友人の伯爵夫人から私のせいで離婚されそうだと突撃されました。
何ってことだろう。
昔からの友人のアマルガ・ファンダン伯爵夫人がとある日唐突に家に押しかけてきた。
「シルヴィ! シルヴァーナ! 出ていらっしゃい!」
馬車から降りるが早く、淑女にはあり得ない様子で、スカートを鷲づかみにするや、走って庭を走り渡り、玄関で大声を張り上げる。
奥様、と慌てた執事がやってきて知らせてきたので私も刺繍の手を止めた。
そして階下へと早足で向かった。
階段を下りながらも、彼女の様子のおかしさは、露骨に感じられた。
「まあアマルガ、どうしたの! あらあら帽子も取れかかって。ピンは何処に落ちたのかしら」
そう言って手を伸ばすと。
「触らないで!」
ぴしゃ、と彼女は強くはねのけた。
唖然としていると彼女は思い詰めた表情で言う。
「貴女がそんな―― 卑怯なひとだったとは思ってもいなかったわ!」
「ちょっと待ってアマルガ、私が一体何をしたって言うの」
あんまり大声を立てるので、使用人達がそっと物陰から見ている。
ああこれでまた色々と彼等は詮索するだろう。
私はともかく彼女の腕を両側から押さえた。
振りほどかれても構わない。ともかく場所を変えようと。
だが彼女はひたすらばたばたともがき離れようとしつつ、こう続けた。
「しらばっくれても駄目よ! 夫が! あのひと、貴女のことをずっと好きだったし、心が通じ合っているって言うの! それで、……それで、あのひと、私と離婚してあなたと結婚したいって言うのよ!」
はあ?
私は目を見開き、直後顔をしかめた。
それはそうだ。
私は彼女の夫であるブロンズ・ファンダン伯爵に一度たりとも会ったことがないのだ。
*
ともかく一旦彼女を客室に連れていき、気持ちが静まるお茶を出すように指示した。
そして夫が戻ってくるのを待った。
夫は今日は貴族院の議会の関係で遅くなる。
やはり議員の一人であるファンダン伯爵もそうだろう。
「お食事を持っていってね」
家政婦のニッケル夫人にはそう伝えておいた。
そして他の使用人に、お喋りは家の中だけにしておくこと、と。
やがて夫が帰ってきた。
既に従者の方から、何があったのかは手紙にして伝えさせてある。
「全くもって何があったって言うんだ」
「それが全くもって判らないのよ。そもそもファンダン伯爵は社交界の方でもパーティ嫌いで有名じゃない。私に一体いつ会うっていうの?」
「うん、そうだね。それに君は今子供の方で手一杯だし。と言っても向こうの夫人もお子さんが」
「ええ、それなのに、ということでもう逆立っちゃって……」
やれやれ、と私達はため息をついた。
面倒なことに巻き込まれたと思った。
*
翌日。
議会から戻ってきたファンダン伯爵は、何だかんだで泊まらせた妻を迎えにやってきた。
夫は伯爵――ブロンズ氏を迎えると、私とアマルガ、それにうちの顧問弁護士の待ち構えている客間へと案内した。
「アマルガどうしたんだい! 僕はずいぶんと心配していたんだよ! ああ…… 目の下に隈まで作って」
「訳がわからないわ貴方。ともかくこちらに座って頂戴」
卓をはさんでこちら側に私と夫、対面にファンダン夫妻、そして斜め向こうに弁護士のソルト氏が着席した。
第三者がやはり必要だろう、ということで夫が呼び寄せたのだ。
そこでまとまらない場合には、また必要な人物をすぐに手配できる様に準備はしてある。
ソルト氏は早速始めた。
「さて、ファンダン伯爵ブロンズ氏、貴方は何でも、奥様に離婚を切り出したとか」
「はい」
にこやかに彼はうなづいた。
「それはまた、何故ですか?」
「私とこのシルヴァーナさんとは五年間の付き合いがありまして。このたび、ようやく結婚の気持ちが固まりましたので、今の妻には申し訳ないのですが、離婚を切り出した次第です」
そして彼は本当に晴れやかな表情で私の方を向いた。
「今まで本当にごめんね。ずっと待たせてしまったよ。でもこれからは大丈夫、幸せになろう」
私は全身の毛がそそけ立つかと思った。
冗談じゃない。
五年? このひとに会ったのは今日が初めてだ。何を言ってるんだ。
罵倒してやりたい気持ちに一気に襲われた。
だがその一方で、怖くて怖くてたまらなくなった。
私は思わず横の夫の腕にすがりついた。
すると夫はおもむろにこう切り出した。
「妻はこの五年というもの、妊娠出産子育て手一杯ですし、時には身体を少し壊したりしました。とても不倫などしている暇など無かったと思います」
夫は静かに、だがしっかりとした口調で話す。
「妻もこんなに怯えています。とてもそんな長い間不倫をしていたとは思えません。奥様も妻とは友達なのでしょう?」
「ええ、でも……! 離婚まで切り出すんだから、不倫していたんでしょう? 友達の顔して、私をあざ笑っていたんでしょう?」
「……やめてアマルガ、そんなこと言われるなんて悲しい。私本当に貴女の旦那さんには一度たりとも会ったことも無いのよ! 手紙すらもらったことないわ」
そう。アマルガは何だかんだ言って私の昔からの友人なのだ。この五年の私の様子も知っている。
「あー、おほん。それでは伯爵、彼方の奥方は手紙すらもらっていないとおっしゃる。それでどうやって連絡やお付き合いを続けてきたと?」
「そんな、手紙なんて必要ないよ。だって僕等は心と心で会話ができるのだもの」
場が一瞬にして、凍った。彼は続けた。
「前世でも僕等は恋人同士だったんだ。そう、五年前、君とすれちがった時、僕はそれを思い出し、君に心で呼びかけた。そうしたら答えてくれたじゃないか。もういいんだよ。僕は心を決めたんだ。そんな、怖がっている素振りなどやめて」
相変わらずにこにこと貼り付いた様な笑顔を浮かべ、私に手を差しだしてくる。
私は思わず悲鳴を上げて、そのまま夫の腕の中に倒れ込み、気を失ってしまった。
*
気がついた時には、夫とアマルガの不安そうな顔が見えた。アマルガは私を抱きしめるとわんわんと泣き出した。
「ああごめんなさいごめんなさい。あのひとに、あんなことが本当に起こるなんて……」
身体を起こし、気付けの葡萄酒をもらいながら、夫とソルト氏は私が気を失っている間のことを話した。
まず、ブロンズ氏は母方の親戚を呼び寄せて、やや力づくで引き取ってもらった。そして医師の診察を受けることとなったようだった。
「少なくとも、しばらくは母方の親戚の別邸の方に送るらしい。遠いところだから、君のところにやってくることはないはずだよ」
「それはいいけど……五年前に私、すれ違ったことでもあったのかしら」
「たぶん」
ふう、とアマルガはため息をついた。
「あのひとは滅多に社交界に出ないでしょう? だけど五年前、貴女が私に子供ができたとそっと言ってくれた時、あの時だけはたまたま彼、パーティに来ていたのよ」
本当に偶然だったらしい。
「それで、これから貴女はどうするの?」
彼女にも子供が居る。
「夫に病名がついたなら、伯爵家は息子に継がせることになるだろうから…… 私は息子を守っていかなくてはね」
これから大変だ、と私も夫もうなずいた。
うなずくしかできなかった。