桶狭間
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1560年、そう桶狭間の戦いである。現代でも謎の多いこの戦い。
*なぜ、織田は奇襲に成功したのか?
*なぜ、今川はわざわざ行き先を清洲城から大高城に変えたのか?
である。俺が今川義元に転生してたら、この戦いで織田を滅ぼしてそのまま美濃を蹂躙し京に登ってる。天下取ってるよ。
その答えをまさかの山本勘助が持ってきた。
「四郎様、ご無沙汰でございます」
「勘助、久しぶりだな。何処へ行っていたのだ?」
「田楽狭間でござる。お屋形、いや今川義元の最後を見て参りました。」
「なんと!」
これは詳しく聞かないと、オタクの血が騒ぐ。
「一昨日、お屋形様へはご報告申し上げました。織田信長は田楽狭間で休息中の今川義元を800人の直属旗本とともに奇襲し、首を上げました。」
それは知ってるのだよ、聞きたいのではそれじゃない。
「お屋形様の命で、織田を今川本陣に誘導しましてござる。」
え、え、え、え、え、え、え、え、え、えーーーーーーー。
「天候が味方になりました。雨で視界が悪かった事、鉄砲が使えず見張りが役に立たなかった事。見張りの1人でも銃声を上げていれば、奇襲は失敗したと思われます。天が織田信長に味方したのです。織田信長は天運をもつ男、お屋形様にも申し上げました。この後、織田が勢力を伸ばすような事があれば、天に愛されていると考えるべきかと。」
「父上は何と申しておった?」
「運は上がれば落ちるもの、運を落としてやるのだと。」
晴信、つおい。
「勘助、やはり今川と通じておったのだな。で、武田を取ったのか。」
「今川と武田双方に通じておりましたが、双方のお屋形様はそれを知っておられました。知っている上でそれがしをお使いいただいていたのです。」
「だが、なぜ鳴海へ向かわなかったのじゃ。鳴海、熱田から清洲へ抜ければ、そのまま勝利したであろうに。」
「今川家では軍師の雪斎様がお亡くなりになったあと、軍議で諸将が意見を出し合い軍議に計っておりますが、最後は義元公が決めておられました。たまたま某が軍議に呼ばれ、織田信長は籠城するような男ではなく、打って出てくると申しあげたのです。義元公はそれならば焦らず待ち構えようと進路を大高城へ変えられ
ました。」
勘助、グッジョブ!!!。でも、何で軍議に呼ばれるの?間者でしょ?
「今回、義元公から武田に対し援軍を出すように言われお屋形様は足軽500人より、細作: スパイというか情報収集役 の方が良いだろうと某以下20名の細作を派遣されました。義元公はさすが晴信とお喜びになり、某に織田の動きを探るよう命じられました。軍議には突然呼ばれ、織田信長はどんな男かを説明しただけでございます。」
色々な偶然が重なってたまたまうまくいった。でも、それで世の中が大きく変わった。
しかし父上の策略だったのかよ、それで織田に滅ぼされてりゃ世話ねえじゃん。
でも、今、今川に弱体してもらうには必要な作戦だわ。この後、織田が大きくなる前に潰せりゃいいのか。
「勘助、この後はどうする?」
「は。お屋形様の命で、川中島へ参ります。何から何まで川中島を調べろとの仰せです。」
父上は上杉を見てるのか。信濃が落ち着かないと手が出ないという事か。
伊那衆を使って信長を殺す事も考えたけど失敗しそうなのと、やっぱりお松には幸せになって欲しいからここでは歴史を変えない事にする。
お松は織田信忠の婚約者、なんか昔本で読んだんだよ。その時お松のファンになっちゃった。ここはひとつ、おいらが一肌脱ごうではないか。ハッハッハ。
桶狭間信玄仕組んだ説を採用しました。実際はどうだったんですかね?