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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第三章 日没の矢
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16 冬の終わり

 時間薬は本当にあるんだと、フィーナはしみじみ考えていた。

 たくさん泣いたのに――むしろたくさん泣いたからなのか、彼女は案外普通に日々を過ごしていた。一級魔導士の試験を前にして忙しくしていたのも良かったのかもしれない。

 ばたばたしている内にあっという間に冬になり、試験本番を迎え、それも過ぎてしまった。研究所に研究員として就職することも決まって順風満帆だ。恋愛事以外は。


 カーラが実家を継ぐためにセタンを去る日が近付き、フィーナの実家は送別会を開いてくれた。フィーナとカーラ、それからフィーナの妹だけのささやかなものだ。


「いいなぁ、すごく綺麗!」


 カーラの身につけている首飾りを、妹はうっとりと見つめていた。

 建国祭の日に人だかりができていた春彩石の首飾りだ。淡い色の宝石は見る角度によって色を変えながら、上品に輝いている。


「お祭りの時に欲しかったのに、お父さんが買ってくれなかったんだよね。あの人ごみに入るのが嫌だって」


 口を尖らせて拗ねる妹を見て、カーラは照れ笑いした。彼女にとって、これは故郷の恋人がくれた大切なものだ。カーラ自身、建国祭で見かけた時には買い損ねたのだが、それを手紙で知った恋人が故郷で手に入れてわざわざ送ってくれたのだそうだ。


「来年買えばいいじゃない」


 フィーナがそう言うと、妹は「だって」とさらに拗ねた。


「そういえば……カーラさん、その恋人とはいつ結婚するんですか? 故郷へ帰ったらすぐ?」

「そんな、まだ正式に婚約もしてないし……二十歳くらいにできればとは思ってるけど」


 カーラが研究所から出られる日には、大抵その人は会いに来ていた。そのため、フィーナも何度か会ったことがある。素朴な雰囲気の、優しそうな男性だった。幼馴染だそうで、長い間遠く離れて暮らしているにもかかわらず、ずっと恋人でいる二人は素直にすごいとフィーナは思った。


「お姉ちゃんも、早く良い人見つければいいのに。駄目だったんでしょ? この間の人」

「私のことは放っておいて」


 妹をはじめ、家族には建国祭でのことは何も言っていない。言っていないが、祭りの夜、泣き腫らした目でここを訪れたので、隠しきれてはいなかった。皆何も訊かずにいてくれたし、それは彼女にとってとても有り難かった。


(毎日泣き明かしたりはしないけど、でも、忘れて次へ行けるかというと話は別よ)


 レツはトセウィスへ行ってしまったので偶然視界に入るということもなく、手紙のやりとりも一切していなかった。あの日のことがなければ、無事試験に合格したことを報告しただろう。だが、今の状況でそれをする勇気はない。


「フィーナは案外強いから、私は心配してないわ」

「強い? カーラにそう言われるとは思ってなかったわ」


 彼女には、いつも泣いているところを慰めてもらっていた。弱いところばかり見せてしまっていたのに、その評価は間違っていないかと疑問に思う。

 カーラは意味ありげに含み笑いをした。何が言いたいのかと落ち着かない気持ちになったのを、飲み物を喉に流しこんで誤魔化した。


「たくさん作ったから、遠慮せず食べてね」


 母が、新しい大皿を食卓に並べていく。どれも限界まで盛られて重そうだった。


「ありがとうございます」


 大皿いっぱいに広がるキッシュを一切れ頬張りながら、妹は「多すぎない?」と母に言った。


「そう? 私とお父さんも食べるんだから大丈夫でしょ」


 エプロンを外して食卓に加わった母は、ちらりと玄関を一瞥した。

 慌てた様子でやってきた隣の家のおじさんと一緒に出ていったきり、父は中々帰ってこない。こう遅いと、さすがに少し心配だった。


「様子を見てきた方がいい?」


 フィーナの申し出に、母は首を振った。


「折角カーラさんを呼んだのに、あなたがいなくなってどうするの。もうすぐ帰ってくるわよ、きっと」


 その言葉のとおり、しばらく経った頃に父は帰ってきた。疲れたように大きな溜息をついたが、別段変わった様子がないので内心ほっとする。


「やれやれ、参ったよ」


 大雑把に手を洗うと、父はどかりと腰掛けた。


「何があったの?」


 父はパンを一切れ、勢いよく食べた。よほどお腹が空いたのだろう。少し腹が落ち着いてから、ようやく喋り出した。


「近所の雑貨屋さんだよ。亭主がどこかへ逃げちゃったところ」


 冬になるより前だっただろうか。近所にある雑貨屋の店主の男性が、突然姿を消したらしい。フィーナ自身は面識がないが、研究所にも日用品や研究道具を卸している人だった。

 夫が行方不明になり、妻である女性は当然騎士団に捜索をお願いした。だが、未だに行方は分かっていないらしい。

 何かの事件に巻き込まれたのかもしれないと心配する声もあったが、近所の人達は女性と逃げたのではないかと考えている者が多かった。彼が、ある若い女性に入れ込んでいるのを知っていたからだ。本人は隠しているつもりだっただろうが、周囲から見れば一目瞭然だ。だが、幼い子供を抱えた妻に、夫は若い女と駆け落ちしたかもしれない――などと言えるはずもなく、皆、口をつぐんでいるらしい。


「借金取りが来てね。どんな無理な借り方したのやら……とりあえず、奥さんと子供は自警団にお願いしてきたよ。あんまり乱暴なやり方だったから、騎士団にも伝えるそうだけど」


 借金取りは、男が逃げたのを知っていて乗り込んできたらしい。金がなくても回収できるだけしてやろうと、家財やらごく僅かな装飾品を奪っていったそうだ。騒ぎを聞きつけて近所の人達が助けに行った時には、家財を引きずり出すのに破壊された家屋の中で、女性が子供を抱えて震えていたということだった。


「怪我がなかったのだけが、不幸中の幸いだな。本当にろくでもない男だよ、あれは。頼むから、ああいう男を結婚相手に選ばないでくれよ」

「普通は皆、そんな男じゃないと思って結婚するのよ」


 母の言葉に、父は「そう言わないで、本当頼むよ」と懇願するような声を出した。


「相手を見つける方が先じゃない? ね、お姉ちゃん」

「……そうね」


 硬い声でそう言うと、カーラが慰めるように肩を優しく叩いてくれた。

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