06 任命式
その日、朝からフィーナは落ち着かなかった。
何度も鏡の前に立ち、癖のあるふわふわした栗色の髪を撫でつける。肩につかない長さのその髪型を、褒めてもらえた日からずっと変えていなかった。
次の冬には一級魔導士の試験を控えている身だが、今日の建国祭くらいは試験を気にせず過ごせるようにと頑張ってきた。二級の試験を控えたあの年の秋と同じだ。ただ、今年はあの年とは違い、ちゃんと彼と二人で会う約束をしている。
(い、今からこれでどうしよう)
心臓はばくばくしているし、顔から火が出そうだ。だが、今日は絶対に気持ちを伝えようとフィーナは決めていた。
建国祭が終われば、レツは配属先へ引っ越してしまう。セタンから北東に進んだところにあるトセウィスに配属されるそうなので、今後は中々会えなくなってしまうのだ。各地の魔導士養成所へと飛び回っている今だって忙しいが、来年は、希望どおりに進むことができれば研究員だ。今よりさらに時間の融通が利かないだろう。
フィーナは研究所を出て、中央広場へと向かった。王国騎士団の任命式を前に、既に人だかりができている。
中央広場は円形で、その中心に噴水がある。例年、新人騎士はその噴水を囲むようにして並ぶ。ただし、北側のみ演壇があるため空けておくのだ。つまり正面にあたるのは、噴水の南側だった。他の場所は、噴水が邪魔してどうしても見えない部分が出てしまう。
正面は人が多すぎて、ごく平均的な身長のフィーナではろくに前が見えなかった。仕方なく、あまり人のいない西側へ回る。ここだと、噴水の東側がほとんど見えないが諦めるしかない。
西側は人もまばらで、ベンチに座ってのんびり見物している人もいた。五人程度が座れるベンチはどれも人が座っていたが、二人だけ腰掛けている所を見つけ、フィーナは声をかけた。
「ここ、座ってもいいですか?」
「どうぞ」
白い髭を蓄えた老人と、若い男性は快い返事をくれた。お礼を言い、二人の座っている右端と反対の、左端に腰掛ける。そうしながら、フィーナは、何となくその老人に見覚えがあるような気がしていた。向こうも、こちらの顔を見た時にそんな気配を見せたように思う。
まぁいいか、と思い直し、フィーナは任命式が始まるのを待った。
涼しくなってきた風を感じながらぼんやりしていると、隣に座った二人の会話が聞こえてくる。
「団長も来ればいいのに。ダンなんて、何年も頑張ってやっと念願叶った晴れ舞台ですよ」
「雛の巣立ちを見るようで寂しいんだよ。嬉しいことだと分かっていてもね。でも見回りに行くと出ていったから、どこかでこっそり見ていると思うよ」
「素直じゃないなぁ。まぁ、俺も確かに寂しいですけどね。レツには特に手伝ってもらいましたし」
彼の名前が出て、彼らが自警団の人だとようやく思い至った。
そうしている内に騎士団の団長が壇上に現れ、任命式が始まった。
式の始めは、必ずエリク王への弔いの言葉から始まる。
建国の日はエリク王の誕生日でもあった。建国一周年は、王の誕生日と国の誕生日の両方を盛大に祝うつもりだっただろう。
しかし、王はその日を迎えることなく、数日前に亡くなってしまった。
スタシエル王国騎士団の前身となった近衛騎士団は、元々エンチュリ帝国の皇族を守るためのものだ。だからこそエリク王は、未開の地へついてきてくれた民達を守ることを騎士団に命じた。
それを今でも最も大切な使命にしていると、団長は空に向かって告げていた。
空には、三羽のステュルが優雅に旋回している。彼らは翼導士にその翼を貸してくれるが、それ以外で人と関わり合うことは多くない。この式を見物して何を思っているのか、フィーナには想像もできなかった。
「あ、ほら、ダンが来ましたよ!」
任命式で最初に登場するのは翼導士だ。
彼らが着る制服は、ひと目で翼導士のものだと分かる。肩が分厚い皮で覆われているからだ。通常、翼導士はステュルの背に跨るが、緊急時にステュルが彼らの肩を掴んで飛べるようにしているのだという。そして帽子には、ペアを組んでいるステュルの羽根が一本、付いている。神獣スタシエルは白く虹色の光沢を持つそうだが、ステュルは意外と色とりどりだ。黒もいるし、淡い水色もいる。
翼導士達は、騎士団本部から大通りを通り、広場に入ってきていた。大勢の人が彼らの通り道を作るように二手に分かれている。
隣に座っていた男性が、大きく手を振った。だが、綺麗に並んで前に出てくる翼導士達の中で、こちらに気付いた者はいなかった。向こうから見れば、大勢の観客に埋もれてしまって知人を見つけられないのだろう。
翼導士達は、一人、もしくは数人で武術を披露していった。曲芸師ではないので決して派手さはないが、ステュルと共に空を飛ぶだけあって、皆身が軽い。
周囲と一緒に拍手をしながら、フィーナは気もそぞろだった。だって、姿を見るのでさえ三年ぶりなのだから。
全員が披露し終えると、入団者の代表者が壇上に上がり、団長――ここでは、きっと翼導士隊の隊長としてだろう――から正式に拝命された後、宣誓を行っていた。
「あの代表者って、どういう基準で選んでるんでしょうね」
「さあねぇ。でも、今の団長さんやヴァフ君も、入団した時はああして壇上に立っていたからね。他とは違うと感じさせる何かがあるんだろう」
宣誓が終わると、翼導士達は再び南側から騎士団本部へと列をなして帰っていった。それと入れ替わるようにして、魔導士の列が噴水を囲み出す。壇上はいつのまにか、魔導士隊の隊長に変わっていた。
フィーナは首を伸ばすようにしてレツの姿を探した。隣に座った男性も同じだった。
「レツ、いました?」
「紫の帯って言ってたね……ああ、あれかな?」
フィーナも見つけた。魔導士隊の制服に身を包み、ルイと並んでやってくる。
魔導士隊の制服は、翼導士隊のものとは違い、魔法の属性を示す色の布を斜め掛けにしている。白極光布と呼ばれる、光の加減で色が微妙に変わる、不思議な風合いの布だ。この国では、婚礼衣装や死装束にも使われる特別な布だった。
一度見つけるともう見落とすことはなかったが、フィーナは、自分の記憶の中のレツと、今の彼とを結び付けるのに少々時間がかかった。三年もあれば色々と変わるものだと、頭では分かっているのだが。
レツは、フィーナの中では背の低い少年のままだった。会った時はフィーナの方が少し高いくらいで、三年前に会った時にはさすがに彼の方が高かったものの、それでもレツは同い年の少年と比べて明らかに低かった。どちらかというと背の高い部類に入るルイと並ぶことが多かったので、余計にその印象が強いのだろう。
だが、今のレツはルイと背の高さが変わらなかった。周囲と比べても決して低くない。
身長だけではなく、顔立ちもすっかり大人びてしまっている。彼も十八歳なのだから当たり前なのに、中々思考が追いつかなかった。
見ているだけなのに緊張してしまう。心臓は全然落ち着く様子がないし、頬は火照って仕方がない。会う時までには何とかしなければと思う。
レツとルイのペアは、噴水の南側で立ち止まった。距離は遠いが、十分見える位置だ。
入団者が全員立ち止まったところで、檀上のヴァフ隊長が宣誓を行った。
今の魔導士隊の隊長は異例づくしの人だ。フィーナは騎士団のことには疎い方だが、それでも色々な話が耳に入ってくる。
紫色の目をしているのに二十歳を超えても生きており、魔導士のパートナーがいないにもかかわらず、若くして隊長に就任した。今は四十前後だろうか。フィーナが子供の頃からずっと隊長はあの人なので、随分長く感じる。
かつて彼女の師を務めてくれたミーシャは、時々あの人の話をしてくれた。尊敬していたのだと思う。ヴァフ隊長と所縁のある研究所は随分過ごしやすいと、何度か聞いたことがあった。
彼女と出会って初めての建国祭を思い出す。留鳥草の贈り物をとても喜んでくれた彼女は、その年の冬に呪いで亡くなってしまった。
背筋にひやりとしたものが走った。
レツはもう、亡くなったミーシャと変わらない歳なのだ。
考えるのはよそうと、フィーナはぎゅっと目を閉じ、一つ深呼吸をした。
(考えたって仕方ないわ)
今までだって、考えたことは幾度もある。友人のカーラにだって言われてしまった。「死ぬことが分かっている人を好きになっても、辛いだけじゃない」と。
あの隊長のように生き延びられるかもしれないと希望を持ちつつも、その可能性が決して高くないのは分かっていた。長い歴史の中で、あの隊長ただ一人だけなのだ。他にも望んでいた人は大勢いたにもかかわらず。
カーラは決して意地悪で言っているわけではない。その時が来たら、フィーナがひどく悲しむと分かっているからだ。心配してくれているのだ。
友人の忠告を聞かない自分は愚かだと思うし、愛想を尽かされても仕方がない。けれど変わらずフィーナと接してくれる彼女は、とても優しい人だった。
会わない間に気持ちも薄れるかもしれない。そんな風に思ったこともあったが、手紙の返事を読んでは気分が高揚するし、今だってこの有様なのだから、もうどうしようもなかった。
残された時間が短いにしろ長いにしろ、気持ちを伝えなければきっと後悔する。
(告白して断られたら、一番すっきりするかも。ものすごく落ち込むだろうけど)
その時は、試験が終わるまではと我慢している好きな本を読んでしまおうと思った。
彼女があれこれと考えている間に、隊長の宣誓が終わり、魔導士達は翼導士達のように――ただし、こちらは武術ではなく魔法だが――己の技を披露し始めた。
魔導士は二人一組なので、一組ずつ行うようだ。細かな水を撒いて虹を作り出す者、派手に炎を打ち上げる者。フィーナにとって魔法は身近なものだが、技術力はやはり比べものにならないと感じた。毎回拍手を送るが、特に派手な魔法の時は拍手の他に歓声も聞こえてくる。
レツとルイの順番が回ってきた。
どんな魔法を使うのだろうと見守っていると、二人は揃って手を上げた。他の者は皆自分の武器を掲げていたのに、腰に下げた武器に手を伸ばす様子はない。
二人が空を見上げる。つられて空を見ると、ふと、自然の風とは違う風が、全身を包んで通り過ぎていったのを感じた。
やがて、空から光の粒が降ってきた。紫と白。二色の星の欠片のようなものが音もなく降り注ぎ、やがては消えていった。
拍手を送りながら、今のは何だったのだろうと考える。何の魔法かは分からないが、とても綺麗だった。
最後の組が魔法を披露し終わると――何となく予想はしていたが――レツとルイは二人で檀上に上がり、代表者として宣誓した。
(ああして並んでいるのを見ると、やっぱりあの組み合わせが一番しっくりくる)
レツが研究所を去って一年ほどは、ルイは色んな人とペアを組んでいた。だがその誰とも、上手くいっている様子はなかった。
魔法の属性だけではない。性格や、夢に対する情熱の差や、色んなものでペアの相性は決まってくる。お互いの目にまつわる話が両極端なこともあり、研究所では「釣り合わない」と揶揄されていたが、今こうして見ると、昔よりさらに「これ以上はない」と思えるのが不思議だった。
(……私も、あんな風にペアを組んでみたかったな)
任命式の閉幕が告げられ、魔導士達は来た道を戻り始めた。見物人達もその場を離れていく。隣に座っていた自警団の人達も、立ち上がり去っていった。
フィーナはしばらく秋の空を見上げていたが、心の中で気合を入れると立ち上がった。




