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比翼の花嫁  作者: 壺天
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三十四

 討つ。

 明命という法師を殺す。


「なぜです」


 冷静にただしたのに、銀正は目をつむる。

 音もなく抜刀の気配を身に宿す香流。

 この問い、答えられないとは、言わせられなかった。

 答えによっては、自分は目の前の首を落とさねばならない。

 なぜなら、


「まさか理由もなくなどと、申しませんね?」


 なぜなら、今までの説明の内に、明命という法師を()()()()()()()()()()が明言されていないからだ。




 香流は「銀正殿」と、詰問の構えをとった。


「何のために、その法師殿を討つというのです。 相手は不詳の存在とはいえ、見かけ上、この国を守る無辜むこのお方。 民からの信頼も厚い。 訳なく切れば、罰を受けるのはあなた様だ」


 そして今相対する自分も、そんな所業を看過はできない。

 答え如何いかんでは、この場で切り伏せると言外に突き付け、香流は殺気を放った。


 だが、銀正は一切揺らぐことなく、静かに目を開いた。





「あなたは、これだけの大国を守る超常の力が、なんの代償もないものだと思われるか?」





 瞬間、放たれる憤怒の気配。

 荒れ狂う暴流のようなそれを目前で受けた香流は、ぐっと息を詰める。

 ひどい圧だった。

 呑み込んだ者を激流に窒息させるような、膨大な鬼気。

 香流は、目の前の優しい青年が始めて見せた荒れ狂う怒りの感情に、目を瞠った。

 一体、この穏やかな人のどこにこれほどの想いがと、行き場を失った息を飲む。


「奴の力は、何の代償もない、都合のいい力ではない」


 まるで永年の怨敵を前にしたような顔で、銀正は激情に震える言葉を吐き捨てた。


「奴はこの国を守る代わり、ずっとこの国…… いや、民から、あるおぞましい見返りを得てきた」


「民からの、見返り?」


 息を潜めた問い返しに、銀正は答えない。

 足元を見つめる琥珀の目は劫火に燃え、閉じられた口元はひどく歪んでいた。

 そのあからさまで忌まわしげな嫌悪に、香流は生唾を飲む。


「何を…… 明命という法師は、何を民から得ているのです? 一体それほど」


 言葉を失うまでに悍ましい何を。

 言いながら、思考が勝手に動く。

 業人の多いこの国の民たち。

 その中から、城に集められているもの。

 




「(まさか)」





 祭りの日。

 真人に至った鍛冶師の男が言っていた。


『真人になった業人はみな、城に召し上げられる。 家族もそろって。 そういう決まりだ。 それを城下の連中はみんな、城でいい暮らしをしているんだと思ってる。 だが、』


『結局あいつの行方も、その家族の所在も、掴むことはできなかった』


『城に上がって、たった一度も出てこないなんておかしなことがあるか?』


『こんなこと…… こんなことは、変だ。 この国は、おかしい』


『俺は城には行きたくない』



 真人が帰らぬ城には行きたくない。








「まさか、」


 先走るなと牽制しつつも、思考は勝手に滑ってゆく。

 まさかそれは、


「城から出て来ない業人たちと、なにか関わりがあるのですか?」


 重い。

 重苦しい沈黙が、場に淀んだ。

 瞬間、香流はうなじの毛が逆立ったのを感じとる。

 目の前の銀正の表情が、一瞬で色を失ったのだ。


 正答。


 直観が、この思考は正しいと呟いた。


「銀正殿…… あなたは、知っておられるのか。 消えた業人たちの行方を」


 何かを凝視して固まっていた銀正の瞳が揺らぐ。

 知っていると、確かに答える。

 だとすれば、


「消えた業人方は、一体どこへ行ったのです」


 帰ってこない、だけならいい。

 城から出られなくとも、普通に暮らしているなら。

 だが、もし、もしも。

 もう城から出ることができない身の上だとすれば。


「城に囚われの身なのですか?」


 自由に動けないだけなら、まだ救いがあるだろう。

 でも、それ以上の事態が起こっているとすれば。

 この人が、言葉を失うほどの……そんなことがあるとすれば、業人たちは、


「まさか、」


 まさか。

 まさか、


「生きて」


 いないなんてことは、


 投げかけた問いの語尾は、言わせてもらえなかった。

 素早く合わせられた視線が、香流のそれ以上問うのを許さなかったから。


「だめだ」


 厳しい声が、線を引く。

 香流がこれ以上美弥の闇に立ち入ることを許さず、断絶を告げる。


「すまんが、これには答えられない。 これ以上を知れば、あなたもこの国の闇に囚われる」


 この国から、出ること叶わなくなる。


 銀正は悔やむように拳を額に当てると、食いしばった歯の間から、声を振り絞った。


「明命がこの国から得ている代償に、多くの人間が関わっていることは確かだ。 ――――この国の安寧は、消えた業人たちの上に成り立っている」


「私は…… 私はもう、その代償をこの国に払い続けさせることを、やめさせたいのだ」


 そのために私は、


「私は明命を倒し、この国を奴から取り戻す」


 それが、国崩しへの火蓋を、切って落とすことになろうとも。














 明命は決して民のため、国のためを考えて力を使っているわけではない。

 奴は見返りを得るために、一等都合のいいこの国に寄生して、その代わりに力を使っているに過ぎない。

 その心はまったくの私利私欲なのだ、と銀正は語った。

 だから、もし自分たちが外にこの国の真実を漏らそうとすれば、国崩しの危険を知っていても、明命は力を解いて逃亡を図る。

 故にこの伝送は、奴がこちらの動きを察知する前に完了され、奴の力が続いている間に各国の協力を取り付けなければならないと断じた。


 銀正の言葉を聞きながら、香流は額を覆った。

 もし、

 もしも。

 これだけの話が仮に真実だとして、一体いつ。


「いつから、この国はそのような現状に……?」


 か細い呟きに、銀正は少なくとも十余年と断じた。


「この国の有様を、民も狩司衆配下たちも、勿論一切知らない。 このことを知っているのは、私と狩司衆上格、そして国主様」


「国主すらも、民を欺いていると仰るのか!?」


 刀を握りしめたまま、香流は仰天して立ち上がる。


「一国を預かり、民を守るべきお方が、なぜこのような状況をお許しになる?」


 理解が及ばなかった。

 香流にとって、国主とは国を、人を守る柱だ。

 決して民を食い物に、安易な平穏を得ようとなどしてはならぬ人。

 だがきつく目をつむる銀正は、その糾弾に力なく首を振る。


「こればかりは私も分からない。 私が右治代を継いで大方一年、あの方は御簾みす越しに首を振るばかりで、何も明確な言葉をくださることはなかった。 だが、確実にあの方もこの国の闇を御存じであることは間違いない。 だとすれば、私は国主様すらも敵に回して、明命を討たねばならぬ」


「上格方は?」


「彼らは私が右治代を継ぐ前から明命の信徒だ。 頼りにはできない」


「それは……」


 続けるべき言葉を失い、香流は黙り込む。

 まさか、民を食い物にする行いに、国の上層部が丸ごと絡んでいるなど。

 そんなこと、


「(真の話だというのか)」


 胸の内で、心眼が揺れている。

 銀正を見定める心は、嘘はないと断ずる。

 だが、物証のない現状に、理性――――いや、認めたくないという臆病な香流の弱さが、受け入れることを拒んでいる。

 二者の葛藤に苛まれ、香流は束の間惑った。

 その沈黙に寂しそうな目をしたまま、銀正は「すまない」と心苦しげに呟いた。


「信じてくれというほうが、土台無理な話だ。 それでももう、私は…… いや、この美弥という国は、あなたという救いにすがるしかないんだ」


「救い……?」


 私が? と瞳を揺らす香流に、銀正は辛そうに頷いた。


「奴らはこの国の現状が外に知られることを恐れている。 自分たちに都合のいい現状を保っていたいから。 そのために、実情を知っている中で唯一奴らにくみしていない私が外に連絡の手段を持つことを、これまで徹底的に阻んできた。 外からの接触もしかり」


 だが、今回の使者は話が別だ。

 銀正はまだ、使者の話を城には上げていない。

 報告は今日の午後からだが、話を知ったとしてもおそらく明命側は、


「此度の使者ばかりは、拒むことはできない」


 なぜなら、


「彼らはこの国で最も権威ある一角・五老格の公的な使者だ。 もし闇に葬ろうとすれば、必然外交問題となる。 奴らは使者を必ず丁重にもてなして、この国の秘密を隠そうとするはずだ。 私と接点のあるあなただけを外に出そうとすれば、奴らも許しはしなかっただろう。 だが、破談という公的な理由で使者とともに出国するのなら、奴らも手は出せないはず」


「今回のおとないが、《内情を知った者(あなた)》と《手出しのできない理由(使者)》がそろう、唯一の機会なのだ」


 だから、


「あなただけが…… あなたこそが、私が最後に縋れる蜘蛛の糸なのだ」


 明命たちが手を出せず、この国の秘密を知った者が、大手を振って国を出ることができる、千載一遇の機会。


「今しかないんだ。 五老格の使者が来る、この時しか、もう美弥の危機を外に知らせる機会はない」


 刀を握りしめて立ち尽くしたまま、香流は俯く。

 寄越された情報を整理しながら、きつく目を瞑った。

 この話が真実とするなら、


「……決して相手方に気取られるよう、事を進めねばならぬのですね」


 でなければ、その先は美弥の破滅、国崩し。

 ようやく理解が及んできた香流に、銀正は頷く。

 そして、明命側にも付け入る隙が無いわけではないと続けた。


「明命がこの国に巣くうて、すでに幾年月。 元々恐ろしく用心深い奴ではあったが、奴も長い月日をこの国で過ごし、この国で得られる利に執心を見せている。我々の動きを察知されれば、もちろん事態は国崩しへと雪崩れ込むが、ほんの少々の陰りなら、奴もそう易々(やすやす)とはこの国を手放しはすまい」


「そしてあなたに託した文によって外の助力が叶った暁には、私が明命を討ちとる」


 その時には、もう明命側に動きを察知されても構わない。

 確実に明命の加護は無くなるが、外からの応援で最悪の事態だけは回避されるだろうから。


「私はここで、あなたが時を満たして下さるのを待つ」


 事を起こす、その時を待つ。







 それっきり、場には沈黙が落ちた。

 それがこの話し合いの終幕宣言だと悟った香流は、刀を握りしめ、銀正を見下ろした。


「もう、これ以上を話す気はないのですね」


 おそらく、今までの話に銀正は宣言通り、虚実を交えてはいない。

 だが、言っていないこともあるはずだ。

 言外の批判に、銀正は頑なだった。




「知りすぎれば、あなたはこの国から離れられなくなる。 そうなっては、誰が外にこの国の実情を伝えることができるだろう」


「今あなたが伝えてくれねば、誰がこの国を救う」



 銀正の問い返しに、香流は瞑目する。


 この策には、いくらかの難点が予測できる。

 そのうちの一つに、各国狩司衆の助力が確実に得られないかもしれないという場合があったが……

 もし仮に、美弥への助力を各国狩司衆当主が渋ったとしても、五老格が頷けば彼らも動かざるを得ない。

 そして現状、美弥の内情を知った上で五老格に直訴できるだけの立場にあるのは、香流以外ない。


「……その言い方は卑怯ですよ、御当主」


 双肩にかかる重責。 

 替えがきかないという己の立場に、銀正がずっとすまなそうな目で香流を見ていた意味を知る。

 この人の言う通り、この人はもう、香流しか頼れないのだろう。

 だとすれば、初めから香流に選択の余地などなかった。

 銀正は、ずっとそれを気に病んでくれていた。

 香流を駒とすることを、心から申し訳ないと思ってくれていた。


「明命を倒すのには、お一人で向かわれるつもりですか」


 明命を討つ算段も、教えられてはいない。

 狩司衆上格たちがあちら側に与しているのなら、実力があるとはいえ銀正一人で事を起こすのは多勢に無勢だ。

 それに、敵にまわすには相手側の立場が悪い。

 あちらは見かけ上、この国を守り、民心を集める人。

 国主すら背後にいる相手だ。

 最初に銀正が言ったように、下手をすればこの計画は銀正という逆臣の国への背信行為と言える。

 明命の裏を証明する物証もないのだ。

 そう簡単にこの国の民、つまり狩司衆にも、計画の助力を乞うことはできないはず。


「誰ぞ、あなたを助ける者はないのですか。 お一人で、行かれるつもりですか」


 配下の方々はと呟くと、銀正は首を振った。


「……狩司衆は頼みに出来ない。 彼らも民同様、明命の悪事を知らない。 私がやろうとしているのは、事情を知らない者が見れば、謀反むほんと同じだ。 奴はこの国で信頼を勝ち得ている。 倒そうとしている私こそが、逆賊だ」


 そう簡単に、配下を巻き込むわけにはいかない。

 だが、


「だが、確実に明命を獲るためには、私一人では勝算が低すぎるのも確かだ。 だから、配下の中でも比較的私にも理解を寄せてくれる者に助力を頼むつもりではある。 ――――まぁ、これも勝算は低いのだがな」


 私は比肩も頼めぬ、家名だけの頭狩すかりだから。

 こんな時に自嘲じみて笑う顔が嫌で、香流は苦り切った頬を歪めた。

 そして、同時に思う。

 どうして。


「……どうして、このような状況、今日まで捨て置かれたのです。 あなたのような方が、」


 なぜ、この国のおかしさを、ずっと正そうとしなかった。

 あなたは、こんな現状を良しとするような人ではないはずだ。

 やろうと思えば、見張られていたとはいえ、どうにか外に窮状を伝えることなど、いくらでもできたのでは?

 なにか、別の行動を起こすことだって。

 なのに。


「どうして、今日まで、」


「すまない」


 謝罪しか返してくれない銀正に、香流は奥歯を噛む。

 そして、反射的に違うと断じた。

 違う。

 そうではないだろう。

 自分はこの人が、好き好んでこの状況を野放しにするような人とは思っていないだろう。

 だとすれば、今のは私の誤りだ。


「違う。 これは、私の聞き方が悪かった」


 本当に、向けるべき問いかけは、




「なぜ、動けなかったのです。 一体何が、現状を知ったあなたを縛った?」


「何を理由に、あなたは今日まで動かなかったのです」




 鋭い詰問に、銀正は淡く笑っていた。

 笑ったまま、何も言ってはくれなかった。


「……言えないのですか」


「言えなくはない」


「では」


 どうして。

 続くはずだった問いを、頑なな目が押しとどめる。


「だが、言うつもりはない。 あなたは、このことについて、何も知る必要はない」


「銀正殿!!」


 瞬間。

 叫んだ声に、想いが溢れた。


「ただ私は、あなたの言葉で知りたいのだ! 例えあなたがこの国の陰を知っていて、それでも動かずにいた理由を…… 動かなかったのは、それでも動くなと、あなたの芯が断じたからだと! 決してその心が、曇り切ったが故ではないのだと!!」



「――――私は、あなたを見限りたくはない!!」



 あなたが、決して理由もなく、悪徳に首を垂れていたのではないのだと。

 ただ、あなたの口から聞きたい。

 だって私は。

 私は。






 あなたの芯を、信じてみたいのだから。







 だが銀正は、香流の望む答えを返してはくれなかった。


「許してくれ、香流殿」


 それだけ言って、まなこの中の言葉すら絶つ。

 再び立ち入る境に線を引かれ、香流は力を失って立ち尽くした。


 何を?

 あなたは私に、何を許せというのです。

 その何かすら教えてくれぬまま、あなたは私と縁を切るというのですか。

 全てが終わったあと、再び相まみえようという言葉すら、くれぬまま?

 

 ――――いや、意図的に、この人は言わないのだ。

 この人は、この先自身がなんの瑕疵かしもなく、再びもとの生き方ができるとは思っていない。

 だって、


「(仮に事がすべて終わったとしても、美弥がなんらかに民を利用して、国を守っていたなどと外に知られれば。 それを看過してきた者は、確実に罪に問われる)」


 仮にこの人が、本意ではなく明命側の思惑を見過ごしてきたのだとしても。

 狩司衆守護家当主として、必ずその責を問われることになるだろう。

 そうなれば、この人の行きつく先は、









「この話、あなた一人が負うものが多すぎる……」


 弱弱しく呟いたのに、銀正はそれでも厳然として譲らなかった。


「だが、私は現状を知る者として、動かねばならぬ」


 それは、あなたも分かっているのでしょう。


 分かっているかだと?

 勿論、十分了解している。

 銀正へ向かう憤懣ふんまんが激しく燃え上がる底で、話を検分する理性が、冷え切った水底の流れのように思考を止めないから。


 理性は、直観すら折り込みながら、判断を下す。


『これらの話は確かに物証に欠けるが、国崩しの潜在的可能性と、行方知れずになる真人たちの理由を明らかにするため、確実に外から美弥の状況を確かめるための監査が必要な一件だ。 そしてそのためには、外へ――――最低限、五老格までこの国の不審な点の情報を上げる誰かが必要になる。 もし、この国の上層部がそれを望まず、明命という法師の一存によって、国崩しが始まってしまうとすれば。 起こりうる危機の重大性から、これらの情報の伝達はまず秘密裏になされなければならない』


 そこまで考えて、一つ閃く。


「(だが…… これらの文、城下に散っている里の間者たちに託せば……)」


 自分はこの国に、銀正のそばに残ってもよいのでは?

 この人を、一人にしなくとも、構わないのではないか。

 光明を得たように思い、香流は顔を上げる。


「あの、御当主。 これらの文、外へ届けるのでしたら、私でなくとも」


 香流はこの際だと、自身の身内がこの国に散っている現状をつまびらかにした。

 銀正はそれもある程度承知していたのか、冷静に話を聞く。

 そして難しい顔で口元を抑えた。


「その間者、接触しているのを、人に見られたか?」


 確認に首を振れば、銀正は「気取られてはいないか……」と視線を強める。

 だが、


「いや、やはり、確実な手を取りたい。 もしかしたらその間者では、この国から出られぬやもしれん」


 出られない?

 なぜと目で問えば、銀正は難しい顔のまま、首を振った。


「言っただろう、明命は、見えない何かで国すら、飢神から隠しもできる。 そしてその何かは、奴が国から出したくない者だと断ずれば、その間者すら隠してしまうだろう」


「隠す、とは」


「……端的に言えば、最終的に殺すということだ」


 息を飲んだ。


「明命の力は、人一人すら殺してしまえるのですか」


 国を出ようとしただけで?

 驚愕する香流に、勿論すべての越境者が殺されるわけではないと銀正も否定する。


「奴が恐れているのは、この国の秘密を知った者が外に出ることだ。 そのため、奴は唯一情報を漏らしそうな私が懇意にした者を、すべからく監視下に置いて、これまで国を越えさせようとしなかった」


 だから今日まで、余計な犠牲者を出さないために、銀正は人との無闇な接触を控えてきた。

 祭り明けの朝に、鍛冶師の親子に一筆書くのを躊躇ったのも、そのためだ。

 関所には、明命の手の者が必ずいる。

 下手をすれば銀正の関係者として、城に連れていかれる可能性もあった。

 そのため、決して無闇なことはできなかったのだ。


「ここ最近になって私へのあからさまな監視も薄れてきたが、依然その目は向けられているし、私の近辺にある人間も例外ではない。 おそらく、もうあなた自身も警戒対象であろう。 そして、もしあなたがその間者と接点を持っているとあちら側に気づかれていれば……」


 その上、関を使わず、国越えなどしようものなら。


「その者、国境にたどり着く前に、確実に殺されるだろう」


 冷や汗が、首を伝う。

 銀正の琥珀の目が、玻璃はりのように無機質に香流を見ていた。

 そして断じる。


「一度この国に足を踏み入れ、この国の中心に近づきすぎれば…… 奴の目に存在が止まってしまえば」





「何人たりとも、奴の力からは逃れられん」

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