古参の戦い
信平軍には武田家古参が集まっていた。跡部、内藤、そして岩村城主の秋山信友である。秋山は三方ヶ原の戦いの後、信長生存中も武田家東美濃の拠点である岩村城をずっと守ってきた。
「久しいのう修理殿、勝資殿」
「全くでござる。虎殿も息災で何より」
「信廉様の葬儀以来かのう。ここにこの3人を揃えるとは、四郎様も信平様が心配と見える。我らの最期の仕事になるかも知れん」
「源三郎はどうじゃ?」
「昌幸ほど奇抜ではないが優秀ぞ。よく信平様を支えておる」
「そうか。我らは信玄公の戦を知る者として後世に残る戦をせねばならん」
「いかにも」
「その通りじゃ」
じじい3人の話はそのうちに昔話になり、手柄話になり、最後はそれは違う、わしの手柄だとかなんとか喧嘩になり、源三郎にとっちめられるまで続いた。
「お三方。懐かしいのはわかりますがここは戦場でござる。明日には金沢城が見えるところまで進みます。すでに上杉景勝様が金沢城に攻めかかっておられるとか。後詰に佐々成政様、そして我らより少し遅れて蘆名幸村も到着する予定」
「幸村には様はつけないんじゃな」
「偉くなったのう、幸村って真田の息子だよな」
「いや、こいつも真田の息子だぞ」
「………………、オッホン、お三方は戦がしたくてたまらないご様子。殿は大御所からお三方から戦の仕方を教えてもらえと言われております。ご準備を!」
源三郎はこの3人が武田家の将としてバリバリ活躍していた時のことを知らない。昌幸から武田二十四将の凄さを子供の頃聞かされてはいたが、目に前にいるのはただのじじいだ。正直言ってあまり期待していなかったのだが……。
その三時間後、この三人はそれぞれの兵を率いて周辺の城をあっという間に落としていった。金沢城を支援する為の城で、残しておくと背後を突かれる等邪魔な存在だった。三つ、四つとあっという間に出城や砦を落としていく。南側の街道は抑えられ、金沢城への支援はできなくなっていた。
昔話をしてる間に物見を出し、敵の様子を調べていた。秋山は数年前から加賀に味方を忍び込ませていた。数年前のこと、新しく加賀を収めた前田利家は周辺地域から旧朝倉、柴田に仕えていた者たちを含む新参者を多数雇った。位は低く大した役目にはついてはいないがその隙に多くの武田の兵が紛れ込んでいたのである。
これは信玄が得意にしていた戦法である。出城や砦は外からの攻撃には強い、だが内側からは脆い。どうやって内側から攻略するか、味方がいればいい。秋山は、いや勝頼の一つ上の世代の武田の将は自然にこのくらいの事は出来たのである。そのくらい痛い目にもあったのではあるが。
今回武田軍が砦を攻撃しはじめた時、あるところは内側から扉が開けられ、またあるところは火薬が爆発し、あるところは鉄砲隊が背後から斬られ、あっという間に砦内に武田軍が侵入し占拠した。
源三郎は報告を聞き、目が点になりながら信平に報告した。信平は、
「さすがである。父上は信玄公の戦を教えてもらえと言っていたが見事。数年前からいつか戦になる事を予想し、いや、未来は何が起きるかわからないからこそ、何もない時に何が起きてもいいように手を打っておく。できるか、源三郎」
「いえ、それがしは未熟者でございます。まさかこんなに簡単に…」
「簡単ではない!こうなる過程が素晴らしいのだ。そなたの父が言っておった。信玄公は将であり軍師であったと。お互い未熟者だ、信玄公の軍略、学ばせてもらおうぞ」
信平は抑えに代わりの兵を残し、お三方には金沢城目がけ進軍させた。
上杉軍は城から半里のところに改めて陣を引いた。景勝本陣に千人を置き、残りの兵は三千人づつの八個の集団を作った。
金沢城には五千の兵がいるらしい。その周辺には出城が沢山あり、各々五百から千人の兵が守っている。さらに加賀の兵が金沢城周辺に集まりつつあり総勢一万五千万の兵がいた。能登の兵は幸村に抑えられて加賀に進軍はできない状況だ。南側は信平が進んできており上手く金沢城増援兵を抑えているようだ。
兼続は金沢城を八方向から囲んだ。出城、砦を相手にせず一気に本丸を攻める作戦だ。二万五千対五千、時間の問題だと。それを見た周辺の出城、砦の兵は、持ち場を放棄し、上杉軍に仕掛けた。八方向のうち二箇所の上杉軍に集中攻撃を行なおうとした。一時的には一万対六千に見えた。
「よし、今だ」
兼続の合図で本陣の兵千名を残し、金沢城を円形に囲んでいた二万四千の兵が敵兵に対し鶴翼の陣に陣形が変形した。そして翼の兵は敵の背後を包み込み敵を円で囲もうとした。この時点で敵一万に対し上杉軍二万四千。兼続の策略通りに進んでいた。
このまま敵を蹂躙し、再度城を囲む作戦だったが、敵一万の中に前田利長がいた。利長は味方が円で囲われそうになった時、
「全軍、背後は気にするな!正面突破だ。正面の敵兵は薄い、城まで突き抜けろ!」
側面、背後の前田兵は必死に抵抗し堪えた。ここが崩れては壊滅してしまう。その間に正面を利長隊が打ち破ると信じて物凄い力を発揮した。
上杉隊が円陣を活かしきれていない間に、利長隊が正面を崩し始めた。兼続は側面にいたが、兵二千を連れて自らが正面の援軍に向かった。
その時、金沢城から景勝本陣に向かって前田利家が長槍を担ぎ兵四千とともに現れた。