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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第三章 日没の矢
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13 幸福を願う(1)

 結婚式というものに参列するのは、これが二度目だった。一度目はリースの結婚式だ。ただ、あの時と違い今は成人しているので、同じようにはいかなかった。


「礼服でなくていいのだけが救いだな」


 騎士の制服にバッジを付けながら、ルイはほっとしたように息を吐いた。

 大人は本来礼服で参列するらしいが、騎士の制服はそれに準ずるものらしい。なぜと尋ねたが、そういうものだと返された。


「数えるほどしか着ない割に高すぎる。動き辛いし」

「確かに、あんなに値の張るものだとは思わなかったね」


 参列が決まった時に少し店を覗いてみたものの、二人とも値段を知って早々に店を出てしまった。新品どころか、古着や貸衣装でも簡単に手が出せる値段ではなかったのだ。


 着替えを済ませ、二人は宿を出て式場となる場所へと向かった。宿からそう遠くないところにある料理店だ。

 式場は、自宅や近所の店になることが多い。リースの時は彼女の実家の宿屋だった。それを考えると、リゾネルの料理店で式を挙げるのは不思議だった。


「君のお姉さんは、どうしてリゾネルで式を挙げるの? 結婚後もノーザスクに住むんだよね?」

「ああ、実家にそのまま住むことになってる。ノーザスクの人はここで挙げる人が多いんだ。あそこは他の町の人を呼びにくいから。今日何人呼んでるかは知らないけど……」


 最後の方はうんざりした顔をしていた。昨日のことを思い出しているのだろう。


「……今日は、なるべく君の隣にいた方がよさそうだね」


 昨夜もそうだったが、ルイは素直にうなずきはしなかった。


「それはお前……駄目だろ、なんか。昨日の夜は眠気に負けて頼んでしまったが」

「別に駄目じゃないと思うけど。君がいようがいまいが僕は避けられるんだから、有効に活用すればいいじゃないか。君のお姉さんだって、それを期待して僕を呼んだんじゃないか?」


 ルイは小さく唸った後黙り込んでしまった。

 反対されなかったのだから、宣言したとおりにしようとレツは思う。


 式場である小さな料理店は、早めに来たにもかかわらず既に人で溢れていた。リースの結婚式にも大勢の人が訪れていたが、それ以上だ。隣でルイが、小さな声で「多すぎる」と呟いたのが聞こえてきた。

 入口で記帳を済ませ、花瓶に生けてある鏡百合を二本ずつ手に取る。ゆっくりと紫色に染まっていくその花を見て、レツは不思議な気持ちになった。

 結婚式の時、参列者は新郎と新婦それぞれに鏡百合の花を渡す。花の色は参列者が加護を得ている精霊の種類で決まり、それを受け取った新しい夫婦には、その精霊の加護が分け与えられるという習わしだ。

 けれどこの花は、葬式の時に棺に納めるものでもある。

 婚礼衣装に使われる白極光布は、死装束にも使う。

 祝いの場と不幸な場の両方に使うのはなぜなのか、レツは知らなかった。


(ミーシャさんの葬儀から、もう随分経ったな)


 もう、彼女の顔も声も、おぼろげにしか思い出せない。

 めでたい日に考えるのはよそうと、レツは思考を切り替えた。


「お姉さん達は?」

「庭の方みたいだな」


 店の奥にある両開きの扉が開け放たれ、そこから庭に繋がっていた。庭には円卓や椅子、ソファなどが置かれ、天気の良い空の下でも寛げるようになっている。

 ソファの一つに腰掛けているリーシャの方へ二人は歩いていった。店内には大勢の人がおり、次々とルイに声をかけたが、今はレツがいるためか誰も近付こうとはしなかった。


 不思議な虹色の光沢がある白極光布の白いドレスを身にまとったリーシャは、同じ布の服を着た男性と一緒にソファに座っていた。彼が新郎なのだろう。ソファの隣にある大きな二つの花瓶には、色とりどりの鏡百合が飾られていた。

 こちらの姿に気付き、先に新郎の方が立ち上がった。その新郎の視線の先を追ってリーシャも気付き、腰を上げる。


「本日はおめでとうございます」


 ルイがそう言ってリーシャに花を差し出すと、彼女は笑顔でそれを受け取った。


「こちらこそ、お忙しい中ありがとうございます、騎士様。ここにいる方達は、皆あなたに会うために来たのですから」


 ルイが返答に困っていると、新郎が「そのとおりだよ!」と明るい声を上げた。もう一輪の花を持ったままのルイの手を取り、両手でがっしりと握手をする。


「君の義理の兄になれて、こんなに嬉しいことはない。本当にすごく光栄だ!」

「それは、どうも……」


 きらきらと輝く目を見開いてルイを見つめるその新郎の背後で、リーシャが手にした花がくるくると回っている。


「リーシャが君のような子を産んでくれるといいんだけどなぁ。お義父さんとお義母さんにもそれを期待されているしね。俺も頑張らないと」

「それは――」

「俺の友人に紹介させてくれよ」


 握手をしたその手でぐいぐいとルイを引っ張り、新郎はあっという間にその場を離れていってしまった。「待ってください」とルイが言うのも構わず大声で周囲に呼びかけるので、待ってましたとばかりに人が集まってくる。


(自分で言い出したのに、全然役に立てなかった)


 後で謝るとしても、とりあえずこの場をどうしようか。魔法の鳥を使って強引に呼んでしまおうかと考える。


(もう少しで式が始まるだろうし、そしたら一段落するかな)


 それまで様子を見ようと決めてリーシャの方へ向き直り、レツはぎょっとした。相変わらずくるくると回る鏡百合の花の向こうで、この場で最も幸福な内の一人である新婦ははらはらと涙を流していた。


「……笑っていいわよ」

「それは、ちょっと難しいです……」


 リーシャは大きな溜息をつくと、ソファに身を投げ出すようにして座った。それからぞんざいな仕草で持っていた花を突き出した。


「持って」


 言われるがままに花を受け取る。渡すはずだった紫色のものと合わせて、三本になってしまった。


「今日のこの日まで、あの子の名前なんて一度も出さなかったくせに。何が『頑張らないと』よ。死ぬ気で産むのは私じゃない」


 きっと彼女は、ルイの姉としてではなく彼女自身を愛してくれる男性と添い遂げようと考えていただろう。その願いが留鳥草の綿毛のように風に吹き飛ばされていくのを、レツは目にしてしまったのだ。正直、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。


「……前に訊いた時、レツ君はあの子と一緒にいても惨めにならないって言ってたわよね。今もそう?」


 二級魔導士になってすぐの頃、確かにリーシャとその話をしたのを思い出した。


「そうですね」


 あの時、それはなぜかという問い掛けに、レツは「考えたことがなかった」と返した。だが、今は少し違う返事ができる気がした。


「研究所にいた頃、周囲から色んなことを言われました。ルイと僕とじゃ釣り合わないとか、ルイが優しいから、お情けで僕とペアを組んでくれているとか。言われて良い気分にはならなかったけど、でも、それほど気にならなかったんです。ルイと出会う前から僕は厄介者で遠巻きにされていたし……それに、ルイはこっちを真っ直ぐ見てくれるって分かってたから」


 周りの人の言動の切っ掛けがルイだとしても、彼自身が望んでいるわけではない。そして切っ掛けが彼だとしても、彼がそれをどうにかするのは難しいと分かっていた。人の言動を変えることは、そう簡単なことではない。


「それに、ルイ以外にも……僕と誠実に向き合ってくれる人達にたくさん出会えたんです。残り少ない人生、嫌なことを言う人達のことより、好きな人達のことを考えて生きていたいと思って。ただの逃避かもしれませんが」

「……レツ君、随分喋るようになったわね」

「そうですか?」


 以前会った時、自分はそんなに口数が少なかっただろうかと思う。

 彼女はまだ寂しそうな顔をしていたものの、涙は少し落ち着いてきたようだった。


「いい人達に出会えて良かったわね。……私も、そういう人達に出会いたかった」

「今からでも、探せば出会えるんじゃないですか?」

「今から? だって、結婚してしまえばあの田舎から中々出られないし――」


 はたと、彼女は口に手を当てた。


「まだ、役場に婚姻の届けを出していないの。式の後に行こうと思って」


 濡れた頬を拭うこともせず、リーシャはどこか一点を見つめたまま黙り込んだ。

 彼女が何を考えているのか全く想像ができず、レツも口を閉じてその場に立ち尽くすしかなかった。時折吹き抜ける秋風が手の中の鏡百合を揺らしていく。

 少し離れたところでは、新郎とルイを中心に大層盛り上がっていた。対照的に沈黙の中にいる二人のことは、誰も気に留めていないようだ。


「……どうして執着してたのかしら」


 ぽつりと呟くと、リーシャはようやく顔を上げた。レツににっこりと笑いかける。もう涙は完全に止まっていた。

 改めて、ルイとあまり似ていない人だとレツは思った。


「その花、貰ってもいいかしら? あなたの分」


 リーシャは、レツが手にしていた鏡百合の花を指差した。


「あ……はい、もちろんです」


 そもそも、彼女と彼女の夫になる男性に手渡すためのものだ。手の熱で花が駄目になっていないかが心配だが。


「お祝いの言葉はいらないから、別の言葉をかけてくれる?」

「別の……」


 レツは少し考えた。今の彼女に必要なのは何だろうか。


「リーシャさんに、たくさんの素敵な出会いと幸福が訪れるように、願っています」


 紫色の花を一本手渡すと、リーシャは満面の笑みでそれを受け取った。今日一番の笑顔だった。


「ありがとう。あなた、私の人生を変える重大なことを言ってくれたわ。今まで気付かなかった私も馬鹿だけど」


 それがどういう意味か、彼には分からなかった。そしてリーシャは、レツが理解できていないことに気付いていたが、それを気にしている様子もなかった。

 気持ちの整理ができたのか、彼女は涙など一滴も零していないという風に上機嫌だった。不思議に思ったが、明るくなってくれて良かったとレツは思う。


 手に残った二本の花は好きにしていいと言われ、レツは困って近くの花瓶にそれを突っ込んだ。

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