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山崎の戦い

6月4日、秀吉はすでに姫路城にいた。そこに忍びから光秀が本能寺で信長を襲い本能寺が炎上、信長の遺体は見つかっていないが四方を囲まれており助かる見込みはないと報告があった。

秀吉はまず毛利へこの事が伝わらないよう関所を強化し、抜け道も警戒させた。そして黒田官兵衛に姫路城に蓄えてあった金を惜しみなく兵に分け与えるよう命じ、兵の士気を上げた。そして一気に京まで駆け抜けるべく、


「上様の仇、明智日向を討つ、続けー!」


自らが先導し、怒濤の勢いで軍が進みはじめた。






信忠は2日の昼、本多忠勝とともに、四国攻めの準備をしていた神戸信孝、丹羽長秀と合流した。日野城の蒲生氏郷に文を出し、信忠は健在である事、光秀を討つので手を貸すよう伝えた。伊勢の滝川一益と合流し京へ向かうよう指示した。

また、光秀の与力大名の細川藤孝、忠興親子にも光秀より先に使者を立て信忠健在を伝え、こちらに付くよう申し出た。細川家は承知したが、丹波周囲の国衆が光秀についたため兵を出す事が出来なかった。実際は秀吉に味方すると約束していた為対応に困っていたのだが、結果オーライである。


総大将を信忠とした明智征伐軍は兵一万。筒井順慶が兵を上げればさらに一万は期待できるがはっきりしない。


6月6日、西洋では縁起の悪い日に山崎の地で明智軍一万二千と信忠軍一万は衝突した。どちらの縁起が悪いのか、誰が勝ち誰が負けるのか。戦いは筒井順慶の軍一万が左右する。








6月2日、勝頼一行は戦艦駿河他水軍艦隊とともに海上を駿河に向かっていた。そこにお市から通信が入った。久々の通信機、愛話勝(アイハカツ) の登場である。


「大殿、でいいのよね。船を何隻か伊勢に回した方が良くない?」


「市、周りにみんないるぞ。お、そうだな。その可能性もありそうだが、いやあるな。一応忠勝を付けたが。まあ忠勝ならなんとかするだろ」


「この後はどうされます?」


「織田の内紛に付き合う気はない。まずは関東だな」


「そうですね。でもよろしいのですか?」


「信忠か?やけに気にするな、甥っ子だもんな。念押しとくよ、茜を呼んでくれ。来たらまたつないでくれ。」


通信を切り、さすがお市だなとあらためて感心した。山崎の戦いかぁ。信忠生きてて秀吉が戻る前に始まるとどうなるんだろ?もう知らない歴史になってしまった。

と、後ろを見ると信勝が睨んでいた。


「父上、もうよろしいでしょう。お話を」


さて、どうするか。さすがに転生者とは言いにくい。と、そこに昌幸が助け舟を出してきた。


「お屋形様。大殿は神隠しに合われていたのです」


「神隠しとは。そんな事を信じろというのか」


「信勝。神隠しは本当だ。あの日、余は駿府城の自室にいた。そこで意識を失い気がついたら別の場所にいた。そこでなんとか戻ろうとして気づいたら諏訪にいたのだ。諏訪の格さんのところへ行き情報を取ったら既に武田は分裂していた。直ぐに戻る事も考えたが織田の動きが気になったのでな、今日になった。お市にだけは戻った事を知らせた。秀吉にはまだ知られたくなくてな、お主に話すと信長に会った時に顔に出るだろう。すまぬ」


「お屋形様。それがしも聞かされてはおりませんでした。ただ、お市様から水軍を出すように言われた時にそうかなとは思いましたが」


昌幸は正直に話した。勝頼が戻った事、信勝は頭では納得している。嬉しくもある。だが素直には喜べなかった。


「父上。武田は今、最大の危機を迎えております。その危機を作ったのは紛れもなく父上でござる。別の場所とは何処ですか?話が理解できませぬ。どのように家臣に伝えたものか」


「そうだな。駿府へ着いたらお主とお市、昌幸には全て話そう。家臣へはそれからだ。それと、戻った翌日から三島へ攻め上がる。郡内を制圧し武蔵へ出るぞ。指揮は余が取る。結城、佐竹、里見へは使いを出す」





6月4日、武田水軍は伊勢にいた。そこにお市から通信が入った。


「大殿。ご無事で何よりです。茜お呼びにより参上致しました」


「茜、しばらくだな。半蔵はどうしてる?」


「怪我も治り伊賀の屋敷におります」


「伊賀者は揃っているのか?」


「伊賀の里、駿府、それと旧武田諜報網は全国にそのまま残っております」


「わかった。戻り次第小山田を攻める。調べておいてくれ」


伊勢に船に乗っていた伊賀者を半蔵のところへ使いに出した。そして3隻の船を残し駿府へ出発した。






山崎村。山城国と摂津国のほぼ境ぎわで、淀川に沿って東に男山、西に天王山がある要害の地である。光秀はまず天王山を占拠した。向かってくる信忠軍を見下ろし地の利を取った。だが、気分は最悪だった。

なぜ信忠が生きているのだ。なぜこんなに早く陣が組める?細川や筒井も味方につかない。どこで間違えたのだ?信長は死んだ、あの業火からは逃れられん。風は明智に吹いた筈だ。

と考えているうちに信忠軍は天王山に攻めかかった。それと同時に背後からは滝川一益、蒲生親子の軍も攻め上がってきた。


鉄砲の打ち合い、騎馬が走り回り、徒士が駆け巡る。明智軍は押していた。神戸信孝、丹羽長秀の軍を蹴散らしたかのように見えた。

そこに本多忠勝率いる300騎が怒濤の勢いで押し寄せ、一気に天王山を奪取した。光秀軍は山の中腹まで一時退いた。6日の夜は雨だった。


6月7日、雨はあがり日が差した。光秀は天王山奪回の為鉄砲隊を再編成し攻めかけた。光秀には安土城から奪取した大量の鉄砲があった。鉄砲の数には勝てず、忠勝隊は撤退した。が、途中で鉄砲の勢いが弱くなった事に忠勝は気付いていた。







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