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比翼の花嫁  作者: 壺天
14/79

十二

「では、二つ目をお聞きしてもよろしいですか?」


 さらりと流れを変えて香流が問いかけると、銀正は「あ、ああ」とその顔を困惑の色に染めた。

 こちらの切り替えの早さに面食らったようだが、構わず懐に忍ばせていたものを取り出してみせる。

「これですが、」とその紙束を振って見せれば、銀正が顔色を変えた。

 紙束は、銀正が選別した不要物の一つだった。

 書きつけてある手は、おそらく青年当人のものだろう。

 そして問題は、その内容だ。


「これは、飢神に関する書類ですね。 御当主は不要物に分けたようですが、おそらくこれらは、間違って紛れ込んだのでは?」


 束の内の一つ、公文書にのみ押される朱印を示して、確認を取る。

 銀正は白い顔を青ざめさせると、束に向かって手を伸ばしてきた。


「か、返してくれ。 それは、保管しておかなければならない大切なものだ」


 銀正が紙を掴んだと同時、香流もすんなりと束から手を離す。

 元より返すつもりであったから、惜しげもない。

 書類を確認した銀正はほっと息をつくと、難しい顔をして香流に目を寄越してきた。


「まさかとは思うが、あなた、これらが読めたのか?」


 私塾や寺子屋が各国に開かれるようになったこの時代、文字を理解できる者は平民にも多い。

 だがそれは、この嘉元国で通用する言語に限った話だ。

 銀正が隠した書面を見遣った香流は、「まさか」と首を振った。


「おそらくそれは、飢神に関する内容でしょう。 『狩人文字かりともじ』など、私には読めませんよ」



 『狩人文字』。

 それは狩司衆に属する者だけに伝承される特殊な文字だ。

 業人の練を捕食する飢神たちは、その血肉を食らう過程で、畜生のように無能な状態から、人と同様な知能を持つものに成長する。

 成長に伴い力も増して危険度が上がるため、狩司衆ではこういった飢神を階級付けして、最低級を『丁』。

 『丙』『乙』と続いて、最上級を『甲』と呼称する。

 丁種は生まれたて。

 人に害成すこともほぼない。

 丙種は香流が美弥への旅路で遭遇したような、野犬や狼、そういった獣と大差のない個体。

 乙種は『妖型』とも呼ばれ、多少知恵がついてくる。

 そして、問題なのは甲種。

 ここまでくれば人の言葉も見事に操り、策略を弄して狩司衆を苦しめる。


 そこで古くに考案されたのが、狩人文字なのである。


 まかり間違って狩司衆の秘匿事項が民衆や飢神に漏れれば、狩りに支障が出る。

 それを防ぐため、重要な内容のやり取りは、狩人文字を用いて行われるのだ。


 香流が拾っていた書類も、この国で流布している言語とは違うものが書かれていた。

 それを知らぬ者に、読めるわけがないのである。


「飢神の絵図と、見慣れない文字から、狩人文字であろうと推察して拾っただけです。 狩司衆の家の出とはいえ、私の学が足りないのは、釣書でご存じでしょう」


 おそらくこの庵は、銀正の仕事部屋なのだろう。

 あれほど荒れ果てるまで人を寄せ付けなかったのも、重要な資料を抱え込んでいたから。

 そこまで読み取っていたが、余計なことは口にせず、香流は二つ目をたずねた。


「僭越ながら、御当主は仕事を抱え込みすぎているのではありませんか? あの紙の山は、全て飢神狩りについてのものでしょう」


 そう言うと、銀正はぐっと詰まった。

 それが答えだ。

 香流はすいと目をすがめた。


 本来頭狩(すかり)(狩司衆の頭目)がこなさなければならない書類仕事は、直属の部下が手伝って仕上げるものだ。

 だがあの庵の様子から、この部屋に銀正以外の人間が立ち入っている気配はない。

 おそらくこの青年は、広い国領から上がってくる仕事のほとんど全てを、自分の中に抱え込んでいるのだろう。

 そんなことは異常だ。

 銀正はまだ香流を疑っている様子だったが、そっと視線をさ迷わせると、諦めた様に遠くを見た。


「……これでも当主だ。 仕事が多いのは当然だ。 あなたが気にすることではない」


 切り捨てるような答えに、「お言葉ですが、」と香流は声を張った。


「何もかもを抱え込むのが、頭狩のあり様ではありません。 人に頼まぬということは、人を信じておらぬと言うこと。 差し出がましいことを申します」


 一拍溜めて体を向けると、香流は切り込む。


「御当主は、信じる者がないのですか? すべてを抱え込まねばならぬほど、」


 お一人なのですか?

 

 答えは、すぐにはなかった。

 虚を突かれたように瞠目した目は固まり、苦悩に揺れ、そして再び落とされた。


「あなたはこんな難しい話に、逃げ場のない問いかけ方をするのだな」


 静かな、ともすれば弱弱しくもあるような声が、自嘲とともに消える。


「とても大切なことだからです。 御当主が何もかも抱え込まれて、いつか限界を迎えてしまう。 それは私も本意ではありません」


 香流の言葉に、沈んだ気配は、また苦し気に笑ったようだった。


「釣書の、」


 小さい呟きに、香流は首を捻る。

 釣書?

 それがどうしたのだろうと考えていると、銀正は湯呑をあおってつづけた。


「来歴にも書いてあっただろう。 私には、()()()()。 病がちな人ではあったが、父が亡くなってからはその兄がこの家の当主で、美弥狩司衆の頭目だった」


 そのことは、香流も知っていた。

 子供は男が二人だった右治代は、当然長子が家と狩司衆の役目を継いだ。

 そして一方の銀正は、一年前、


「一年前、兄が病で儚くなるまで、私は寺に預けられたままの()()()()()()()()()()()()。 それが兄亡きあと、急遽当主としてこの立場に収まり、頭狩の役目をいただいたに過ぎない」


 そんな歴の浅い若造に、信を寄せてくれるものなど少ない。

 人に頼ることを望むなど、身に余ることだ。

 それに、


「この家にとって…… この美弥には、私など、」


 言いかけた言葉の先は、香流にも分からなかった。

 ただ、琥珀の目がひどく苦しみに満ちていることだけは読み取れて、つい、


「!」


 痛々しい傷のある頬へ伸ばしそうになった手を、直前でぎゅっと握る。

 銀正は呆気にとられた様子で、その手を見ていた。

 婚約中の身の上とはいえ、婚前の男女がみだりに触れ合うものではない。

 母や苑枝が見ていれば、「まぁ!」と憤慨しそうだと思いながら、香流は身を引いた。

 そして少し考えて、縁側の上にそっと姿勢を正した。


「御当主、私は他所よそから来たものです。 あなたにとっては知り合って日も浅い、浅学なただの小娘です」


 手をついて、銀正を真っ直ぐ見る。

 どうか、しかと届くようにと、声に力を込めた。


「ですが、言わせてください。 信頼してくれとは言いません。御当主が耳を傾けようと思った分だけでいいんです。 聞いてください」




「信頼する者を作って下さい。 多くと、思わなくてもよいのです。 少しでいい、背を預けられる者を作ってください。 頭領とは、えてして孤独なものです。 ですが、戦いに赴くのなら、背を預けられる誰かも必要です」




 自分などと、諦めたように言った言葉。

 そんな諦観に、我が身を明け渡さないでほしい。

 頭領たるあなたには、()()()()()()()()()()()()()


 そして、そんなあなたに、私はつかわされたのだ。



「いつかお伝えせねばと思うておりました。 私は、央の国の上役方から、御当主にお伝えする文言を預かっております」


「!!」



 間者としての役目、そしてもう一つ。

 香流には、伝送の任が課せられていた。



「『比肩ひけんを得よ。』 非公式ですが、五老格方のお達しです」




 *




 狩司衆の戦には、いくつか決まりごとがある。

 そのうちの一つが、『狩司衆に属する者は、二人一対の形で動くこと』というもの。

 これは、飢神の生態による。

 階級によって変化するのだが、丙種以上の飢神はすべて、『殻』と呼ばれる器官を持つ。

 殻は階が上がるごとに増え、丙種の持つものは『牙』、乙種は牙に足して『爪』、甲種は先の二つともう一つ、『角』と呼称される殻が発生する。

 殻には、それぞれ役割がある。

 角は甲種のみが持つが、これは最上位の個体だけが扱える『異能』の発生源である。

 爪は乙種以上に見られる、攻撃に特化した個体ごとに形状の異なる部分。

 そして牙はその名の通り、得物を捕食する歯。


 一方で、もう一つ役割がある。


 飢神には人でいう心臓のような臓器――――『灯臓』と呼ばれる核があるが、奴らはこれをつぶさない限り、何度でも再生する。

 牙はその重要な機関である灯臓を守るための、防御壁でもあるのだ。

 しかもこの牙は、落としてもすぐ生えそろう。

 そのため、丙級以上の飢神狩りでは、一人が牙を落とすかこじ開ける役目を担い、一人が確実に灯臓を狙う手筈で臨む。

 余程熟練した狩士でない限り、一人で丙種以上には挑まぬよう禁令があるし、そんな練者でも、甲種(あるいは乙種)に一人で挑むことはない。


 狩士たるもの、狩場においては二人一対。

 これが鉄則。

 そして狩場にて、ともに立つ相方を、狩士たちはこう呼ぶ。


 己の『比肩』と。





 *





「五老格様が……?」


 銀正が呟くのに、香流は肯首する。

 老格の話の通りなら、この若い当主にはまだ、比肩となる者はいない。

 普通、狩司衆で実戦の任に着くまでに成長していれば、上からの采配で、必ず比肩を得るものだ、

 しかし銀正は、二十歳を超えるまで狩司衆に属した経歴もなく、当主となって日も浅い。

 戦場に出ることはあっても、未だ比肩を選出していない異例なのだ。

 そんな若い身空を憂い、五老格は比肩を得ることを銀正に望んでいる。

 各国の狩司衆頭目は、己が望んだ相手を比肩とすることができる。

 それをしないまま、一年も隣を空席にしているということは、銀正自身が比肩を決める気がないということだ。

 案の定、青年は苦い顔で首を振った。


「駄目だ…… いくら五老格のお達しとはいえ、この話は受けられない。 私はまだこの役目について浅い。 狩士としても、実力が伴っておらぬ。 そんな身の上で比肩を得ようなど、あまりに身に過ぎている」


 おそらくそんな理由だろうと思っていた通りのことを言い、銀正は目をらす。


 確かに、比肩は狩士にとって、己の命を預ける片割れだ。

 頭狩とは言え、歴も浅く、実績も少ない者に選ばれることを、狩士は敬遠するだろう。

 だからといって、いつまでも比肩を得ることがないのは外聞が悪いものだ。

 それに、役目を果たす上で、比肩の存在は銀正の身の安全を図る意味もある。


 人に遠慮するばかりに比肩を願うことができないなら、それは狩士としても、頭領としても、未熟だ。


 香流は握りしめた拳を座した足の上に据えると、背を張って銀正に正面から向き合った。


「それはいけません、御当主。 そんなように己を卑下しているようでは、一団の長として、正しく配下を導くことなどできない」


「っ、」


 琥珀の目が、痛いところを突かれたと大きくなる。

 澄んだ瞳の中に、挑むような顔の己がいる。

 この時世、高々嫁に入っただけの娘が、男の勤めに口出しするものではない。

 しかし、言うべきことは、言うべき時に伝えねば。

 里の母の豪気を胸に、香流は言葉を走らせる。


「例え兄君の後釜として役目に着いたのだとしても、それはそれ。 闇雲に後ろめたさを感じ、教えを乞うべき先達に遠慮して距離をとったところで、なんになります」


 夢に見た、幼い頃を思いだす。

 できない自分を諦めて、香流から離れていった里の子たち。

 銀正も、同じようなものだ。

 諦観に身を沈めて、すべてから距離を取る。

 今の香流は、あの頃のようにそれを卑怯だとも思わないし、おもんぱかることだってできるけれど。

 でも今のこの人には、引き留める言葉が必要だ。


「劣っているなら、努めればいいのです。 例え実力がついてこなくても、あなたが上へ行こうと思いすらしなければ、何事も始まらない」



「人を遠ざけないでください。 手を取ってくれる者などないと、頭から決めつけないで。 少なくとも私は、」




「あなたが一人になることなど、望まない」


「!」




 風がそよぐ。

 髪筋が遊ぶ。

 香流の結い上げた黒と、銀正のうなじを流れる白が、共に日に光る。

 驚きに揺れる琥珀の目を、逸らすことなく見つめる。

 そこにどうか、降り積もるものがあってほしいと、傲慢なことを願いながら。

 そうして長い沈黙ののち。

 あまりにも反応がないのをいぶかしんだ香流が「御当主?」と呼びかけると、銀正ははっと我に返った様子で、口元を押さえた。


「申し訳ありません、出過ぎたことを申しました」


「あ、いや、」


 今更になって己の不躾を詫びると、銀正は狼狽えたように香流が頭を下げるのを押しとどめる。

 あまりに自分がずけずけと発言したため、その傍若無人ぶりに茫然としていたのかと思ったが……

 香流が首をかしげると、青年は夢から覚めたような顔で、言った。


「すまない、少し、思い出していたんだ」


 思い出していた?

 何を、と香流が問いかける前に、その目はどこか遠くへと囚われていた。


「言われたんだ。 それを、思い出していた。 あなたと同じことを、前にも……」

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