第1話 私はサラ様
『沙羅さん、佐藤沙羅さんっ! いいえ、サラ・サトース王女っ! 準備が整いましたよっ! それではご希望……ご希望通りっ! ヨーロッパ風異世界での旅行を存分にお楽しみくださいっ!』
眠りに落ちるとき、ずっと遠くの方でうっすらあの女の子の声が聞こえた――
「サラ様! サラ様サラ様サラ様サラ様! サラさまあー!」
「はあい……どうしました……?」
朝から騒がしいな……ん? なんで様づけでこんなに呼ばれてるんだろう?
「サラ様!」
「……」
そっか夢か。私が様づけで呼ばれることなんてないもん。目覚まし時計まだ鳴ってないし、もうひと眠りしようっと。シーツをかかえ込んで寝返りを打ったら、
「サラ様、お目覚めになられたのですね! 私は神に感謝いたします!」
感情のこもった声が耳に届いた。それもはっきりと。これ夢じゃないかも。
「うう、わかったわかった、もう起きるからちょっと待って」
夢じゃないとなると梨沙のいたずらか。いたずらっていうより演劇ごっこ? お姉ちゃん、せめて目覚まし時計が鳴ってからにしてほしかったな。
「サラ様!」
大学生になってお姉ちゃん離れしちゃったって思ってたけど、まだかまって欲しかったんだ。そっかそっか仕方がないな。
体を起こしつつ重い瞼を開けると、梨沙が――じゃなくて目鼻立ちがくっきりした女のひとが私の顔をのぞき込んで――
「へ?」
誰? て、顔が近い! 鼻と鼻がつきそう!
そう思ってすっと顔を離すと、
「失礼しました」
申し訳なさそうに謝ってから相手も顔を離してくれた。そのおかげで着ている服が見えた。黒いロングワンピースに白いふりふりのエプロン。こういう服ってなんていうんだっけ。
えっと、そうそうメイド服! メイド服? あ、後ろにもう一人メイド服のひとが! あのひとも誰? 待ってこの部屋ひっろ! え、ここどこ? ウチじゃない!?
「おはようございます、サラ様!」
不意に挨拶をされてびくっとした。
背筋をびしっと伸ばすメイド服の二人。挨拶を返さないと。
「お、おはようございます」
詰まったけどなんとか言えた。
「サラ様、どこかお加減が悪いところはございませんか? どんな些細なことでも、このメイダーにおっしゃってください」
メイダーさんっていうんだ。聞き覚えないな。とりあえず返事を――て、メイダーさん顔がまた近い……!
「は、はい、ありがとうございます」
ちょっとメイダーさんの顔はよけたものの普通に返事をしたつもりだった。でも、
「やはりサラ様のご様子がおかしいようです! 早急にお身体を診てもらわなくては! 私はヘイマン様を呼んでまいります、ここはあなたに任せましたよ、マリス!」
メイダーさんは普通じゃないと思ったみたいで、緊張感が溢れる声でもう一人のメイド服のひと――マリスさんに指示を出した。
「はい」
マリスさんの返事を聞くと、「頼みましたよ」と残してものすごい速さで部屋を飛び出していった。
どうしよう。ありがとうございますって言っただけで、ちょっとした騒ぎになっちゃったな。私の様子そんなにおかしかったかな。
「……」
「……」
沈黙。マリスさんと二人っきりになってしまったことに気づく。とりあえずベッドの縁に腰をかける。無言でマリスさんが私のことをじっと見続けているので、思い切って話しかけてみることにした。
「あの、ここはどこですか?」
「サラ様のお部屋です」
「……そうですよね、ありがとうございます」
会話が一瞬で終わっちゃった。ちょっと変な質問だったかな。マリスさんまだ私のこと見続けてるし。
周りを見るふうにして私は視線を逸らした。部屋の広さばかりに気を取られていたけど、部屋の雰囲気がすごく素敵。上品な白の壁と濃紺の絨毯の組み合わせも、アンティークっぽい家具も、天蓋つきのふかふかのベッドも全部素敵。
うん――この部屋にいるだけで高貴なプリンセスになった気分――――で、ここどこ?
焦ってきょろきょろ周りを見たとき、髪がふあさっと顔にかかった。はっとして掴んだ私の髪が黄緑色でびっくりする。
私の髪が黄緑色なわけがない、おかしいと思ってベッドから慌てて降りた。部屋にある鏡の前に立つと――
「ええっ!?」
知らない女の子が立っていた。ぐっと鏡に近寄って、鏡に映る女の子を上から下へ、下から上へとまじまじ見る。
私に似てる。でも、私の見た目を二段階くらいよくした感じ。白い膝丈のワンピースもすごく似合ってるし。胸も目も背も大きいし。
ちょっと自分で言ってて悲しくなってきた……。
パタパタと手を動かしてみる。鏡に映る女の子も同じようにパタパタと手を動かした。くるっと回ってみる。鏡に映る女の子も同じようにくるっと回った。
鏡に映っている女の子は私だけど、私じゃない。夢かと思って頬をつねったみた。普通に痛い……。どうしよう。夢じゃなかったら私、この子になっちゃったってことになるけど、そんなことある――?
「サラさまあ――!」
叫び声とともに、扉を壊しそうな勢いでメイダーさんが部屋に飛び込んで来た。
そのあとで、白髪の男のひと――たぶんヘイマンさんがゆっくり部屋に入って来た。鼻が高くて彫りが深くてどう見ても日本人っぽくないと思ってはっとした。
部屋にいる全員が日本人っぽくない。それに部屋自体が日本っぽくない。つまりここは日本じゃない、ていうかまず自分の部屋じゃない……!
昨日の夜、自分の部屋で寝たはずだけど、目が覚めたら知らない部屋にいて知らない女の子になってて――
やっぱり夢だ。うん。夢の途中だ。そう思い直したとき、
「サラ様、サラ様の悲鳴が聞こえましたが、ご無事でしょうか?」
メイダーさんが服を整えて涼しげな顔で聞いてきた。
「はい、無事です」
私は自然に答えたつもりだった。
「やはりサラ様の様子がおかしいようです! 急いでヘイマン様に診てもらわなくては! サラ様をベッドにお運びいたします、そちらをお願いしますよ、マリス!」
「はい」
右腕をメイダーさんに、左腕をマリスさんに掴まれた。自分で行けますと言う前に、ベッドまで運ばれ、寝かしつけられてしまった。
もうお手上げ。しゃべると様子がおかしいって言われちゃうし。もうふて寝しよう。寝て起きたら夢から覚めて自分の部屋に戻ってるかもしれないし。
早速、ふて寝しようと目を閉じようとしたとき、ヘイマンさんが、
「お二人とも落ち着きなさい、そう騒いではサラ王女のお身体に障りますぞ」
そんなふうにメイダーさんとマリスさんを注意してから、ずいっと枕元に寄って来た。
今サラ王女って。王女ってプリンセスのことだよね。夢でプリンセスになるなんて、私の心のどこかにまだプリンセスになりたい願望があるってことなのかな。今年で二十一歳になるのに、こういう夢を見るのはちょっと恥ずかしい……。小さい頃によくプリンセスになりたいって言ってたけど……。
「ヘイマン様、どうかサラ様を、サラ様をよろしくお願いします!」
そう言ってメイダーさんはヘイマンさんに深々と頭を下げた。醸し出される深刻な雰囲気。
「わかりました。ではサラ様、お目をお閉じください」
ヘイマンさんはそう淡々と言うと、両手を私に向かって伸ばしてきた。そして、なにか呟きだした。
え、なにこれ……? 私の知ってる診察と全然ちがう! お、お医者さんじゃないの!? 夢でも怖い!
私はがっと目を開いた。
「あれ、ちょっと待ってください! 瞼が全然閉じられません、今日はムリかもしれません、すみません!」
土壇場で診察をどうにか回避しようとした。でも、
「サラ様、このメイダーがお手伝いいたします! マリス、左瞼をお願いします!」
「はい」
今度はメイダーさんとマリスさんが手を伸ばしてくる、私の瞼に向かって――
怖い怖い怖い!
「あれっ! やっぱり瞼を閉じることができました!」
慌てて瞼を閉じて大げさに言った。そうっと薄目を開けてみると、メイダーさんとマリスさんの手がぴたりと止まっているのが見えた。ほっとしたのも束の間。
「オホン! よろしいですか、始めますよ」
ヘイマンさんはそう言って私の顔に両手をかざした。それから、またぶつぶつとなにか呟き出した。どう見ても私の知ってる診察じゃない。ヘイマンさんは呟き続ける。
『すべての異を顕せ――』
呪文みたいな恥ずかしいセリフ聞こえちゃった。そんなことを思った瞬間――
光を放つ拳大の白い円が宙に浮かび上がり、次の瞬間にはその円に沿って白い文字が並び始め、あっという間に私の視界を覆うくらいの円になった。
光を放ちながらくるくると回転する円――
きれい。魔法陣っていうんだっけ。日曜の朝のアニメで見たことがある。魔法を使うときに出て来るやつ。うん、やっぱり夢だ。
「神眼!」
恥ずかしい言葉が力強く言い放たれた。すると、魔法陣は一段と光を放ち、薄目も開けていられなくなった。そして、なにかに全身を優しく包まれる感覚を覚えた。
なんだろうこの心地よさ……ふかふかベッドとこの心地よさのコンボはずるい……。
意識が薄れていく中、私はふかふかベッドに身をゆだねることにした。
はっと目が覚めて、私はがばっと身体を起こした。そばにいるメイダーさんを見て思った。
うん、寝る前と一緒! 夢じゃないの!?
「サラ様! お目覚めになられたのですね!」
メイダーさんが枕元にやって来て言った。当たり前のように顔が近い。私はメイダーさんの顔を近くで見て、疲れの色が浮かんでいることに気づいた。
最初に見たときは二十代後半くらいに見えたけど三十代後半くらいにしか……。私が心配をかけたからだよね、たぶん。
「……」
私は黙ったままこくりと頷く。
「朝食、いえ昼食はいかがいたしましょう?」
「いつも通りでいい……わ」
慎重に言葉を選んで答える。
「わかりました、今すぐにご用意いたします!」
メイダーさんは安心したような表情で言って、目尻に溜まった涙を拭った。慌ただしく部屋を出て行くメイダーさんを見届け、私はほっと胸をなで下ろした。
部屋に一人っきり。今しかないと思って、もう一度、思いっ切り頬をつねってみたり、鏡を覗き込んでみたりした。結果は寝る前のときと同じだった。つねった頬は痛かったし、鏡に映る黄緑色の髪の女の子は私と同じように動いた。
夢じゃない……。よくわからないけど、私、サラ王女になっちゃったんだ。なに言ってるんだろ、て感じだけど……。
「はあ……」
これからどうしよう。とりあえずはメイダーさんに心配をかけないようにサラ王女になりきっていればいいのかな。いやでも。サラ王女がどんなひとかわからないし、なりきるのはムリか……。そうなると自分はサラ王女じゃないって正直に打ち明けるしかないような……。
トントン、とノックする音が聞こえた。
「失礼します」
またトントン、とノックする音が聞こえた。
「サラ様、失礼してよろしいでしょうか?」
あ、私か!
「どうぞ!」
メイダーさんとマリスさんが部屋に入って来て、机と椅子を一つずつ運び入れた。
「マリス、テーブルクロスを取って来てもらえますか」
「はい」
部屋を出て行くマリスさん。メイダーさんは机と椅子の位置を整えてから、私に声をかけてきた。
「すぐに食事が運ばれますので、少々お待ちください」
言うのなら早めの方がいいよね……!
「あの……」
「はい? なんでしょう?」
小首を傾げて見つめてくるメイダーさんに、私は思い切って打ち明けた。
「私、サラ王女じゃなくて、佐藤沙羅なんです……!」
「サトー……サラ……?」
青ざめた顔でメイダーさんは呟いた。そして、
「サラ様、まさかご自分のお名前をお忘れになってしまったのですか……? サラ様はサトース・サラ様ではなく、サラ・サトース様です! 昨日はお名前をしっかり覚えていらっしゃったのに、記憶の喪失が進んでしまわれたのでしょうか!? ぶつけたところは治してもらったはずでは!?」
なんかややこしいことに……!
メイダーさんは近づいて来て、私の頭をじろじろと見た。見おわるとほっとしたみたいだった。それから私の手を取り、
「大丈夫です、サラ様にはこのメイダーがついております! 今すぐに! ヘイマン様を呼んでまいります!」
そう言ってメイダーさんはくるりと踵を返した。
あっ、またヘイマンさんが来ちゃう!
「ちょ、ちょっと待って! じょ、冗談、そう冗談!」
「冗談、ですか? ではあなたのお名前は?」
怪訝な表情で振り返ってメイダーさんは聞いてきた。
「もちろん、サラ・サトース……よ!」
「サラ様……、いささか趣味のわるいご冗談にございます。お食事の準備が手間取っているようですので、手伝ってまいりますね」
困ったような顔で言ってメイダーさんは部屋を出て行った。なんとかヘイマンさんを呼ばれずに済んだけど、メイダーさんにはわるいことしちゃったかもしれない。
冷静になって考えると、梨沙が急に「お姉ちゃん、私は梨沙じゃなくて、リサ王女なの!」なんて真顔で言って来たら、「病院に行こうか」て私も言うもん。
結局、サラ王女になりきらないといけなくなっちゃったな……。サラ王女がどんなひとなのか知らないのに、どうやってなりきればいいんだろう。知ってるのは王女ってことくらいなのに。王女か……。
私は椅子に座ってじっくり考えることにした。案外一分も経たずに空から降ってきたみたいに、ぱっとひらめいた。
「わかった!」
サラ王女のことはいったん置いておいて、一般的な王女になりきればいいんだ! 一般的な王女になりきれたら八割くらいはサラ王女になりきれてるんじゃないかな。
うん、これだ! サラ王女になりきるために一般的な王女になりきる! 映画とか漫画とか参考にできそう!
善は急げ。今までにみた映画や漫画で、それっぽい世界観のもの……それっぽい世界観のもの……。
試行錯誤の日々が始まった。
あけましておめでとうございます。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。ぼちぼち投稿していきますので気長にお付き合いいただければと思います。
【投稿予定】
1月9日(土)までは毎日1話ずつ投稿します。それ以降は毎週土曜日に1話ずつ投稿する予定です。次回から1話の文字数が2000~3000文字くらいになります。