そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.5 < chapter.7 >
タケミカヅチのすぐ目の前で、貴雅は呼びかけを続けていた。
けれども起きる気配はない。意識を失って両目を閉ざしたタケミカヅチは、まるでよくできた人形かマネキンのように静止している。
「神様ぁ~! 起きて~! 起きてってば~! ……う~ん? こいつ、マジで全然起きねえな……」
目覚めない神に、貴雅は慎重に近付いていく。
一歩、また一歩と距離を詰めていっても、黒牡丹は動かなかった。これまでも、この植物は貴雅に対して何の反応も示していない。ソラマチにいる一般人に対する反応と全く同じである。
「……これ、何なんだよ……?」
手近にある花を指先でつついてみるが、それでも反応はない。
フツヌシ、将門、犬神、天邪鬼に対しては攻撃するのに、なぜ自分と一般人は攻撃されないのか。彼らと自分たちの違いは何か。貴雅は必死に考えてみるが、違いがあるとすれば、たった一つしか考えられなかった。
貴雅は一切の武器を携帯していない。
彼は能力特性上、手持ちの武器が必要ないのである。だから丸腰でこの場に現れたのだが、本当にそれだけの理由だろうか。
貴雅はさらに接近し、タケミカヅチの身体に触れた。
しかし、それでも何も起こらない。
黒牡丹に攻撃されることも無いし、タケミカヅチ本人が突然目覚めて動き出すことも無かった。
「……ラスボスが動かないんじゃ、どうやって攻略したらいいか分かんねえな……?」
どうせ何も起こらないのであればと、あちこちベタベタと触りまくる貴雅。腕、胸、腹、脚、首や髪、果ては股間や尻までも触るのだが、それでもタケミカヅチは目を覚まさなかった。
「……へぇ~。カミサマって、ちゃんとチンチンついてんのか……」
小学二年生の行動と発言は、戦闘中の神々にしっかり見聞きされていた。あまりにも遠慮のない行動に、たまりかねた大雷が声を上げる。
「こ、これ! そこの子供よ! 鹿島の大神に対し、なんと無礼な……!」
「ん?」
唐突に聞こえた念話に、貴雅はあたりを見回し、小首をかしげて返答する。
「いや、無礼っていうかさ。夏休み前に、消防署の人が学校に来て教えてくれたんだよ。意識の無い人がいたら、息してるか、心臓が動いてるか確認しろって。あと、怪我とかしてないか、触って確かめたほうが良いって」
「タケミカヅチ様は霊体なのですよ!? 其方は霊力があるから、触れることもできるのでしょうけれど……」
「え? こいつ霊体じゃなくね?」
「こいつとは何です! タケミカヅチ様を指差すとは……って、え? 霊体ではない?」
「うん。実体、あるっぽいよ?」
「そんな馬鹿な話が……今日は『器』も使われていないのに……」
「よく分かんねえけど、心臓動いてないっぽいし、ちょっと待っててよ」
「ま、待ちなさい! どこへ行くのです!?」
貴雅はこの問いに答えず、さっさとその場を立ち去ってしまった。
そして二分後、タケミカヅチの前に戻ってきた彼は、その手にAEDを抱えていた。
この時、神々はまだ黒コウモリと交戦中であった。彼がやろうとしていることが分かっていても、この場に駆けつけて止めることはできない。
貴雅はAEDのケースを開け、小学校の救命講習会で見た通りの手順で、タケミカヅチの胸に電極を貼り付ける。するとなんと、AEDはタケミカヅチを『心停止状態の人間』と判断し、電気ショックを開始したのだ。
幾度か繰り返された電気ショック。
その都度、弾かれるように動くタケミカヅチの身体。
まさかと思って様子を窺う神々の前で、タケミカヅチはゆっくりと目を開けた。そして──。
「……離れろ、人の子よ。この花は……っ!」
その言葉は、急成長する枝葉のさざめきにかき消される。
タケミカヅチと貴雅はどこへ逃げることもできぬまま、黒牡丹に覆い尽くされ、真っ黒な枝葉の内側に閉じ込められてしまった。
フツヌシたちが黒コウモリの浄化を終えたのは、それから十数分後のことである。
その間、不気味に蠢く黒い植物は、徐々にその繁殖域を広げていた。今はスカイツリーやソラマチの敷地から三百メートルほどの範囲にまで根を這わせている。人間に害を為すことは無いようだが、正体が分からない以上、放置することはできない。
だが、しかし──。
「おい、バ香取。この黒いの、『禊の雨』でも枯れねえっておかしくねえか?」
大雷は人間たちの言霊の力を得て、改めて『禊の雨』を降らせている。それに加え、黒コウモリとの戦闘中、幾度も黒牡丹に稲妻を落としていた。だが、それでも黒牡丹は成長を続けた。神々の後光にも清めの雨にも、何の反応も示していない。
これは通常の動植物と同様の反応である。神の光や禊の雨に当てられても、通常の生物であれば一切のダメージを負うことはない。穢れや闇と呼ばれる負の属性を持つ者だけが神の力に清められ、あるべき姿へと戻されるのだ。
それなのに、この異様な植物に変化はない。
まるでこれが、この姿こそが、『正しい姿』であるとでもいうように。
フツヌシはどこへともなく這わされていく根の先を見つめ、呟くような声で言う。
「……もしかしたら、僕たちは、とんでもない勘違いをしていたのかもしれない……」
「あ? んだよ、勘違いって」
「何も悪く無いんだよ」
「は?」
「で、誰も悪くない」
「何言ってんだ、お前」
「そもそも、だよ? 僕たちが戦っていた黒コウモリは、何が原因で発生したものだった?」
「何がって、そりゃあ、外出自粛だの、イベント中止だので溜まった鬱憤から、だろ? あと、アレか? 失業した奴らが、まだ無事な業種のやつを妬んだり? そーゆードロドロした感情から生まれたもんだろ?」
「うん。全部、新型コロナウイルスのせいで出て来ちゃった感情だよね。だったらさ、これも同じなんじゃない?」
「は?」
「これは人間の生み出した『穢れ』が、大雷ちゃんの感情に同調して生まれたモノだと思う。大雷ちゃんはね、死ぬほどタケぽんが好きなの。それこそ、何日か会えないだけで泣いちゃうくらいに。そんな純粋な気持ちと同調するとしたら、それは本当に、『負の感情』なのかな?」
「……あー……ああ、そうか。なるほど、そういうことか……」
「もしかしたら、自分が感染者かもしれない。だから離れて暮らす家族にも、仲のいい友達にも、まったく会うことができない。電話やメッセージは送り合えるけど……やっぱり、ね?」
「……生身で会うのとは、だいぶ違うもんな……」
「会いたい人だからこそ会いたくない。もしも自分が感染者だったら、あなたを危険な目に遭わせてしまうかもしれない。だから近付かないで。でも、繋がっていたい。相手も同じ気持ちであることを確かめたい。こっそり、見えないところで根を張って、大好きな人とのつながりは維持して……って、どう? なんとなく、黒牡丹の性質と一致してる気がしない?」
「納得したくねえけど納得。マジでクソ面倒くせえな、日本人。奥ゆかしいにも程があるぜ」
「ホントホント。でもまあ、今回は日本人に限った話でもないワケだし。そういう『考えすぎて病んじゃう生き物』だからこそ、僕や君みたいなカミサマが必要なんだけどさ」
「はっ! 勝手に頭数に入れるんじゃねえよ! 俺は大和神族の一員だなんて、欠片も思っちゃいねえんだからよ!」
「はいはい、分かってます。でも、今回ばかりは君のほうが適任だと思うけど?」
「あ? なんでだ?」
「会いたい人だからこそ、会いたくない。これってものすごく、天邪鬼な感情じゃない?」
「……まさか?」
「そう、そのまさか。君ならこれを攻略できる。どう? 僕の作戦、聴く?」
挑発的に笑うフツヌシに対し、天邪鬼は肩をすくめ、とぼけた顔でこう言った。
「いや~、ムリムリ! 俺、ハチャメチャにクソ弱なザコゴッドだし? 下総之国一宮の大神様からのご指名なんて、恐れ多くてチビってガクブルっすよ~!」
と、『天邪鬼』が言うのだから、自信のほどは明白だ。
やってやろうじゃねえか。
まるで一致しない言葉と言霊に、思わず吹き出すフツヌシであった。