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比翼の花嫁  作者: 壺天
21/79

幕間

 美弥国主のおわす城は、その造りに渡来の知恵が存分に盛り込まれているのが特徴だった。

 特に謁見の間は太い円柱が立ち並び、高い天井が絢爛豪華な絵を抱いて、入ってきた者を威圧的に迎える。

 そして並んだ柱の奥。

 御簾みすで囲われた一段高いところに、この国の主はいた。


「以上をもって、御挨拶とさせていただきたく存じます」


 御簾向こうの顔の見えない国主へ、祭りの挨拶と狩司衆行列開始の報告をした銀正は、畳の上に深く額を垂れる。

 そしてしばらくののち、


「頭をあげよ、右治代の」


 国主ではない声が、姿勢を許す。

 それに小さく眉をしかめ、銀正は背を正した。

 声は、国主と同じく御簾の向こうから聞こえた。

 本来そこは、余程の例外でない限り、同席など許されない場所だ。

 御簾には、二つの影があった。

 中央に座す一つは国主。

 もう一つは、上等な帽子と袈裟を纏った、法師らしき者だった。


「話は聞き届けたぞ、右治代よ。 国主様も、この日の祭りを大変楽しみしておられる。 其の方らの行列もだ。 ご期待に恥じぬよう、よう励めよ」


「……勿体ないお言葉です、明命みょうめい様」


 再び下げた頭の下で、銀正は奥歯を噛む。

 名前を呼ぶことすらいとわしいあの法師に、諾々と従わねばならない己が、ひどく無様だった。

 御簾の向こうで()()がどんな顔をしているのかと想像するだけで、はらわたを引き裂かれるような思いに駆られる。

 しかし、自分は耐えねばならない。

 己の無力と罪業のために。

 それでも最後に手の内に残った、守らねばならないもののために。

 ()()()への償いのために。






 全てがあの日から変わってしまったと、銀正は思う。

 幼い頃、寺で何も知らず日々を過ごしていた日々。

 あの方に出会い、狩士としての薫陶を受けていた頃。

 それが唐突に終わりを迎えた日。

 この法師――――明命が自分の前に現れた日から、銀正は何もかもを失い、矜持も心もすべて差し出して、ただ最後の一線を守るために生きていた。

 一年前。

 急死した兄の後釜として当主に収まれと命じられたときも、この国を守るためだと、すべてを飲みこんだ。

 全てを腹の中で殺して、あの法師に飼い殺されることを選んだ。

 それがおぞましい犠牲を払う選択だとしても、無力な自分にはそれしか選べないと、あの方が育ててくれた狩士としての尊厳に自ら土を塗った。

 その無様を、あの法師の目は、愉悦に満ちて眺めていた。

 あの目を、決して銀正は忘れない。






「明命様、この度の祭りは我ら美弥狩司衆の腕の見せ所! どうぞ、存分にお楽しみくださいませ」


「必ずや、お望み通りの務めを果たして見せます!」


「ですからどうか、今後ともこの国を、」


「我らを、飢神の脅威からお守り下さい!」


「明命様!」


「明命様!」


 銀正の背後に控えた狩司衆の上格たちが、口々に明命への懇願を口にする。

 ()()()()()()()()()()()、己が命のために身も世もなく狂っている。

 あの宴の晩に、娘――――香流を弄ぼうと、酒に狂っていたように。

 銀正は目を閉じ、心を殺して、その様を遠ざけた。

 それでも、ただ自分を見つめる狂喜の目からは逃れられない。

 見開いた視界に、御簾向こうの明命の視線を感じる。

 その手のうちに繋いだ、虫けらのように他愛ない男の無様を、じいっと眺めている。


「右治代よ」


 背後の男たちを無視して、歪み切った喜びが滲む声が、銀正を呼ぶ。

 返事の代わりに小さく頭を下げれば、明命はにんまりと口元を歪めた。


「分かっているだろうが、今日の行列は祭りの盛り上がり所だ。 民草にお前たちの力を見せつけておくためにも、必ず段取り通り事を運べ」


「……はい」


「お前たちの力を示すことは、民草の信奉を得るに必須だ。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、一気に不信が広がる。 その時は、わしも()()()()を選ばねばならぬ」


「……はい」


「忘れるな。 お前たち、いや、お前の立ち振る舞いに、()()()()()()()()()()()()()のだということを」


 銀正にすべての責があると言うその実、実際にこの国の命運を握っている存在は、加虐の笑みで懇々と告げる。

 従順に応じる銀正に、明命の嗜虐心がうぞめくのが分かった。

 法師が持つにはあまりにも上等な扇を開き、明命は下卑た声を銀正に吹きかける。



()()()()()()、右治代よ」



 言葉に、目の前が、白く焼けた。


 気が狂いそうな苦痛が、激情と共に銀正へ迫りくる。

 これまで何度も、何度も。

 祈るように願った望みが、耳の奥で己にささやく。



『切れ。 切ってしまえ、あの諸悪の根源を。 そうすれば、全て終わる』



 手が、刀に伸びんと指先を震わせる。

 しかし、そのつかを握る前に、明命は告げた。




「そうだ、忘れていた」


「お主が外からもらった娘」


「いずれ、央の国から迎えたお前の嫁にも、顔を合わせねばなぁ」




 身を焼いていた火が、一瞬で覚めた。


 白く焼けていた目の奥に、黒の髪が揺れる。

 その髪が流れる、美しい背が去来する。

 帰らないと断じた、強い瞳が、銀正を見ている。

 信じてくれと笑った顔。

 香流という、あの娘。

 自分の、許嫁。

 あの方と同じ言葉をくれた人。


「(だめだ)」


 瞬間、冷静な声が銀正の意識を縛った。

 駄目だ。

 近づかせてはいけない。

 あの人を、ここに近づかせてはいけない。

 この国の中枢――――美弥の一番暗いところ。

 決して、近づかせない。

 あの人ばかりは…………今度こそは、守らなければ。


「恐れながら」


 無意識のうちに、口が言葉を走らせていた。

 突然鋭い声を上げた銀正に、上格たちがびくりと肩を震わせる。

 銀正は深く深く額を下げ、すっと息を吸った。



「私の許嫁である娘は決してこの国に馴染まず、家を出ることすら拒んでおります。 自らの出自を鼻にかけ、右治代を……美弥を軽んじる、傲慢な娘です。 きっとお引き合わせしても、明命様を御不快にさせるだけでしょう」



 銀正という男は、嘘に馴染まない人間だ。

 それでも口は、ただ香流をここから遠ざけるため、淡々と偽りを塗り重ねた。

 あの鮮烈な姿を明命から隠すように、黒く塗りつぶした。


「愚かで、価値のない娘です。 いずれ、私の方から破談を申し出るやもしれません」


 だから、会う必要などない。

 会わせない。

 ここには来させない。

 言外に、そう断じた。

 そんな銀正の偽りをどう思ったのか、明命はじっと黙していたかと思うと、フンと鼻を鳴らした。


「まぁ、よいわ。 どうせ、中央がうるさいのを黙らせるために引き取った娘だ。 家から出て来ぬなら、それに越したことはない」


 急速に興味が失せたというような様子で、明命は銀正に下がれと命じた。

 本来なら国主が命じるものを、我が物顔で肩代わりする異常。

 それにもすでに慣れきっていた銀正は、何も言わずに頭を下げて立ち上がった。

 上格たちの横を通り過ぎ、簾で区切られた部屋を出ると、背後でわっと声が上がる。

 上格たちが、明命に取り入ろうとする耳障りな声だ。

 ()()()()()()()()()あの法師にすがろうと、我先にこびを売っているのだ。


 すでに美弥狩司衆上層部は、銀正以外、明命の手の内。


 銀正の配下であるはずの年嵩の男たちは、誰一人銀正の言葉など聞かない。

 味方でもない。

 決して誰も頼れない。

 背に纏わりつく現実に両の手を握りしめ、銀正は顔を上げた。

 すると。


「……母上」


 立っている廊下の先に、数日前から城へ招かれていたはずの弓鶴がいた。

 弓鶴は、銀正を見ていなかった。

 こちらを見てはいるのだ。

 だがその目は決して銀正を捉えず、玻璃はりのように息子を映しているだけ。


「母上」


 銀正は再び母を呼ぶ。

 しかし、弓鶴は何も答えぬまま、打掛を翻して謁見の間へと入って行ってしまった。


「母上っ」


 強く呼ばわっても、その背中が振り向くことはない。

 謁見の間を横切った母が、国主の御簾の中へと入りこむ。

 国主の正室でもない女が、御簾の内に入る。

 弓鶴は明命にかしずくと、親し気にその肩へ寄り添った。

 そうして睦言を囁くようにその耳へ唇を寄せ、雅やかな笑い声をあげる。


 最早、何もかもが狂っていた。


 銀正はすべてから目を背け、声を振り切るような速さで廊下を進んだ。

 遠のく闇を背で感じながら、ぎゅうと目をつむった。

 そして、思った。



 私には、()()()()()()()()()、と。


 それまでは、必ずこの国を守り通して見せる、と。


 だから、どうか。


 どうかと、願った。


 遠い記憶の彼方。

 幼い自分を導いてくれた人に、願っていた。


「(どうか、この国を救う日を。 私を断罪するものを、お導きください。 ――様)」


 そして、あの娘を、この国から守ってほしい。

 あなたと同じ言葉をくれた、あの真っ直ぐで鮮烈な娘を。



 闇を振り払うように廊下を進み、配下が控えている間まで来た時だった。

 前から、若い狩士が近づいてきた。

 確か、十雪という若手だ。

 以前の狩りで、飢神に喰われそうになったところを助けた。

 十雪は慌ただしくやってくると、銀正の前で立ち止まってわたわたと頭を下げた。


「すすす、頭狩様! お忙しいところ申し訳ありませんっ! 急ぎお知らせしたいことがありまして」


「……よい、どうした」


 汗をかいて肩を上下させる十雪をなだめ、銀正は用向きをたずねる。

 十雪は「はい」と大声で答えると、そっと身をかがめて、小さな声で知らせを呟いた。

 ぼそぼそと零れる声に、銀正は瞬間瞠目する。

 そして常にはなく狼狽うろたえた様子で、驚嘆を口走っていた。



「下に来ているのか、あの人が?!」

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