そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.5 < chapter.4 >
この日、この異常な天候に、『神』の関与を疑った人間たちがいた。彼らは霊能力者、聖職者、魔術師、錬金術師、占い師などと呼ばれる類の人間だが、その能力値にはバラつきがある。毎日神仏に祈りを捧げる聖職者でも、神や仏、天使や精霊のメッセージをきちんと受け取り、読み解ける人間は少ない。それは本人の努力不足と言うわけではなく、生まれ持った肉体の許容量の問題である。『神の器』として胎児期に手を加えられた者と普通の人間とでは、どうしても『できること』の範囲が変わってくる。
何かがおかしい。これは神の御業ではなかろうか。
そう気づいただけでも、十二分に優れた能力を持っている。だが、それだけでは神々の戦いにおいて戦力とはなり得ない。
霊的な能力を持つ者の中で、実際に行動を起こした者はたったの三人。そのうちの二人は、先ほどまでスカイツリーにいた天邪鬼と犬神の『器』である。
ではあと一人は誰で、どこにいるか。
その答えは、意外な形で提示された。
「オッチャン! なんか飛んでくる!」
「止めるぞ! 防壁構築!!」
「了解!」
江戸総鎮守・神田明神の境内には、男子小学生と武将の姿があった。
彼らは両手をバッと突き出して、巨大な防御壁を構築する。
その直後、神田明神に飛来した謎の物体。それは五重に構築された防壁の四枚目までを突き破り、五枚目でどうにか勢いを削ぐことに成功した。が、同時に防壁は消失。殺しきれなかった慣性で、その物体は明神会館横から文化交流館前まで、勢いよく境内を滑り抜けた。
地面との摩擦で速度が落ち、どうにかこうにか、建物への直撃は免れたのだが──。
「こ、これは……ゾウ!? なぜゾウが飛んで来た!?」
「しかもピンクだよ!?」
慌てて駆け寄る二人は、飛来した巨大なインドゾウが、ボンと音を立てて人間の姿に変じる瞬間を目撃した。
ガラス壁に張り付くようにして動きを止めた男。その顔を見て、武将は「あっ!」と声を上げた。
「フ、フツヌシ様ッ!? なぜこちらに!?」
「や、やあ、将門君。久しぶり……ってゆーか、いきなりごめんね、アポ無しで来ちゃって……」
「あ、いえ、こちらはいつでも大歓迎ですが……なぜゾウの姿ですっ飛んでいらしたのか、理由をお尋ねしても……?」
「うん、まあ、気になるよねぇ? 話すと微妙な長さに……テレビコマーシャル五本分くらいの尺になるけど、大丈夫? 真面目に聞いてると、若干飽きるよ?」
「は、はあ……確かにそれは、微妙な尺ですな……?」
困惑する武将をよそに、男子小学生は好奇心も露わに接近する。
「ねえねえ、何そのピンク頭! 染めてんの!? すっげーピンクじゃん! ピンクのマッシュルームカットってヤバくね? 変態なの?」
「これ貴雅! 控えんか! この方は下総国一之宮、香取神宮が祭神、フツヌシ様にあらせられるぞ!」
「シモーサノクニ? ってどこ?」
「千葉県だ! 千葉県!」
「千葉のどこらへん?」
「あー……っとだな。小学生にも分かりやすく説明すると、チーバ君の頭のあたりだ! チーバ君の頭に香取神宮がある!」
「へぇ~……この人、そこの神様なの?」
「そうだ!」
「じゃあさ、チーバ君の中の人ってこと? チーバ君の脳ミソなの?」
「ああ、まあ、地理的にはな! 地理的にはそんな感じだ! 着ぐるみの中の人は県庁職員だからな! そこは間違えるなよ!」
「了解! あ、俺、石川貴雅、小二です! 将門のオッチャンの相方やってます! コンビ名は『まーちゃんズ』です!」
「いつの間にコンビ名が!?」
平将門を強制的にツッコミ要員にしている。この小学生は強い。フツヌシが抱いた第一印象は、およそそのようなモノだった。
ベタンとガラスに貼り付いた姿勢から、身体のホコリをはらいながら前へと進み出る。《ガネーシャ・オーバードライブ》が解除されたため、今の装束は香取神宮祭神の正装に戻っている。衣服の乱れをチャチャッと直し、フツヌシは男子小学生の挨拶に応えた。
「はじめまして。僕は香取神宮のフツヌシ。呼びづらかったら、『フッくん』でいいからね」
「じゃあ俺のことは『マチャ君』で!」
「うん? タカ君じゃないの? 貴雅君なんだから……?」
「上にタカアキって名前の兄貴がいるんだよ」
「ああ、なるほど。タカ君じゃ、どっちが呼ばれてるのか分かんないワケだ?」
「そーゆーこと」
「それじゃあマチャ君、どうぞよろしく」
「うん。よろしくフッ君」
武神と男子児童は握手したまま、ブンブンと手を振り回す。チビッコ特有の元気な所作に、フツヌシは思わず笑みをこぼした。
「アハハハハ! 将門君、いつの間にこんな可愛い相方作ったの? この子、君の『器』だよね?」
「は……東日本大震災の折、『器』を持たぬことで、なにかと口惜しい思いを致しました故。江戸総鎮守として民を守護すべく、氏子の腹に宿った命に、少々手を加えさせていただきました」
「いいんじゃない? これまで以上に東京守れちゃうじゃない」
「はっ! 精一杯、務めさせていただく所存にございます!」
「うんうん、その意気、その意気♪ それじゃあさぁ、いきなり吹っ飛んできてお願い事するのも申し訳ないんだけど、東京の平和のために、ちょっと手伝ってくれる?」
「はい、何用でございましょう?」
「大雷が闇堕ちして、タケミカヅチが囚われちゃったんだ。僕一人の力では、あの子を止められそうにない。手伝ってくれない?」
「……日ノ本最強の軍神が、農耕神に囚われたと……?」
「そ。吹っ飛ばされる直前に、確かに見たんだよね。大雷がタケぽんに抱き着いて、闇色の根で、タケぽんを絡めとっているところ。たぶんアレ、タケぽんの精気を吸い上げるタイプの能力だと思うんだけど……」
「それでは、早急に闇堕ちを討伐せねば、タケミカヅチ様のお命は……」
「そうなんだけど、討伐はダメ。大雷ちゃんを殺したりしたら、タケぽんが闇堕ちになっちゃうよ。あの二人、アホほどラブラブだから」
「ならばタケミカヅチ様をお救いしつつ、大雷様の闇を祓い、正気にお戻りいただく……と?」
「ね? 難しいでしょ?」
「はい……雷属性の神が堕ちたとなれば、近付くことも容易でないのでは……」
「ホントそれ。ビビるくらいダメージ入りまくってたよ。ゾウさんに化けて圧し潰して、なんとか動きを止めてたんだけども……落雷三百発くらい食らって、意識飛んじゃってねぇ……」
フツヌシは将門と貴雅を手招きし、二人の額に触れる。
「これ、僕が『聖域』内部に突入することになった理由と、その後の経緯。ね? なかなか酷い有様でしょ?」
今日ここまでの記憶を、二人の頭に直に送り込む。生々しい五感を伴った『他人の記憶』に、貴雅は困惑したようにフツヌシを見た。
「ああ、ごめんね? ちょっと刺激が強かったかな?」
神の器とはいえ、まだ子供である。送り込まれた情報量に、感情の処理が間に合っていないのだろう。
フツヌシはそう思って声を掛けたのだが──。
「なんだよ! フッくんが一緒に戦ってたの、うちの兄貴じゃん!」
「は?」
「茶髪のほうが兄貴の天空で、もう一人は兄貴の友達の愛徒! 今日は二人でソラマチ行ってたんだよ!」
「はあああぁぁぁ~っ!? え? どういうこと!? 兄弟そろって『神の器』やってんの!? しかも友達も『器』!? 何そのカミサマ密度! おかしくない!?」
「え? 別におかしくねえだろ? 少子化だもん。同じクラスに天使のバディやってる子たちもいるぜ? キリスト教のウリエルと、イスラム教のジブリールの」
「マジで? 千代田区の少子化、鬼ヤバくない……?」
チラリと将門を見ると、将門はさもありなんという顔で頷いている。
都心部の神は、手ごろな『器』を調達するにも苦労があるようだ。
「え、えぇ~とぉ~……マチャ君? もしかして、マチャ君が電話すれば、お兄ちゃんたち呼び出せたりする?」
「うん。できるけど?」
「犬神と天邪鬼も、協力してくれると思う?」
「たぶん」
「じゃあ、お願いしていい?」
「いいよ。ちょっと待ってて」
貴雅は鞄の外ポケットからスマホを取り出すと、慣れた手つきで電話をかける。てっきり兄に連絡しているのかと思いきや──。
「あ、もしもし愛徒? あのさ、俺、これからスカイツリーで空前絶後の究極ドッカン最終決戦すっから。……うん、そう。アポカリプスなう。……え? ヤバいからやめろ? は? 何言ってんの? 愛徒が逃げちゃったから、代わりに俺が戦いに行く流れなんだけど? 天邪鬼がクソ弱へなちょこムーブかまさなければ、俺のとこまで案件降りてこなかったんだよ? そこんとこ、どう落とし前つけてくれんの? ……うん、そう。うん……オッケー、分かった。じゃ、現地集合で。バイバーイ」
通話を終えた貴雅は、サムズアップでドヤ顔を見せる。上手く呼び出せたらしい。
「お兄ちゃんには連絡しなくていいの?」
「怒られるからしない。危ないから家にいろって言われるだけだもん」
「ああ、まあ、そうだよね? 普通のお兄ちゃんなら言うよね……?」
この小学生は強い。天邪鬼を煽り散らかす小学生なんて、敵に回してはいけない。
「それじゃ、行くぜ! お前ら、しっかりついて来いよ!」
「あ、う、うん! りょうかーい! イエーイ!」
「これ貴雅! おぬしが仕切ってどうするか!」
後頭部を引っ叩こうとした将門の手は、男子小学生の軽妙なフットワークにより難なく躱された。
フツヌシは思った。
無敵の小学二年生に勝てる大人はいないな、と。
タケミカヅチを捕らえた大雷は、そのまま何をするでもなく、タケミカヅチを抱きしめていた。彼女が望んだのはここまでだ。『恋心』以上の感情を持たない大雷に、この先の要求はない。
自分を妹扱いする想い人に、本当の気持ちを打ち明ける。それで関係が保てなくなることも、タケミカヅチが何もしてくれないことも、彼女はちゃんと理解していた。だからこそ、彼女にとってはこれが最大の望みで、精一杯のわがままだった。タケミカヅチの唇に触れることもせず、ただ、力を奪って逃げられないようにしている。
しっかりと抱きすくめられた腕の中で、タケミカヅチは必死に言葉を紡ぐ。
「おお……いか、づち……。もう、よせ。これ以上は……伊勢が、黙っていない……」
猛烈な虚脱感に襲われ、意識を保つことも難しい。それでも大雷がなぜ堕ちたのか、理解できないタケミカヅチではない。原因は自分だ。タケミカヅチは大雷の思いに気付きながら、彼女を妹扱いし、傍に置くことをやめなかった。なぜそうしたかと言えば、彼女が『女』ではなく『少女』だったからだ。神の言動は実年齢に関わらず、生まれ持った気質・性質によって決まる。大雷の姿かたちは小学二~三年生くらいの子供である。そして心も、おおよそその年代の少女に近い。『成人女性』として創造された女神と異なり、大雷が直接的な性交渉を求めることは無いのだ。
どれだけ好ましく思っていても、相手は手を出すわけにいかない処女神。とすれば、タケミカヅチには『妹のように可愛がる』という選択肢しか残されていない。
しかし、それでは大雷の心は満たされない。
タケミカヅチのほうも、自分の本心を偽ることになる。
互いにとって最良の選択でないと分かっていても、自分の気持ちにも、相手の気持ちにも、絶対に応えることができなかった。恋愛=性交渉とインプットされた『成人設定の男神』には、無垢な少女と清い男女交際をすることは、限りなく不可能に近いと分かっていたからだ。
「……すまない、大雷……。俺のせいで、其方を……」
いつものように髪を撫でようとしても、力の抜けた手は動かない。
とんだ甲斐性なしである。が、子供相手に甲斐性を発揮できない諸事情を口述するのも、あまりにも情けない。
何が最強の軍神だ。こんな愛らしい少女一人、守れてはいないではないか。
おのれの不甲斐なさを痛感し、勝手に涙があふれてくる。
「……タケミカヅチ様? なぜ、泣いておられるのですか……?」
「……思いを……其方への思いを伝える言葉が見つからんからだ。この根のせいで、大方のところは、伝わっていると思うが……」
「その『思い』とは……」
「口にすることは許されぬ」
「……わたくしを、好いてくださいますか?」
「ああ。心底好いているとも」
「それは、妹として、ですか?」
「……すまない……」
「……承知しております。タケミカヅチ様が、わたくしをお守りくださっていることも。わたくしでは、タケミカヅチ様を受け入れられないことも。困らせてしまってごめんなさい。それでも、わたくしは……」
「ああ……知っているさ。知っているから、俺は……」
いっそ激昂して暴れ狂ってくれたら、どれだけ話が楽だろう。
彼らは互いに冷静だった。そして誰よりも愛し合っていた。
だからこそ、どちらも、何もできなかった。
今日ここで、大雷が『穢れ』に襲われなければ。
大雷の中に、『負の感情』が流れ込まなければ。
秘められたまま終わるはずだった双方の感情。二人を縛る黒い根の正体は、ただの穢れでも、ただの闇でもなかった。これは大雷とタケミカヅチ、二人が数千年かけて創り出した『秘めた想い』の結晶である。何の因果か、今日この場で『秘めた想い』と『言霊封じの呪い』とが呼応し合い、本来ならばけっしてあり得ない、唯一無二の闇属性能力を生み出してしまったのだ。
今、黒い根がタケミカヅチの身体を捕らえているのは、大雷ひとりの意志ではなかった。この根は二人の本当の願いを勝手に読み取り、それを叶えようとしている。
制御もできないし、力でねじ伏せることもできない。
酷く根の深い問題は、もはや当人同士には解決できない段階に発展していた。
だが、それでも何とかしなければならない。
必死に保つ意識の中で、タケミカヅチは唯一の打開策を思いついた。
大雷の指から伸びた根は、そのすべてがタケミカヅチの身体に食い込んでいる。根と大雷が接しているのは、両手の指の先端の、ごくわずかな面積のみ。ほんの少しでも力を取り戻せれば、力尽くで引き千切れるだろう。
そしてこの黒い根が神の力を奪う、すなわち神に害を為す性質のものならば、それは呪詛の一種と定義できる。呪詛返しによる術式の反転を仕掛ければ、力を吸い上げる方向が入れ替わるはずだ。
呪詛返しを仕掛け、大雷から力を吸い取り、両腕を動かせるだけの力を取り戻す。その直後に根を切れば、大雷の力を吸い尽くすことなく、この根の呪いを自分が引き受けることもできるだろう。
ただ、『二人分の呪詛』を自分一人が引き受けた後、何が起こるかは未知数ではあるが──。
「……なあ、大雷? 俺がどんな化け物になっても、其方は、俺を想ってくれるだろうか?」
「タケミカヅチ様? わたくしが、『いいえ』と答えるとお思いですか?」
聞くまでもなく、答えは分かっていた。
タケミカヅチはありったけの想いを込めて、呪詛返しの言霊を紡いだ。