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比翼の花嫁  作者: 壺天
23/79

十八

「み、見たか? あんたら」


 男は怯えた様子で香流をにらんで言った。

 香流と阿由利は目を見交わすと、こくんと頷く。

 そのまましばしの膠着の後、男ははぁと重い溜息をついて項垂うなだれた。

 そして観念した顔つきで立ち上がると、香流たちのいる路地に面した戸口から、二人を屋内に招いた。

 火のかれている内部は、初夏のこの時期にはひどく暑く、香流は首筋をぬぐう。


「……おめでとうございます、『真人しんにん』にまで至られたのですね」


 小さく目礼して祝いを言えば、男は酷く忌々しげな顔をして、


「なにがめでたいものか。 これで俺も、『仙果せんか』の仲間入りだ。 終生、飢神の牙に怯えてすごさにゃならねぇ……」


と吐き捨てた。

 握りしめられた男の手は、すでにかすみが失せ、平素の状態に戻っている。


「練霞…… 初めて目にしました」


 阿由利が茫然と呟き、香流のほうに身を寄せる。

 その背を支え、香流は頷きを返した。


「そうですね。 なかなかお目にかかれるものではありませんから」





練霞れんか


 それは、技を極めた業人が至る、一つの到達点だ。

 熟練の匠ともなれば、体内に宿る練の気は膨大なものになる。

 そしてある時。

 その気が体内で飽和し、体外にあふれる時が訪れる。

 この時、目に見えて発現するかすみのようなものを、練の霞――――『練霞』と呼ぶのだ。





「『練霞発現したるは、これ業人の『真人』へと至る証なり』」


 古い言い伝えを、香流は口ずさむ。

 真人とは、練霞を発現させることができた業人のことだ。

 その存在は貴重で、多くは国主のお抱えになる。

 市井を選んだとしても、高名な業人であることは変わりない。

 そして一方で、


「『練霞の発現に至る者、飢神の仙果となる』」


 練を食らう飢神にとって、真人に至った業人は至上の餌だ。

 一度その肉を食らえば、力を増強し、味わったことのない至福を得るのだという。

 このため、真人は飢神にとっての、仙境の果実――――『仙果』と呼ぶ。



 真人、仙果とは、全ての業人がそこに至るのを目指すもの。

 そして、その身の危うさゆえに忌避するものでもあるのだ。






「真人に至ったのでしたら、早く城へ申し出なくてはならないのではありませんか?」


「!」


「阿由利殿?」


「だ、だって、いくら城下にいるとはいえ、飢神に狙われることを考えれば、危険ではありませんか。 城に知らせて国主様のお抱えになれば、その身の安全は保障される。 市中よりよほど安全だと……」


 そう阿由利が言い終わる前に、男は青い顔をして香流の腕を握りしめてきた。


「だ、だめだっ。 あんた、こ、このことは誰にも言わんでくれ!」


 頼む、頼む、と繰り返す形相に、香流は驚いて半身を引く。


「それは、か、構いませんが、なぜ……」


 今しがた阿由利が言ったように、真人に至った者は、国主お抱えとなってその身を守られることが一番安全な生き方だ。

 それなのにどうしてと訊ねれば、男は苦々しい顔で目を逸らして言った。



「よその国もそう変わらんが、この美弥では、真人になった業人はみな、城に召し上げられる。 家族もそろって。 ()()()()()()()だ。 それを城下の連中はみんな、城でいい暮らしをしているんだと思ってる。 だが、」




「城に上がって、()()()()()()()()()()()なんておかしなことがあるか?」




「出てこない……?」


 香流が目を細めて繰り返すと、男はああ、と頷いた。



「俺は、少し前にこの国に来たばかりなんだ。 俺には、この国に住む同じ鍛冶師の友がいた。 そいつは腕もよく、この国でも随分名の売れた男だった。 それがしばらく前に、そいつも真人にまで成り上がったのだという連絡があって、そのあとすぐ当人から、国主に招かれ、家族とともに城へ上がると知らせを受けた。 だがそれっきり連絡一つなく、おかしいと思った俺は、この国に入ったんだ」



「この国に移り住んだ俺は、友の所在を訪ねて方々を回った。 しかし、探し出した友の知人たちは皆口をそろえて友の顔はそれっきり見ていないと言い、『あいつは城でいい暮らしをしているんだ。 市井の友のことなど忘れてしまったのだ』と笑うばかりで、誰も取り合ってくれなかった。 城の者に訊ねても追い返される始末…… 結局あいつの行方も、その家族の所在も、掴むことはできなかった」



 他国では、基本的に真人たる者の行動は自由だ。

 城に住むとしても、城下に降りる許しは与えられる。

 なのに、この美弥では、城に上がれば消息すら掴めなくなるらしい。

 それも、家族ごと。



「(そんなことがありうるのか……?)」

 


 目を細めて訝る香流に、男は激しく首を横に振って唸った。



「こんなこと…… こんなことは、変だ。 この国は、おかしい。 俺は城には行きたくない。 だから、」



 だから、と必死な顔が香流を見る。



「頼むっ…… このことは、決して他言しないでくれ」



 腕をつかむ手が、小刻みに震えている。

 反対の腕に寄り添う阿由利は、薄ら青い顔で固まっていた。

 ぱちぱちと窯の火が燃える音だけがぜる中。

 香流は束の間黙した後、震える手を押さえて頷いた。


「分かりました。 あなたがそれを望まれるなら、このことは他言いたしません。 どうぞ心を」


 落ち着けてください。

 そう、声をかけようとして、


 カタン、


「「「!」」」


 小さな物音に、三人は同時に振り返っていた。

 工房の奥。

 裏の住居に続く扉が開いていた。

 その陰に、小さな人影。

 身を隠すように立っていた。


「あ、こらっ、出てきちゃ駄目だって言っといただろ」


 はっと人影を確認した男が、咎める声を上げながら小さな影に近づく。

 影は子供だった。

 日に当たったことがないようなほど、白い肌をした――――群青の髪が長い少女だった。


奇児くしこ……」


 横の阿由利が、細く囁く。

 それ聞き捉えたのか、男は香流たちを睨み、苛立たしげに頭をかいてから、諦め交じりのため息をついた。


「……娘だ。 見ての通り、奇児だ」


 挨拶なさいと背を押されて出てきた少女の目は、閉じられていた。


「目が見えないんだ。 その代わり、この子は耳が特段いい」


 奇児の欠損と異能。

 この子も例外ではないのだ。

 人の気配に怯える少女の背に手を添えてやりながら、男は憐れげな目を娘に向ける。


「さっきも言った通り、俺ら家族はこの国に来たばかりだ。 奇児はそれだけで忌み嫌われることも多いから、あまり人前に出るなと言ってあるんだ」


 男はそう言って娘の背を押すと、奥に行っているように言い含めようとする。

 しかし、娘は父親から離れようとしない。


「どうしたんだ、一体」


 戸惑ったように娘を見下ろす男。

 その時、香流は少女が小刻みに震えていることに気が付いた。


「失礼、少しよろしいですか?」


 男の脇から少女に近づいた香流は、その目の前へ、怖がらせないようゆっくりと膝をついた。

 膝をついた香流より少し背が高いくらいの少女は、近づいた気配におどおどと落ち着きをなくす。

 そんな少女の様子をじっと見つめた香流は、怯える心を落ち着かせるように、そっと優しい笑みを浮かべた。


「ごめんなさい、突然お邪魔して、驚かせましたか?」


「……ぁ、」


 柔らかな気配に、少女は戸惑う。

 脅かさないよう、香流は静かな声で続けた。


「私は香流と言います。 あなたのお名前は?」


 少女は息を詰めると、父親を窺うように見上げる。

 男が「挨拶しなさい」と促せば、「……水世みよ」と小さく答えた。


「水世…… よい名ですね。 水世さん、私も最近、この国に参りました。 あなたと同じです」


 綺麗な髪ですね、触っても? と問いかければ、少女はかあっと頬を赤く染める。

 そのまま隠すように父親の陰に頭を突っ込むので、香流はきょとんと目を瞬かせた。


「この子は自分の髪が嫌いなんだよ。 元居た村でも、髪色でいじめられていたんだ」


「……そうなんですね」


 男の説明に、香流は再び少女を見る。

 そうしてふっと頬を緩め、柔らかく呟いた。


「勿体ないことです、こんなに美しいのに」


「……ぇ、」


 小さく身じろいだ少女に、香流は手を伸ばす。

 波のようにうねる青を手でくしけずり、小さな貝に似た耳へかけてやる。

 現れたつるりとまろい頬を撫で、香流は笑った。


「きっと皆、あなたの綺麗な色を羨んだのでしょうね。 だって、まるで日に照り返る昼の海のような美しい青ですから」


「あ、」


 包み込んでいた少女の頬に、再び赤がさす。

 背後で阿由利が「もぉー……」とため息をついて、男と目配せした。

 それもお構いなしに、香流は少しだけ寂しい顔をして言葉を続ける。


「水世さん、実は私の許婚様も、奇児なのですよ」


「え?」


 閉じられた瞼がふるっと震え、少女は顔を上げる。

 香流は少女の髪を一房取り、慈しむように撫でた。


「その方は、とても綺麗な白銀の髪をお持ちなのですが…… あなたと同じようにその色を皆に()()()()()、とても寂しい思いをされていました」


 白い羽織の背中を思い浮かべる。

 

 銀正殿。

 

 胸の内で、呼びかける。

 何も言わなかったあなたを、どうしてと、私は責めた。

 責めてしまった。

 しかしそれは、互いの遠さに感じた虚しさが思わせた、嘘だった。

 私は本当は、


「しかし、私は、それでも真っ直ぐに立ち続けるあの人が…… その背に揺れる白の髪が、とても美しいと思うのですよ」


 何も言わないで私を許したあなたの、手を取りたいと思うのですよ、銀正殿。


 少女の見えない目が、じいと香流を見る。

 その頬がもう怯えていないのを確認して、香流はそっと手に取っていた髪を離した。


「震え、止まりましたね」


 頬を赤らめた少女が、はっと身を震わせる。

 その様を微笑ましく見つめ、香流は立ち上がった。

 脇に立っていた男を振り仰ぎ、目礼して暇を告げる。

 

「すみません、随分お邪魔いたしました。 これにてお暇いたします」


 行きましょう、阿由利殿。

 そう言いかけた時だった。



「ま、まって!」


「!」



 少女が、血相を変えて、香流の着物にすがりついた。



「だめ、行っちゃ、だめ! お外に、行かないで!」


「お、おい、こら、どうしたんだ」


 男が、娘の剣幕に驚いてその肩を掴む。

 だが、娘は死に物狂いといった顔つきで香流を引き留めようとした。


「行かないでっ お願い、ここから出ないで!」


「? ど、どうかしたのですか?」


「来るの、たくさん、たくさん、来てるの」


 来る?

 一体それは、


「何が来ているのですか?」


 小さな肩を掴み、香流は眉を寄せる。

 少女の気配が、恐怖に染まる。

 なにか、とんでもないものに怯えるように、ぶるりと体を震わせる。


「大きいもの…… とても、いっぱい…… 山を越えて、川を越えて、この国に近づいてる……っ」


 何も見ない目が、遠いどこかを見ている。

 小さな耳が、その影を捉えている。

 声が、存在を確かに告げる。


 恐慌と、絶望に染まって告げる。



「くる、くる、くる」



「もう来ている、すぐそこまでっ」



「来るの……っ!」



 絶叫。

 静寂。




 そして、それは、ここへたどり着いた。




 ズドドドドドドッ!!!



「「「!!?」」」



 頭上を、何かが走り抜けた。

 それが屋根を伝って通り過ぎていたのだと香流が気が付いた時には、遅かった。





「きゃああああああ!?」





 悲鳴が、辺りを貫いた。

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