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ウィリアムの屋敷、といってもコールマン公爵の屋敷ではあるが、その大きなお屋敷の前にジェニファーは馬車でやってくる。広大な敷地に色とりどりの花が咲いており、その花も植木も職人が手入れをしているようでどこまで行っても綺麗だった。
エントランスまでやってくる。窓の外に見える屋敷にジェニファーはげっそりとする。これからたくさんのお嬢様に囲まれ、ウィリアムと顔を合わせるのか。確実に、絶対に顔が引きつると思う。そんな表情をウィリアムに見られながら美味しいお茶なんて飲める気がしない。
嫌だ。行きたくない。
いつぞやのドアマンが馬車へと近づく。そしてジェニファーの顔を見るとにこにこと微笑みながらそのドアを開いた。そして片手を広げる。降りてこいと言いたいらしい。
「ジェニファー様、お待ちしておりました」
「・・・・・・・」
「ウィリアム様がお待ちですので、ささっ、どうぞ」
「・・・・・ありがとうございます」
ドアマンの手に掴まりながら馬車を降りる。役目を終えた馭者が颯爽と去っていく。どうかその馬車に乗せて屋敷まで連れて行ってくれないだろうか。ジェニファーは馭者へ名残惜しい目を向ける。そんなジェニファーにドアマンは相変わらずにこにこと微笑みながらエントランスの階段を一緒に上がる。
「ジェニファー様、お待ちしておりました」
そこに、ドアマンとは別の声が届く。燕尾服を着込み、眼鏡をかけている執事が深々とお辞儀をする。随分かっちりとしている方だ。仕事ができる人なのだろうことがその身なりと姿勢から分かる。
ジェニファーは薄紫のワンピースの裾を掴むと、ゆっくりと膝を曲げ会釈をする。その時ふわりとワンピースの裾が浮かんだ。ついでにケイトに塗りたくられた薔薇のオイルが薫った。
その様子に執事が微笑む。そしてちら、と後ろを軽く振り返る。その視線に釣られてジェニファーも執事の後ろを覗き込む。そしてぎょっとした。
総勢三十以上の執事と使用人が、ジェニファーに向かって会釈をしていたのだ。一糸乱れずまるで陳列された本のようにびしっと会釈をする執事と使用人にジェニファーは言葉を失う。ジェニファーが住う屋敷だって多くの執事や使用人がいるが、その倍以上の数だ。そしてお出迎えに来れなかった人々も含めるとその数は倍以上、いや倍倍以上いるのだろう。
ジェニファーは驚いたまま固まる。その様子に執事がクスリと笑うと、嬉しそうに目元を上げながらゆっくりとジェニファーに呟く。
「執事、使用人一同、ジェニファー様にお目通りしたく、このようにお出迎えに参りました。驚かせてしまったようで申し訳ありません」
「い、いえ・・・・こちらこそ、お出迎えいただき大変嬉しく思っています」
「そうですか、それはよかった」
執事が目を細めて笑う。そして後ろに控えている執事や使用人もにこりと笑う。その温かい表情にジェニファーは少し照れてしまう。なんだか、自分の屋敷にいるような気持ちになってしまったから。
執事がジェニファーに一歩近づく。そして屋敷の中へと案内をする。たくさんの執事と使用人によってつくられたアーチの間を通り過ぎる間、「いらっしゃいませ」「ごきげんよう」「ようこそお越し下さいました」と声をかけられる。その声に一つ一つ会釈をしながら歩みを進める。
なんだろう、むず痒い。
そこまで歓迎されると、今まで行きたくないと思っていたことが申し訳なくなってくる。挨拶に返事を返していると前を歩く執事に遅れをとってしまう。慌てて駆け寄ると、執事が眼鏡を押さえながらゆっくりと振り返る。そして再び優しく微笑まれる。
どこかその笑顔は、ウィリアムに似ていると思った。
「ウィリアム様は中庭でお待ちです」
「は、はい」
中庭か、きっと中庭も綺麗なんだろうな。そして多くのお嬢様がいらっしゃるんだろうな。
ジェニファーはせっかくご招待いただいたのだから、せめて最後まで笑顔を取り繕い続けようと覚悟を決める。そして身なりをもう一度整えようと振り返り、馬車に乗っていた際についただろうワンピースの皺を取ろうとする。そして固まる。
「(・・・・・え”・・・・?)」
振り返ると、なぜか先ほど出迎えてくれた執事や使用人が後をついてきているようだった。ジェニファーと目が合うとささっと廊下やドアの影に隠れてしまったのでよく見えなかったが、十人以上いたように思う。
がたた、と誰かが当たったのか花瓶が揺れる。その様子にジェニファーは首を傾げると、声をかけた執事へと返事をして再び歩き出す。そうすると後ろで物音が再びする。バッと振り返る。隠れられる。歩く。振り返る。隠れられる。
「(な、なんなんだ・・・・・)」
どうして後をつけてくるのだろうか。意味が分からなくて怖くなってくる。何か怒らせるようなことをしたのか、それとも体に何かついているのか。自分の体を見てみるが、特に変わった様子はない。むしろケイトの技術によって綺麗に着飾られている。
まさか、魔術好きのお嬢様が何故ウィリアムに会いに来たのかと訝しみ、貴族の教養やお嬢様としての品格があるか確認しているのだろうか。それはまずい、確実にぼろが出る。
「(ど、どうしよう・・・・・)」
おろおろと後ろを確認しながら歩き続ける。その様子に前を歩く執事はいじらしいとぷるぷる震え、後ろをついていく執事や使用人は「がんばれ」とエールを送る。
しかし、その思いはまるでジェニファーに届いていなかった。むしろ恐々としていた。
そうこうしている間に中庭の前までやってくる。執事がにこにこと嬉しそうにジェニファーの背中に手を添えてそっと前に押す。これからお嬢様たちに囲まれるというのに、不穏な屋敷の雰囲気に混乱しているジェニファーが眉を下げながら執事を見上げる。
無表情なお嬢様が、急に寂しそうに眉を下げるとなかなかくるもので。
執事は思わず口元を手で覆うと、出そうになる言葉をなんとか飲み込む。その様子にジェニファーは首を傾げる。
「・・・・・・・」
なんとなくウィリアムの気持ちが分かってしまった。こほん、と執事は咳払いをする。そして再び安心させるように微笑みかける。
「ジェニファー様、どうぞウィリアム様がお待ちですので」
「・・・・はい・・・・・」
「・・・・・・・」
「い、行ってまいります」
「はい、どうぞお楽しみ下さい」
「・・・・・・よし」
緊張した様子で一歩ジェニファーが前に出る。その不安そうな横顔は何か思うところがあるのか、一つ息をつくと、グッと拳を握ってしっかりと前を見据えた。
執事が眼鏡をくい、と上げる。
この数秒でお顔が随分と変わった。きっと、芯のあるお嬢様なのだろう。あのウィリアムを前にしても決して絆されることはなく、むしろウィリアムがぞっこんになるほどのお方だ。今までもふらっと外出をすることはあったが、ここまで足繁くお嬢様の屋敷へ向かう姿など見たことはなかった。
ウィリアムが愛するものを、執事たちだって大事にしたい。あの氷のような凍てついた表情を溶かしたのがこのお嬢様なのなら、決して傍から離してはいけない。
本当は、無闇に声をかけてはいけないのだが。執事は中庭へと向かおうとするジェニファーを呼び止めてしまった。
「・・・・ジェニファー様」
「・・・・・はい?」
「少し、お話させていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろんです」
ジェニファーの当然です、どうぞというような表情に思わず笑ってしまう。貴族の中には目下の者から声をかけられることを嫌う。執事や使用人を道具のように扱う者だっている。
この方はウィリアム様同様、我々にも優しさをかけてくれるのか。そう執事は思う。
だからウィリアムは、ジェニファーを傍に置くのだろうか。どこか傍にいると安らぎを感じてしまうから。
そのことに気付き、執事はさらに一歩ジェニファーに近づく。
「・・・私どもは、ウィリアム様が幼い頃よりこの屋敷に仕えております」
「・・・・・・・」
「ウィリアム様を我が子のように、そして弟のように想っている者も多いのです」
「・・・・・・」
「なので、ウィリアム様が最近たくさん笑顔を見せてくれることに、喜びを感じています」
「・・・・・・」
「その笑顔を引き出したのは、お嬢様です。執事、使用人一同ジェニファー様に感謝申し上げます」
「い、いえ・・・・私は別に・・・・むしろ私の方がお世話になっていて」
「・・・・ジェニファー様、本当にありがとうございます」
深々と執事が頭を下げる。その様子にジェニファーが慌てた様子で手をばたばたと振る。少し照れているのか、ほんのりと頬を赤らめながら執事の肩に手をあてて顔を上げてくれと伝える。
それから恥ずかしそうに顔を背けながらジェニファーが執事へと声をかける。
「・・・・私は今まで屋敷から出ないような人間でした・・・それを、ウィリアム様が外に連れ出してくださったんです。感謝しているのは私の方です。・・・・だから、その・・・」
「・・・・・・・」
「・・・・こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。執事さんや使用人さんにもお会いできて嬉しいです」
ふわり、と花が咲いたようにジェニファーが微笑む。その笑みに隠れていた執事がくぐもった声を出した。
決して自分の魅力に気づく様子のないジェニファーに執事はクスリと笑う。こういうところがいじらしいのだろうか。だからジェニファー自身が自覚するまで待っているのだろうか。
「(ああ、あなたはとても素敵な女性に恋をしたんですね・・・・)」
照れ臭そうにしているジェニファーの背を押して、中庭へと向ける。ジェニファーが一度後ろを振り返り、ぺこりと執事に挨拶をする。執事はにこり、と微笑んでジェニファーが見えなくなるまで見送る。
そして、その姿が見えなくなったところでぐるりと後ろを振り返った。
「集合!」
「はいっ」
「はい!」
「どうでした?どうでしたか!」
わらわらと執事や使用人が物陰から現れる。その表情はわくわくとしている。皆ジェニファーと喋りたいのを我慢していたようで、その特権を手に入れた執事を羨ましそうに見つめている。
執事はくい、と眼鏡を上げるとジェニファーと会話ができたことを自慢げに語るため、腕を組んで皆を見下ろす。しかしジェニファーを思い出すとぷるぷると震えてしまうので、自分の体を抱きしめながら上を向いて涙を堪えた。
「とても可憐な方だった・・・薔薇の香りがするんだ・・・無表情なところもウィリアム様好みだと思う・・・・」
「薔薇の香り確かにしましたよね!ジェニファー様の使用人がしたのかしら!とても丁寧な仕事ね!」
「いいなぁ、私も喋りたかったです。おろおろとしてて可愛いんだもん」
「ウィリアム様のタイプど真ん中ですよね」
「ああ、ど真ん中だよ絶対!」
「あんな綺麗なお人形さんウィリアム様が放っておくはずないですって」
「「「 はぁ・・・・・お似合いすぎる・・・・ 」」」
執事と使用人は胸の前で手を合わせながらぐっと身を乗り出して中庭へと視線を向ける。そろそろジェニファーがウィリアムと出会っているはずだ。そしてその『小さなお茶会』に気づく頃だろう。
眼鏡をかけた執事がバッと他の執事や使用人へ顔を向ける。
「さぁ!お茶会の準備だ!皆、抜かりはないな!」
「はい!」
「もちろん!」
「我々がウィリアム様の婚約成就をサポートするぞ!」
「おー!」
「おー!」
燃え滾る執事と使用人が手を上げて仕事に取り掛かる。ジェニファーの屋敷だけでなく、ウィリアムの屋敷もお節介が多いらしい。
執事と使用人たちが雄叫びを上げているとも知らず、ジェニファーはごくりと唾を飲み込みながら中庭へと向かう。
「(お嬢様の前に立ったらとりあえず会釈をして、あとは笑うだけにしよう。それがいい)」
その足取りは、鉛のように重かった。
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