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比翼の花嫁  作者: 壺天
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『烽火』

「急げー! 早く城内へー! 早く、急いで!」


「入口を閉じろぉ! 飢神一匹入る隙をつくるな!」


「予備の刀や物資は!? 全部かき集めてきたか?」


「全て各陣営の係に分配済みです!」


「外の物見から連絡は?」


「すでに飢神の数(おびただ)しく、奴らが動き出すのも時間の問題とのことっ」





 上へ下へ。

 騒乱に全ての人間が駆けずり回る城を抜けて、左厳一門、美弥狩司衆、隣国の狩士連合は人影一つない城下に出た。

 城から四方に分散し、人員全てが配置につく。

 香流、真殿、銀正の三人は、振り分けた最後の手勢を率い、一番の激戦が予想される城正面に陣取った。

 町を囲う壁に三人は上り、遠くうごめく影をにらむ。


「一斉に吼え始めりゃ、それが合図だ」


 真殿が呑気そうに笑い、香流にたしなめる視線をもらう。

 銀正はきつく目をつむり、大きく息を吐いた。

 始まる。

 ずっと恐れ続けた悪夢が、この国を覆う。

 もしやもすれば、二度と明けない夜に国諸共沈む夢が。

 しかし、


「(今は、一人ではない)」


 横を見る。

 崩渦衆が身に着ける濃紺の衣装を纏った香流。

 銀正を救ってくれた人が、遠くを見据えて共に立っている。

 この人が、自分に出会ってくれたから。

 過去をほどき、今を救い、明日へと手を取ってくれたから。

 この慟哭ばかりだった心に、溢れるほどのものをくれたから。

 彼女がそばにいる限り、自分はもう何度でも歩いていけると銀正は思えた。


「(あなたがきっと、私の夜明けだった)」


 喜びも、悲しみも。

 過去の何もかもを次へと導くために受け入れてくれる、朝焼けの空。

 それがあなた。

 優しい気配と、まばゆい閃光と共に、銀正の長い夜を迎えに来てくれた。

 だから、もう、


「(私は、この最後を乗り越える以外は、何も望まない)」


 ありがとう、香流殿。

 そう、深く深く胸中に頭を下げ、一抹の焦がれるような想いを振り切り、銀正は振り返った。

 すでに決意は固かった。

 銀正は背後の美弥狩司衆配下を眺め、その顔一つ一つに目を配る。

 そして深く呼吸に胸動かし、通る声でこの大一番に臨む前、最後の言葉を伝えた。


「聞け、美弥狩司衆一同。 すでに国崩しの開始まで時はない。 この国は、未曽有の危機に瀕している。 迫る窮地を乗り切るため、我らこそが最後の壁。 一同その身、その命、すでに無いものとして刀を振るえ」


 ――――『だが』。


 打ち消すように呟いて、銀正は苦みを含んだように吐き出した。


「私は、もう何も失いたくない。 犠牲無くして生きる道がないとしても、それでもここに居る全員で明日の日の出を見たい。 どうか、皆」




「生き足掻いてくれ」




 銀正だって分かっている。

 上に立つべき者が、配下にこいねがうような姿などさらすものではない。

 それは全体の士気に関わる問題だ。

 しかし、どう言葉を選んでも、銀正にはこれ以外に言える想いなどなかった。

 配下たちは戸惑ったように顔を見合わせている。

 彼らは銀正のこれまでを知らない。

 だから、この言葉がどれほどの重みをもって吐き出されたのかも、察することができない。

 ずっと、隔たりを持ったまま、歩んできた二者だ。

 すぐに志を共有しあうにはかたく、受け取り合えない想いだけが宙に浮く。

 そんな様を見守っていた真殿は、漂うぎこちなさにふうと息を吐くと、銀正に近寄ってその肩に腕を回した。


「狩司衆預かる頭領としちゃ、甘ったれた物言いだな」


 配下が泣いちまうぜぇ?

 皮肉気に口角を上げる真殿。

 突然声かけられた銀正は戸惑い、その言葉に視線を落とした。

 まったくもって、真殿の諫言に返す言葉が無い。

 やはり、自分は衆の頭として何もかも足りないなと、銀正は俯く。

 だが、真殿はそんな銀正の鼻をつまむと、にかっと笑って言った。


「でも、生きぎたなくて、悪くねぇ願いだ」と。





「おい聞きな、美弥の衆!」


 真殿はそう言って美弥狩司衆一同を眺めると、銀正を指し示してのたまった。


「あんたらの頭狩すかりは、このくそ面倒な境地に至って、一番難しい命令を出すんだとよ。 死ぬ気で生きろってな。 国を守って華々しく散りゃ、名誉得られるし死に物狂いで狩らずにいいし、これが意外と簡単で美味しい道だ。 でも、そんな簡単な道は許さねーんだと。 死ぬ寸前まで死に物狂いで狩りまくれ。 この世の地獄をひーひー言いながら踏み越えて、ボロクソになって帰ってこい。 それがこのお人の御命令だ」




「できるかねぇ、あんたらに?」




 最後の一言をひどく挑発的に言い放ち、真殿は底意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 その顔は言外に言っていた。


『あんたらみたいに甘っちょろい狩場しか経験したことのない箱入り狩士が、この山場を越えられるか? 初っ端から飢神に蹴散らされるのがオチじゃねーの? あーかわいそ』と。



 完全に煽っていた。



 それも高みから優雅に扇ででも風を送るような、くそいけ好かない感じだった。

 真殿が高名な左厳の狩士であることは皆知っている。

 その相手に、見下ろされるような調子で言われたわけだ。

 その程度の腕でできんの? と。


 真殿の物言いに、横で聞いていた銀正は、なんだかひどい既視感に襲われてさっと顔色を悪くした。

 いつかもこんなやりとりを見たぞと、冷や汗が流れる。

 そしてぎぎぎと足元の配下に視線をやり、――――顔を覆った。



 配下、完全に着火済みだった。



 老いから若きまで。

 上から下まで。

 美弥狩司衆一同、獲物を狩る直前の獣の目で真殿を睨んでいた。

 その口元が『打倒左厳家……!』と繰り返し呟く。

 いや、打倒は左厳じゃない。

 飢神である。

 もう完全に真殿に煽られて闘志むき出しだった。

 あからさまに、いつかの二の舞だった。


「(真に受けすぎるぞ……!)」


 顔を覆ってうめく銀正に、


「いやぁ! 皆やる気出たみたいだな! よかったよかった」


 真殿が笑う。

 美弥狩司衆一同、もう真殿の掌で転がされまくりである。

 もてあそばれる子猫…… いや、狩士。

 何にしろ、いいように誘導されていた。

 これは、美弥の衆が耐性なさすぎるのか、真殿が上手なのか。

 顔を上げた銀正は、熱く燃えたぎる配下たちに視線を遠くしつつ、これでやる気出たみたいだし、いいかなぁ? と嘆息する。

 とりあえず、現状恐怖に囚われて動けなくなるより、闘志に燃えてやる気に満ち溢れた方が生存率は高いはずだ。

 結果的に不安感も薄らいだ様子でもある。

 なら、もういいや、これで。

 と、ときの声を上げて猛り狂う配下を眺め、銀正は明後日を見た。

 そこへ、



「御当主」


 近寄ってきた香流が、真殿を押しのけ銀正に声をかける。

 花恥じらうように目を伏せている香流に、視線を戻した銀正がどうかしたかと首を傾げると、


「こんな時と思われるかもしれませんが…… いえ、こんな時だからこそ。 もう一度だけ言わせて下さい」


と、香流は銀正の手を取った。

 そして、



「美弥狩司衆頭狩、右治代忠守様」



 かしずくように膝をつき、真っ直ぐに銀正を見上げる。

 いや…… え?

 戸惑う銀正は、ひどい既視感に再び視界が揺れるような気がした。

 いやいやいや、まさか。

 この衆人環視の中でまさか。

 否定が脳裏を駆け抜ける。

 だがそれは存在感ありまくる直観にぶち当たって、粉々に砕け散った。

 まさか。

 冷や汗が、首筋を伝った。




 そんな銀正の胸中などいざ知らず。

 香流は片膝をついた状態で及び腰な銀正の右手を握ると、琥珀の目を真っ直ぐ見上げて言った。



「どうかこの狩場、無事に乗り越えましたらば、その暁には」


「すでに申しましたこの左厳義任の比肩の求め、お答えを頂戴したく存じます」



 まるで麗しき名役者の如き有様で言い放った。

 瞬間、銀正は脳裏で自分の絶叫する声を聞いた気がした。

 がっと上がる体温。

 同時に吹き出す汗。

 頭の中が訳の分からない衝動でぐっちゃぐちゃにこんがらがって、自分の絶叫が木霊する。

 銀正は咄嗟に香流から右手を引き抜こうとするが、がっちり掴まれて離してくれそうもない。

 あの火炎が揺らぐような目が、じっと銀正を見つめている。

 銀正は顔を真っ赤にしてそれから逃げた。

 香流は明確な了承を求めている。

 それに銀正は応えるつもりはなかった。

 だが、かと言って「できない」と首を振るのだって耐えられそうになかったのである。



 しかし、逃げた先。



 まじまじと自分たちを見つめる目があるのに、銀正はぎょっとした。

 先ほどまで猛り狂っていた配下たちが、しんと静まり返って自分たちの頭領を見ていた。


(一方崩渦衆は、「嫌あああああああ!」「嘘だああああああ!」「よしとおおおおおお!」と別の意味で狂っていた)


 汗が。

 汗が止まらない。

 香流に見つめられ、一歩引いた状態で立ち竦む銀正を、配下がまじまじと見ている。

 男たちはじっくりと今目の前で繰り広げられた一幕を飲み飲むと、一転。

 仰天したように目を見開いた。

 そして、慌てふためき顔を見合わせ、コソコソと興奮した様子で言葉を交わし合った。


『比肩? 比肩と言ったか、今!?』


『あの左厳の狩士から……』


『向うの方から、比肩に乞われたのか?』


『歴国の頭狩が金を積んでも、頭を下げても鼻であしらうという、あの左厳家の狩士から、うちの頭狩様が、』


『あの若様が……』





『比肩に求められている!?』





 謎の大興奮がその場を包んでいた。

 驚天動地の大興奮だった。


(一方崩渦衆は、『右治代忠守闇討つべしッ』とこれまた違った興奮に渦巻いていた)


 男たちの盛り上がりを目の当たりにした銀正は、そろそろと手を伸ばし、ゆっくり首を振った。


 ちが…… 違うんだ。

 違うから聞いてくれ、盛り上がらないでくれ。

 違うから……

 だから……!


 懸命に目だけで訴える。

 しかし、ああ無情。

 配下たちは一斉に銀正を見上げると、



『うちの頭狩様、すげー』



という目で、顔をきらめかせた。


 完璧に行違う想い。


 ふらついた銀正は自由な片手で顔を覆う。

 違う、違うからと胸中で叫びつつも、最早手遅れな様子に頭を抱えた。

 誰も彼もが自分勝手に盛り上がり、完全に銀正だけが置いてけぼりだった。



 ―――― 一応補足しておくが、今は生きるか死ぬかという大一番目前である。




「(状況分かってんのかね、こいつらは……)」

 

 横で見ていた真殿は、渦巻く熱気に呆れまじりに溜息を吐く。

 それからこれは収拾がつかんなと諦め、じっと銀正を見つめて動かない妹を立たせると(「邪魔しないでください、兄様」「これ以上は士気に関わるから。 闇討ち発生するから」)、手を打って全員の注目を集めた。



「はいはいてめーら。 盛り上がるのも結構だが、そろそろ来るぞー 配置付けー」



 真殿の号令に、はっと男たちが動きを止める。

 興奮冷めやらぬ彼らだったが、そこは流石に狩士。

 すぐさま気持ちを切り替えると、全員が三々五々、追い立てられるように城下に散っていった。




 そして、全ての準備が整う。




 遠見係に真殿が声をかければ、


「あれ聞いてくださいよ」


と皮肉気な笑いが返った。

 耳をすませば、周囲の野山にいくつもの遠吠えが木霊していた。

 それは、奴らの鬨の声。

 国を飲み込まんと大口を開けて襲い来る、国崩しの合図。


「来るぜ」


 遠い影を見据え、真殿がにやりと口角を上げる。

 項垂うなだれていたところから切り替えた銀正は、その呟きに、唯一の得物をぐっと握りしめた。

 まさしく正念場。

 越えねば国諸共沈む一大事。

 最早退く道などないと覚悟を決める。


 するとその目前を、ゆるりと衣装を揺らして過る人がある。


 瞠目してその人を見れば、濃紺の衣装に鬱金うこん色の家紋を負った背中があった。

 その家紋は、いつかの董慶の根付のものと同じ。

 左厳一門を象徴する証。


「外に逃がした奴らが美弥から離れるまで、できるだけ時間を稼ぐ必要がある」


 腕を組んだ真殿の横に立ち、その背はゆっくりと衣装の頭巾を被る。


「ここから距離が開くまで、俺らは飢神共を引きつけるだけ引きつけるんだ」


 崩渦衆が纏う爆風から身を守る防衣。

 それ身に着け、その人は――――香流は、最後に口元を覆う布で顔を隠した。


「防衛だ、義任。 お前の花道だぞ」


 渦逆の関守として、長きに渡り守り一辺倒の戦いを続けた香流。

 その背を押すように放たれた真殿の言に、気迫が渦巻いた。



「この国最上級の飢神を相手取ってきたその腕で、この狩場。


 一花咲かせて来い」




 どこかで、始まりを告げる花火が上がる。


 飢神の襲来を告げる火炎の華。



 国崩しが、始まった。

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