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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第三章 日没の矢
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12 リゾネルの夜(2)

 レツの予想どおり、ルイは一向に帰ってこなかった。二階の部屋にいるレツの耳に届くほど階下は賑やかになり、表の通りでもルイの名前が話題になっているのが聞こえるほどだった。

 リゾネルにこれほどノーザスクの人がいるとは思わなかった。それはルイも同じかもしれない。もし予想していたなら、食事は部屋ですることになっていた気がする。


(出稼ぎなのかな。特産品の白極光布以外、これといったものはないと聞いたし)


 白極光布は、魔導士隊の魔法の属性を表す帯や、婚礼衣装などに使われる特別なものだ。ノーザスクのそばにある特定の泉から湧き出る水を用いて染め上げる。ルイの姉であるリーシャも、白極光布の織り子なのだそうだ。

 一人で宿の外の共同浴場へ行って温まり、再び宿に戻ってくると、人は減るどころか増えていた。見ると同世代の者だけではなく、老人や、幼い子を連れた親もいた。ルイ本人が会ったことのない人もきっと少なくないのだろうと思えた。

 部屋に戻ると、レツは持参した本で時間を潰した。久しぶりに、魔法や仕事と関係のないただの娯楽本だった。レツより一足先に就職の決まったセイが、やっと手に入れた余暇で読んだ本だ。面白いので絶対読んでほしいとわざわざ送ってくれたので、レツもこの休暇のどこかで必ず読みたいと思っていた。

 伝記物が好きなセイには珍しく、推理小説だ。少し行儀が悪いがベッドに横たわり、枕元の灯りだけを点けて読みふける。できればルイが帰ってくるまで待っていようと思っていたが、昨夜はあまり眠れなかったのと、馬車に揺られて意外に体が疲れたのもあり、あまり自信はなかった。


 実際、ルイが帰ってくる気配がした時には、レツは瞼も体も重くて動けなかった。


(本物の鍵じゃなく、魔法の鍵を使っていて良かった)


 夢現で、そんなことを考えた。魔法の鍵なら、彼の魔法だけは受け入れてくれる。

 扉を開けて入ってきたルイは、大きな溜息をついた。その少し後、レツの胸の上に乗っていた本の重みが消えるのを感じた。

 相変わらず体は眠っている中で、意識だけが夢と現実の間を右往左往していた。


 それからどのくらい時間が経っただろう。直後のような気もしたし、かなり後のような気もした。


「ごめん、悪いけど今夜はもう――」

「でも、明日にはここを発ってしまうんでしょ? 私、あなたが帰ってくるのをずっと待っていたの」


 それは小声だったが、現実のものとしてはっきりレツの耳に届いた。意識が急に浮上してくる。


「話ならせめて明日にしてくれないか。もう夜も遅いし」

「私、あなたが好きなの」

「申し訳ないけど、迷惑だから――」

「お願い」


 バタンと大きな音がして、今回は体も完全に飛び起きた。驚いて、目覚めると同時に反射的に上体を起こす。枕元の月光灯だけの薄暗がりの中に浮かんでいたのは、仰向けに倒れ込んでいるルイと、その上に乗り上げている女性の姿だった。ルイは腕で口を庇ったようで、女性の唇がその腕に押し付けられている。

 女性はそこで初めてレツの存在に気付いたようで、短い悲鳴を上げた後、慌てて開け放たれていた扉から逃げていった。


(……どうしてもう少し早く起きられなかったのかな、僕は)


 中途半端すぎる自分を呪いながら、レツは開いたままの扉を閉めに立ち上がった。念のため扉の外を覗いてみるが、廊下にはもう誰の姿もなかった。結構大きな物音がしたが、幸い他の部屋の客が起きた様子もなく、宿の中は静まり返っている。

 扉を閉めて、レツはルイの方へ向き直った。彼はもう上半身を起こしていたが、頭を抱えてそのまま床に座り込んでいた。


「君、床で結構強く体を打ったんじゃないか? 大丈夫?」

「それは大したことないけど……ごめん、本当ごめん」


 一体何に対しての謝罪なのかと思ったが、きっと、色んなことに対してなのだろう。


「いいよ、謝らなくて」


 彼が悪いわけではないことくらい、レツにも分かっている。


「次に誰か来たら僕が出るから、君は眠りなよ。僕はもう結構眠ったし」

「でも、お前には無関係のことだろう」

「そうだけど、僕が出た方がきっと早く済むよ」


 この目の色だ。近付くのでさえ嫌なのだから、レツと会話してまでルイに会おうとは思わないだろう。


「ごめん」


 これだけルイが謝ってくるのも珍しい。それだけ参っているのだろう。

 レツに任せて眠ることには抵抗があるようだったが、疲れも手伝ってルイは早く眠りに落ちた。レツの方も起きてまで見張っているつもりはなく、扉の付近に魔法を施してベッドに潜り込む。最近になって、レツはようやく自覚した。自分は攻撃に関して壊滅的な代わりに、守りは得意なのだ。

 結局その夜、男女合わせて三人の訪問者が部屋を訪れた。その内の二人はレツが扉を開けると何も言わずに逃げていったが、一人にはなぜか説教された。レツのような人間がそばにいるのは、ルイのためにならないらしい。何と返していいか分からずに曖昧に返事をしていると、最後には舌打ちをして去っていった。


(ためになるかと言われると、なる気はしないけど)


 本人に言われるならともかく、赤の他人に言われて引き下がる気にはなれなかった。

 皆が皆、形は違ってもルイに好意を抱いている。それなのに、本人の意志が全く考慮されていないのが何とも不思議だった。


(人と人との間のことなんだから、どちらか片方の気持ちだけで決まるわけじゃないのに)


 レツとルイがいまだにペアを組んでいるのは、互いの意思の結果だ。

 フィーナのことだってそうだとレツは考えた。レツの気持ちにかかわらず、彼女にその気がなければ何も始まらない。そして、その方が良いと思った。

 知人の死を嘆くかもしれないが、それは時間で解決できるだろう。彼女を愛して支えてくれる男性がいれば、もっと時間がかからないはずだ。

 そういう人が現れてくれたらいいのにと思うのに、それを考えると胸の奥がずきずきと痛んだ。


(また考えてる。学習しないな、僕は)


 今度こそ朝まで眠れますように、と眠る努力をする。

 別のことを考えようと、レツは精霊の気配に集中して目を閉じた。

 土地のせいなのだろうか。ルイの実家に泊まった時と同じように、二つの強い力が拮抗しているのを感じる。ただ、不思議と恐怖は感じなかった。部屋の中にルイの光の精霊の気配があるからかもしれない。

 そんなことを考えながら、レツはようやく眠りの中へ落ちていった。




◇◇◇◇




「まさか二人が恋仲だとは。私はてっきり、王妃が誕生するものだとばかり。建国の日に公言してくださると思っていたのですよ」

「私が二人の逢瀬を手助けしていたのだ。そうでもしなければ、二人とも仕事にかまけてばかりだからな」

「国王陛下に仲を取り持っていただくなんて。二人とも、幸せにならなければ許されませんよ」

「身籠っているのであれば、祝いの席は身内だけで行うか。体が辛かろう」


 顔には笑みが張りついているが、王であるエリクの心の内は引き裂かれそうに痛んでいた。

 愛した女性の肩を臣下が抱き、仲睦まじく寄り添っているのが視界の端に映っている。それが、頭を下げて自分が頼み込んだ結果だと分かっているのに、身の内にひそむ化け物は怒り狂ってのたうち回っていた。

 私が愛した人だ。彼女も私を愛している。あの男は、私の命に従いああしているにすぎない。授かった我が子と身籠った最愛の人の命のために、ああして演じてくれているのだ。そう叫び、今すぐ自分が彼女を抱き締めたかった。


(私は二人も不幸にしてしまった。生まれてくる我が子にも申し訳ない。欲を捨てきれなかった私を、どうか許してくれ。せめて平穏無事に生き、老いた後に安らかな死を迎えられますように)


「そういえば、セヴェリはまたどこぞへ行ったのか? 落ち着きのない奴だ」


 エリクは彼が何をしているのか知っていた。あの魔術品を処分しているのだ。彼がそうしているのを、もうこの目で何度も見ていた。本人は秘密裏に処分しているつもりのようだが、目にするのは簡単だった。隠れているつもりが、全く隠れられていない。それだけ彼も余裕がないのだ。

 川に流しても、土に埋めても、火にくべても、契りの言葉によって縛られている限り、魔術品はその手に戻ってくる。失敗を重ねる内に焦りが募るのか、セヴェリは夜も眠れず、もう限界が近いように見えた。


(終わらせよう。このまま時が過ぎれば、あれは大勢の民の命を吸ってしまう。だが、私の命を奪いさえすれば、役目を終えてただの矢尻へと戻るはずだ)


 早く済ませてしまえば、この光景も、見たくても見られなくなる。そう思うと、心臓が鷲掴みにされたかのように痛んだ。

 その痛みは強く、一向に治まる気配がなかった。むしろ、どんどん強くなっていく。


 いつの間にか人々の姿は消え、レツは一人だった。

 自分がエリク王の中にいるのか、自分自身として存在しているのか、闇の中でレツは分からなくなっていた。


 胸が痛い。

 内側で何かが暴れているかのようだった。

 こんなに苦しいのなら、いっそのこと心臓を抉り取ってしまいたい。


『あなたが、私を騙したのが悪いのだ』


 嘆き悲しみ、怒りを含んだ絞り出すような男性の声。

 耳元で聞こえたその声に、レツは本物の自身の目を開いた。


 まだ薄暗い中で見えたのは、天井ではなく琥珀色の目だった。不安そうに揺れている。

 静寂が支配する室内で、レツ自身の心臓の音と、荒い息遣いの音だけがひどく大きく聞こえた。


「……ごめん」

「何が」

「起こしたよね?」


 呆れたようにルイは溜息をついた。ようやく、見慣れたいつもの顔になった。


「そんなこと、今はどうだっていいだろ」


 起き上がってベッドの端に座りなおすと、ルイも同じように座った。

 部屋の中は薄暗かったが、窓から見える空は少し明るくなってきている。もう夜明けだ。


「夢を見たよ。どうだった?」

「……予想どおりだった。お前は時の魔法を使って夢を見てる。『使って』というより『使わされて』という感じだが……それより、お前、起きた時はいつもそんな感じなのか?」


 腕を組んで、その顔は少し怒っているようにも見えた。


「さすがに、いつもはここまでじゃないよ」


 まだ少し荒い息を整えようと、一つ深呼吸した。


「土地のせいじゃないかな。君の家に泊まった時も感じたけど、この辺、少し変わってるよね」

「変わってる?」


 てっきりルイも同じように感じているものと思っていたのだが、どうやらそういうわけではないらしい。

 感覚的なものを説明するのは難しかったが、レツは何とか言葉を選んで己の感じていることを伝えた。


「精霊の属性が関係しているのか、呪いのせいかは分からないけど……こっちは夢みたいな曖昧な感じじゃなくて、はっきり感じるんだ。すごく強力な二つの何かがせめぎ合っているような、何ていうのかな……」


 ノーザスクの北東部には、日没の矢が隠れひそんでいると考えられている場所の一つがある。


(日没の矢とセヴェリがいるのは、そこなんだろうか)


 何も言わないが、ルイも同じことを考えているように険しい顔をしていた。

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