十七
狩士で溢れかえる広場を抜け、二人を一つの建物に導いた十雪は、
「とりあえず、お二人がいらしたことを、頭狩様にお伝えして参りますね。 頭狩様は今城で挨拶の最中らしいので、少しかかると思います。 戻るまでここでお待ちくださいね!」
と弾むように言って、城中へ消えていった。
それが、少し前。
置いて行かれた香流たちは、建物上り口に腰掛けて、十雪の帰りを大人しく待っていた。
並んで二人、手の空いていた狩士が用意してくれた茶を飲んで、暇をつぶす。
阿由利はちらちらと城の方を見てふうと息をついた。
「まだ出発まで時間がありますし…… お話の最中ですから、御当主様が出ていらっしゃるまで、時がかかるやもしれませんね」
「そうですね。 先に包みだけでも、十雪様に預けるべきでしたね」
言葉を交わして頷いていると、目の前を狩士の一群が通り過ぎて行く。
その姿に、香流は出掛けしな、苑枝に言われた言葉を思い出した。
『折角今日は、主だった狩司衆が城下に集まる日です。 嫁となる身として、顔を出してくるがよいでしょう』
……まさか、そのために一計案じたのではと思わずにはいられないが、苑枝の勧めも一理ある。
「(まだ嫁ではないので、少々立場としては出過ぎたことかもしれませんが、美弥狩司衆の内情を知るのもよいでしょう)」
そう腹を決めた香流は、阿由利に「少し、狩士方に挨拶をしてまいります」と言いおいて、建物の外に出た。
外は、狩衣装を着こんだ男たちが多く屯している。
香流はその中でも、狩士たちをまとめる組頭を探して、歩き出した。
「(おそらく、どこかで打ち合わせでもなさっていると思うのですが……)」
行き交う狩士たちに頭を下げつつ、他より装いの違う者を探す。
しばらく歩き回っていると、広場の隅の木の陰で、立ち話に興ずる壮年の男たちを見つけた。
皆、一般の狩士よりも上等な装を着込んで、揃いの襷をしている。
「(きっと、あの方々ですね)」
目星をつけた香流は、襟を正して男たちに近づいて行った。
さて、名家にふさわしい挨拶をせねばならぬ。
そう、気合を入れた時だ。
「やはり、あの方の下につくのは、己は納得できない」
耳に飛び込んできた声に、瞬間、動きを止めた。
声音が固い。
なんだと思う前に、体がもう一つの木の陰の方へ動いた。
さっと姿を隠し、耳をそばだたせる。
男たちは、香流の存在に気付かなかったようだった。
「おい、大きな声を出すな。 下の者に聞こえたらどうする」
最初の男に一人が咎める声をかける。
しかしそれも話の流れを変えることはなく、最初の男が「だが、」と反駁した。
「お前も言っていただろう。 あの方が当主を襲名して一年と少し。 技量があることは認めるが、成人してから狩士として任に着いてもいなかった若造が、右治代直系というだけでこの美弥狩司衆を率いるなど、どう考えても道理が合わぬ」
「(御当主の、話)」
そばだたせていた耳が、緊張して固まった。
「それは…… そうだが、」
消極ながら同意する声に、他の者たちも異を唱えない。
それどころか、最初の男に追従する気配が強まった。
いくつもの口が、鬱憤をまき散らしながら舌を動かす。
「それにあの髪色…… 奇児が頭狩とは」
「異能も、欠損もない特例とはいえ、あまりに外聞が悪い」
「国主の後ろ盾があると言っても、これだけ問題があっては……」
声を殺すことなく吐き出される不満。
誰も、銀正を庇わない。
誰も、あの人を認めていない。
隠れた木の幹に沿わせた手が、ぴくりと震えた。
その時、「それにだ、」と一際大きな声が吐き捨てた。
「あの方は一年たってもまだ、比肩を定められぬ。 我ら美弥狩司衆に信を置いておらぬと同じ事」
「我らを愚弄していると同じ事」
「そのような頭領に、誰が従おうか」
「この命、託そうか」
「あんな若造が美弥守護家当主などと、我らは認めぬ」
「我らの頭目などと認めぬ」
認めぬ――――認めぬ。
香流は立ち尽くしていた。
気配を殺したまま茫然としていた。
そして、どうして、と白の髪が流れる背を思った。
「(どうしてですか、御当主)」
いつかの日。
庵で二人、言葉を重ねた記憶が脳裏をめぐる。
『僭越ながら、御当主は仕事を抱え込みすぎているのではありませんか? あの紙の山は、全て飢神狩りについてのものでしょう』
『……これでも当主だ。 仕事が多いのは当然だ。 あなたが気にすることではない』
『何もかもを抱え込むのが、頭狩のあり様ではありません。 人に頼まぬということは、人を信じておらぬと言うこと。 差し出がましいことを申します』
『御当主は、信じる者がないのですか? すべてを抱え込まねばならぬほど、』
『お一人なのですか?』
どうしてあなたは。
あの日、『一人なのか』などと愚かなことを吐いた自分に、何も言わなかった。
こんなところで一人立ちながら、ただ、私を許した。
何ひとつ言ってくださらなかったのです。
御当主。
悔恨が、胸を刻む。
離れなければ。
腹の底で渦巻くよくわからない何かを押さえつけて、香流は咄嗟に思っていた。
行かなければ。
彼らにここにいることを悟られてはならない。
振り向いて歩みだそうとする香流。
しかしその背に、最後の声がまとわりつく。
「まぁ、比肩の話は、向こうに乞われたところで、誰も受けぬだろうがな」
家柄だけで跡目を継いだ、忌み子など。
忍び漏れる、失笑。
踏み出した足を、溢れ出た激流が掴む。
数瞬ののち、香流は黙然と顔をあげていた。
庵を紙の海に沈めるほど多くを抱え込んで、すまなかったと目を伏した様。
未だ実力が足らぬと陰を作り、配下に願うことすら諦めていた横顔。
渦巻く感情が、その色を露にする。
ああ、と呻きが零れた。
この色は、悔いと怒り。
そして有り余るほどの虚しさ。
一体何に対して? ――――そんなことは決まっている。
今ここにある全てだ。
「失礼」
「!?」
突如上がった声に、男たちはびくりと肩を揺らしていた。
驚きとともに振り返れば、いつの間にやら背後にいた娘に、二度仰天する。
娘は美しい髪を流し、幽くそこにあった。
「お話し中のところ申し訳ありません。 私は右治代忠守様の許嫁、香流と申します」
ゆるりと微笑む立ち姿は、さながら風に揺れる藤。
艶めく頬に流れる、光ほのかな黒髪。
藤のように香しき娘。
その涼やかさに、一瞬、男たちはすべてを忘れて見惚れた。
だがその房の合間。
微かに、されども確かにのぞくものへ、一気にぞくりと背筋を震わせる。
揺れる花に見え隠れするのは――――鬼。
恐ろしき、鬼の面。
吹き寄せる風は、圧孕む鋭気。
幾多の狩場を渡った熟練の狩士が、その背を泡立たせるほどの鬼気。
何者だ、この娘。
屈強な男たちが呆気にとられる前で娘は、――――香流は、しとりと頭を下げた。
「美弥狩司衆、組頭様方とお見受けします。 婚前の身ではございますが、御挨拶に参りました」
答えに窮したままの男たちを置きざりに、下げられた頭は続ける。
「隔地より参った若輩者ではございます。 ですが、いずれは右治代の嫁として、美弥狩司衆の皆さまを陰ながらお支えしたいと思うております。 それまで、どうぞ温情をもって見守り下さればと存じます」
「また、許嫁という身ではありますが…… 婚家である右治代、ひいては当主忠守様への一層の力添えを、お願い申し上げます」
香流はゆっくりと面を上げる。
その朗らかで空恐ろしい笑みは、見るものすべてを威圧する。
男たちの首筋に、つうと流れる冷や汗。
艶やかな唇は、笑って言った。
「どうぞ、あの方を、」
あなた方に助力を願えない己を笑った、愚かなあの人を。
あなた方が力など貸さぬと笑った、あの人を。
私が、無知のために愚問を投げかけてしまった、あの人を。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
*
それから後を、よく覚えていない。
元居た建物に舞い戻ったはずの香流は、そこで待っていた阿由利の手を取って立ち上がらせた。
「香流様?」と、キョトンとする阿由利には何も言わず、懐から包みを出して、通りかかった狩士の一人にそれを手渡したはずだ。
狩士は戸惑いながら二人を引き留めたが、香流は最低限だけを言いおいてから、阿由利を連れて城門を出た。
背後で阿由利が「香流様!?」と呼びかけていたと思うが、それも確かではない。
ただ、激情を振り払うように、逃げ出した。
愚かにも当たり散らしてしまった組頭たちから。
自分が傷つけてしまったあの人から。
その事実から。
逃げて、逃げて。
ただ、逃げ出していた。
*
「香流様! 香流様!」
名前を、呼ばれている。
「香流様ったら!」
袖を取られて、引っ張られる。
がくんと体が止まった。
「もう! 香流様! 一体どうしたのですか? 急に出てきて…… なにかあったのですか?」
振り向いて、顔を上げる。
胸を押さえてぜいぜい言う阿由利に、香流はぼんやりとして、そして、我に返った。
「あ…… 申し訳、ありません、阿由利殿」
一気に狭まっていた視界が開ける。
城を出た香流は、いつの間にやら城下の一番中心にある大通りにまでやってきていた。
そうして甦る、少し前の記憶。
男たちの青ざめた顔と、包みを渡した狩士の戸惑った表情。
今しがた自分が起こした行いに、さあと頭が冷える。
まさか、あんな礼儀のない行いをするなんて。
自分は、なんて。
「はぁ……」
「香流様?」
目元を覆って息をつけば、阿由利が戸惑って顔を覗き込んでくる。
そのくるりとした目を指の隙間から見返して、香流はまた目を閉じた。
「……すみません、己の短気と愚かさに、呆れていました」
言っている意味が分からなかったのだろう。
首を傾げる阿由利を前にして、香流はがくりと頭を落とした。
薄まった感情が、じくじくと己を苛む。
銀正を傷つけたかもしれないと悔いたこと。
その銀正を詰る言葉を吐いた男たちに、激したこと。
その怒りが、なぜ言わなかったのだと、銀正自身をも責めていたこと。
そんなことを思うほど、自分は銀正の全てを知らないと、どこかで聞こえた冷めた声に、虚しさを覚えたこと。
そのために、己を抑制しそこね、愚かな行いをしてしまった。
「まさか、激情に巻かれて人を威圧するなど…… 突然のことに我を忘れたとはいえ…… あとで、組頭方に詫びを入れねばなりません」
冷静になった思考が、感情を批判する。
あの人たちだって、銀正の全てを知っているわけではない。
知っていれば、あれほど無体な言葉など吐かなかっただろう。
あの人たちも、銀正という人を知らないがために、思い違いをしていたにすぎないだろうに。
それを、香流が咎める資格などなかったのに。
「……私こそ、御当主の全てを知っているわけでもないのに」
だからこそ、『一人なのか』なんて、無知な言葉を吐いたのに。
香流はしばらくぶりに、自身の直截な物言いを恥じた。
そして、改めて思った。
私は、もっと銀正という人を知らなければ、と。
「阿由利殿」
「は、はい?」
独り言のようなものを呟いていた香流に突然呼ばれ、阿由利はぴくりと肩を震わせる。
香流は片手で阿由利の手を握ったまま、もう片手の下に隠した目を、ぎゅうと閉じた。
横を通り過ぎていく人波をそっと意識の外に追いやって、ただ阿由利だけに聞こえるように、誓うように、言った。
「阿由利殿。 私は、あまりに無知です。 御当主に関して、まだ何も知らなかった。 あの人がなにを芯として生き、何を隠して笑うのか…… 何も知っていなかった。 それを、今日思い知りました」
「少しずつでいいと思っていました。 少しずつ、知って行けばいいと。 いつか、あの人も私を認めて、話をしてくれる時も来るだろうと、楽観していた」
「ですが、それでは駄目だ。 私は、あの人を生涯の供とするにふさわしいかを見定めるためにこの国に来た。 その覚悟を持って、やって来たはずだった。 それを、少しばかり失念していた」
「私は…… 御当主が隠したものを知られることを望まぬとしても、私は、あの方の真を知らねばならない」
「あの方が何をもって己の芯とするのか、それを見定めるために、あの方を知らなければ」
「あの人に向き合わねば」
「これ以上、無知ゆえにあの人を傷つけないためにも」
「あの人を、一人耐えるような孤独に捨て置かないためにも」
「私は、あの人を知らねば」
いや、違う。
私は、
「私は、あの人が知りたい」
あなたの全てを見たい。
銀正殿。
「……まぁ」
目を覆っていた手を下ろせば、阿由利が目を真ん丸にして香流を見ている。
元々大きな目がそれ以上に大きく見開かれていたので、香流はびくりと肩を上下した。
その瞳がだんだんと潤み、頬が上気し、ついには涙まで流れ出したあたりで、香流は仰天して固まってしまった。
「香流様が…… あの香流様が…… 嫁修行そっちのけで埃を追い回していた香流様が……ッ」
「ついに、御当主様への関心にお目覚めに……!」
突然わっと顔を覆う阿由利。
その勢いに飲まれ、香流はぎょっとして後ずさった。
一体、先ほどの言葉の何が阿由利の琴線に触れたのか。
訳も分からず立ち竦む香流の戸惑いなどお構いなしに、阿由利は涙ながらに言葉を続ける。
「お二人のことは、常々苑枝様と案じておりました。 近頃ようやく打ち解けてきたとはいえ、あまりに男女のそれとは遠すぎる関わり方に、苑枝様が『あのお二人は心寄せる先が違い過ぎて、このままでは一向に進展などない』とお嘆きでしたが………… ついに…… ついに!」
「ついに思慕をよせる第一歩を!」
「いや、あの、別に思慕? というわけでは……」
待って、待ってください、阿由利殿。
話が見えない、置いていかないでくださいと、香流は途方に暮れる。
しかし、そんな香流をほっぽり出して、阿由利はおいおいと感涙するのをやめない。
ついに通り過ぎる人々が何事かと視線を寄越してきた辺りで、香流はばっと阿由利を抱きしめた。
「な、泣かないでください。 私が悪かったです、私が悪かったですからっ」
もう何に対して謝っているのか分からなかったが、香流は必至で腕の中の少女を宥める。
ようしよしと頭を撫でていると、ようやく落ち着いたのか、阿由利はひくひくとしゃくり上げていたのを鎮めだした。
そしてしばらく抱きしめられていたかと思えば、ちらりと赤い目を寄越して、ぷうと膨れる。
「……もう。 そうやって慈しみを振りまくのも、今後はお控えくださいね。 そういうものは、すべて当主様にさし上げてください。 分かりましたか?」
「え、と…… はい?」
なぜか今度は小言をもらう羽目になって、香流は茫然と首を縦に振る。
それに満足したのか、阿由利はそっと腕から抜け出すと、にっこり笑って「いいでしょう」と胸を張ったのだった。
「ほら、国主さまだ」
近くで、声が上がった。
そっと二人そろってそちらに目を向けると、町民の男が、目の上に手をかざして遠くを見据えていた。
視線の先を追えば、大通りの先、城の前に高く組まれた舞台が見える。
薄い紗で囲われたそこには、小さな人影が二つ見えた。
「あれは、美弥の国主様ですね。 お隣に居られるのは、きっと明命様です」
近くによってきた阿由利が、男と同じようにして舞台を見上げる。
「明命様?」
聞いたことのない名に香流が首をかしげると、阿由利は人影の左を示して言った。
「香流様は、外からいらっしゃいましたから、御存じないのですね。 私も聞いた話ですが、何年か前にこの国にいらした法師様ですよ」
なんでも、渡来の神通力を修めておられ、この国を飢神の脅威から守ってくださっているのだとか。
「飢神の脅威から、守る?」
阿由利の説明に、香流は眉を寄せた。
神通力というものは知らないが、刀を振るう以外で、人にそんなことができるのか。
訝しむ香流に、阿由利はお疑いなさるのも当然とばかりに頷いて見せた。
「ですが実際、あの御方がいらして以来は、美弥が飢神の襲撃を受けることは、格段に少なくなったそうですよ」
真偽のほどは分かりませんが、ありがたいことです。
舞台の方へ両手を合わせる阿由利に、香流は困惑して舞台へと目をやった。
「国主様と明命様にお目にかかれるとは、ありがたいことだなぁ」
香流の横で、民衆の一人が横の男に声をかける。
「わしらのような一介の町人は、そうそうお目にかかれぬものなぁ」
男が答えて、辺りの者が会話に興じだす。
「だが、あれだ。 名のある業人となれば、城に招かれるのだろう?」
「ああ、『真人』になった業人か」
「それだ、それ」
「で、招かれた者たちは国主様に認められ、一生城の中で技を磨き、よい暮らしをさせてもらえるんだろう」
「そうらしいなぁ」
「うらやましいものだ。 わしも一度でいいから城に招かれてみたいよ」
「一体城の暮らしは、どのようなものだろうなぁ」
「香流様!」
「! は、はい」
会話に聞き入っていた香流は、名を呼ばれてはっと我に返った。
さっと横へ視線を落とせば、阿由利が唇を尖らせてこちらを睨んでいる。
「もう、さっきから呼んでいたのですよ。 どうしたんですか?」
頬を膨らましたまま、顔を覗き込んでくる阿由利。
なんでもない。
そう返そうとして、
ブオオオ――――ン
遠くで、大きな法螺笛の音が聞こえた。
「あ、法螺笛……」
「あら、行列が始るのですよ。 もう昼過ぎですからね」
そろそろ私もおなかが空きました、と歩みだす阿由利に押されて、香流は人波を離れる。
家屋の合間へ入る一瞬、香流は舞台の人影をもう一度目に収めた。
その一瞬。
なぜか、件の法師と目が合ったような気がして、息を止める。
「(なんだ? こちらを見て……)」
考えたと同時、視界は壁に遮られ、香流は疑問を残したまま路地へと体を滑り込ませた。
路地には人が少なかった。
見世物と露店に人が集まるために、人が捌けているのだ。
先を進む阿由利を追いかけ、香流は疑問を投げかける。
「阿由利殿、これはどこへ向かっているのですか?」
「この先に、侍女の間で有名な、食事処があるのです。 一度も連れて行ってもらったことがないので、折角ですから今日、入ってみようかと思いまして」
通りに面しているので、そこの二階からは行列も見物できますよ。
そう言って鼻歌でも歌いそうな阿由利を追いかけ、香流はきょろきょろと辺りを見回した。
辺りはどうも職人町らしく、いくつもの格子窓から、作業場のような内部がうかがい知れた。
「この通りの二つ先にあるらしいのですが……」
そう、阿由利が言った時だった。
「っ、」
目に飛び込んできた光景に、足が止まる。
小さな明り取りの格子窓。
鍛冶場らしき室内には、一人の男。
火の入った窯の前で蹲った男の手は――――
「誰だ!?」
振り返った男が叫ぶ。
目が合った。
怯えた目。
見られた、と慄いている。
それよりも、その手に目が吸い寄せられた。
「香流様?」
訝し気に戻ってきた阿由利が、香流に呼びかける。
目が離せない。
同じように、阿由利が鍛冶場を覗き込む。
息を飲んだ気配。
男の手を、二人が見つめる。
その手は。
男がもう片方で押さえている手は。
――――全体が文字通り霞を吹いて、ぼんやりと薄らいでいた。
あれは、
「練霞!」
阿由利の驚愕する声が響いた。




