第10話 そんな素振り
夕方。宿の屋根を打つ雨の音を聞きながら、メイダーさんが鞄に入れておいてくれた本――『ブリート島の国々』のページをめくって私はため息をついた。
知らない地名ばっかりで読むのがつらい……。
本を亀みたいなスピードで読み進めていると、トントンと部屋の扉が鳴った。ミリーちゃんが扉を開けると、
「サ、サラさん、ただいま戻りました」
雨に濡れたジェイクさんが、布でぐるぐる巻きにした大きな剣を背負って片膝をついていた。ポタポタ水滴が床に落ちている。私は慌てて、
「お疲れさまジェイク、でもお願いだから立ってちょうだい。そういうことは旅の間はなしにすることにしたはずよ」
「はっ!」
言った瞬間にジェイクさんは立ち上がった。
「このとおり雨に濡れておりますので、ここで報告をさせていただきます」
「その前に着替えた方がいいわ」
「お気遣いありがとうございます。しかしすぐに終わりますので、先に報告をさせてください。竜狩りギルドの件ですが、滞りなく登録を済ませてまいりました。これが、私が竜狩りに登録されていることを証明するギルドカードです」
そう言って、ジェイクさんは白くて円い宝石がはまった金色の厚みのあるカードを見せてくれた。続けて、
「新しい剣も手に入れることができました。この剣で、プレートアーマーを装備した敵も一撃でしとめてみせましょう」
「……ええ、頼りにしているわ」
物騒……。鎧を着たひとたちに囲まれることがあるのかな。めちゃくちゃ怖い。
ジェイクさんは言いづらそうに、ぽつぽつとしゃべりだした。
「その……サラさん、お願いばかりで誠に申し訳ないのですが、その……ですね……」
「なにかしら?」
私が聞くと、
「いえ、やはり――申し訳ございません。どうか今のことはお忘れになってください。部屋で服を着替えてまいります」
ジェイクさんは途中で話すのをやめてしまった。なにを話そうとしていたのか聞きたかったけど、話が長引くとジェイクさんが風邪を引いてしまいそうで、それ以上は聞けなかった。
「そうね、早く着替えた方がいいわ。着替えが終わったらみんなで温かい食事を頂きましょう」
「はっ、至急着替えてまいります。失礼いたします」
バタン、と扉が閉まった。
ジェイクさん、様子が変だったな。私の「なにかしら?」の言い方がきつかったかな。ジェイクさん、私になにをお願いするつもりだったんだろう。
「ジェイク、なにか言いたそうだったね~」
「そうね」
「大事なことならあとで話してくれると思うから、サラちゃんは全然気にしなくていいと思う~」
「ええ、ありがとう」
気遣ってくれたアイリスさんにお礼を言う。そうだよね、大事なことだったらあとで話してくれるよね。
着替えに行ったジェイクさんを待ってみんなで食堂に下りた。早めに来たからか、お客さんは少なめだった。いつもいる受付のひとに挨拶をして、いつものテーブル席に座った。この食堂でご飯を食べるのは四回目。ちょっと馴染みになってきた。
「ジェイク、一つ聞きたいことがあるんだけど」
ご飯を食べて始めてすぐ、レーネちゃんが不思議そうにジェイクさんに聞いた。
「あなたのギルドカード、どうして銅じゃなくて金のものなの? あなた、上級の竜狩りとしてギルドに登録されたってこと?」
「ああ、そうだ。よく知っているな」
頷くジェイクさんに、レーネちゃんは質問を重ねる。
「竜狩りギルドの試験に受かって登録されるのは、下級のはずよ? 依頼をこなさないと中級、上級には上がれないと思っていたけど」
竜狩りに上級とか下級とか階級があるんだ……。えっと、上級が金のギルドカード、下級が銅のギルドカードだから、中級はたぶん銀のギルドカードだよね。
「……少々長くなるが」
「お願いするわ」
レーネちゃんは首を縦に振ってジェイクさんに話を催促した。
「わかった。では手短に。私が竜狩りギルドに試験を受けに行った際、実技の試験官が不在でな。代わりにギルドマスターと手合わせすることになったのだが、えらく気に入られてな。それでギルドマスターの裁量で上級に登録してもらうことになったのだ」
ジェイクさん、下級と中級を飛ばして上級の竜狩りに登録されたんだ。なんかすごい。
「この剣は、そのギルドマスターに譲ってもらったものだ」
「ふうん。そういうこともあるのね」
「希にあることだそうだ」
確かに新しい剣にしては使い込まれた感じがある。ていうか、大きい剣をテーブルに立て掛けてるけど、この世界ではよくある風景なのかな……。
「上級に登録されると、なにか優遇されるの?」
「あまり多くはないが、まず受けることができる依頼が――」
レーネちゃんの質問に答えるジェイクさん。
「……」
隣のアイリスさんが静かで、私はなんだか気になってちらっと見た。アイリスさんは難しい顔でなにか考え込んでいるみたいだった。
出会って一日くらいだけど、こういうアイリスさんを見るのは初めてかもしれない。アイリスさんの視線を辿っていくと隣のテーブルの上を飛びまわる――
「虫?」
ぽろっと声に出してしまった。そうしたら、
「わあっ!?」
「ひゃあっ!?」
アイリスさんが思った以上にびっくりして、それに私もびっくりして変な声が出てしまった。謝ろう。
「ご、ごめんなさい、驚かすつもりはなかったの」
「ううん。わたしも大きい声出しちゃってごめんね」
アイリスさんは膨らませた頬を掻きながら、
「う~~ん、あ! そうそう~! あの虫が気になって~!」
「そうだったの」
虫が気になってたんだ。考え込んでいるように見えたのは気のせいだったみたい。
「あ、本当に虫が飛んでますね! 私、落としてきます!」
急展開。話を聞いていたミリーちゃんがそう言ってばっと立ち上がった。どうする気なんだろうと思っているうちに、ものすごい速さのパンチを繰り出して虫を落とした。
「ひゅう~! 嬢ちゃんやるじゃねえか~~!」
近くの席で見ていたお客さんから驚きの声が上がった。嬉しそうなミリーちゃんにアイリスさんは、
「ミリーちゃん、ありがと~!」
手を振りながら笑顔で声をかけた。私も声をかけようと思ったけど、びっくりしすぎてできなかった。
あのパンチやばくない? ミリーちゃんって強いの? 執事って強いひとがなる仕事なの?
いろいろ考えながら私は残りのご飯を食べた。夕食を食べたあと、雨が止んでいたから昨日みたいに四人でお風呂に入りに行った。
その帰り道。
「あ~! 雨降って来ちゃった~!」
宿まであと半分くらいのところで、雨がぽつりぽつり降ってきた。
「サラさん、走って宿まで帰りましょう!」
「そうね」
ミリーちゃんの方を見て頷く。
「じゃあ宿まできょうそう~! よお~い、ドンッ!」
「頑張りますっ!」
アイリスさんとミリーちゃんは一斉に走りだす。
え、急っ! 私も走らなきゃ! そう思ったけど、すぐに足を止めた。レーネちゃんは? 振り返るとレーネちゃんが立ち止まったままじっと遠くの方を見つめていた。どうしたんだろう。
「レーネ?」
「はっ!? なんでもないわ」
「それなら急いで二人を追いかけましょう」
て、もうアイリスさんとミリーちゃんの姿があんなに遠い!
レーネちゃんは肩をすくめて言った。
「なんであの二人、本気で走っているのよ……、あたしたちも本気で走るわよ、サラ」
結果、めちゃくちゃ早く宿に着いた。アイリスさんもミリーちゃんもレーネちゃんも私も、足が超速かった。走ったせいでちょっと汗をかいちゃったし、ちょっと泥水が服にはねちゃったけど、学生に戻ったみたいで楽しかった。
宿に着いてからは、夜に眠れないと言ってアイリスさんがお酒を飲みに出て行ったくらいで、何事もなく一日が終わった。あの女の子の声はこの日も聞こえてこなかった。
次の日の朝。昨日の雨が嘘みたいに感じるくらい、明るい日の光で目が覚めた。ベッドに腰をかけると、
「おはようございます、サラさん……あの、これを……」
困った顔でミリーちゃんが三枚の紙を差し出してきた。