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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.5 < chapter.2 >

 午後零時五分。関東平野の神々は、開始された無差別落雷による二次的影響に対処していた。

 ある神は変電所の防御を、ある神は送電網の守護を、ある神は不安に泣き叫ぶ幼児をなだめ、またある神は、川の中州でバーベキューをしている人間たちに退避を促していた。

「まったく……なぜ人間はここで肉を焼きたがるのだ? 上流で雨が降れば水没すると、あれだけしつこく報道されているのに……」

 大袈裟にぼやいているのは鹿島神宮の祭神、タケミカヅチである。大雷は彼が不在であると認識していたが、作戦開始の五分前、実は現世に顕現していた。

 関東平野全域の神が総出でフォローに回るというのに、常陸国一之宮の大神が、高天原のビーチでトロピカルドリンク片手に日光浴を楽しむわけにはいかない。遅刻しないギリギリの時間に顕現し、自身の崇敬者が最も多く住むエリア、茨城県内を巡回していた。

 そこで見つけたのが、この『中州でバーベキューを楽しむ大学生グループ』である。男女混合二十人以上のグループの中に、霊感のある人間は一人もいなかった。何をどう呼びかけてみても、神の声はまるで届かない。やむを得ず、タケミカヅチは彼らのすぐそばに、ごく弱い雷を落とした。

「うっわ! なに!?」

「めっちゃ光ったべな!?」

「雷落ちてんじゃん! ヤベエよこれ!」

「逃げたほうが良いんじゃない!?」

「そ、そうだな! あっち移動すっぺ!」

 人間たちはギャアギャア騒ぎながら、大慌てで荷物をまとめ、速やかに河原を離れてくれた。

 タケミカヅチはそれを見届けると、今度は登山者の避難誘導に向かう。

 こちらもバーベキューグループ同様、普通に呼びかけたのでは声が届かない。この登山者は悪天候にも関わらず、無謀にも障害物の無い尾根を歩き続けていた。立ち木も避雷針もない場所で最も背が高く、電気を通しやすい物体は人体である。このままでは確実に雷に打たれる。

「お前ら! 登山ガイドブックくらい読んでから山に入れ! この大馬鹿者共が!」

 先ほど同様、人間が感電しない程度の威力で、けれども十分な危機感を感じられる距離に雷を落とす。

「ヒェッ!? 雷!?」

「まずい! 早く尾根を抜けよう!」

「急げ急げ! 死んじまうぞ!」

 そういう生存本能は雷が落ちる前に発動させてもらいたいものだが、一度怖い思いをすれば、次からはきちんとした登山計画書を作成するようになるだろう。タケミカヅチは盛大に溜息を吐きながらも、彼らが安全な場所に退避するまで、根気強く見守った。

 このように超・至近距離に雷が落ちたのに誰一人負傷者が出なかった場合、かなりの高確率で神が危険を知らせている。しかしその神が、タケミカヅチのように面倒見が良いとは限らない。可及的速やかにその場から退避せねば、次こそは本気の一撃が落とされる。あまり、神の加護を過信すべきではない。

 その後も何組かの大馬鹿者を安全圏まで避難させ、タケミカヅチは他の神々に呼びかけた。誰かが避難誘導に手古摺っているようなら、サポートに入ることも必要かと考えたのだが──。

「タケミカヅチ様、よろしいでしょうか」

 唐突に聞こえた声は、他の神からの念話である。これは音声による交信と異なり、伝えたいメッセージが思考領域にダイレクトに届く。基本的には自分の地声とまったく同じ声が届くのだが、この相手の声に聞き覚えはなかった。

「はて? 耳慣れぬ声だが、どちらの神かな?」

「わたくしは東京都江東区にあります、東砂天祖神社の稲荷でございます。突然お声がけいたします無礼を、平にご容赦いただきたく……」

「構わん。用件はなんだ?」

「は。大雷様のご様子が、いささか気になりまして」

「詳しく話せ」

「雷雲による『聖域』を構築されているため、こちらからでは内部の様子が分かりづらいのですが、もしや大雷様は、なにかと交戦しておられるのでは?」

「交戦?」

「はい。私の神格では、『聖域』の内部を透かし見ることはできません。ですが気配を読む限りでは、どうにも不可解な挙動があるように思えまして……あやふやな話で、申し訳ございません……」

「いや、ありがとう。他の稲荷たちにも確認してみよう」

 タケミカヅチはさっそく、『聖域』周辺エリアの稲荷社に呼びかけた。するとなんと、誰もが同じような話を始めたではないか。

「江東区永代二丁目の出世稲荷です。朧気ではありますが、大雷様以外に、複数体の神的存在の気配を感じます」

「こちら中央区新川一丁目、渡海稲荷。先ほど微かですが、大雷様のものと思われる悲鳴が聞こえました」

「中央区日本橋蛎殻町、銀杏稲荷です。私も、それらしい声を聞きました」

 まさかという思いに駆られながらも、タケミカヅチは冷静に状況確認を続けた。

 大雷が構築している『聖域』は結界とよく似た性質を持つ。『聖域』の内部、墨田区の全域と周辺区の一部は通信遮断状態に置かれ、外部から中の様子を透かし見ることは難しくなる。中の様子を知りたければ、大雷より神格の高い神が『聖域』に押し入らねばならない。

 もっと詳細な情報を得ようと、タケミカヅチは頼れる相方、香取神宮祭神のフツヌシに呼びかけた。

「フッく~ん! お~い! 聞こえるか~? フッく~ん?」

 神の念話に距離は関係ない。タケミカヅチと同様に千葉県内を駆けずり回っていたフツヌシは、相方の呼びかけに即座に応える。

「はいは~い、なにかな~?」

「大雷が何者かと交戦している可能性がある。『聖域』内部の状況を確認したい。亀戸香取神社は使えるか?」

「あー、ゴメン、無理だわ。亀戸も小村井も『聖域』の中だよ」

「新小岩と小松川は?」

「ギリギリ聖域内。亀有も位置的に若干怪しい感じだから……確実に使える香取神社は赤羽と葛西かな? 鹿骨の鹿島神社のほうが近いかもよ? あ、大森貝塚のトコも使えるんじゃない?」

「かもしれんが、今はそちらに向かえないんだ」

「なんで?」

「踏切で立ち往生している老人を見つけてしまった。次の電車までは十分近くあるが、周りに誰もいない。ペースメーカーを埋め込んでいるようだから、雷属性の俺が憑依したらショック死してしまうかもしれんし……」

「大ピンチじゃん! いいよ! 大雷ちゃんのほうは僕が様子見てくるから、頑張って助けてくれそうな人間探してきて!」

「すまない、ありがとう!」

 タケミカヅチから状況を引き継いだフツヌシは、千葉県香取市の香取神宮ベースキャンプから、東京都江戸川区東葛西五丁目の香取神社ホリデーハウスへと移動した。大和の神は、自分が祀られている神社なら全国各地、どこの神社にでも瞬間移動できる。が、その先は自分の足で走るか、式神や神獣に乗って移動することになる。残念ながら、この神社に配されているのは唐獅子である。戦闘時には優れた能力を発揮する唐獅子も、長距離走は専門外。無理に騎乗して移動するよりも、自分の足で走ったほうが速い。

 フツヌシはパンッ! と一つ柏手を打ち、自身の装束を変化させた。

 下総国一之宮の祭神、経津主大神フツヌシノオオカミの正装から、マラソン選手のような短パン、ドライメッシュタンク、ランニングシューズ姿へ。そして軽く屈伸、伸脚、腿裏とアキレス腱のストレッチなどを行うと、勢いよく駆け出し、中葛西の町へと繰り出した。

「ウオラアアアァァァーッ! 武神フツヌシのマジダッシュをなめんなよおおおぉぉぉーっ!」

 式神を使う、という選択肢もあるのだが、なにしろ武術とスポーツの神だ。氏子や参拝者の多くが体育会系であるせいか、フツヌシのメンタルとマインドも、かなり激しく影響を受けている。体力勝負で解決できそうな問題なら、一も二もなく体を使う。

 斯くしてフツヌシは、全力ダッシュで東京スカイツリーへと向かった。




 タケミカヅチが大雷の異常に気付くより前、大雷の元には想定外の助っ人が駆けつけていた。

 彼らは神でなく人だった。ただし、ごく普通の人間とは言い難い。なぜなら彼らは、鳥型の式神で空を飛んでいたからだ。

「ハアアアァァァーッ!」

「セイヤアアアァァァーッ!」

 戦い慣れた様子の人間たち。頭数は二人。マスクとサングラスで顔を隠しているが、背格好や服装から、十代前半の少年であると思われた。彼らは空を自在に駆け回り、黒コウモリの背後を取っては攻撃を仕掛けている。命中精度は非常に高く、式の無駄撃ちはほとんど無い。

 だが、やはり人間の力では限界がある。はじめのうちこそ奇襲攻撃がまっていたが、大雷の攻撃でも祓いきれない量と密度の『穢れ』の群れに、徐々に押され気味になっていった。

 このままでは少年たちが死んでしまう。

 そう思った大雷は、咄嗟に呼びかけていた。

「二人とも、こちらへ! 共に戦いましょう!」

 三人で死角をカバーし合えば、各個撃破を狙った空中戦よりも、身の安全を優先した戦い方ができる。大雷はそう考えたのだが──。

「ヤなこった! 大和神族なんかと組んでたまるかよ! 《不知火しらぬい》!!」

「《轟咆ごうほう》!」

 一人は純白の炎で黒コウモリを焼き祓い、もう一人は神獣の咆哮で邪を祓う。

 この攻撃に、大雷は「アッ!」と声を上げた。

 純白の炎は天邪鬼アマノジャク、神獣の咆哮は犬神イヌガミの固有術式である。

「其方らは、天邪鬼と犬神の『器』ですか!?」

「だったら何?」

「伊勢からの指令は聞いているでしょう!?」

「ぜ~んぜん! うちのジャックさん、伊勢からの回線遮断してるし! アマテラスの命令なんか聞くワケねーじゃん!」

「犬神は!?」

「聞こえてたけど、飼い主不在だから従う気は無いって!」

「二人とも、たまには伊勢に顔を出しなさい! それでも大和神族の一員ですか!?」

「知らねーよ! 勝手にジャックさんまで神様にすんなっての!」

「飼い主の命令以外は聞く気ないって言ってます!」

「あ~……もう! これだから、アヤカシモノ上がりの神は……っ!」

 協調性、ゼロ。

 それもそのはずで、天邪鬼は、そのひねくれた性格故に神格化を果たしたアヤカシモノである。人間は思っていることと真逆のことを言ったり、わざと違うことをする者を『天邪鬼』と言い表す。元は低級妖怪だった天邪鬼は、人間たちの発する『言霊』の力を得て霊格を上げ、ついには大和神族の一員として認められた。

 だが、そもそもが『ひねくれ妖怪』だ。神になったところで何かを守護するわけでも、他の神を手助けするでもなく、常に反抗的な態度を取り続けている。それでも彼が神であり続けられるのは、日本が『感情を表に出さない国民性』であるからに他ならない。大好きなのに「そんなんじゃないし!」と言ってしまう恋の嘘も、可愛い物を見てデレデレしないようにこらえる心も、すべては天邪鬼への信仰心としてカウントされているのだ。

 『ツンデレ』は、人間たちの心に勝手に発生する心理状態である。わざわざ神が導かずとも、自動的にそのような状況に陥る。よって、彼は信仰心を得るだけで消費する先が無い。現状、天邪鬼は非常に厄介な『パワフルニート神』と化していた。どうやらここには、憂さ晴らしのために出てきたらしい。

 そしてもう一人、犬神のほうは──。

「犬神! 其方の飼い主とは、いったい誰です!?」

 毎度毎度、犬神は『飼い主以外の命令は聞かない』と言って伊勢からの招集を無視している。が、犬神は野犬への『恐れ』が『畏れ』に転じて生まれた存在であるため、そもそも飼い犬ではない。一応は『山の管理者』『戒律と懲罰の執行者』として祀られているものの、山林資源への意識も利用法も時代と共に大きく変わってしまったため、彼は今、守護対象があるのか無いのか、本人にもよく分からない宙ぶらりんの状態である。

 犬神の『器』は黒コウモリの攻撃をひらりと躱しつつ、大雷の問いに返答する。

「俺より強い者には従う。弱みを見せたら食い殺す。俺を屈服させられる者が飼い主だ。俺は強者との戦いを欲している……って、言ってますけど?」

「……どこの狂犬よ、それ……」

 天邪鬼と行動を共にしていても、天邪鬼は飼い主ではない。彼らはただの『遊び仲間』ということなのだろう。そしてこの場に現れた理由は、『器』が代弁した「強者との戦いを欲している」という言葉で説明できる。

 天邪鬼も犬神も、戦うこと自体が目的であって、大雷の加勢は考えていない。この二人を従わせることは非常に難しい。

 あらゆる要素を吟味した結果、大雷は共闘を諦めた。

「もういいです! 勝手になさい!」

「最初からそのつもりだっての!」

「命令するなブス! って、言ってるんですけどもぉ~……?」

「犬基準の美人って、どうせ雌犬でしょう? わたくしのメンタルはノーダメージです!」

 フフン、と笑った大雷だったが、余裕の笑みを見せていられる状況ではなかった。十数体の黒コウモリが同時に殺到したのだ。

「えっ! ちょ……っ!」

 全方位に雷撃を放つが、一体仕留めそこなった。

「っ!」

 黒コウモリの体当たりを受け、大雷はスカイツリーの頂上、ゲイン塔の先端から弾き出される。

 自由落下フリーフォール状態の大雷を、何体もの黒コウモリが小突き回す。彼女は天候を操る農耕神である。風を操って宙を舞うことくらい造作もないのだが、戦闘に特化した神ではないため、防御や受け身の基本動作が身に着いていない。敵の攻撃を防ぐことも、落ち着いて風を操ることもままならず、右へ、左へと激しく揺さぶられ、地面までの距離はあっという間に縮まってしまった。

「────ッ!!」

 地面に叩きつけられ、一時的な行動不能に陥る。

 この程度の落下ダメージで神が死ぬことはないのだが、この状況において『一時的な行動不能』は致命的だった。

「あっ! ……ぐっ! ……う……」

 何体もの黒コウモリが、地に横たわった大雷に向かって突撃を繰り返す。

 仰向けの姿勢で、無防備に受け続ける攻撃。大雷の力は見る間に削がれていく。


 薄れる意識。ひどく痛むはずなのに、なぜか失われていく痛覚。


 攻撃を受けるたび、黒コウモリと接触した箇所から、どす黒い『負の感情』が流れ込んできた。

 憤怒、憎悪、嫉妬、恐怖、絶望、悲壮、虚無、孤独、劣等感──それらは人間たちが少しずつ吐き出し、この地に積もらせていった感情である。一人一人、一つ一つの思いは小さくとも、この半年間、誰もがずっと負の感情を吐き出し続けてきた。それらは攻撃の都度、大雷へと流れ込む。

(なに……これ……? やだ……やめてよ……)

 大雷の精神を黒く塗りつぶしていく、膨大な量の負の感情。

 反撃の方法も、逃げ延びる方法も思いつかない。何かを考えようとすれば、心の闇がこう囁く。


 無駄はおよしよ。あんたは死ぬんだ。今、ここで。


 そんなことはないと、言い返すほどの気力が湧かない。

 何も考えられないし、何もしたくない。

 防御姿勢を取る努力すら放棄してしまう、猛烈な無気力感。されるがままに攻撃を受けながら、大雷は心の片隅で、ぼんやりと思う。

(ああ……そう。わたくしは、このまま死ぬのね……?)

 神の『死』とは、すべての力を失って消失することである。もう、痛みも何も感じない。五感を維持するほどの力も残されていないということだろう。伊勢からの指令を何も果たせていないのに、自分はここで終わる。けれども流れ込んだ負の感情のせいか、少しも悔しくなかった。

 もう何もかも、心の底からどうでもいい。

 それでも大雷は、消えかけた意識の中、ただ一つだけの心残りを思い出した。

 胸いっぱいに思い浮かべたのは、自分と同じ雷属性の神、タケミカヅチの顔だった。

(……こんなことになるのなら、ちゃんと告白しておけばよかったかな……)

 日本最強の軍神のくせに、ちっともそれらしくないベビーフェイス。アマテラスよりも先に生まれた古の神々の一柱でありながら、ちっとも偉ぶらない気さくさ。人間たちとも面白おかしく付き合い、やりすぎるくらい面倒見が良いのに、なぜか本人は冷淡で非情な軍神だと思い込んでいる。

 大真面目におかしなことを言い出す天然系軍神を思い、大雷は泣いた。

 痛みにも、任務を果たせない情けなさにも、これから死にゆく恐怖にも涙を流さない自分が、たったこれだけのことで泣くとは思わなかった。

 死ねば、もう二度と彼に会えない。

 ただそれだけが悲しかった。

「……やだ……やだよ。死にたく、ないよ……」

 特別大きな黒コウモリが迫っている。

 それが見えていても、もう彼女に、雷撃を放つ力は残されていない。

 死を覚悟して、瞼を閉じる。

「……タケミカヅチ様……タケミカヅチ様、お願い……助けて……」

 大雷の眼から、大粒の涙が零れ落ちた。

 その時だった。


 大量の亀戸大根が飛来し、黒コウモリの横っ面を張り飛ばす。


 亀戸大根は江戸野菜の一つである。練馬大根や青首大根よりも小ぶりな根と大きく豊かに伸びる葉が特徴で、亀戸香取神社とその周辺域ではよく知られたご当地野菜だ。

 その亀戸大根が砲弾の如く飛来し、黒コウモリたちに次々命中。大型個体を含む二十六体に大打撃を与える。

 続けて現れたのは、亀戸大根の守護神を兼任している武神、フツヌシである。

「ハアアアァァァーッ!!」

 フツヌシは大根砲で仕留め切れなかった個体に強烈な右ストレートを食らわせ、軽やかにターンしつつ、裏拳で別の個体を殴り倒す。

 予期せぬ敵の出現に、ほんの数秒、黒コウモリたちの攻撃が止まった。フツヌシはその間に柏手を打ち、自身の装束を変更。マラソンランナー風のウェアから、なぜかブルース・リー風のアクションスーツに。そして追加の亀戸大根を召喚すると、亀戸大根の最大の特徴、長く立派な葉の部分を持ち、ヌンチャクのように振り回し始めた。

「ホワタタタタタタタタァァァーッ! ホワチャッ! ハチョアアアァァァーッ!」

 華麗なヌンチャクアクションで次々と黒コウモリを仕留めていく。

 フツヌシは今、氏子の動きをトレースしている。その氏子の名は『なんでもヌンチャク芸人・まさひろ君』。彼はその名の通り、どんな物でもヌンチャクにしてしまうユーチューバーだ。ハンガー、フライパン、弟のランドセル、母親のブラジャー、学校指定の通学鞄、ノートやトイレットペーパーまで、彼の手にかかればなぜかヌンチャクに見えてしまうという、とんでもない特技の持ち主なのだ。

 フツヌシはその動きをトレースすることで、本来は美味しく栄養満点な亀戸大根を、『対穢れ武器』として使うことに成功していた。

 なぜ普通のヌンチャクではなく、ヌンチャクっぽい動作で大根を使うのか。

 実は彼の行動には、常人には理解できない、非常に深い理由があった。

「そら! 食いたきゃ食えよ! 必殺! ふろふき大根アタァーック!!」

 大量召喚されていた亀戸大根が、一瞬でふろふき大根に変化。うまみ成分たっぷりのカツオ出汁を目いっぱいに吸い込んだ熱々ジューシーな亀戸大根が、殴り倒され、地面に横たわった黒コウモリたちの口に捻じ込まれていく。

 するとどうだろう。

 亀戸大根を食べた黒コウモリはパァッと光り輝いたかと思うと、純白のコウモリとなって、いずこかへと飛び去ってしまった。

 この現象はいったい何か。そう問いかける者はいない。聞きたくて仕方が無いのは確かだが、負傷した大雷には、その余裕が無かった。

「フ……ツ、ヌシ、さ……ま……?」

「もう大丈夫だよ! でも、あとちょっとだけ、そこでじっとしててね! まだ全部倒せたわけじゃないからさ!」

 フツヌシは柏手を打ち、またもや装束を変える。今度はブルース・リー風コスチュームから、インドの民族衣装風のセットアップへ。そして分厚いターバンを巻いた頭をクイッと傾げ、上空で交戦中の天邪鬼と犬神を見る。

「ったく、まぁ~たあの野良犬とひねくれ者か!」

 彼らが伊勢からの指令に従わないことは、大和神族の間では有名な話である。数百体の黒コウモリと交戦中の二人は、まだフツヌシの現着に気付いていない。

 戦闘経験、攻撃力などを勘案すれば、このまま戦わせておいても問題は無い。しかし、彼らは目の前で大雷が死にかけても、救援する素振りすら見せなかった。

 同じ大和神族の一員として、断じて許されない行動である。

「んもう、やだなぁ。僕、雷親父キャラじゃないんだけど……」

 一つぼやくと、フツヌシは両手を広げ、つい最近修得した新技を繰り出す。

「食らえぇぇぇ~いっ! 必殺! 《ガラムマサラ・サイクロン》!!」

 フツヌシの手から放たれた猛烈な風。そこにはインドのミックススパイス、ガラムマサラが大量に含まれている。犬神と天邪鬼は黒コウモリもろともスパイスの暴風に揉まれ、激しく咳き込みながら地上に逃げてきた。

「てめ……この……っ! 何しやがる!」

「鼻がっ! 鼻が痛い! なんだこれは!?」

「おいコラ! そこの馬鹿ども! 女子を守ろうともせず、好き勝手に暴れやがって! それでも男か!」

「はっ! 知った事かよ! 俺は貴様らの命令なんか聞かねえ!」

「おのれフツヌシめ……これはいったい何だ? 鼻が……っ!」

「何かと問うならお答えしよう! これは日本とインドの究極コラボ技、《ガラムマサラ・サイクロン》さ!」

「は? ガラムマサラ??」

「インドのミックススパイスだよ」

「いや、それくらい知ってるって! なんでテメエがインドとコラボしてんだって聞いてんの!」

「ああ、そっちね。ほら、江戸川区の西葛西らへんって、インド人多いじゃん?」

「おう」

「日本人と結婚する人もいるわけじゃん?」

「まあ、いるだろうな?」

「氏子ちゃんをお祝いしに行ったら、式場でガネーシャさんとバッタリ遭遇してね~。話してみたらいい感じに意気投合したから、互いの能力を貸し借りできるように、日印神族友好条約を締結しちゃったってワケ!」

「しちゃったってワケ……って、できんのかよ、そんなこと!」

「できてるやろがい!」

「あ、お、おう……?」

 フツヌシの強すぎる押しとノリには、さすがの天邪鬼もひねくれコメントを返せない。ドン引きする天邪鬼と犬神を尻目に、フツヌシは怪しげなダンスで《ガラムマサラ・サイクロン》を操作する。

 通常の神や生物であれば、スパイスの刺激で目・鼻・口の感覚を喪失、風に揉まれて平衡感覚を失い、気圧変化に適応しきれず鼓膜をやられる。しかし見たところ、この敵にあるのは口だけだ。目と鼻、耳に相当する器官は持ち合わせていないらしい。

 それでもフツヌシは、このまま日印コラボ技で押して行けば、十分な効果を上げられると予測した。なぜならこの黒コウモリは、墨田区民から生じた鬱憤が具現化したもの。先ほど黒コウモリたちは、外出自粛期間にはなかなか味わえないプロの味、『亀戸の某老舗和食料理店のふろふき大根』で鬱憤を晴らすことができた。老舗の和食を味わう味覚があるのなら、スパイシーなインド料理でもいけるはずだ。

「よ~し、だったら次はこれだ! 英霊レンタル召喚! インド人コック!」

「レンタル召喚!?」

「マジか!?」

 世界のどの神も、自身を信仰した人間を英霊として召し抱えている。フツヌシには武人や軍人、スポーツ選手などの英霊が。大雷には農業や林業に従事した人々が付き従っている。それらの英霊を召喚できるのは、召し抱えている神本人に限られる。英霊をレンタル召喚するなど、絶対にできないことなのだ。もしも出来てしまえたら、それは前代未聞の珍事である。

 しかし、そのような珍事をさも当然のように発生させるのが、フツヌシという神である。驚くべきことに、英霊レンタル召喚は成功してしまった。

「ナマステーッ! みんな! はるばるインドから来てくれてありがとう! 可哀想なモンスターたちに、とびきりホットなインド料理をご馳走してあげてよーっ!」

 突然の召喚にインド人もビックリ。が、それでも彼らはすぐに適応し、「オオーッ!」と拳を掲げて応えた。日印神族友好条約のおかげで、フツヌシの日本語はインドの言葉に自動翻訳されているらしい。

 総勢百名のインド人コックたちは、一緒に召喚されたタンドール窯から焼きたてのナンを、大鍋からカレーを、フライヤーからサモサを、ドリンクピッチャーからチャイやラッシーを、そのほか、日本人にはあまり馴染みのないインド料理を次々に取り出し、見事な投球フォームで黒コウモリの口に放り込む。

「ッ!?」

「ウマイ!?」

「ドコノ店!?」

「ハジメテ食ベル味!」

「モットクレ! オカワリ!」

「サイコーデェェェースッ!!」

 こいつら喋れたのか! と思った一同だが、その感想を口にする前に、コウモリたちの姿が変化する。

 巨大な黒コウモリが、白く小さなコウモリの群れへ。そしてその白コウモリたちは、自身の生みの親、鬱憤を抱えた人間の元へと帰っていく。

(……ああ……そっか。これって……)

 まだ動けない大雷も、ぼんやりとした意識の中で、この現象のカラクリに気付いた。


 これはある種の『呪詛返し』である。


 亀戸大根のときには理解できなかった現象でも、落ち着いて二度目を見れば分かる。通常の『呪詛返し』とは、相手の呪詛にこちらの力を上乗せして送り返すカウンターアタックのことだ。相手の力をこちらの攻撃の一部として利用できるため、上手く返せれば、元の呪詛の数倍から数十倍の威力で攻撃をめられる。

 フツヌシはその仕組みを活かし、『小さな鬱憤』を『大きな満足』に書き換えて、生みの親へと送り返していた。この場の穢れを浄化するのみならず、穢れを生み出した人間のメンタルをも治療してしまう、一石二鳥の超必殺技である。

(すごい……さすがはフツヌシ様だなぁ。……私なんて、なんにもできなかったのに……)

 己の無力に、胸の奥がチクリと痛む。

 けれども、戦いはまだ終わっていない。これまで相手にしていたのは、全体から見ればほんの一握りだ。墨田区民二十七万人が生み出した鬱憤と不安の集合体は、全方位から、黒い群れを成して押し寄せている。

 あまりの数、あまりの殺気に、天邪鬼と犬神もフツヌシと共闘する形をとる。

 三人は動けない大雷を囲み、死角をカバーし合うように構えた。その手にはそれぞれ異なった形状の弓が握られている。が、三人はまだ矢を射ろうとはしない。

 三メートル近くある超大型の大弓をギリギリまで引き絞り、フツヌシは天邪鬼に話しかけた。

「ねえ、天邪鬼? 君、やることなくて色々溜まっちゃってんでしょ? 日頃の鬱憤、ここで晴らしていっちゃいなよ~♪」

「あぁ? このバ香取が! 上から目線で命令すんじゃねえ! 誰が貴様の言うとおりになんかしてやるかよ!」

「って言ってる割に、ちゃんとタイミング見てるよね、君。合わせてくれる気満々じゃない」

「知るかよ! 俺は超絶クソ弱ぇアヤカシモノ上がりだからな! 合わせたところで何の足しにもならねえだろうなぁ! あ~あ、期待して損した~って言わせてやんぜ! 覚悟しとけよ!」

「おー、頼もしいな~♪ で、犬神のほうはさ、たしか、強い奴と戦うことが趣味だったよね?」

「趣味ではない! 命題だ! って、言ってますよ?」

「あれ? もしかして、犬神のほうは人間の意識飛んでない?」

「はい。体の制御権持ってるの、俺ですけど?」

「マジで!? 君、運動能力高すぎじゃない!? 体育の授業とか、逆に苦労しちゃうでしょ!?」

「あ、フツヌシさんて分かってくれる系!? そうなんですよ! 本気で走るとオリンピックレコード超えちゃうから、俺いつも不完全燃焼で! いい汗かけるまで運動できないってゆーか、なんてゆーか……」

「じゃあさ、これが終わったら、僕と勝負しようよ。短距離走でも長距離走でも、何でもいいよ」

「あれ? もしかして俺、舐められちゃってます?」

「いやいや、ぜ~んぜん! 僕のほうも、本気で勝負できる相手がいなくてさ! 君と走ってみたいだけ」

「なら、受けて立ちますよ。スポーツの神に『泣きの一回』言わせてみせます」

「おー、言うじゃん。その時は土下座でも何でもしてあげるよ♪」

「言いましたね? ジャックさん、今の聞いたよね?」

「いいやサッパリ! 下総の大神の土下座なんてクソつまんねえだろ! 全っ然楽しみじゃねえなぁ~! 全裸土下座くらい約束させとけっての! スマホでケツ穴接写してやんぜ!」

「あっはっは。おいおい君達、フツヌシ様を……な・め・ん・な・よ!」

 言いながら、フツヌシは引き絞った弓から鏑矢を放った。

 続けて天邪鬼、犬神も鏑矢を放ち、三人は同時に言霊を繰る。

「「「篠突しのつあめ言祝ことほぎの、八百やおよろずの矢に果てよ! 攘災招福じょうさいしょうふく! 《千万鏑せんばんかぶら》!!」」」

 放たれた鏑矢は青白い光を放ち、それぞれが九千九百九十九本の光の鏑矢に変化する。

 光の鏑矢は間近まで引き付けておいた黒コウモリの群れに直撃。やじりが発する邪気祓いの音と神聖な光で、敵の力を大きく削ぐ。

 力を奪われて地面に落ちたコウモリには、すかさず英霊コックたちが駆け寄り、出来立てホカホカ激旨スパイシー料理を振る舞う。

 三柱の神とインド人コックの見事な連携がまり、黒コウモリは次々と浄化。白コウモリとなって、発生源へと返されていった。

「いいねいいね! こんな感じで、どんどん行こうか!」

「勝手に仕切んなバ香取!」

「臭いがキツくて鼻が痛い! おのれインド人! って言ってまーす!」

「う~ん? スパイシーでいい香りだと思うけど、犬神の嗅覚にはそんなにキツく感じるの? インドの犬はどうしてるんだろう……?」

 フツヌシの疑問に答えてくれる神はいない。遠方からは、なおも数万の群れが飛来している。倒しても、倒しても、まだまだ穢れは湧き出ているようだ。

 しかし、しばらく攻撃を続けて、三人は何かがおかしいと思い始めた。

 インド人コックの『ごちそう攻撃』が、徐々に効かなくなっているのだ。

 天邪鬼は鏑矢で大型個体を狙い撃ちしながら、大袈裟に首をかしげる。

「どういうことだ? なんでいまさら大型が出てくんだよ。こいつら、人間の『鬱憤』が具現化した存在だろ? こんだけ浄化したんだから、もうあとは味噌ッカスみてえなチビ個体しか出ねぇんじゃねぇのか……?」

「うん……そのハズ……なんだけどなぁ……?」

 フツヌシも、原因不明の現象に首をかしげるばかりである。

 すると、犬神の『器』が言った。

「最初のほうと今とではニオイが違う。今相手にしている『穢れ』は人間以外の負の感情から生じた物だ……って言ってます!」

「は? なんだそりゃ」

「人間以外って……?」

「さあな。近くに『闇堕ち』した神でもいるんじゃないか? ……って、言ってますけど?」

 犬神の言葉に、フツヌシは空を見上げた。

 『禊の雨』は降り続いている。この雨のせいで、今は穢れの気配も神の気配も、非常に感知しづらい状況にある。フツヌシはこれまで、自分が戦っている相手は人間が生み出した『穢れ』であると信じて疑わなかった。だが、そうでないとするならば──。

「……いや、まさか……?」

 フツヌシはチラリと後ろを振り向き、最も考えたくない可能性に気付いてしまった。

「……大雷ちゃん? 起きてる?」

 地面に横たわったまま目を閉じていた大雷は、フツヌシの声に反応し、微かに身じろぎする。

「こっち、向ける?」

「う……くぅ……っ!」

 動こうとはしているのだろう。けれども、受けたダメージが大きすぎた。首をこちらに向けることすらできないようで、激しい痛みに顔をゆがめている。

「……大雷ちゃん、正直に答えて。君は今、何を考えてる?」

 大雷は答えない。

 答えられないのか、答えたくないのか、傍目には判別がつかなかった。だが、フツヌシは大雷よりもずっと格上の神である。その気になれば、大雷の思考を強制的に覗き見ることもできる。

「……天邪鬼、ちょっとの間、僕の分も肩代わりしてくれる?」

「やなこった! 俺は勝手に戦ってるぜ!」

「うん、ありがと」

 フツヌシは戦列を離れ、後ろに庇う大雷に駆け寄った。そしてその額に触れ、大雷の思考を読み──。

「っ! ……ごめん。僕じゃあ、ダメだったんだね……」

 その瞬間、フツヌシの身体は後方に吹き飛ばされた。

 自分の横を掠めるように飛ばされるフツヌシを見て、犬神は即座に標的を変える。

「《轟咆ごうほう》!」

 が、この攻撃は当たらない。大雷が放った闇の衝撃波に相殺されている。

「くっ……ジャックさん! ヤバいんじゃないの、これ!」

「ああ! 逃げるぞ!!」

 鳥型の式神を出現させ、宙に逃れる犬神と天邪鬼。直後、二人のいた場所に真っ黒な雷が落とされた。

「っんだよ! あいつ、ガチで堕ちやがったのか!?」

「ちょっとジャックさん! フツヌシさんはどうすんのさ!?」

「どうするもなにも、拾ってく余裕なんか……うわあっ!?」

「あっぶねぇ! マジでる気じゃん!?」

「どうぞごゆっくりぃぃぃーっ!」

「あ、ちょっ! 待ってよおおおぉぉぉーっ!」

 黒い雷を回避しながら、二人は『聖域』の外へと逃れた。




 雨雲は見る間に厚みを増し、轟く雷鳴は天地を震わせる。

 スカイツリーに、黒ずんだ雨が降り注ぐ。

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