そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.5 < chapter.6 >
タケミカヅチが感知した攻撃。それは武神フツヌシの、超高高度からの超加速パンチだった。
音速を突破する飛翔体の接近には、さすがの黒牡丹も防御網の構築が間に合わない。
「ウオラアアアァァァーッ!」
「ガッ……!?」
頭を強打し、気絶するタケミカヅチ。
すぐさま連続攻撃に持ち込もうとしたフツヌシだったが、二撃目を打ち込む直前、黒牡丹が動きを変えた。
いや、変わったのは動きだけではなく、その形状と数も──。
「うおわぁっ!? なんだコレ!?」
増殖、巨大化する黒牡丹。
フツヌシは着地したばかりの屋上から飛び降り、増殖に巻き込まれないよう退避する。
この時、タケミカヅチは意識を喪失していた。強靭な精神力で黒牡丹の暴走を抑えていた、そのタガが外れたのだ。無尽蔵に伸びる枝葉はスカイツリーに絡みつくように伸び、展望台を越えたあたりで増殖を止めた。が、足元のソラマチでは、まだまだ増殖が続いている。真っ黒な植物にすっぽりと覆い隠され、スカイツリーとその付属施設のすべてが、フサフサとした謎の塊のようになってしまった。
「これは……何がどうなって……?」
フツヌシは東武鉄道の社屋の上に立ち、植物の様子を観察する。しかし黒牡丹はどんどん増殖していくばかりで、特に何かをしているようには見えない。
植物を召喚する能力という点では、フツヌシの亀戸大根と同系である。けれどもあれは見るからに闇属性の存在だ。『神の光』を操るタケミカヅチとは相反する力であるため、フツヌシは、タケミカヅチが闇堕ちになったものと思い込んでいた。しかし、本体の意識喪失で機能停止しないということは、あれはタケミカヅチの一部では無い。タケミカヅチとは別の、独立した存在である。
「も……もしかして、タケぽん堕ちてなかった……?」
やっちまった! という表情を見せたフツヌシだったが、殴ってしまったことは取り消せない。『神の眼』でタケミカヅチが死んでいないことを確認すると、次の手を打つために、建物内部の状況を観察しはじめる。
停電で営業休止しても、外はまだ雨が降り続いている。大雨警報、竜巻警報、落雷注意情報などが発報されている最中に客を追い出すわけにもいかず、建物一階に降ろされた一般客は出入り口付近に溜まって雨が止むのを待っている。
つまり、人間たちは黒牡丹に覆われた建物の内側にいるのだ。彼らの心身に影響はないのかと、『神の眼』で一人一人の健康状態をチェックしていくのだが──。
「……え? 人間は無事……? 妊婦さんも末期がんの人も鬱病の人も……何の影響も受けてない? ってことは、マジで何なの? この植物……?」
通常、闇属性の存在は生命を蝕む特性を有す。そして自分と異なる属性の存在を見つけると、執拗に攻撃を仕掛けてくる。こと真逆の特性を持つ『神』に対しては、おそろしく苛烈な反応を見せる。黒コウモリたちがそうしたように、遮二無二突撃し、捨て身の攻撃を行うものなのだ。
人間たちは心身の健康を害されておらず、フツヌシもソラマチ屋上を飛び出してからは何の攻撃も受けていない。屋上から飛び降りる際も、線路を横切ってここまで移動する間も、フツヌシは気配を隠匿する術式を使っていなかった。天邪鬼との戦闘の様子を見る限りでは、索敵能力も追尾能力もタケミカヅチ本人と同等の水準と思われるのに、だ。
「……攻撃用の能力じゃない……とは、思えない反応速度なんだけど……?」
首を傾げていると、平将門からの念話が入った。
将門と貴雅は建物内部から屋上を目指していた。フツヌシが直上からの先制攻撃を極めたのち、隙を見て背後から襲い掛かる手筈だったのだ。不測の事態には直ちに撤退するよう指示してある。黒牡丹が増殖し始めた時点で、彼らも建物の外に飛び出したものと考えていたのだが──。
「フツヌシ様! 大変です! 貴雅が一人で突撃しました!」
「え、ちょ、マジで!? 何で止めなかったの!?」
「止めました! 止めたのですが……」
「なに?」
「『なんかイケそうな気がする』と言って聞かず、ちょっと目を離した隙に、いずこかへ……!」
「これだから男子小学生はっ!」
男子小学生特有の無敵感と万能感、衝動性と行動力は、神の想定をはるかに上回る。論理的に考えて行動を決める神々には、あの突発的な言動はけっして理解できない。
「あー、もう、どうして子供ってのはそういう……ちょっと待ってね。今こっちから探してみるから……って……いた! ヤバい! タケぽんの前方三メートル!!」
「なんですと!?」
本当にラスボスの目の前まで『イケて』しまったらしい。
声にならない悲鳴を上げ、フツヌシは猛ダッシュでソラマチに戻る。だが──。
「オワアアアァァァーッ!?」
三十メートルほどの距離まで接近したところで、百を超える牡丹の花から集中砲火を浴びた。
撤退やむなし。フツヌシは単独での攻略は不可能と判断し、天邪鬼に協力を呼びかけた。が、あちらもあちらで、なかなか深刻な事態に陥っていた。
「そっちはテメエで何とかしろ! 北十間川に正体不明モンスターが大発生してんだよ!」
「マジで!? あ、ホントだ! 何その半魚人ゾンビ!」
「知るか! この暑さで死んだ魚じゃねえのか!?」
「ん~……川に落ちた黒コウモリと、魚の死体が融合しちゃったのかな……? 犬神は?」
「黒コウモリを相手にしてて動けねえ! どんどん集まってきやがるからな!」
「そっか……。うわぁ~、なんなの? この、僕がやらなきゃ感……」
ガクリと肩を落とし、落ち込むフツヌシ。
なにをどうすれば攻略できるのか、そもそも敵かどうかも分からない黒牡丹に対し、投入できる戦力は自分一人。ここまでの戦いで消耗しきっていて、英霊召喚もガネーシャ・オーバードライブも使えない。使えるものは己の身体と、穢れ祓いの技がいくつか。得意の戦法『氏子のスキルコピー』も、英霊召喚や大技と組み合わせてこそ活きてくる。単独では、あまり効果は見込めなかった。
「ん~、まいったなぁ……将門くーん! 貴雅君の近くまで行けそうー?」
「いえ! 近付くと攻撃されます!」
「距離は固定?」
「はい。下の階であっても、直線距離三十メートルで攻撃されます。離れると攻撃は止むのですが……」
「やっぱりそういうシステムなんだ? だとすると防御用……いや、どう考えても防御用と思うには攻撃的すぎるし……?」
「この植物から感じる気配は、タケミカヅチ様とも闇堕ちとも異なるような気がするのですが……」
「だよねぇ? 何なんだろう、これ……」
敵の正体がまるで掴めず、フツヌシも将門も途方に暮れる。
と、そんなフツヌシの耳に、唐突に氏子の声が響いた。
「おうおうおう! 神様よぉ! なんか困ってんなら、俺が手ぇ貸すぜ! いつも神様には助けてもらってっからよぉっ! 恩返しくれえさせてくれよ!」
バッと顔を上げ、フツヌシは亀戸香取神社のほうを見た。
この声は、いつも参道の屋台で焼き鳥片手にビールを飲んでいる大工の棟梁である。生まれも育ちも亀戸っ子の彼は、転落事故の際、助けに入った神に直接触れたことで霊能力に目覚めてしまった。それ以来彼は雨の日も風の日も、一日も欠かすことなく香取神社に参詣している。おそらく、亀戸香取神社の氏子の中で最も熱心な崇敬者である。
その棟梁が香取神社の拝殿で手を合わせ、フツヌシに向けて呼びかけていた。
「えーとぉ……棟梁? なんで、僕が困ってるって分かったの?」
念話で問うと、棟梁はニヤリと笑ってこう言った。
「さっきな、神様んトコの『英霊』がウチに来たんだよ。誰だと思う? なんと、俺に仕事を叩き込んでくれたクソジジイじゃあねぇか。あのクソジジイが『全身全霊で祈れ』って言うんだ。こいつぁ只事じゃねえってんで、大急ぎで飛び出してきたってワケよ」
「あー……そっか。先代の棟梁ね。確かに近隣住民を守れとは言ったけど、彼、君んトコ行ってたのかぁ……」
「近所の連中もよぉ、神棚の御榊が落ちただとか、御守り袋が破裂したとか、勝矢がへし折れただとか言って、みぃんな手ぇ合わせて祈ってたぜ。なんかあったんだろ。言ってくれよ。俺で良けりゃあ、なんでもすっからよ!」
「えっと? 近所の連中って、何人くらい?」
「向こう三軒両隣と、通りに出てきてた連中全員だからなぁ……? ざっと五十人くらいは、そんな感じのこと言ってたぜ? 他の町会の連中もあっちこっちで大騒ぎしてたから、似たようなことになってたんじゃねえか?」
「うっわぁ~っ! なにそれ! もう完全に怪奇現象じゃない! 亀戸中の神棚や御守りが一斉に壊れちゃったわけ!? 亀戸がホラー映画みたいな空気になっちゃうよぉ~っ!」
頭を抱えるフツヌシだが、その『怪奇現象』のおかげで思わぬ助力を得ることができた。スカイツリーからほど近い亀戸香取神社の氏子たちは、神棚や御守り袋に起こった異常を報告し合い、「香取様が身代わりになってくれたのではないか」「雷に打たれずに済んだのは香取様のおかげ」「停電くらいで済んで良かった」などと言って盛り上がっていた。
神棚を祀り、肌身離さず御守り袋を持ち歩き、居間や床の間に勝矢を飾るほどの氏子たちだ。常日頃からフツヌシへの崇敬篤い彼らの言霊は、フツヌシの力を十二分に回復させてくれた。
そしてそれ以上に、直に言葉を交わせるこの人間は──。
「で? 神様よぉ、いったい何があったんでい。聞かせてくれねえか?」
神に祈るだけではない。
感謝するだけでもない。
彼はその身をもって、神の助けになろうとしている。
信仰とは、双方向にやり取りされる『親愛』の一種である。求めるだけでも、与えるだけでもいけない。互いが互いを思う気持ちがあってこそ、神と人は互いを高め合っていける。棟梁の思いと言葉、行動は、他の何よりもフツヌシの力を高めてくれた。
「……心配してくれてありがとう。あのね、全部説明すると長いから端折るけど、うちの相方のタケミカヅチが、戦闘中に大怪我をしたんだ。今は意識不明。それで、僕一人だと敵が倒せない……って、感じかな?」
意識不明にしたのはフツヌシ本人だが、そこは都合よく省略する。
しかし、こんなザックリとした説明でも、一大事であることは理解してもらえた。
「意識不明って……大変じゃねえか! なあ、俺たちゃどうすりゃいい!? どうすれば、神様の役に立てるんだ!?」
「ご近所さんの様子を見て回ってくれる? 停電でエアコン止まっちゃったでしょ? 町会のみんなに声かけて、具合の悪い人を助けてあげて欲しいんだ。救急救命の基礎講習、町会で受けてたよね? 熱中症の対処法も分かる?」
「おうよ、一通り覚えてらぁ! けど、そんなモンでいいのかよ? そんなん、やって当然のことじゃあねぇか?」
「うん。そうだね。たしかに当然のことかもしれない。でもね、だからいいんだよ。カミサマっていうのは、自分の氏子が元気で、みんなで仲良く、協力し合ってるのが一番の応援になるんだ。だから君も、無理しすぎないでね。ちゃんと水分補給するんだよ?」
「分ぁってらぁな! ったく、神様は心配性だな!」
「そりゃあカミサマですから。それじゃ、よろしくね、棟梁!」
「了解っ!」
威勢の良い棟梁に励まされ、フツヌシはフウと息を吐いた。それから気持ちを落ち着けて、耳を澄ます。直接触れ合った棟梁の声はとてもよく聞こえるが、数年に一度しか神社に来ない氏子や、地域外からの参詣者の声はなかなか聞き取りづらい。
それでも、聞こえないわけではない。神はどんな小さな祈りも聞き逃さない。すべての祈りをひとつひとつ聞き届け、それに応じた加護を与えるのが『神』としての務めである。
耳を澄ませば聞こえてくる、数千、数万の祈りの声。そこに込められた思いの温度は、いつだってフツヌシの心を熱くしてくれる。
「……そうでした。あぶないあぶない。僕は一人じゃない。僕には、いつだってみんなが居てくれるんだよね……」
戦いに集中していると、どうしても視野が狭まってしまう。フツヌシは崇敬者たちの顔を、声を、祈りを思い出し、心の状態をリセットした。
人間たちの祈りと願いは、ときには自分本位の、どうしようもない内容であったりする。しかし、大部分はそうではない。『宝くじが当たりますように』という願いも、自分一人が豪遊するためではなく、家族や恋人と共に、幸せに暮らすために祈るのだ。誰かのための祈りであれば、神は必ず、なんらかの加護と祝福を与える。それが宝くじの当選でなかったとしても、必ず別の形で幸運をもたらす。それに満足するかは本人次第だが、よほど強欲な人間でない限り、それでも十分に喜んでくれる。
崇敬者たちの笑顔と健康こそが、神が望む何よりの報酬だ。それを得るためにも、今この場の脅威は、早急に取り除かなければならない。
「……これが終わったら、みんなのところに行って、お願いを叶えて上げなくちゃね。ちょっと待っててね……っと、あれ? これは……?」
氏子たちの『新着ボイス』をチェックしていて、フツヌシはあることに気付いた。
無差別落雷作戦の本来の目的、『言霊封じの呪い』の打破は、既に目標以上の成果を上げているようだ。
SNSに溢れる『雷凄い』『ド迫力!』『稲妻キレイ~!』などの文字列。
テレビとラジオで繰り返し報道される関東平野全域の気象情報。
個人間でやり取りされるメッセージアプリからも、続々と『言霊』が生じている。そしてそれらはこの作戦の中心、関東平野土着の農耕神・大雷へと注がれていた。
『神鳴り』への畏怖は、文字や言語が発達する以前の、はるか太古から存在する純粋な信仰の形である。本来ならば言葉が無くとも、ただ見入るだけ、聞き入るだけで『神』を崇めたことになる。現代ではそこにさらなる力、『言霊』が上乗せされている。これだけ純度の高い信仰心を向けられて、強くなれない神はいない。
「……ってことは、もしかして……大雷ちゃん! 聞こえる!? 大雷ちゃーん!」
念話を使い、大雷に呼びかけるフツヌシ。大雷は白鹿に守られ、隅田川沿いの牛嶋神社に避難している。彼女はタケミカヅチが用いた呪詛返しによって、少なからぬ力を吸い上げられてしまった。つい先ほどまでは、意識を失うほどに衰弱していたのだが──。
「はい、聞こえております! フツヌシ様! 先ほどは、大変失礼いたしました!」
「おっ! 良かった! 回復できたんだね!?」
「おかげさまで、元の神格以上に」
「やったじゃん! 無差別落雷作戦、大成功じゃない?」
「はい! ……ですが、タケミカヅチ様が……」
「うん、それね。あの変な植物さえ攻略すれば、万々歳で大団円なんだけどなぁ~!」
それ自体の攻撃力もさることながら、あの黒牡丹には『穢れ』を引き寄せる能力がある。関東平野全域からかき集められた『穢れ』は次々に具現化し、黒コウモリとなって犬神・天邪鬼に攻撃を仕掛けていた。しかし、いつ何時、標的を変えるとも分からない。人間に危害を加える前に、最優先で駆除すべき対象だ。
「ん~……それじゃあさ、大雷ちゃん? まずは黒コウモリをやっつけようか」
「ですが、元凶は黒牡丹なのでは……?」
「それはそうなんだけど、強すぎて今は無理。確実に倒せる敵から叩く」
「それでは、際限なく増援を呼ばれてしまいませんか?」
「いいや、大丈夫だよ。関東平野全域ともなると、確かにすごい量の『穢れ』だけどさ。多いと言っても、無限に湧き出るわけじゃない。集まってきた奴らを全部祓い清めればそれで終了。邪魔者を全部消してから、落ち着いて黒牡丹に対処しよう。この方針でOK?」
「はい、分かりました。では……」
「早速、おっ始めようかぁっ!」
パァンと大きく柏手を打ち、フツヌシは神々の戦装束、『戦時特装』へと変身する。
大多数の神は毎回決まった装束に着替えるが、フツヌシは違う。その時代、その地域の氏子が持つ文化や特性、能力を反映した装束に変化し、氏子たちの熱意と共に決戦へと臨むのだ。
今回フツヌシが選んだ装束は、背中に大きく『亀二』と染め抜かれた祭り半纏である。腹掛け、股引、地下足袋、ねじり鉢巻きの祭り装束でビシッと決めると、大工の棟梁の能力を借りて、両手に一台ずつバッテリー式エアータッカーを構えた。
エアータッカーとは電動釘打ち機のことである。圧縮空気で釘を撃ち出し、木材や石膏ボードにワンモーションで釘を打ち込む。これは今時の大工の必須アイテムであり、よほど特殊な施工を請け負う工務店でない限り、エアータッカーを使わない大工はいない。この道具の導入によって施工時間の大幅短縮が可能となったからだ。
本来であればエアーコンプレッサーを接続すべきチューブは、フツヌシの口に咥えられている。圧縮空気ではなく、神の吐息を直に注いで釘を撃ち出そうというのだ。フツヌシはこれでもかというほど大きく息を吸い込み、目一杯に吐き出した。
God Breath You!!
と、技名を叫びたいところだが、生憎口は一つである。代わりに後光を使ってネオンサインのように技名を表示したフツヌシ。けれどもこれは、あってもなくても技の強さに影響しない。なんとなく本人のテンションが上がるだけである。
無数に撃ち出される鉄釘は鋭く空を裂き、上空を飛び回る黒コウモリに襲い掛かる。一本一本は小さくとも、釘は何年、何十年と建物を支え続ける重要な建築資材だ。同じ『エアーで発射される物体』でも、プラスチック製のBB弾とは物質としての強度が違う。鉄釘は黒コウモリに突き刺さり、大ダメージを与えてゆく。
(ん~……いい感じではあるけど、一撃で落とせないこともあるし……効率悪いなぁ……?)
これでは時間がかかりすぎる。フツヌシは、さらに棟梁の能力を使う事にした。
エアータッカーで塞がった両手の代わりにドンと地面を踏み鳴らし、柏手の代用とする。
Gravity hinge Butterfly!!
と、またもや後光で技名が表示されるが、何のことは無い。扉などに用いられる、ごく普通の自動開閉式蝶番のことである。大量出現した銀色の蝶番は、まるで生きた蝶のように左右の羽根を羽ばたかせる。
今一つ飛翔能力に欠ける、金属製の蝶の群れ。
フツヌシはそこに、もう一つの技を上乗せする。
Kamikaze Booster!!
ゴウッと吹き抜ける風に乗り、蝶の群れは一気に空へと舞い上がる。そして勢いのままに黒コウモリへと突撃。フツヌシはタイミングを合わせて釘を打ち込み、蝶番を黒コウモリの翼の付け根に固定する。
これは自重蝶番と呼ばれるタイプの蝶番で、自重によって螺旋状に沈み込むことで扉を自動開閉させる。神の力で疑似生命体と化した自重蝶番たちには、その名にふさわしい重力操作能力が付与されていた。
釘で固定されると同時に、蝶番たちの攻撃が始まる。
「────ッ!?」
唐突に圧し掛かる強大な重力。墜とすだけならば2Gか3Gで十分なところを、フツヌシはおよそ9Gもの過剰な重力攻撃を加え、一撃必殺を狙う。
黒コウモリたちは次々と地面に落とされて、半ば地面にめり込んだ状態で動きを止めた。
「よっし! ……って、うっわ! 嘘でしょ? これでもまだ生きてんの?」
行動不能に陥ってはいるものの、止めを刺すには至っていない。この『穢れ』たちは、思いの外、丈夫な体をしているようだ。
「ん~……墜とした後でもう一手必要かぁ……」
次の手を考えるフツヌシだったが、両案を思いつく前に黒コウモリたちが動きを変えた。フツヌシから攻撃を受けたことで、犬神・天邪鬼に殺到していた群れの大部分が、フツヌシに標的を変えたのだ。
「ま、いいよ。来なよ。全部墜としてあげるからさ!」
フツヌシはそう言うと、両手のエアータッカーを構え直した。
迫り来る敵の数は数万。どこを狙っても必ず当たる。一撃必殺とはいかなかったが、たった一枚の蝶番、一本の釘で確実に墜とせるのだから、攻撃コストとパフォーマンスのバランスで言えば、この状況で最も効率の良い攻撃法であることには違いない。
押し寄せる黒い群れに、フツヌシは鉄釘を乱射し続ける。
「……っと、そうだ! 大雷ちゃん! 地面に墜ちて動けない個体なら、大雷ちゃんでも確実にやれるよね!? 雷落とせる?」
「もちろんです! 後始末はお任せください!」
フツヌシの力を帯びた鉄釘は、神の眼にはひときわ眩しく映し出される。この釘をターゲットマーカー代わりにすれば、戦い慣れない大雷の攻撃も確実に当たる。
立て続けに落ちる稲妻。その都度、神の光に焼き清められて消失していく黒コウモリたち。大雷を牛嶋神社の境内に保護したまま参戦させるには、この戦い方こそが最適解だった。
攻撃を続けながら、フツヌシは天邪鬼に呼びかける。
「おーい! 天邪鬼ーっ! そっち、少しは余裕できたぁー?」
「うっせーな! だったら何だよ!」
「ちょっと相談があるんだけど、聞いてくれる?」
「断っても、どーせ勝手に話し始めんだろ?」
「アッタリ~♪ よく分かってんじゃん」
「バ鹿島とバ香取のグイグイ来る体育会系ノリにはウンザリしてっからな!」
「え? 僕、そんなに強引? あんまりオラオラグイグイしてなくない? どっちかって言うとゆるふわ愛くるしい系のピンクヘアゴッドだよ? ファンシーグッズとか似合っちゃうホンワカのんびり系じゃない?」
「あらあらまあまあ、そうですか! 左様でございますわね脳筋ゴリラ! で? 何だ?」
「君の武器さ、君の能力特性に合ってないよね?」
「あ? んだテメエ。喧嘩売ってんのか?」
「いやいや、全然そんなんじゃなくて。君の《不知火》って、基本的に接近戦から中距離戦まででしょ? 犬神のエアガン借りれば、ロングレンジまでトータルカバー出来ちゃわない?」
「頭で考えるだけなら可能かもな」
「でさ、犬神のほうは、ぶっちゃけ僕と同じか、それ以上に身体能力高いじゃない? それなのに、エアガン構えて一歩も動いてない。これってものすご~くもったいなくない? 式神に乗って空中で薙刀振り回せば、地上で棒立ちより、絶対にイイ感じに戦えると思うんだよね。天邪鬼もそう思わない?」
「……ん? なんだ? もしかして、武器を交換しろってことか?」
「そう。ただし、交換するのは薙刀一本とエアガンね。君の戦闘センスだったら、薙刀とAK-47の『二刀流』も絶対イケる。接近戦からロングレンジまで完全対応の超カッコイイ天邪鬼君、めちゃめちゃ見てみたいんだけどなぁ~っ! やっぱ断られちゃったりするのかなぁ~っ! あ~、もう、それって超残念! 残念過ぎて世界的大損失って感じじゃぁ~んっ! ねえねえどうなの!? そこんとこ、どうなのかなぁ~っ!?」
「あー……クソ。マジでクソだ。この激クソバ香取が。そういう断れない空気で押して来んのが体育会系の俺様ノリだっつってんだよ!」
「ええっ!? 断れない空気だなんて、心外だなぁ~! 僕のはただの、カワイイお・ね・だ・り☆」
「死ぬまでほざいてろ! おい犬神! 今の話、お前も聞いて……どわあああぁぁぁーっ!?」
天邪鬼の悲鳴の理由は、振り向いた瞬間に飛来したAK-47である。体育会系とひねくれ者の会話を聞いていた狂犬は、さっさと自分の武器を投げ渡していた。
顔面直撃寸前でエアガンをキャッチした天邪鬼に、犬神は「早く寄越せ」と手で合図する。この場のどの神が最もオラついた俺様ノリか、ジャッジする者はいない。
「こん……っの、馬鹿犬があああぁぁぁーっ!」
ブチ切れた天邪鬼は大きな弧を描くようにステップし、強力な横回転をつけて薙刀を放った。仲間に道具を投げ渡す動作ではない。これは完全に、相手の命を狙った攻撃モーションだった。
だが犬神は動じない。身を低くし、回転する薙刀と同調するように体を捻る。そして薙刀の勢いを一切殺すことなく、キャッチと同時に背後の黒コウモリを斬首。続けて猛烈な遠心力を活かしたターンを極め、回転軌道上にいた二体を一刀両断。薙刀を受け取る前に召喚しておいた式神の背に飛び乗り、一度も足を止めることなく、鮮やかに空中戦に移行して見せた。
天邪鬼はありふれた罵詈雑言を一通り吐き連ねるが、マイペースなフツヌシはどうでもいい所感を述べる。
「ねえねえ、天邪鬼!? 僕、気付いちゃったんだけどさ! これ、いろんな意味でドッグファイトじゃない!? 戦闘機で空中戦すること、ドッグファイトって言うでしょ!? 犬神が空中戦してるんだよ!? 超ダブルミーニングじゃん!! 僕たち、実はとんでもなく意味深で奥深い現場に居合わせてる気がしない!?」
「ンッ……ダアアアアアァァァァァーッ! もういい黙れ! これだから根明マインド体育会系は嫌いなんだよオオオォォォーッ!」
エアガンを乱射し、黒コウモリを次々撃ち落とす天邪鬼。小さなBB弾では仕留めきれない相手でも、地面に落ちれば《不知火》で焼き祓える。BB弾を掻い潜って接近してきた個体には、薙刀の一撃をお見舞いすればいい。
忌々しくも、フツヌシの提案は見事に的を射ていた。そしてそれを自覚したからこそ、天邪鬼は一刻も早くこの戦いを終わらせようと思った。
これ以上体育会系の相手をしていたら、俺まで脳筋馬鹿になってしまう!
だが、そんな思いは根明マインドには通じない。
「良かった! なんか僕、やっと天邪鬼と仲良くなれた気がする! 大雷ちゃん! 今のやりとり、ものすごくお友達っぽくなかった!? あ、友達っていうより、『マブダチ』とか『ダチ公』って感じ? だったよね!?」
「あ、は、はい。そ……そう……ですね?」
困惑する大雷の返事が聞こえているのかいないのか、ノリノリのフツヌシは鉄釘攻撃に更なるアレンジを加える。
「どんどん行くよ! 墨壺召喚!」
ドン! と現れたのは、人の背丈ほどもある巨大な墨壺である。これは日本の大工道具の一つで、木材に印をつけるために使われる。
もちろん、中身はただの墨ではない。なみなみと満たされている液体は、亀戸香取神社境内の『亀井戸』の水で溶いた墨汁である。亀戸という地名の由来にもなった湧き水には、非常に強い霊力が宿っている。その水で溶いた墨で、フツヌシは足元に図形を描く。
ピーンと張った糸を弾き、木材に記すのと同じように、まっすぐな線を何本も引いていくと──。
「霊獣召喚! 唐獅子&狛犬たち!!」
巨大な墨壺で屋上いっぱいに描いた召喚呪陣から、一斉に飛び出してくる唐獅子と狛犬。その数、約三百体。彼らは全国の香取神社に配されている神使の霊獣である。彼らはあちこち飛び回って忙しいフツヌシに代わり、留守中の神社を守護している。神社によっては霊亀や大鳳が配されているが、彼らは戦闘に向かないため、今回は呼び出されていない。
チワワサイズからライオンサイズまで大小さまざまな唐獅子と狛犬たちは、フツヌシをサポートするように、タイミングを合わせて炎の弾を吐く。
炎を避けようとして、飛行ルートを制限される黒コウモリたち。
数が減って狙いがつけづらくなったため、敵を一か所に集中させる目的で霊獣を呼び出したのだ。霊獣たちはその意図を正確に理解し、一糸乱れぬ連携で見事な誘導を行った。
「いいよいいよ! みんなのおかげで、ガンガンやっつけられちゃうじゃん! みんなは最高の霊獣だ! 大好きだよ! このチームワークで、完全勝利目指しちゃおうぜーっ!」
フツヌシの言葉に、オオーッ! と盛り上がる霊獣たち。褒めて褒めて、褒めまくってグングン伸ばす。そんな教育方針で育てられた彼らは、他の神社の霊獣と比較して桁違いに戦闘力が高い。そしてそれ以上に高いのが、テンションと団結力である。フツヌシの相方・タケミカヅチに『ノリだけでバカ騒ぎする渋谷のハロウィン集団』と称されるだけあって、一度イケると思えば、後はどこまでも突っ走る。
彼らは案の定、過剰な弾数で制圧を図る。するとどうだろう。黒コウモリたちは圧倒的戦力差を感じ取り、フツヌシとの戦いを避け、すべて天邪鬼のほうに行ってしまった。
「うおあぁぁぁーっ!? ゴメン天邪鬼! 全部そっち行っちゃったぁーっ!」
「このクソが、好都合だぜ。お前、最初に使った変な技もう一回出せるか?」
「えっ!? 何のこと!? 僕に変な技なんて、一つも無いと思うんだけども……?」
「ア~ラなんて賢い子なんざましょう! インドのアレだ!」
「あ、ガネーシャさんの?」
「おう! あの風で、このクソザコどもを俺の真上にまとめろ! 一匹残らずだ!」
「オッケー! まっかせといてよ!」
フツヌシはパァンと手を叩き、装束を変化させた。
インドの神、ガネーシャとコラボしたターバン姿になると、両手を掲げて『インドのアレ』を発動させる。
「行くよ! 《ガラムマサラ・サイクロン》!!」
三度吹き荒れるスパイスの嵐。はじめはあたり一帯に大きな渦を描き、徐々に範囲を狭め、ついには天邪鬼の真上で一本の竜巻へと姿を変える。
インド映画特有の、ボリウッド感あふれるダンスでそれを操作するフツヌシ。彼の後ろでは空気の読める体育会系霊獣たちが、一糸乱れぬバックダンサーぶりを発揮している。
「いや! だからよぉ! さっきもやってたけど、そのダンスは何なんだよ!」
「あ、これ? 実はね、ガネーシャさんの技はダンス中じゃないと操作できない仕様になってるんだ! バックダンサーひとりにつき1%ずつガラムマサラの刺激成分がパワーアップするんだけど、君も一緒にどう?」
「誰が踊るか! いいか!? 俺が最大火力の《不知火》をぶっ放す! テメエはそのまま竜巻維持してろ! スパイス混入してんなら、竜巻ごとドッカンできんだろ!」
「うわぁ~! 面白そう! あんまり取材して無さそうな薄っぺらアクション漫画にありがちな、粉塵爆発ネタだね!?」
「はぁ? テメエの粉、そこまでの密度じゃなくねーか? 割と薄いだろ、これ」
「じゃあ、軽く炎上する程度かなぁ? キャンプファイヤー的な?」
「むしろそっちのほうが、夏らしくて良いんじゃねえか?」
「うん! 今年の夏はイベント中止しまくってたからね~っ! スカイツリー超えのキャンプファイヤー、楽しんじゃおうよ!」
「へっ! はじめてテメエと意見が一致した気がすんぜ! オラァ! 覚悟しやがれクソザコども! 《不知火》!!」
天邪鬼の足元から燃え上がる純白の炎。それは竜巻に巻き上げられ、スパイスに引火。炎色を白から赤へと変化させ、一気に火勢を増す。
「た~まや~っ!」
「いや、花火じゃねえし!」
「か~ぎやぁ~!」
「聞けっての!」
フツヌシは驚異のマイペースぶりを発揮し、天邪鬼最大の持ち味、ひねくれコメントを完封する偉業を成し遂げている。が、そんな漫才じみたやり取りの間に、竜巻の最上部、風の勢いがやや弱い箇所から、五体の黒コウモリが逃げ出してしまった。
「あ! 逃げた!」
「クッソ! あんな高さ、エアガンの弾じゃ届かねえぞ!」
「って言われても、全部焼き終わるまで、僕とバックダンサーズは踊ってなきゃならないしなぁ……」
なんて不便な技なんだ!
そう思った天邪鬼だったが、脳内辞書からフツヌシを罵倒する言葉を見つけ出すより先に状況が変化した。
逃げ出した黒コウモリが、ほんの三秒足らずで全て撃破されたのだ。
「……まったく、世話が焼ける……」
青白い浄化の光と共に地上に降り立ったのは、空中戦をしていた犬神である。彼はこの数分間、いずこかへと姿をくらませていた。天邪鬼がそのことを問い詰めようとすると──。
「ほら、貴様の分だ。飲め」
「……って、なんでテメエはジュース買ってきてんだよ。しかも温いし!」
「仕方なかろう。どこのコンビニも停電しておるのだ。手計算で飲み物だけでも売ってくれる店を探すのに、なかなか苦労したのだぞ」
「いやそっちじゃなくて! 何で戦闘中にコンビニ行くんだって話をしてんの、俺は!」
「ああ、そちらか。貴様のほうはどうだか知らんが、俺の『器』は直ちに水分とエネルギーの補給が必要な状態だ。これ以上の戦闘は命に係わる。貴様の『器』、今どのくらいの体温だ? 人間の平熱は三十六度前後だが?」
「え? ……って、うわあああぁぁぁーっ! ヤバい! 死ぬ! 早く水! 水! こんな生温い雨じゃなくて……っ!」
受け取ったスポーツドリンクを勢いよく飲み干し、天邪鬼は近くの雑居ビルの裏手、ゴミ置き場の水道に向かって走った。しかし、蛇口をひねっても水は出ない。
「断水かよ! マジでヤッベーぞコレ! 何でもいいから水! 水浴びて体冷やさねえと……っ!」
神は暑さ・寒さに耐えられても、『器』の人間はそうはいかない。かといって『器』も無しに本気を出せば、そのあまりの破壊力に周囲の人、物、事象に取り返しのつかない影響を及ぼしてしまう。『器』を使わず戦えるのは元々戦闘に向かない神か、なんらかの理由で力を制限されている神のみである。
「天邪鬼ぅ~? 大丈夫~? 僕がゾウさんに変身して、お鼻でシャワーしてあげようか~?」
「その水はどっから調達する気だ!?」
「北十間川」
「マジでヤメロ! 本気で臭ぇんだよこの川! 魚腐ってるし!」
「じゃあ、思いっきり頑張って鼻水をブシャーっと出す! 為せば成る!」
「死ね。死んで心を入れ替えろ。それでも神か」
「ジャンル的には聖水だよ? 限りなくホーリーだよ? たまたまゾウの鼻から出ちゃうだけで……」
そう言いながら、後光で「Ganesh Holy water!!」と技名を表示している。どうやらフツヌシは本気のようだ。
このままでは鼻水攻撃を食らうと直感した天邪鬼は、仲間に救いを求めた。
「い、犬神! なんでテメエは平気そうな面してんだ!? なあ! おい!」
「……」
と、無言で指差した先は、上空に立ち込める雷雲だった。気温は標高が1000m上がるごとに6~7℃ほど下がる。犬神は空中戦のついでに雲に突入し、身体を冷やしていたらしい。
「ついでにドブ川の臭いも落とせるぞ。ミストシャワーのようなものだからな」
「この野郎! そーゆー手があんなら先に言えっての!」
通常の積乱雲は、いつどこで雷に打たれるか分からない超危険ゾーンである。だが、今は大雷が辺り一帯の天候を制御下に置いている。雷で致命傷を負う心配はない。天邪鬼は大慌てで式神を召喚し、雨雲に突入した。
ほぼ同じタイミングで、《ガラムマサラ・サイクロン》と《不知火》の合わせ技による『黒コウモリ浄化作戦』も終了。関東平野全域から集結した穢れはこれで全て祓われた。もうこれ以上、フツヌシの邪魔をする者はいない。
「よっし! それじゃ、天邪鬼と犬神は休んでて。あとは僕と大雷ちゃんで頑張るから。行けるよね、大雷ちゃん?」
「はい……タケミカヅチ様を、取り返しましょう!」
「うん……まあ、マチャ君のことも、ちょっとだけ思い出してもらえると嬉しいんだけど……」
最後のつぶやきは、大雷の耳には届いていない。今の彼女には、愛するタケミカヅチ以外は眼中にないのだ。
東京スカイツリーとソラマチを覆う真っ黒な植物。
そのシルエットは、まるでロールプレイングゲームの魔王が住まう、闇の巨城のようだった。