33 父と子
エドヴァルドは薄暗い廊下を歩いていた。王族とごく一部の者しか入れないそこは静かで、彼と、彼の少し後ろをついてくる護衛の者の足音だけが響いている。
前へ進む彼の右手に、ずらりと肖像画がかかっている。この国の歴代の王達だった。進むにつれどんどんと古くなっていく。一番端でエドヴァルドは足を止め、肖像画を見上げた。
このガーデザルグ王国の初代国王である、エンゼント王だった。歳を重ねるにつれ、彼はますますエンゼント王に似てきていた。異なるのは、エドヴァルドが母譲りの金褐色の髪をしているのに対し、エンゼント王は黒髪だということだ。目は共に青色だった。
肖像画の中のエンゼント王は、浮かない顔をしていた。この王は、エドヴァルドの母と同じ病で亡くなっている。これを描いた時には既に病に侵されていたのかもしれない。魔術師の証として杖を手にしているが、最も偉大な魔術師としての威厳はそこにはなかった。
エドヴァルドは仮面の位置を正すと、また歩き出した。やがて見えてきた目的の場所には、数人の兵が立っている。限られた者しか入れないとはいえ、王のいる場所の警備を怠るわけにはいかなかった。
兵は、エドヴァルドの姿を見て頭を垂れた。兵の一人が扉を叩き、中にいる者にエドヴァルドの来訪を告げる。すると、すぐに扉は開け放たれた。
「息子よ、待っていたぞ。さぁ、ここへ」
エドヴァルドの父であり、ガーデザルグ王国の国王である彼は、両手を広げてエドヴァルドを招き入れた。一人の側近を残して人払いをする。
部屋の壁となっている側近を合わせて三人きりになると、エドヴァルドは父と向かい合うようにしてソファに腰を下ろした。
「それで。大事な用件だと聞いているが、お前は王子としてここへ来たのか? それとも偉大な魔術師としてか?」
「両方です、父上」
父は威厳のある態度を崩していなかったが、それでもここにいるのが三人だけというのに少し気が緩んでいるのか、その顔には疲れが見えていた。
無理もない。最愛の妻である王妃は長く病を患い、その上第二王子と第一王女も同じ病にかかってしまったのだ。辛そうにしている弟や妹を見るのは、兄であるエドヴァルドには辛い。親である王にとっては、さらに辛いことだろう。
「父上。私は、今まで多くの事を調べてきました。それは家族と、そしてこの国の民達のため」
エドヴァルドは自分の才を惜しみなく発揮し、この国を悩ませる事象を調べ上げてきた。
「王家を脅かす呪い。そして衰えていく国土。その原因は一つでした。スタシエル王国で日没の矢と呼ばれている古い魔術品が、この国を蝕んでいるのです」
エドヴァルドは、日没の矢について父に説明した。
そもそも、日没の矢というのは正式な名称ではない。エリク王という国の太陽を沈めてしまったという意味で、スタシエル人が名付けたものだ。あの国の者が付けた名を使うのは気に食わないが、ここではその名で通すことにする。
「日没の矢は、元はエンゼント王の臣下が、スタシエル王国のエリク王とその血族の抹殺のために作り出したものです。高度な魔術品には人間の心が必要なのですが、日没の矢には、セヴェリという男が使われたと記録に残っています。この男は、まだ二人の王が子供であった頃、エンゼント王の陣営の者が忍び込ませた間者でした」
かつてエンチュリ帝国の皇子であった二人は、腹違いの兄弟だった。恐らくは、母が違うが故に幼い頃から対立していたのだろう。
人の命を奪う魔術品は、魔術品の中でも特に高度な技術が必要だ。しかも対象が一人だけではなく、血族にまで及ぶ。エドヴァルドの知る限り、それほどのものは日没の矢だけだ。
「スタシエル王国へ向けられた矢が、なぜ我が国を蝕んでいる?」
「セヴェリは間者としては半人前だったようです。恐らくは両陣営の間で心が揺れてしまったのでしょう。それがエンゼント王の――我が王家への恨みとなって現れているのです」
セヴェリは、魔術の知識をほとんど持たない凡人だった。その方が御しやすいと考えたのかもしれないが、結果としてはその判断は誤りだったようだ。
「人の心を使用した魔術品は、破壊するか目的を果たさない限り、永遠にこの世にあり続けます。その間、活動するためのエネルギーとして命を吸い上げる。それが精霊の怒りを買い、魔術を仕掛けた側である我が国から精霊が離れる原因となり――結果として、国土が荒れ続けているのです」
ここまで辿り着くのは至難の業だった。六百年の時を経て、糸が絡まるように様々な事象が絡み合い、邪魔をしていた。投げ出したくなるのを堪え、何年もかけて、ようやく辿り着いたのだ。
だが、辿り着けたのはエドヴァルド一人の力だけではなかった。幸か不幸か、日没の矢の呪いによって病んでいる身内が三人もいたのが大きい。三人を調べ、その中で共通項を探ることができたからこそ、成し遂げられたのだ。
「原因は分かった。では、その日没の矢を破壊すればよいのだな?」
「日没の矢は簡単には破壊できません。我が国に伝わる地天技法で作られたものですから、同じ技法で作られた武器でなければ。ですが、今ではその方法も失われている……ですから、破壊ではなく、手懐けるのです」
自分は魔術師だ。魔術師である自分にはそれが可能だと、エドヴァルドは確信していた。
「魔術師である私なら、セヴェリと日没の矢の契りを強引に解き、私と契りを結ばせることができるでしょう。日没の矢の本来の目的は、エリク王の血を絶やすこと。セヴェリとは違い、確固たる意志のある私の元でなら、日没の矢は本来の目的を達成させ、魔術品としての命を終えるでしょう」
そのためには、姿を隠している日没の矢を引きずり出さなければならない。
(恐らく、私であればそれも可能だ。エンゼント王の血が流れる私なら)
過去、エリク王に似た人物が現れた時、日没の矢は姿を現したのだから。
絡まった糸の先を探る内に、彼は何度かセヴェリの姿を見た。日没の矢の射手であるセヴェリは、いつも同じ景色の中に立っている。
寒々とした、色褪せた浜辺。あの場所に自分が赴いたなら、きっと日没の矢はセヴェリと共に現れるだろう。
エドヴァルドは、自分と同じようにセヴェリを見つめる少年の存在に気付いていた。遠くて、黒髪であることと背丈くらいしか分からないが。
(あれは誰だ。会うたびに成長しているところを見ると、私と同様に今を生きている人間のはず)
エドヴァルドと同じく、日没の矢に深い因縁のある者だろうか。しかし、ガーデザルグ王家以外でそのような人物は思い浮かばなかった。そして、王家の中に背格好の似ている人物はいない。
ふと、腹違いの姉が報告してくれたことを思い出した。公にはされていないが、エリク王の子孫がいるのだと。
(まさか。しかし)
それを目の前の父に言うべきか否か、エドヴァルドは逡巡した。
子孫がいるということは、自身が日没の矢と契りを結べば、必ず死人が出るということだ。
(いや、かまうものか。元々、日没の矢が正常に機能していれば死ぬ予定だった人間だ。それに、家族でも、我が国の民でもないのだから)
エドヴァルドは気を取り直し、口を開いた。
「日没の矢が隠れている場所は、おおよそ見えています。そこで相談なのですが、スタシエル王国内にひそんでいる者達を動かし、私が見た場所を特定していただきたいのです。場所が分かり次第、私が直接赴きます」
王はじっとエドヴァルドを見つめていた。彼はエドヴァルドとは違い、魔術師ではない。それでも、エドヴァルドの話が理解できなかった様子ではない。きっと知らぬところで知識を蓄えているのだろう。
そんな父親を、エドヴァルドは尊敬していた。どうしても魔術にばかり知識が偏ってしまう自分の至らぬ点を自覚させられる。
「分かった。だが、お前の話だけで事を起こすには大きすぎる話だ。後で王家に仕える魔術師達と共に、確たる証拠を揃えてもらおう。それから、我が国だけが一方的に動くわけにはいかない。一度スタシエル王国との会談を設けよう」
エドヴァルドは眉をひそめた。その意味を王も理解しているようだったが、彼は顔色を変えずに続けた。
「魔術師であるお前が、かの国を見下げているのは分かる。お前だけではなく、この国の民達も、グラネア帝国も同様だ。スタシエル王国は、確かに我らより遅れた文明の中にあり、魔術より数段劣ると言われる魔法を多用している。だが、現実から目を逸らすことはできない。魔術により発展してきた我が国は衰退の一途を辿り、かの国は大地を肥やし繁栄の道を歩んでいる」
「しかしそれは、日没の矢の――」
父が苦笑したのを見て、エドヴァルドは口をつぐんだ。口を挟むなど、褒められた行為ではなかったと恥ずかしくなる。
「魔術による被害を受けているのは、我が国だけではない。それはスタシエル王国も同じだ。お前は以前、私に報告してくれただろう。王都の崩壊や、紫色の目を持つ者への呪いなど」
「……はい」
「日没の矢をどうにかしたいのは、スタシエル王国も同じだろう。その点では、双方で意見は一致している。会談で円満に話が進むかどうかは何とも言えないが……だが、穏便に済ませる手が残っているのなら、まずはそちらを試すべきだ。分かるね?」
エドヴァルドはうなずいた。
「蛮族と揶揄し、侮ってはならない。小国であるにもかかわらず、隣にあるグラネア帝国という大国に飲み込まれずにいるのだ。今すぐに理解せよとは言わない。だが、国一番の魔術師として、お前にも会談には出席してもらいたいのだ。それまでに、よく考えてみなさい」
彼は再びうなずいた。
思い返してみると、父がかの国に関して語るのを聞くのはこれが初めてだった。父と自分の視野の差のなんと大きなことか。
(原因は分かった。解決法もある。だが、仕損じれば次の機会は巡ってこないかもしれない……だからこそ、父上のように冷静にならなければ)
家族のことを思えば、一刻も早くと考えてしまう。しかしそれは父も同じだろう。
「お前は優秀な魔術師だ。六百年という歳月、我が国を苦しめてきたそれを突き止めたのだから。私は、お前という息子を持てて誇りに思う」
恥を感じてではなく、喜びで頬が熱くなるのが分かった。この時ばかりは、いつも付けている魔除けの仮面があって良かったと、エドヴァルドは思った。
だが同時に、少し胸が痛んだ。エリク王の子孫のことを、父に打ち明けなかったからだ。打ち明ければ、この計画を実行に移すことを反対されるだろう。そう思ったのだ。だが、父に隠してでもエドヴァルドはこの計画を進めたかった。家族が助かる道なのだから。
そう決心しているにもかかわらず、胸の奥の罪悪感は消えてくれなかった。




