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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第三章 日没の矢
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01 入団

 レツの視界にあるのは板張りの床だけだった。うつむいている彼の頭を押さえつけ、痛みを感じるほどに強く髪を掴んでいる大きな手に、幼い彼は抵抗しなかった。


「お前はなんて悪い子なの。母の言いつけを、どうして守れないの?」


 ぎりぎりと歯ぎしりの音が聞こえる。


「お前のような子は、人前に出るべきじゃない。呪われている、誰よりも劣っている、取るに足らないお前のような子は――」


 幼いレツはされるがままで痛みに耐えていたが、心の中にいる十八歳のレツは苛立ちを感じていた。

 自分だって頑張っている。劣っていると言うが、星舞で星が舞ったのだ。

 呪われている人間が、ただ人目を避けて生きるべきだとは思わなかった。生きる道を探すのだって自分の自由だ。

 体と心が、夢の中で相反している。


(やっと騎士になれたんだ。諦めるもんか――)


 自分の意識が、小さな体から抜け出すのを感じた。

 幼い自分と母の姿も消えていく。


 景色は、故郷の家から海辺へと変わっていった。灰色の殺風景な海だ。

 いつものようにそこにいるセヴェリは、今日は頭を抱えていた。嗚咽のような声が漏れている。

 レツは、その背中に近付くことも、遠ざかることもできなかった。




◇◇◇◇




(今日くらい、気持ちいい朝を迎えたかったな)


 起きるとなぜか頭痛がした。最近、セヴェリの夢を見るといつもこうだ。眠ったはずなのに疲れていたり、どこかが痛む。眠りが浅くて睡眠が十分でないのかもしれない。

 今日は、その上母親の夢まで見たのが余計だった。いい加減、忘れてしまいたい。日中に思い出すことなどほとんどないのに、こうして時折夢に現れるのだった。


 気持ちを切り替えて、レツは着替えを済ませて荷物をまとめた。今日は自警団を去る日だった。三年間お世話になった部屋を掃除する。そもそも私物をあまり持っていないので、大して時間はかからなかった。

 荷物を持って部屋を後にし、中庭で顔を洗った。着替える前に済ませるべきだったと後悔した。頭が痛いせいか、いまいち調子が悪い。


「よう! いい朝だな!」

「おはようございます。今朝は早いですね」


 レツの何倍もの荷物を持って寮の階段を下りてきたダンは、今日の天気に相応しい爽やかな笑顔をしていた。いつも朝は眠そうにしているのに、とても調子が良さそうだ。


「俺は試験に三回落ちてからのやっとの合格だからな! この日をどれだけ夢に見たことか」


 二人はホセが作ってくれた朝食を食べ、副団長に別れの挨拶をした。団長はいつものようにいなかったので、レツは手紙を預けることにした。

 自警団から騎士団へ移るのは難しいことではない。場所は目と鼻の先だ。

 二人揃って騎士団本部への道を歩いていく。


「隊が違うと、あまり会うこともないんでしょうか」


 ダンは翼導士隊だ。騎士団本部の中でも、二つの隊が使用するエリアは分かれている。


「食堂や寮なんかでは会うかもな。お前らがまた何かやらかしたら、噂がすぐ回ってくるだろうけど」

「やらかしたらって……別に、悪い事をしたわけじゃないですよ」

「先輩騎士を吹っ飛ばした」


 そういう言い方をすると、確かに悪い事をしたみたいだった。

 騎士団本部に着くと、試験の時に利用した控室に通された。ダンは翼導士隊の入団者達のところへ、レツは、既に来ていたルイやザロ、クィノのところへ行った。

 彼らは、他の魔導士からは少し離れたところに固まっていた。三人が離れているというより、他の者が遠巻きにしているようにレツには見えた。


「おはよう。……もしかして、何かあった?」

「ないよ、何も」


 ルイの返事はぶっきらぼうだった。


「試験のことがあって、ちょっと近寄りがたくなっただけじゃないかな。その内普通になるよ、多分」

「お前らただでさえ目立つから。特にルイは」


 ザロの言葉に、クィノは苦笑した。

 人が集まったところで、これからお世話になる寮へと案内された。

 受付がある本館に両隊が共同で使用するエリアが集まり、その本館から渡り廊下でそれぞれ魔導士館、翼導士館に繋がっている。その三つの館とは繋がっていない、一番奥に寮はあった。

 寮は建物としては一つで、隊によって分かれているわけではなかった。空いた部屋を適当に割り当てられるため、同期でかたまっているというわけでもないらしい。

 食堂や風呂場、談話室などの共用部について説明される。作りがどことなく研究所に似ていたが、昼も夜も仕事をしている騎士に合わせて、いつでも利用できるようになっていた。


「一人一室なんだな。俺、初めてだ。実家も兄弟と相部屋だったし」


 自分の部屋の鍵を受け取って、ザロは嬉しそうな顔をした。


「頼むからちゃんと時間に起きてくれよ」

「なんだよ、俺は朝は強いぞ。クィノの方が二度寝三度寝するじゃないか」


 四人は隣同士ではないものの、二階の比較的近い場所を割り当てられていた。

 レツは自分に割り当てられた部屋の鍵を開け、中に入った。

 自警団で使用していたものより少し広い部屋だった。一人分のベッドの他に、小さいが服を掛けられる棚、それから、本数冊で埋まってしまいそうな大きさの机と椅子も置かれている。窓は大きく、そこから三つの館がよく見えた。

 荷ほどきには大した時間はかからなかった。レツが大事に持ってきたのは、数着の私服とフィーナから貰った本くらいだからだ。

 荷物の整理が済めば談話室に集まるようにと言われていたため、レツは早々に部屋を出て、一階の談話室へ向かった。


 新しい生活が始まるので、やらなければならないこと、覚えなければならないことが山ほどある。それはよく分かっていたが、レツは、どこかでルイとゆっくり話がしたいと思った。


(夢のことを、もう一度相談した方がいい気がする)


 以前、海を見つめている男の夢の話を、一度だけルイにしたことがあった。確かポーセの養成所にいた頃だ。

 あの時は、ただの偶然だろうという結論で話は終わった。夢に出てくる男が誰か分からなかったし、何度か見たと言っても、それほど頻繁ではなかったからだ。

 でも今は少し事情が違う。あれは日没の矢を射たセヴェリだろうと思うし、だんだん頻度が高くなっている。他にもぽつぽつとエリク王とセヴェリが出てくる夢を見ているのも気になった。

 以前の結論と同じく、偶然かもしれないという気持ちもないではない。いつも日没の矢のことを考えているから、そういう夢ばかり見るのだろう、と。だが、言わなければ後悔する気がした。


 談話室に着くと、まだ誰もいなかった。

 談話室には、冬に炎燈岩を入れるための暖炉と、ローテーブルとソファ、それから本棚があった。本棚にあるのは仕事に関する書物ばかりだ。騎士団の規約をはじめ、法律、地理、国の歴史などの本が並んでいる。古いものばかりで、どれも大分擦り切れていた。

 まだほとんど知らない規約の本を手に取る。ソファに腰掛け、レツはパラパラとページをめくった。


 騎士団――正式には、スタシエル王国騎士団――は、国より古い歴史を持つ団体だ。エンチュリ帝国時代、エリク皇子に仕えていた近衛騎士団が元になっているからだ。彼らはエリク皇子と同様に魔導士であり、そしてステュルに乗っていたと言われている。

 昔、騎士になるためには、魔導士としての素質、そして精獣ステュルと共に空を飛ぶ素質の両方が必要だった。だが両方の素質を持つ者は非常に稀なため、魔導士隊と翼導士隊という二つの隊を作り、その時翼導士が生まれた。

 そこからさらに、海に長けた船導士隊が生まれたのだ。


(セタンは内陸だから、船導士はほとんど見たことがないな)


 目次を見ると、規約には三つの隊で共通のものと、さらに隊ごとに分かれているものがあった。翼導士隊、魔導士隊、船導士隊と続いている中で、レツは魔導士隊のページを探す。

 目当てのページを見つけて読んでいると、ローテーブルを挟んで向かい側のソファに人が座る音がした。ちらりとそちらを見てから、レツは見たことを後悔した。アルだった。入団試験に合格していたとは知らなかった。

 彼との間には良い思い出がない。水をかけられたことはともかく、フィーナの手紙の件は一生許せる気がしなかった。お互い子供だったとはいえ、あの言動を思い出すとはらわたが煮えくりかえる。レツは考えないようにしようと本にある字を目で追った。


「あ、あのさ――」

「レツ! お前早かったな」


 アルの声に被さって聞こえてきたのは、ザロの声だった。レツに向かって手を振りながら談話室に入ってくる。

 ザロの登場に、アルは小さく舌打ちした。ソファから腰を上げ、ザロと入れ替わるようにして談話室を出ていく。

 それを見送ってから、ザロは言った。


「俺、結構良いタイミングで来た?」

「何か喋ろうとしてたみたいだけど」

「じゃあ良いタイミングだ」


 歯を見せて明るく笑う。

 アルは、レツとルイがポーセの養成所を去ると同時に、よその養成所へ移ったと聞いている。きっと、アルとザロの関係もあの時から変わっていないのだろう。

 ただ、食ってかかったりしなくなった分、互いに大人になっている。


 ザロに続いて、他の者達もぽつぽつと現れ出した。クィノとルイもほとんど同時に現れる。

 全員が揃ったところで説明が始まった。

 これから夏の終わりまではここで研修になる。それが終われば正式に入団となり、秋の建国祭で任命式、その後に各地に配属という流れだ。

 レツが先程読んでいた規約に関してや、研修のことなど説明されることが多く、話を聞いていただけなのに昼食の休憩をとる頃には意外と疲れていた。


 初めて利用する食堂に向かう。研究所の時と異なるのは、ここでは何種類か用意されている料理を自分で皿によそうところだ。

 大量の料理を前に好きなだけ盛れというのは、レツには少し難しかった。自警団にいた頃にホセの手伝いはしていたが、あそこでは料理が余るということがほとんど起きないからだ。全員に行き渡るように心持ち少なめに盛ることがほとんどだった。

 結局、自警団にいた頃と同じ、自分にとっては少し足りない量しか皿に盛る勇気が出なかった。


「もっと食えばいいのに」


 四人で同じテーブルを囲むと、ザロがレツの皿を見て言った。

 比べてみると、確かに一番量が少ないようだった。クィノもあまり多くないが。


「どれくらい食べられるか分からなくて。自警団にいた頃はこのくらいだったんだよ」

「自警団も、補助金があるとはいえ資金が潤沢じゃないからね。兼業の人も多いし。それでも、仕事になってるだけセタンやポーセはまだましさ。田舎になると、住民全員で当番制とかだし」


 料理はレツにとって慣れ親しんだ味だったが、ザロやクィノにとってはセタンの食事は新鮮らしい。


「海で捕れる魚介類がほとんど干物なのが不思議だよね。向こうじゃ生をそのまま調理するから。結構味が変わって面白いよ。ルイが生の貝が嫌って言ったの、納得だな。別物だよ」

「ポーセに配属されるのだけは勘弁だな」


 あの味を思い出したのか、ルイが苦い顔をした。


「俺、魚好きだと思ってたけど肉の方が好きかも」

「肉ばっかり食うなよ」


 レツは自分の皿に盛った、春赤茄子のソースがかかった豚肉のソテーを食べた。まだ赤くなりきっていない実で作ったのか、味が大人しい。苦手だと言って顔をしかめて春赤茄子を食べていた、自警団の団長の顔を思い出した。去る時くらい、ちゃんと挨拶したかったと思う。


「久しぶり」


 皿に落ちた影に、レツは顔を上げた。ウィルだった。


「お久しぶりです」


 ルイと共に挨拶を返す。実際、かなり久しぶりだ。

 ロウとリースがガーデザルグ王国へ行っている間に代理で指導してくれた彼は、かなり神出鬼没な人間だった。自警団に入ってからはほとんど会っていなかった。


「おめでとう。入団試験、見てたよ。何かやってくれるとは思ってたけど、想像以上で面白かった」


 ウィルは手近にあった椅子を一つ引き寄せて、腰を下ろした。


「本当の星舞が使えるとなれば、君達二人は、ペアを組むのはもう確定だな」


 入団試験の際、誰とペアを組んでいるかは騎士団に伝えているが、実際に誰がパートナーになるかは入団後に決められる。

 ペアは、ロウとリースのように途中で完全に変わることもあるし、任務によって一時的に別の人と組むこともある。だが、基本となるペアはほとんど全員が決まっているらしい。


「研修中には、誰とペアになるかは正式に通達があるんですか?」


 ルイの質問に、ウィルはうなずいた。


「ある。実務は原則ペアで動くから、その練習もあるしね。夏に入る頃にはちゃんとした武器を買う必要があるし」


 今まで、レツ達は本物の武器は持ったことがなかった。杖はともかく、刃物である剣や槍の類は一部の許可を得た者しか所持が許されていない。

 そして本物の武器の購入は、魔導士隊では、ある習わしがあった。自分の分を自分で選ぶのではなく、パートナーに選んでもらうのだ。

 自分とは異なる種類の精霊に愛されたパートナーが選ぶことで、己では得られない加護が得られるという。

 レツは、ウィルの武器は誰が選んだものなのだろうと思った。彼はパートナーがいない。ヴァフ隊長もそうだ。


「ところでさ、命の魔導士が入ったって聞いたんだよ」


 ウィルの目がぱっと輝いた。もしかして、こちらが本題だろうか。

 ルイがクィノとザロを紹介すると、ウィルは嬉しそうに何度もうなずいた。


「命の魔導士が入ってくるの、かなり久しぶりなんだ。医術師に行くやつが多いし。後でちょっと手合わせしてくれよ」


 クィノは気恥ずかしそうに承諾し、ザロは自分も先輩と手合わせしたいと食いついていた。

 和気あいあいとした空気から少し外れたのを感じて、レツは、いい機会だと思った。四人で行動している時は言い出しにくいと思っていたが、今なら。


「あのさ、ルイ」


 声をかけると、彼は顔を上げた。

 異様に緊張する。元々、話し合いというのを彼とすることがあまりなかったからかもしれない。


「二人で話したいことがあるんだ。どこかで時間が欲しいんだけど、いける?」

「じゃあ、今夜だな。さすがに夕食後は何もないだろうから、その時でいいか?」

「うん」

「じゃ、俺の部屋で」

「分かった」


 約束できたことにほっとしつつ、こんな話で時間を作ってもらっていいのかと少し不安になった。

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