が炸裂した。

 はっと振り仰げば、屋根と屋根の間を飛び越える濃紺の影が三つ。


「崩渦衆……」


 銀正が呟くと同時、その中の一人が空に向けて手の中の塊を放り投げた。

 それは空から襲いかからんとする有翼の群れに飛びこみ、飲まれて消える。

 だが傍にいたもう一人―――― 一番体の細い崩渦衆は、消えた炸裂丸を見失わなかった。

 細身の一人は懐から取り出した小石大の活牙の塊を振りかぶると、落下してくる爆薬に投擲。

 つぶては群れる異形の合間を突き抜け、正確に目標を射抜き、即座に、



 バアアアアアアン!!



 あの眩い閃光と共に、爆音が轟く。

 炸裂の周囲にいた飢神は諸共吹き飛ばされ、翼に穴をあけて落下した。

 それへ、下に構えていた美弥の狩士たちがすぐに飛びかかる。


「お見事……」


 銀正の脇に来た補助役が、感嘆したように呟いた。

 濃紺の一団はそのまま身を翻すと、次の獲物へ向かって瓦の上を駆けて行く。

 銀正はその姿を見送り、そして、




「やるな~ 姫さん」


 楽しげに降ってくる声に、顔を上げた。

 見れば、屋根の上に赤銅衣装の男が立っている。

 男はくつくつと体を揺らしたかと思うと、「さすが、万的必中の義任」と消え去った細い背を褒め称えた。


「万的必中?」


 銀正が首を傾げれば、男は頷いて言った。


「そうそう。 あの人の腕は、ほぼ百発百中。 狙った的は外さない。 崩渦衆があの戦術に移行してからというもの、あの人が実戦で的を外したのを、俺らは見たことがない」


 飛んでくる有翼をいなしながら言う男に、銀正はふと記憶を手繰った。

 そういえば、祭りの騒動とき。

 それから、鍛錬場でも。

 香流の腕は銀正の目の前で、見事に標的を射抜いてみせた。


「(あれは、この戦術故だったのだな……)」


 遠くでまた爆発が起こる。

 そのたび飢神の断末魔が響き渡り、濃紺の影が過ぎ去っていく。


「流石、噂に名高い左厳の八ツ頭(=左厳八頭選抜の別称)。 たった一人で、数人分の働きだぞ」


「あれがあの手弱女たおやめな嫁御様とは、全く恐れ入る」


 背後で同じく香流を見送っていた組頭たちが、目を細めて崩渦衆の戦いぶりに感嘆して言った。

 組頭の言う通り、あれはまさに一騎当千。

 銀正はもう一度だけ、香流の消えた先。

 爆音轟く狩場を見据えると、刀を握りしめて言った。


「我らも負けて居れぬ。 皆! この波、乗り切るぞ!」






 *






 香流は駆けていた。

 密集する町並みの上。

 黒光りする瓦の波間を、配下と共に走り回っていた。


「前方、丙三 乙一ッ 右手より丙二、左後方に丙四!」


「後方任せた! 前に二つ、のち上方に一つ放て!」


 号令に、炸裂丸の放り役が足を止める。

 崩渦衆の狩りは、炸裂丸と活牙の礫を投げる役を状況に合わせて切り替えながら狩りに臨む集団戦術だ。

 その中でも香流はその腕前の良さから、炸裂丸に礫を命中させる役を一手に担っていた。

 香流は的(炸裂丸)を放る役の脇を走り抜け、懐に素早く手をやった。

 背後から合図の声が飛び、頭上を炸裂丸が飛んでいく。

 それを瞬時に視認すると、香流は瓦の波間にある路地に沈みながら、飛んできた爆薬に礫を投擲した。

 礫は正確に的を捉え、香流が路地に突き出た一階の屋根に着地すると共に、爆炎が上がる。

 続けて二投目の声。

 屋根に切り取られた空へ、炸裂丸がおどる。

 それは接近していた有翼の鼻先にあたって跳ね返った。

 香流はその無軌道な動きすら織り込んで、二投目を投擲。

 再び爆音。

 有翼は火炎に巻かれて落下し、それを横目に香流はまた屋根の海に浮上した。


「残存数、いくらだ!?」


「すでにあと半数かと!」


「伝令からの報は? こちらの持ちこたえられる時間は伝えたか?」


「まだありません! 限界は伝えました、しかし、可能な限り持ちこたえてくれとのことです!」


 守備から攻勢に転ずる知らせはまだない。

 ということは、外に出た避難組からの伝鳥がまだ届かないということ。

 そこまで考え、香流は眉を顰めた。

 このままでは、防戦の終幕は崩渦衆の手持ちの炸裂丸が底を尽きるのと同時ということになる。


「(離脱組が、十分逃げ切れればいいが……)」


 飢神が美弥に引き付けている今、何とか逃げ延びてほしいと、香流は強く願った。

 そこへ、


「義任! 補給です!」


 屋根へ上がってきた配下が、炸裂丸のたすきと活牙の礫が入った袋を渡してくる。

 香流は纏っていた防衣の下で空になった襷を解き、新たな方を身に着けた。

 そして、礫の袋を懐に収めようとして、


「義任! 後ろッ」


 飛び込んできた声に、横へ跳ぶ。

 かわす刹那。

 一瞬前まで立っていたところへ、爪の生えた鼠の様な異形が飛びかかってくる。

 乙種だ。

 香流は即座に体勢を整え、炸裂丸を飛ばす指示を投げる。

 四方から、四つ。

 飛び込んでくる爆薬。

 その全てに、香流は一時に礫を放った。

 瞬間、閃光。

 爆轟は四。

 狂いなく礫は的を射抜いていた。

 乙種は爆炎に巻かれて悲痛な声を上げる。

 燃え盛りズタズタに傷ついた巨体は、ぐらりと傾いで路地に落ちた。


「万的必中……」


 誰かが呟く。

 その辣腕、畏敬――――いや。

 畏怖すら抱く、鬼の如き正確無比。

 高揚する配下の目をすべて奪い、舞い踊る炎の花弁を背に、



 左厳の鬼は立っていた。






 *






 夕刻。


 銀正は城の近くまで圧されていた。

 すでに飢神が押し寄せる波は、二度目を数えた。

 休息交代を挟みつつも、疲労は確実に忍び寄ってくる。

 しかし、今ここで隙を見せれば、飢神の猛威は城へと届く。

 守らねばならない命が散ってしまう。

 それだけは、


「(それだけはさせない……!!)」


 襲い来る丙種を切り刻みながら、銀正は前へと進む。

 その鬼気迫る太刀筋は背後に手負いの飢神を山と築き、灯臓を刈り取る配下たちを唖然とさせた。

 元々、腕の立つ男ではあった。

 しかし、これほどに気迫に満ちた狩姿を、美弥狩司衆一同、誰も見たことがなかった。

 この人は、これほどの力量を持つ男だったのか。

 銀正の背を見守っていた美弥の狩士たちは、一様に息を飲んでいた。

 そして体の奥。

 心の深いところで、感銘という炎が、全員の闘志に火をつける。

 この背を追おう。

 この背を守っていこう。

 そう思う心が、ふつふつと沸いた。

 そんな男たちの熱意を背に受けながら、銀正は進み続ける。




 そして、声は飛び込んできた。






「残丸、尽きます!」


「!」


 屋根の上。

 城直近まで下がっていた崩渦衆が叫ぶ。

 それは、崩渦衆の守護が絶えた合図。

 これで、大きな力が失われた。

 そして、防戦から攻勢へと転じる狼煙のろし

 伝令が叫ぶ。


「崩渦衆、全丸消費、全丸消費!!」


 報と共に、屋根の上から濃紺の衣装が降ってくる。

 防衣を脱ぎ捨てた崩渦衆は即席の比肩を組み、


「姫さーん、持ってきたぜー!」


 屋根の上を駆けよってきた真殿配下たちに刀を託された。

 崩渦衆が接近戦に切り替える。

 香流は走り出す配下に紛れ、瓦屋根の上を駆け出して行った。

 その背を、じっと見つめた時だ。


「何をよそ見している」


「!」


 冷然としてた声が耳元をよぎり、振り向いた瞬間、



 ギャアアアアアア!



 甲高い奇声と共に、銀正に迫っていた丙種が切り伏せられた。

 首を飛ばされたその異形を蹴り飛ばし、銀正を救った男は傲然と目を細めて振り返った。


「こんなところで気を抜くな若造。 だから青いというんだ」


 近衛組の頭領だった。

 男は配下に命を飛ばして周囲の飢神を蹴散らしていく。

 そこに至ってようやく状況を飲んだ銀正が「あ、あの、城は?」と問いかけると、


「破られては居らん。 我ら近衛の力、あなどるな」


と、冷たく言って捨てた。


「私が出てきているのは、前線との交代だ。 そんなことより、早く配下を動かせ。 次が来る」


 ゆっくりと背を向けながら言い放つ男に、銀正ははっと意識を覚醒させた。

 そして周囲に散っていた配下へ命令を告げ、自分も刀を握り直す。

 直後、



 ガアアアアアアアアアッ!



「義任! お下がりくださいッ」



「!?」



 頭上で、崩渦衆の叫びと飢神の咆哮が響き渡る。

 何事か起こったか?

 瞬間焦燥する銀正へ、


「ほら、また余所見だ、美弥の頭」


「!」


 見上げていたのとは反対の屋根の上から声がかかる。

 振り返れば、他国の間者だった男が同じく仲間らしきもう一人と可笑しそうにして立っていた。


「そんなに気になるのかい? あれは、あんたの嫁なんだろ?」


 屋根の上を駆ける飢神を切り飛ばし、蹴り落して、男たちは遠くを眺める。

 その先にはきっと、香流がいる。

 何が起こっているのか。

 それをたずねようと銀正が口を開きかければ、


「そんなに気になるなら、行ってやりなよ。 あんた」


 男たちが、にやにやと意地の悪そうな顔で笑って言う。

 咄嗟とっさに銀正は眉をひそめ、刀を握りしめた。

 できない。

 そんなこと、できるわけがない。

 だって、自分は美弥狩司衆を預かるものだ。

 配下を放り出して、自分勝手な行動はできない。

 それが責任ある立場というもの。

 だから、


 そう、思考した時だ。




「行ってください、頭狩様!」




 飛び込んできた声に、銀正ははっと息をのんだ。

 勢い顔を上げ、声の主を探す。

 相手は混戦の中、ただ銀正をじっと見つめて叫んでいた。

 あれは、祭りの日に香流を迎えた狩士。

 城にさらわれた香流を助けに行けと、銀正の背を押した青年。

 十雪だった。



「行ってください、頭狩様! 我らは大丈夫です。 きっとあなた様の背を支えて見せます。

 だから迷わず行ってください、香流様のもとへ!

 あなた様の比肩のもとへ!」



 叫びに、銀正は狼狽うろたえた。

 責を持つ銀正の苦悩など知らない青さは、強く銀正の背を押してくる。

 しかしその熱は勢いを持って周囲に伝播し、十雪の想いに触発された配下たちが口々に叫んだ。



「どうぞお行きください、頭狩!」


「あなたの比肩のもとへ」


「その背を守りにっ」


「我らは、きっと持ちこたえて見せる!」


「だから行ってください!」


「頭狩様!」



 ほとばしる熱に、銀正はたじろいだ。

 そんなことはできない。

 強く自縛する思いが、グラグラと揺れ動く。

 そんな想いの最後の綱を切るように、声は落ちた。


「あの方は、あなたを望んだんですよ?! その願い、あなたが聞き届けずして、誰が叶えるのです!」


「我らは決してあなたの足枷にはならない! だから……っ」


「我らを信じて行ってください! 頭狩様っ」


「私たちに託してください!」





 託してほしい。


 その言葉に、瞬間、



 銀正は駆けだしていた。

 頭狩としての責も、配下への遠慮も、何もかも振り切って。

 行けと背を押す声に見送られ、求める場所へと駆け出していた。

 音の方へ。

 激しい狩りの騒乱が渦巻く方へ。 

 その中心にいるであろうたった一人のもとへ。

 銀正は路地を駆け抜けた。

 背後で覚悟の声がいくつも上がる。

 そして行く先に、赤銅衣装の男が手を振っていた。


「婿殿~ こっちこっち!」


 男は銀正の前に構えると、手を支えのように下へ組んで、屋根の上をあごでしゃくった。


「この先に居りますよ!」


「恩に着ます!」


 銀正は叫ぶが早いか、男の手に足をかけ、一階の屋根へ掴み上がった。

 跳躍の補助をしてくれた男は「お気をつけて~」と笑うと、乱戦の中へ飛び込んでいく。

 銀正はそのまま屋根を走り、二階の柵がある所から上の屋根へ駆けあがった。

 屋根の上はこれまた乱戦だった。

 走り回る飢神に切りかかりながら、幾人もの狩士が駆けずりまわっている。


「(香流殿……!)」


 銀正はその騒乱の中を素早くたった一人を求めて視線をさ迷わせた。

 その刹那、



「義任、危ない!!」


 声が響いた。






 *






 それは、有翼の乙種だった。


 濃紺の衣装を脱ぎ捨て、刀片手に駆け出した時。

 香流は空から襲いかかってきたその飢神に、突然上から襲いかかられた。


「義任!!」


 配下の叫びと同時。

 香流はその飢神の襲撃を紙一重で跳躍で躱し、うごめく長い巨体の上へ転がった。

 その飢神はミミズのように長い体が蠕動ぜんどうし、いく対もある蝙蝠の様な羽で飛ぶ飢神だった。

 牙は正面のつつのような大口を覆い、全ての羽にこれまた多くの爪が並ぶ。

 そして、長い体の終わりには、オタマジャクシの様な尾っぽ。

 香流は飛び上がるその飢神の上に刀を突き立て、振り落とされまいと耐えた。

 飢神は上昇に転じ、みるみる間に遠くなる地上。

 刀の痛みに身をくねらせたかと思うと、上昇から一転、下降に姿勢を変える。

 今度は一気に近づいてくる地面。

 すわ激突かと香流が身構えた途端、飢神は波打つ瓦屋根を寸前で躱してその上を舐めるように低空飛行し始めた。

 屋根の上の人も異形も蹴散らして飛ぶ巨体。

 その速度は一気に上がり、突き立てていた刀が限界を迎えた。


「っあ、」


 細い声と共に、香流は風圧に飛ばされて背後へ流される。

 蠢く肌の上をぐるぐると転がり、ついに尾の先へ至れば、


「がっ!」


 突然動きを見せた尾っぽに弾き飛ばされ、香流は空を舞った。

 迫る屋根。

 転がりすぎれば道へ落下する。

 咄嗟に衝撃に備えた香流は、全身を緊張させて目をすがめた。

 くる。

 衝撃が。

 受けきる覚悟を。

 来る!!


 刹那、



「ぁぐっ!」



 激しい衝撃と共に香流は何かにぶつかった。

 いや、『ぶつかった』は正しい表現とは言えない。

 正しくは、何かに勢いを殺されるように受け止められた、だ。

 香流とその受け止めた何かはぐるぐると屋根の上を転がり、ぎりぎりその端で停止した。

 先に起きあがったのは香流だった。

 何が自分を受け止めたのかを確認するため、痛む背を庇いながら顔を上げると、


「御当主!?」


 仰天してその人を見た。

 香流を受け止めたのは銀正だった。

 銀正はうめき声をあげて上体を起こすと、「大事ないか?」と苦しげにいてきた。


「私は大丈夫です。 あなた様こそ…… なぜこんな無茶を。 それに、下はどうなさいました? なぜ持ち場を離れてこちらに?」


 香流が体を気遣って問えば、銀正は気まずさと自嘲を含んだ口元で言った。


「配下に背を押された。 あなたを守れと。 それが、あなたに比肩を乞われた私の務めだと」


 銀正の答えに、香流は意表を突かれる。

 その手を取って、銀正は「だから、」とぎこちなく眉を下げた。




「信じてくれという配下に全て放り投げて、ここまで来てしまった」


「あなたの背を守るために、駆けてきてしまった」




 息を、飲む。

 それは、何もかもを理解した顔だった。

 全ては自分の身勝手だと、何もかも理解して痛そうに笑う笑みだった。

 香流はその笑みにはっと瞠目し、瞬間、同じように何かをこらえるような顔で笑った。



「それはなかなかどうして、心強いことだ……っ」



 体を庇う銀正が立ち上がる。

 香流はそれを支え、共に立った。

 二人は刹那の合間だけ手を握り合い、頷きと共に離す。

 そして共に空を睨み、城に舞い降りようとするあの有翼の飢神を見据えた。


「いけますか?」


「無論だ」


 短く言い合う。

 そこへ、投げ飛ばされていた二人の刀を拾った崩渦衆と赤銅衣装の男が近づいてきた。

 二人は得物を素早く受け取ると、一路、城へと走り始めるのだった。






 *






 すでに城には多くの飢神が押し寄せていた。

 精鋭ぞろいの近衛組がなんとか踏みとどまっているが、一度寄せてきたものを振り払うの至難の技。

 香流と銀正はその城を横目に見ながら、城正面の大通りの屋根の上に立った。

 見上げれば、あの有翼の巨体も城を狙って空を旋回している。


「奴らを城から引きはがさねば」


 香流が呟けば、銀正はいいのかというように目を向けてきた。

 その案じる目に香流はふっと笑い、銀正の手を握った。


「大丈夫ですよ。 だって、私にはあなた様が居ります」


 守ってくださるでしょう?

 そして、守らせてくださるでしょう?

 そう言って笑う顔を眩しく見つめ、銀正は頷いた。

 全て、二人は承知していた。

 二人で選んだ。

 だから、もう置き去りにも残されもしない。


「一緒に参りましょう、銀正殿」


 つないだ手を最後に強く握りしめ、二人は手を離した。

 そして、香流が叫ぶ。


「練華を咲かせます! 皆、よろしいか?」


 響き渡った声に、一拍の間。

 次の瞬間、力強い応答が上がる。

 その返事を聞き遂げるが早いか、香流は刀を握る利き腕に意識を集中させた。

 変化は、すぐに兆した。

 体の脇に垂らした香流の腕から、ゆっくりと立ち上り始める白いかすみ

 それは段々と濃さを増して、ゆらりゆらりとくゆれてなびく。

 しかし次の瞬きののち。

 白一辺倒だったそれは、一気に赤へとその色を染めた。

 華が咲く。

 飢神を狂わす至上の華。

 血染めの様な、蓮華花。



 全ての飢神が、求めずにはおれない一輪華。




「さぁ、来い」




 香流はその華を目前に差し伸べ、城に渦巻く飢神を誘った。

 それは、『烽華ほうか』。

 練華を咲かせることができる狩士が、その華を餌に飢神をおびき寄せる手段。

 突然湧き上がった異質の練の気配に、城に群がっていた飢神たちが一斉に動きを止める。

 そして幾対もの目が、香流を、――――いや、練華を捉えた。

 咆哮が、上がる。

 城にたかっていた飢神たちが、身を翻して香流を目指す。

 それを確認した刹那、香流と銀正は素早く背後へと駆け出した。

 真っ直ぐに続く大通りの屋根。

 その上を、全速力で駆け抜けていく。



「義任殿、烽華! 義任真人、烽華!!」



 伝令が叫ぶ。

 狩士たちが駆けつけてくる。

 群れなして二人を追う異形たちを足止めするように、いくつもの刀が飢神を狩っていく。

 香流と銀正も、前から押し寄せる飢神を切り伏せながら進み続けた。

 切り飛ばした異形を、足元の狩士たちが止めを刺す。

 その突き進むさまは、まさに舞い踊る剣舞が如く。

 夏風の様な刀と、火炎の様な刀が、交じり合うように進んでいく。

 決して離れないように、置き去りにしないように。

 一歩たりとも足を止めずに走り続ける二人に、並走して飢神の首を飛ばした赤銅衣装の男たちが闊達に笑った。



「やるね~ 婿殿。 なかなかの腕じゃないですか」


「あの義任についていけるんだから、悪くない技量だよなぁ」



 いいとこの坊ちゃんかと思えば、そうでもない。

 実力主義の左厳の狩士をして、見所があると二人は笑う。

 そんな無駄口を、横を通り過ぎていく崩渦衆たちが「婿じゃない!まだ婿じゃないぞ!」と激しく釘を刺していく。

 癇癪かんしゃくのような崩渦の反発に、男たちは「崩渦衆うるせー」と肩を竦め、飢神を率いて走っていく二人を追って駆け出した。






 すでに城に群がる飢神の大半は引きはがした。

 香流は腕を狙って襲いかかってくる飢神を一刀両断にし、背後を見て叫んだ。


「御当主!」


 声に銀正がはっと振り返る。

 見れば、狩士たちの足止めを喰らう飢神たちの上を、あの有翼のミミズが飛んでくる。

 その狙いはまさに、練華。

 迫りくる大物に香流は前を見た。

 すぐそこには、城下の端。

 最後の屋根が迫る。

 だが、


「来い、香流!」


 突然屋根に上がってきた真殿が、配下を引き連れ香流を待ち構える。

 それを確認すると、香流は「行きますよ、御当主!」と叫んで加速した。

 銀正はその背を追い、黒と銀の髪が背後に靡く。

 



 おおオオおオオ!




 銅鑼が響くような咆哮を上げて、有翼が二人に迫った。

 そして、


「飛べぇええ!」


 真殿の叫びと共に、二人は屋根の端から少し先にある城下の外壁へ跳び移る。




 ガキィイイイイイ!




 背後で、真殿たちの刀が有翼の牙と噛み合う音。

 それを聞きながら、二人は壁にいた配下の補助を借りて、再び背後へと飛び込んでいく。

 こじ開けられた円環状の牙。

 その先に、脈打つ灯臓。

 真殿が叫んだ。




「喰い破れぇええええ!」


「「あああああああ!!」」




 絶叫と共に、二振りの白刃は飢神の急所を捉える。

 迷いない太刀筋が、一対になって灯臓を断ち切った。



 西日沈む夕景。


 その赤空に、灯臓の飛沫が舞い散った。

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