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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)5.5 < chapter.1 >

 二〇二〇年、夏。

 大和神族の守護担当エリアでは、深刻な問題が生じていた。

「は……言霊ことだまふうじのまじない……ですか?」

 伊勢神宮に呼び出された神、大雷オオイカヅチは、耳慣れぬ言葉の意味を問う。

 御簾の向こう側で、アマテラスはため息交じりに解説を始めた。

「知っての通り、『言霊』は神と人とをつなぐ最も簡易な交信手段です。人が言葉に思いを乗せて発すれば、その言葉は私たち神の耳へと届けられます。神前で祈った言葉以外であっても、その内容次第では、対応する神の元へ信仰の思いが届くもの……ここまでは大丈夫ですね?」

「はい。人が何かを食べて『美味しい』と言えば、それは我々農耕神への、感謝と信仰の言葉として届いております。それが、何か……?」

「その声が封じられているのです。例のウイルスによって」

「……例のウイルス、ですか……」

 二〇一九年末から発生した、新型コロナウイルスの世界的大流行。中国武漢市に端を発した感染爆発により、人間たちの生活は大きく様変わりした。このウイルスは感染者との身体的接触、糞便や吐瀉物からの感染のほかに、会話の際に飛び散るごくわずかな飛沫からも感染が広がる。そのためごく親しい親類や友人同士であっても、一緒に食事をとることすら憚られる状況が続いている。

 温かい食事と、その場で交わされる楽しい会話。そこで発せられた言霊は、農耕神たちの力の源となっている。確かに大雷も、このごろめっきり力が衰えているが──。

「会食の機会が減ったことが、『言霊ことだまふうじのまじない』となっているですか?」

 大雷の問いに、アマテラスは大きく首を横に振る。

「食事だけではありません。映画も、演劇も、コンサートも、スポーツイベントも、すべて中止されてしまったでしょう? 今は、ありとあらゆる属性の神が力を失っています。『集まってはいけない。大きな声で会話してはいけない。遠出してはいけない』……感染予防のために呼びかけたそれらの言葉が、大和神族への『言霊封じ』として作用しています」

「ですが、感染を防ぐには……」

「それらを徹底するしかありません」

「……まさしく、まじないですね……」

二〇二〇年八月初旬の時点で、全世界に二千万人以上の感染者と、七十万人以上の死者が出ている。この大災厄の中、日本は感染者数と重症者数をきわめて低い水準に抑えることに成功していた。だが、予断を許さない状況は未だ継続中である。

 科学的、医学的な問題は人間たちの努力によって解決できる。しかし、『霊的な問題』は如何ともしがたい。言霊が得られなければ、神々は力を失い、ありとあらゆる災厄から国土を守ることができなくなってしまう。

 そんな超・非常事態に、なぜ自分が呼び出されるのだろう。大雷は、戸惑いも露わに理由を尋ねる。

「あのー……アマテラス様? わたくしめに、一体何ができましょう……?」

 この場に呼び出されたからには、なんらかのミッションが課されるはずである。身構える大雷に、アマテラスは低い声でこう言った。

「雷を落としなさい」

「水田に、でしょうか?」

「いいえ。関東平野全域に、無差別落雷を実施なさい」

「全域、と言われましても……都市部に落雷させれば、停電や、電子機器の異常を招くおそれが……」

「承知の上です。それらは可能な限り、稲荷社の狐たちにカバーさせます」

「雷を落として、邪気を祓うのでしょうか?」

「それもあります。ですがそれ以上に、声を上げさせたいのです」

「声を、ですか?」

「そう……悲鳴でも、取り留めのない独り言でもいい。とにかく何かを喋ってもらわないことには、『言霊』は生まれませんからね。現状を打破するには、これまでにない、大きく、強い『言霊』が必要です。金狐きんこ銀狐ぎんこ、鏡をこちらへ」

 アマテラスの声に合わせ、神使の霊獣、金狐と銀狐が大きな青銅鏡を運んでくる。これは神や霊獣、式神の視界をそのまま中継、もしくは録画再生するための装置である。かつては「さすがは神! なんという奇跡だ!」と驚かれたこの装置も、現代人が見れば「3Dプロジェクター? へえ、すごいね!」で済んでしまうのだから、文明の進歩とは恐ろしいものである。

 床に置かれた青銅鏡は、都内在住の、ある在宅エンジニアの一日を映し出す。

 昼過ぎに起床。PC前に移動し、買い置きのインスタント食品を食べながら作業開始。仕事の指示はメールやグループチャットで送られてくる。テレビ会議を積極的に行う企業もあるが、このエンジニアの契約先は文書の送付のみで済ませてしまうらしい。

 夕方、一度だけトイレに立つ。ついでに玄関を開け、ドア横に置かれた『置き配』の荷物を回収。中身はカップ麺とレトルト食品、エナジードリンクである。

 夜、昼に食べたのと全く同じインスタント食品で夕食を済ませると、SNSで同じ趣味のユーザーに『いいね』のハートを送る。特にコメントは送らないし、自分の言葉を投稿することも無い。

 深夜、集中力の落ちた頭で何度も同じ箇所の直しを行う。思ったような動作にならずに試行錯誤しているが、そもそも、チェックしている箇所が違う。間違ったコードが書かれているのはもう少し前だ。ちょっと体を動かして気分転換でもすれば、五秒で気付くような単純なミスである。

 明け方、夜食なのか朝食なのか判然としない飯を食らい、そのまま寝落ち。そして目覚めると同時に、前日と全く同じ『次の日』が開始される。

「こ……これは……」

 絶句した大雷に、アマテラスは言う。

「この男が特別に珍しいわけではありません。毎日買出しに出ている人間でも、セルフレジを利用すれば、一言も発することなく買い物を終えられます。毎日出社していても、カードキーによる出退勤管理、フレックスタイム制、個別に与えられたワークスペースのせいで、一言の挨拶すらなく一日が終わる人間もいます。『同僚』と呼べる人間がいない職場なんて、この時世では珍しくも何ともありません。そしてたいていの人間は、そんな生活には耐えられません」

 続けて流された映像には、先ほどのエンジニアを含む複数名の人間が『闇堕ち』する様子が納められていた。

 全身からどす黒い瘴気を放ち、目の前のPCから、スマホから、固定電話やファックスから、何の罪もない赤の他人に呪いの言葉を吐き散らしている。その相手はたまたま目についたインフルエンサーであったり、芸能人であったり、テレビの街頭インタビューに答えた一般人であったり、幸せそうに暮らしている近隣住民であったり──直接的なかかわりなんて何もない人間を標的に、思いつく限りの罵詈雑言、事実無根の誹謗中傷を開始する。

 この映像は、その場に駆けつけた霊獣や式神たちの見た一部始終である。もちろん、神使の霊獣がそんな暴挙を黙って眺めているはずもない。SNSへの書き込みや電話を始めた時点で、邪気祓いの儀式を執り行っている。

 ただ、普通の人間に神は目視できない。そのうえ、このような現場に派遣される霊獣の神格はとても低い。すべての邪気を祓って心身の健康を取り戻させるまでに、数時間から数日、場合によっては数か月を要してしまう。『神』への信仰心が薄れた現代社会においては、センサーとなるお守りや神棚、鈴や破魔矢を所有していない人間も多い。問題発生の把握から邪気祓いの実施までに時間がかかるため、迅速な対応が難しいのが現状である。

 大雷はゆっくりと頭を横に振る。

「……よもや、このようなことになっていたとは……」

「ええ……なってしまったのですよ。このような、非常に残念な事態に。そこで臨時に開かれた新型コロナウイルス対策会議、『八時だヨ! 全神集合!』の場で、貴女に白羽の矢が立ったというワケです」

 なんだその会議名は。

 そう思った大雷だったが、相手は日本神道最高神のアマテラスだ。ボケか本気か区別がつかない以上、スルーしておくのが安全策と判断した。

「ええと、その……なぜ、わたくしなのでしょう? 確かにわたくしの能力であれば、大きな音と光で、人間を驚かせることもできますが……」

 大雷は雷属性の農耕神である。水田や畑、果樹園の上空で雷鳴を轟かせ、大気中の邪気を祓う。大地に穢れを見つければ、稲妻を落として焼き祓う。大雷の音と光に清められた農地では、確かな実りが確約される。だからこそ彼女は『かみなり様』として、太古の昔から信仰を集めてきたのだが──。

「今時、雷に悲鳴を上げてくれる人間がいるでしょうか……?」

 もはや『雷』は神秘現象ではない。義務教育課程を修了した人間であれば、それが分子の摩擦によって生じるありふれた放電現象であると理解しているのだ。手を合わせて地にひれ伏し、神に祈り始める人間なんて、この半世紀ただの一人も目にしていない。

 大雷の心情に理解を示すように、アマテラスはウンウンと小刻みに頷いてみせた。

「だからこそ、無差別落雷が必要なのですよ。一時間当たりの地域別発雷数が万を越えれば、各種メディアが話題にするでしょう。SNSの書き込みでも、手書き文字と同等の『言霊』が宿ることは確認済みです。『すごい雷だ』という文字列が書き込まれれば、それは貴女への信仰心としてカウントされます。この国を守るには、まずは首都圏・関東平野の護りを強化せねばなりません。あなたが選ばれた理由は分かりましたね?」

「……はい……たしかにわたくしであれば、他の神々よりは、言霊を集めやすいと思いますが……」

 自分に、そんな大役が務まるだろうか。

 不安げな大雷に、アマテラスは優しく微笑み、柔らかな口調で問いかける。

「決行は本日正午を予定しています。無理にとは言いません。断っても良いのですよ?」

「い……いいえ! やります! やらせてください!」

「では、お願いできますか?」

「はっ! 謹んで、拝命いたします!」

 国を守るため、すべての神のさきがけとなれ。

 アマテラスの言葉には、あまりにも重い『言霊』が込められていた。




 午前十一時五十五分、大雷の姿は東京スカイツリーの上にあった。日本人が築いた建造物の中で最も高い標高を誇るスカイツリーの先端であれば、関東平野全域を余すところなく見渡せる。

 アマテラスから受けた指令は、正午丁度に無差別落雷を開始すること。この時間であればよほど極端な夜型生活者でない限り、大人も子供も誰もが雷鳴を聞き、縦横無尽に天を翔ける稲妻の閃光を目にする。

「……あと五分……あと五分かぁ~……」

 大雷は何度も何度も時計を見ては、落ち着きなく足元の街並みを見回していた。

 神は時計を持たずとも正確な時間を把握できる。が、なにしろこれまでに経験の無いミッションである。インフラへのダメージはできるだけ回避する方向で考えているが、それでも大雷が把握していない小規模変電施設には不具合が出てしまうかもしれない。稲荷社の狐たちが氏子のケアに当たると言っても、都市部には人工呼吸器や電動ベッド、介護用リフトが無ければ生活できない人間が大勢暮らしているのだ。少しでも力加減を間違えれば、多くの人命が失われかねない。

「うぅ~……本当にやるの? やらなきゃならないの? タケミカヅチ様も来てくださらないのに……?」

 大雷は日本最強の軍神、タケミカヅチの顔を思い浮かべた。同じ属性、同じエリアを拠点にしていることもあり、大雷はことのほか可愛がられている。彼が一緒にいてくれたら──せめて一言、「お前ならできる」と言ってもらえれば、それだけでどんな不安も払拭できる。

 しかし残念なことに、タケミカヅチは不在であった。タケミカヅチは軍神であるため、日本が戦争状態にない今、常時顕現している必要はないのだ。そのため祭事の時以外は高天原で過ごすことが多い。

 頼れる兄貴分の応援が期待できない以上、自分の力で頑張るしかないのだが──。

「あと……あと一分! 無理! 絶対無理よ! わたくし一人でこんな大役……こんな大役なんて……っ!」

 涙目で膝を抱えてみても、アマテラスの前で「拝命いたします」と言ってしまったのだ。言った以上はやらねばならない。

「……あと……十秒……七……五……三、二、一……ッ!!」

 正午丁度、大雷は無差別落雷を開始した。

 関東平野全域に、ありったけの力でかき集めておいた積乱雲。そこから一斉に雷鳴を轟かせる。

 腹の底に響く重低音。巨獣の咆哮の如き『神鳴り』に、人間たちは一斉に空を見上げ、慌てて屋内に逃げ込んでゆく。

 ほどなく降り始める土砂降りの雨。これはただの雨ではなく、大地を洗い清める『禊の雨』である。この雨により、スカイツリー周辺は大雷の力が最大に引き出される『聖域』と化す。関東平野全域への無差別落雷を安定的に継続するため、まずは拠点作りから、と考えたのだが──。

「……え?」

 想定外の事態が発生した。

 雨に打たれた地面から、家々の屋根から、窓から、ドアから、自動車や電車、公園の遊具、学校をはじめとする公共施設から──ありとあらゆる場所から、一斉に黒い霧が噴出し始めたのだ。

「な……ちょっ! ウソでしょう!? 何ですかこれは!?」

 この黒い霧は、人の心が生み出した『穢れ』である。ひとつひとつの『穢れ』は非常に小さくとも、ここは東京都墨田区。都内の市区町村別人口ランキングでは十八位とパッとしない順位でも、その総人口は二十七万を超える。黒い霧は見る間に一つに集まり、体長三メートルほどの、巨大な黒コウモリに変化した。

「っ! 実体化するほどの濃度ですって……っ!?」

 半年以上に渡る感染症の恐怖は、人々の心に、少なからぬ打撃を与えていた。


 町ですれ違った誰かが感染者かもしれない。

 職場の誰かからうつされるかもしれない。

 もしかしたら自分は、もう感染しているのかもしれない。


 そんな不安と猜疑心が、こんな『穢れ』を生んでしまったのだ。

 平常時であれば、恐怖も不安も誰かを疑う気持ちも、身近な誰かと話し合うことで解消される。けれども新型コロナウイルスの流行は、そのコミュニティを寸断した。ごく近い距離での顔を突き合わせた会話、仲間たちとの賑やかなパーティー、気晴らしの旅行やスポーツ、演劇やコンサートも、何もかもが自粛を余儀なくされた。

 解消されることなく積もり積もった不安と不満、鬱憤の集合体は、大雷の『禊の雨』を、自身への『攻撃』と認識していた。

「キャアアアァァァーッ!?」

 真っすぐに突撃してくる黒コウモリ。咄嗟に放った雷撃で、なんとか軌道を変えることには成功する。だが、黒コウモリはすぐに身を翻し、再びこちらへ迫り来る。

「やっ……やめて! 来ないで!」

 穢れ祓いの雷撃を連射するが、黒い霧は後から後から湧き上がり、黒コウモリの数はどんどん増えていった。

 それらはすべて、大雷への敵意を剥き出しにしている。

「っ! ……囲まれた……!?」

 ここはスカイツリーの頂上、ゲイン塔の先端部。足場は狭く、戦闘には向かない。

 大雷は全方位に雷撃を連射し、黒コウモリを退けつつ、他の神の応援を待つことにした。

 禊の雨でも穢れ祓いの雷でも、この『穢れ』は祓いきれない。二十七万人の墨田区民が半年かけて放出し続けた負の感情は、もはや大雷ひとりの手に負える量ではなくなっていたのだ。

 そのため彼女は、できるだけ派手な雷撃を連射し、誰かに気付いてもらおうと考えた。神社、仏閣、教会やモスクが数多く存在する東京都区部で、誰一人異常事態に気付かないとは考えられない。ほんの数分間だけ黒コウモリの攻撃を凌げれば、あとは駆けつけた武神たちがなんとかしてくれる──と。

 通常時においては、確かにその通りである。

 だが、大雷は肝心なことを失念していた。

 そもそも、今日の正午丁度に無差別落雷を実施することは全国各地、各宗教・宗派の礼拝施設を守護する神的存在には通達済み。大雷がどれだけ雷撃を放とうとも、それを異常事態と認識する神はいないのだ。

 彼女が戦闘中であることに気付く神はいない。

 少なくとも、伊勢の呼びかけに応じる『普通の神さま』の中には。


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