五十二
左厳家。
それは、狩士を生業にするものなら、必ず一度は耳にする家名。
その一門がこの嘉元国のどこに根を張るのか、多くの者は知らない。
国に属さず、狩司に属さず。
左厳という家名だけを御旗に寄り集まった、腕利きの狩士集団。
契約を結び、金銭さえ払えば、例え特別監視対象相手であっても刀を振るう。
歴国の狩司衆頭目が、秘密裏にその中から己の比肩を求めることもあるという、狩りの鬼たち。
一門だけで、嘉元最強と名高い央の国・秀峰狩司衆に匹敵するとも謳われる武の一団。
その名を継ぐ直系。
左厳義任流香坐。
それが、
「香流殿の、名……?」
呟きは、理解を伴わない響きと共に空に溶ける。
「そんな、まさか…… あなたは、中幸家だと、」
異形の向こう。
煙を纏うその人をただ見つめ、銀正は唇を震わせた。
――――そうだ。
婚礼にあたって送られてきた彼女の釣書きには、確かに『中幸家息女』と記されていた。
秀峰でも名のある狩士一門の家だと。
なのに、どういうことだ。
疑問ばかりが渦巻く思考に囚われ、茫然と動きを止める銀正。
その戸惑い深い姿へ束の間逡巡すると、香流は恥じ入るように目を伏せた。
「……このような状況で告解する卑怯をお許し下さい。 私方からあなた様へお渡しした身上書、あれは全くの偽りでございます」
「あなたは、狩士なのか……?」
香流の謝罪が全てを肯定すると理解した銀正は息を飲む。
その戸惑いを揶揄するように、押し殺した笑いが漏れた。
『並の狩士と思うなよ、小僧』
銀正の驚愕を楽しむような声。
渦逆が細めた目で銀正を眺めながら、香流を示して両手を広げる。
『これは齢十二にして狩場に立ち、十六で先代崩渦衆頭領からその座を引き継いだ。 以来数年に渡ってこの於土居の渦逆の関守として、崩渦衆を率いてきた傑物だ』
『そして、その身はすでに、真人のそれへと至っている』
「!? まさか、」
重ね重ね信じがたい話に、銀正は声を震わせた。
すると、
「……先ほども申しましたように、五老格様方から此度の輿入れの打診があったのは、私が練霞を顕現できるようになったからでもありました」
ぽつぽつと、悔やむよな声が割り込んでくる。
視線を再び香流に向ければ、娘は煙を払って歩みを進め、そっと足元に転がっていた上格の刀を拾った。
そしてそれを空を切るように振り下ろし、瞑目してそれまでにない気配を全身に帯び始めた。
その鬼気迫るような気配が、銀正の肌をひどく焼いた瞬間。
「!!」
刀を握り込んだ香流の拳から、ふわり。
薄く儚い白煙が、霞立つように発生する。
あれは、
「練霞……」
信じられないとでも言うように、銀正は言葉を失った。
しかし、その目が捉えたものは確かに真人だけが発現できる徴。
一つの線を越えた業人だけが現わせられるもの。
銀正の驚愕を寂しげに見据え、香流は続ける。
「お察しの通り、私は左厳の名を負う狩士です。 この異形の言ったように、私はこの渦逆を抑え込む関守として、崩渦衆頭目の座を預かって参りました。 しかし、つい半年前。 練霞の発現により、真人に至ったことが分かった私は、再び渦逆が練華を喰らう可能性を案じた五老格方により、婚姻の名目でこの美弥へと遠ざけられたのです」
素性も、家名も。
左厳に属する狩士であった過去の全てを偽って。
婚姻という名目を利用して、この華狂いの飢神から雲隠れした。
その相手である銀正にも、何も明かさず。
「申し訳、ありません……」
言いながら、小さく頭を下げるだけの詫び言だった。
だが、そこに深い謝意を感じ取った銀正は、咄嗟に足を踏み出す。
違う、あなたを責めたいわけではない。
そう伝えたくて、舌を動かそうとした。
だが、
『やれ、中央の老いぼれどもめ。 お前を己から隠すために、こんな遠地へ寄越したか』
飛び出しかけた銀正の呼びかけを遮り、先に渦逆が鼻を鳴らして憤懣を漏らした。
『己は、お前が真人に至るのをずうっと待っていたのに。 まったく無粋な真似をしよる』
「待っていた……?」
無意識に繰り返した銀正に、渦逆が嗤う。
『そうだ。 比肩の贄を喰いたいなら、ほかの真人を探してもよかったんだ。 希少な存在とはいえ、見つからぬということもあるまい。 だが、己はこれがよかった』
自分を睨みつける香流を指し示し、渦逆は狂喜を滲ませる。
『これが十二で先代崩渦衆頭に伴われて己の目の間に現れた時からだ。
己はずうっと、これが欲しいと思っていた』
『きっとこれは遠からず華を咲かす。 そう思わせられるほど、これの狩りは己の目を奪った』
『だから、これが狩士として刀を握ったその日から、己は必ずやこれの華を待とうと決めていた!』
「……華狂いの馬鹿馬鹿しい妄言ですよ」
高笑いと共に語る渦逆の歪な執着を、香流の冷たい声が切って捨てる。
差された水に、しかし渦逆は笑みを絶やさなかった。
『だが、その酔狂。 お前は逃れられるかな?』
「逃げるものか。 その灯臓、私が頂戴する」
挑発。
威嚇。
刺し殺さんばかりの睨みが結ばれたと同時。
膨れ上がるような戦意が場を満たす。
それは永年の宿敵を前にしたような武者震い。
人と異形。
通じ合うはずのない二種の間に、確かに通ずる獣性。
銀正は、そのただ中にいる香流という人を只管見つめていた。
そして自分の中にある彼女への認識が、一瞬一瞬で塗り替えられていくのを感じていた。
あれは、あの人は――――確かに手練れ。
これほどの気配、確かに並の狩士には見出せない。
これまで共に過ごしたあの人が…… あの高名な左厳の狩士。
あの、人が、
脈動の刹那。
その身を駆け抜けたのは、畏怖か、昂りか。
少なくとも裏切られたなどという拒絶は欠片もなく。
銀正の全霊は、香流の研ぎ澄まされた鋭い眼差しに一瞬で引き寄せられていた。
魅せられた。
狩場に立つ者として。
その獲物を食い殺さんばかりの意志、気勢。
極限まで研ぎ澄まされた刃のようなそれに、武人としての勘が囁く。
確かにこの人は狩士だと。
万の言の葉よりも確かな感覚として、香流の気迫は銀正の全てに迫った。
ああと、嘆息が落ちる。
想いが重なってゆくのが分かる。
駄目だと知っていながら。
それでもあの人へ向かうモノが積み重なってゆく。
今までとは違う何かとして、色形を変え、降り積もる。
深く、深く。
銀正は、その感情に落ちていく自分を、確かに感じていた。
それは、おそらく恋とも愛とも違う。
おおよそ男女の感情ではない。
けれども存在すると知ってしまえば、どうあっても触れたい、近づきたいと願う想い。
餓えるほど振りほどきがたい、どうしようもない感情を掻き立てられる何かであった。
最初に動いたのは、渦逆だった。
異形はフハハハと笑上げると、至極満足そうに目を細めた。
『ああ、いいなぁ…… やはりお前の威圧、心地いい』
そうくつくつと体を揺らし、渦逆はどこか狂ったような目で香流を見つめる。
そして自分を喰い殺さんばかりの視線一つ頷いたかと思うと、
『やはり、喰うならお前だ』
そう言って、瞬間。
いきなり銀正に向かって襲いかかってきた。
「!?」
咄嗟だった。
銀正は握っていた刀を構え、無意識に迎え撃つ体制に入る、しかし、
「(しまったっ こいつは……!)」
同時に渦逆の異能を思い出し、
「柱の陰へ!!」
飛んできた香流の声に、間一髪。
鋭く振るわれた渦逆の爪を躱して、一番近い柱の陰に転がり込む。
すると、
ザンッ!
風裂くような斬撃音と共に、隠れていた柱が斜めに切り裂かれる。
いや。
渦逆の異能で、刀で切ったように破砕された。
瞠目して振り返れば、構造が崩れた柱が崩れ始める。
アッと息を飲むが早いか、銀正は命辛々倒れる柱と天井の瓦礫から逃れる。
「御当主っ 伏せて!」
そこに届く声。
銀正は迫る渦逆の爪をぎりぎり凌ぐと、勢い、反対列の陰へ身を伏せた。
バァアアアアン!
直後、響き渡る爆裂音。
背後で、香流の気配が渦逆に迫るのが分かった。
銀正はすぐさま立ちあがり、その姿を探す。
香流は渦逆と適度に距離を取りながら、再びあの爆薬らしきもので応戦していた。
追う渦逆の目が香流を視認しながらも、銀正を探している。
『出て来ぉい、小僧。 その脳髄、弾き飛ばしてやろうぞ!』
狂った笑いで呼びかける声に、銀正は唾を飲んだ。
しかし、このまま香流を一人戦わせるわけにもいかない。
咄嗟に駆け出そうと柱に手をかけた時だ。
「出てきては駄目ですっ こいつはあなたを殺して憂さを晴らしたいだけだ!」
応戦する香流の制止に足が止まる。
どういうことだ。
憂さを晴らす?
疑問が飽和する頭に、香流の声は続ける。
「言ったでしょう、これは練華以外の肉は、生き延びるのに必要な分しか受け付けなくなった! それだって、厭いながら喰っているに過ぎない! あとは喰えない腹立たしさを当たり散らすように殺すだけっ」
人も、飢神も。
食うに困らずのうのうと生きていいる者を、須らく渦逆は憎悪する。
だから、
「あなた様も腹立ちまぎれに殺すつもりだ!」
『そうだぁ』
滑つくような肯定。
爆発の破片を塵にしながら、渦逆は歪に嗤って異能を解く。
『その通りだ、義任。 どうにもさっき喰い破ったあの臭い肉に、腹の虫が治まらんのだ。 己は殺したい。 殺して殺して、殺し尽くしてしまいたいっ』
自分は決して旨いと思いながら食うてはおれぬのに。
のうのうと食って生きる全ての生物が妬ましい。
だから、だから、
『殺させろぉ、義任! この憤り消えるまでっ あのくそ不味い肉のおかげで、腸が煮えくり返りそうなのだ!!』
「くっ……!」
憤懣暴流する叫びと同時。
渦逆は飛び退った香流に素早く迫り、爪を振るった。
香流は紙一重でそれを躱すが、
「ちっ!」
わずかに体から浮いた襷を爪に持っていかれる。
異能の力で引き千切られた紐が体から離れ、そばの柱の下へ落下した。
振りかぶられた渦逆の爪はそのまま柱の根元を抉り飛ばし、香流は弾け飛ぶ破片を避けて距離を取る。
「香流殿!」
柱の陰から呼びかける銀正。
香流は何度も振り下ろされる爪を背後に飛びながらすべて凌ぐと、最後に突進してきた渦逆の脇をかいくぐって、転がりながら銀正のところへ戻ってきた。
勢いづいた渦逆は、散乱した外壁の塊にぶつかって砂埃を上げる。
銀正が香流の無事を確かめようと駆け寄ると、相手は鋭く視線で牽制。
脇にある襷を見つけ、それに手を伸ばそうとした。
そこへ、
『ああ、殺したい。 殺したい……』
地に響くような。
それでいて、どこか嘆かわしそうな繰り返しが届く。
はっと二人が顔を上げれば、砂埃の中から、脱力したように体を揺らす異形が立ち上がった。
『足りない、足りない…… 腹立たしい、苛立たしい……』
『己は喰えぬのに、のうのうと食うている全てが妬ましい……』
渦逆はゆらゆら揺れながらそう呟くと、『――――その小僧、』
銀正を狂いきった目で眺めて嗤った。
『その小僧の頭を潰そう。 弾き散らして、すり潰して。 塊も掴めぬようになったら、今度は城の外に出よう。 出れば、そこにうじゃうじゃ群がっているくそ不味い肉どもを引き裂いてやろう』
怖気だつほどの殺気だった。
尋常でない思考でこの国の人間へ、そして己へ向けられた嗜虐の殺意に、銀正はぶわっと汗をかく。
その生理的な恐怖を嗅ぎ取ったのだろう。
渦逆は狂った嗤いをさらに深め、優し気に香流に語りかけた。
『義任、なぁ、義任。 帰ろう、一緒に。 一緒に帰ろう? 我らの里へ、我らの狩場へ。 一緒に帰ろう』
「……帰れば、この国には手を出さぬか?」
淡々と香流が返せば、掻きむしるように顔を覆った爪の内から、『それはいやぁだぁ』と拒絶が返る。
まるで幼子がするように駄々をこねるような声だ。
それまでの老獪そうな物言いからは打って変わったそれに、銀正はひくと頬を歪める。
渦逆はふらふらと揺れながら、拙い言葉を繰り返した。
『喰いたい、喰いたい…… 喰えない、喰えない……』
『殺したい、殺したい…… 全部嫌い、全部嫌い……』
『食ってるやつら、嬉しそうなの、全部全部、』
『全部全部』
『ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ!』
『ぜんぶみなごろしがいい』
『そしたら、』
『――――お前だけが愛おしい、義任』
不意に冷然とした声音に戻った呟きに、香流と銀正は構える。
顔を上げた渦逆は、視界に二人を捉えてにいいいと小さいほうの口を歪め、両腕を広げて宣った。
『いいではないか義任! こんな国一つ、縁も所縁もあるまい? 皆殺しにしたところで一興だ!』
『そうしたら、一緒に帰ろう、義任。 我らの狩場に帰り、そして』
『そして、お前の大事な仲間を質にとって、お前が差し出す華を己に喰わせておくれ』
『お前の華を、己におくれ』
狂っている。
異形の狂態を眺め、銀正は険しく顔を歪めた。
そして同時に思う。
渡せない。
渡すわけにはいかない。
あの狂い果てた異形に、香流を害させるようなことがあってはならない。
掴んだままだった刀を握り、銀正は香流の前に出ようとする。
あの異能がある限り、銀正にはおそらく勝機はほぼない。
だが例えこの身を盾にしても、香流を逃がすつもりだった。
しかし、
「……できんな。 私にとっては、数月過ごした国だ。 見過ごせぬ」
深々とした溜息と共に呟いた香流が、動こうとした銀正を腕を伸ばして制した。
気勢をそがれた銀正は、どうしてと香流を見る。
しかし、かち合った目に、言葉をすべて奪われた。
向けられた目が、語っていた。
ほら、また、と。
「また、御自分を犠牲になさるおつもりだ」
断定に、ぎくりとする。
そして思い出す。
あの祭りの夜。
目の前の娘が、皮肉気に言ったこと。
その身を損なわないでほしいと願った銀正に、香流が言ったこと。
『ではあなた様も、御自分を大切になさってくださいね』
『御自身ばかりを犠牲にしない生き方というものを、少しでも考えてくださいね』
思い出した様子の銀正を察しのだろう。
香流は目を痛ましげに細めた。
言いましたね、私はと。
そう、瞳が寂しげに笑う。
言葉に、詰まった。
同時に、
どこかで、声がした。
『でも』
でも、
他にどうしろというんだ。
失いたくないんだ。
あなたが大切なんだ。
大切だから、もう嫌なんだ。
零れ落ちていくのを見ているだけは。
それだけは。
だから、――――だから。
守るためなら、この身程度、どうなっても構わないんだ。
……だって、
もう、『自分を犠牲に』する以外が分からない。
そうやって、生きてきた。
「その道を選ぶことを、否定なんてしません」
泣き出しそうな思考を撫でたのは、優しい答えだった。
瞠目する視界に、微笑む人。
仕方がないな。
そういう道もあると、許す顔。
銀正は息を忘れる。
失うことを恐れ続けた嘆きを見つめ、その人は言う。
でも、
「でも、あなたはなんでも抱えすぎだ。 今度はあなた自身が、自分を大切にするべきだ」
「!!」
何かが、己を貫いた気がした。
どこかで再び声がする。
今度は懐かしい声。
あの夕暮れ時。
初めて会った自分に、師となった人は言ってくれた。
『お前さんだって、大切なんだ』
そのことを、忘れないでほしい。
強く願う目で、言ってくれた言葉。
あの時自分は、何を想っただろうか。
何を感じただろうか。
多分、
多分きっと、
あの人の言葉を、あまり呑み込めていなかった気がする。
だって、分からなかった。
守るためなら、何を差し出してでも構わない。
そう思っていたんだ。
自分には、何もなかったから。
家に捨てられ、家族に捨てられ。
何も持たずに一人だったから。
ようやく手の内に握ったものを、失いたくなかったんだ。
だから、何もかも捨てて、全部失うまいとした。
それでも、一度、守れなかったから。
大事な人は死んでしまったから。
もう二度と、失うまいと。
だから、だから、私は――――
「知ってますよ。 あなたは努められた」
声が、泣き叫ぶ思考を抱きしめた、気がした。
立ち尽くす銀正を、香流の眼差しが包む。
知っていると。
私はすべて見届けたと。
あなたの守ろうとしたもの、その耐え忍んだ過去も、全て。
だから、
ねぇ、ほら、だから、
「そろそろ、自由におなりなさい」
風が吹く。
あの秋風のような人。
失ってしまった大切な人によく似た優しさで、香流が笑う。
まるで全てを引き受けるように。
受け止めるように。
銀正の全てを抱きしめる。
守りたいと、自分の全てを犠牲にしてきたことも。
それが本心からの願いだったことも。
全て了承して風に吹かれている。
もう、守るために傷つき続けるなんて道を、選ばないでほしいと。
そして。
もしも、犠牲無くして守ることができないのだとしたら今度は、
私が、それを背負うからと。
「私が、あなたの守りたかったものを守る」
笑う。
失えない人が。
ただその笑みが続くことを願う人が、笑う。
守るばかりだった銀正。
この国に縛り縛られ、それでも耐え抜いたその孤独。
そんなあなたを、私は見つけた。
見つけた、そして、決めたから。
そう語るように笑う。
そして笑みは最後に願った。
この選択に許しを。
「…………言いましたね、私は。 『そうやってご自身を大切になさらないうちは、私も身勝手をしない保証はできかねます』――――だから、お許しを」
優しい声はそれだけ言うと、立ち竦む銀正の前に背を向けた。
佇む背は、最早覆すこと叶わぬ意志に満ちて、銀正を遠ざける。
そして、優しいその背は、
異形の前に、利き腕を差し出した。
「いいだろう、渦逆。 貴様の欲するもの、くれてやる」
響く決意は、黎明を告げた。
それは永い夜に沈み続けた銀正に、朝を告げる暁光。
「私は、もう腹を決めている。 この肩捧げる終生の覚悟を、この人に」
だからと、突き出された拳は力を帯びる。
瞬間、異形は予感に息を飲み、背を向けられた男は瞠目した。
全ての目が見つめる先で、差し出された腕は朧を纏う。
霞立つその気配。
それはまるで狩士の意志に呼応するかのように、瞬きの内、
赤に染まった。
『「!!?」』
華が咲く。
道を極めし者のみが至る境地。
鍛え上げられた全てを吸い上げて、血染めのような華は咲く。
それは赤い蓮華花。
武と精神のすべてをその花弁に宿す、至上の練。
「お前には、奪わせない」
その揺らめきは、火炎の如く。




