31 パートナーからの手紙
『研究所で君のパートナーになる予定の子がね、紫色の目をしているんだ。嫌かい?』
ノーザスクにいた頃。研究所への誘いを持ってきた魔導士は、ルイと二人きりになるとそう言った。
嫌ではない、と言えば嘘になった。彼の短い人生の中でまだ出会ったことはなかったが、呪われているとされる人間が、神獣の加護を持つと言われる自分にすがりつく様は容易に想像できたからだ。
だが、程度の差はあれ、どうせ誰でも同じだとルイは投げやりな気分だった。誰とペアを組んだとしても、本心から仲良くなるつもりもない。だから、優等生らしい返事をした。
『かまいません。相手の子さえ良ければ』
あそこで嫌だと言っていたら、今頃自分はどうしていたのだろう。
目を開いて古い記憶から戻ってきたルイは、雪が落ちてくる灰色の空を見上げた。昨夜から降り続いている雪が厚く積もり、研究所の庭には他に人の姿はなかった。
今の自分を見たら、レツはどう思うだろうか。
ルイは、己が迷走しているのを自覚していた。練習や勉強を重ねても、武術も魔法もすっかり伸び悩んでしまっている。ヴァフ隊長からは、あれから何の連絡もない。答えを見つけていないのだから当然なのだが、日々焦りだけが募っていく。
ロウの忠告が、ルイを心配しているからこそなのは分かっている。神獣の話をレツに打ち明け、その上で残りの時間を悔いのないように、本人に選択させた方がいいということも。しかし、ルイは自分がその話をレツにしないと分かっていた。
(約束があるからじゃない。俺が、言いたくないからだ)
死への準備をしてほしくないのだ。今だって、レツが全くしていないとは思っていない。
生き残りたいという気持ちと、どうせ殺されるならその前にできるだけのことをしたい。言動から、そんな気持ちが伝わってくる。
ルイと違い、彼は幼い頃からずっと死と向き合ってきたのだ。出会った時の気力のない目はそれを物語っていた。
それでも、これ以上死を意識してほしくない。神獣の言葉を伝えても、動揺よりもすんなり受け止めてしまう様が想像できるのも嫌だった。
本人よりも、他人であるルイの方が受け入れられない。そんなのはおかしいだろう。そう思ってこの一年色々してみたが、もう諦めようとルイは思った。
神獣の言うことが現実になるとしても、ルイはそれを受け入れられない。どうしたって無理なのだ。
(師匠や隊長や――神獣の言うことなんて知るか。もしものことがあったとして、どんなに辛くても、そんなの俺の勝手だろう)
彼は元々、物分かりの良い子供だった。神獣の使いという役割を生まれた時から押し付けられてきて、自身に馴染んでしまったのだ。
故郷を出る時に置いてきたと思っていたのに、今になって、自分が無意識に物分かりの良い人間を装っていたことに気付いた。
ロウに話をされた時、どうして反発しなかったのだろう。「分かりました」だなんて、どうして言えたのだろう。今になってそう思う。
(獣が涎を垂らして飛び付いてくるなら、牙が届く前に首を切り落としてやる)
何も人の道を外れようとしているわけではない。ただ無茶なだけだ。他人の目にはさぞかし愚かに映るだろうが、自分の進みたい道がこちらなのだから仕方がない。
無謀だろうが何だろうが、後で何もしなかったことを後悔したくない。その結果、自身に何があろうとも、きっと後悔しないだろうとルイは思った。
(頭で考えてばかりだから駄目になるんだ。進みたい方向が決まったんだから、放置されている現状をまずはどうにかして、遅れた分を取り戻さないと)
ヴァフ隊長が相手をしてくれないのなら、ロウやリースに指導を頼むべきだ。一人ではできることが少なすぎる。
ロウとリースに連絡をとろうと思ったが、まずは部屋に戻ろうとルイは歩き出した。雪の降る中にずっと佇んでいたので、さすがに体の芯から冷えてしまっている。
寮の入口まで辿り着く間に、雪はさらに激しくなっていった。
建物に入る前に頭や服についた雪を払っていると、寮母が顔を出した。
「そんなに雪をくっつけて。風邪ひかないように、ちゃんと風呂で温まっておいで」
魔法で雪を弾くこともできたのに、そういえば全くしていなかった。誤魔化すように笑うと、寮母は何かをすっと差し出した。
「濡らさないように気を付けて」
そう言われて、ルイは服の比較的濡れていない部分で手を拭き、差し出されたそれを受け取った。手紙だった。寮母の本来の用事はこちらだったらしい。
用事が済んで寮母が顔を引っ込めたところで、ルイは改めてそれを見た。
宛名として書かれた自分の名前のそばに、「検閲済」のスタンプが押されている。よく見ると封が開いており、閉じなおすことすらしていなかった。
(手紙にまで精霊がくっついてくるもんなんだな)
差出人の名は書かれていなかったが、その必要もなかった。
中に入っていた、たった一枚だけの紙を開く。大きくない紙の中央に、一文だけ書かれていた。
検閲で他人に読まれてでも書きたかったのがこの一文なのかと思うと、ルイはなぜだか頬が緩んでしまった。
◇◇◇◇
何度来てもここは慣れないと沈んだ気分で、レツはダンと一緒に歓楽街を歩いていた。
セタンにしては珍しく、ここ数日雪が降り続いている。道の脇によけられた雪の山が、日毎に大きくなっていく。
「そんな顔すんなよ。頼りにされてんだからさ」
最初の歓楽街での一件以来、南支部から名指しで手伝いを頼まれるようになってしまった。頼りにされることは素直に嬉しかったが、この町が好きかというとそういうわけではない。
(お酒臭いし、香水臭いし、酔っ払いばかりだし、こんなに寒いのに女の人は薄着だし)
スラム街の方がまだ気が楽だ。あちらはあちらで匂いが酷いが。
(スラム街……明日は、ドリーさんの所へ顔を出そうか。いや、でもな……)
毎日、隔日、数日に一度と、ドリーの元へ通う頻度は少しずつ低くなってきていた。もう半年ほど経つが、彼女の態度は一向に変わらない。行く度に片付けても、次の時にはまたゴミが散乱しているし、話すらしてくれない。もう望み薄かと考えるようになっていた。
何が悪いのかと何度も考えた。そもそも魔法の話をするのが嫌なのかもしれないが、そう尋ねてもうなずいてはくれなかった。
何でもいいから声に出してほしい。レツが勝手に彼女の元を訪ねているだけなのに次第に苛立ちを覚えるようになってしまい、さすがに自分勝手だと落ち込んだ。
(あれ、今何か)
不意に、闇の精霊の気配を感じた。いつも自分の周囲にいるものとは違う。
気配を追って、その先にあるものを見ようとレツは目を凝らした。
「頼まれてる件だけど、あの角の――どうした?」
ダンの話を聞かず、レツは駆け出した。まさか、と不安と緊張で鼓動が速くなる。
ある酒場の入口に、一組の男女がいた。酔っぱらった男に、女がしなだれかかっている。近付いてくるレツを見て二人は少し身構えたが、レツの目的は、その二人の隣にある何もない空間だった。手を伸ばす。その手は、確かに何かを掴んだ。
「何をしているんですか」
魔法を使い、この周囲を隠している魔法を相殺する。僅かに抵抗されたが、相手の魔法はあっけなく霧散していった。
魔法の力が消えると、そこに現れたのはドリーだった。魔法が相殺されたことに一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにその目は憎々しげにレツを見上げてきた。レツがまだきつく掴んでいる老婆の手は、男の服のポケットに突っ込まれていた。
「な、なんだこのババア!」
男が後ずさると、ドリーが持っていた財布が男のポケットからするりと抜け出た。それに気付いた男が、慌てて取り返す。
「レツ! どうした、盗人か?」
「そのようです。騎士に引き渡します」
魔法でドリーを後ろ手に縛り、鳥を飛ばした。ドリーはしばらくはレツの魔法から逃れようと頑張っていたが、やがて力ずくは諦めたらしくレツをさらに睨みつけた。
「こんなことをして、後悔するよ」
「後悔?」
「魔法を教えてもらいたいんじゃなかったのかい!」
「あなたに教わることなんて何もない」
こんなことに魔法を使っていたのかと思うと、ふつふつと沸き上がってくる怒りが収まらない。
精霊は人間の考える善悪とは違う基準で動いている。だからこそ、魔導士はよく考えて魔法を使わなければならないのに。
目に見えず話もできないが、精霊にも心がある。犯罪に力を貸していたと分かれば、精霊はどんな風に思うだろうとレツは頭が痛くなった。
「善人ぶったって、闇の魔導士なんて理由もなく恐がられるだけさ!」
「そんなの、盗みをする理由にはならないだろう!」
いいかげん腹が立ってしまい、声を荒らげた。
落ち着けと、ダンが間に割って入る。騎士が来るまでの間、レツはもう何も言わず、何も聞かないようにした。
この半年近く、ほとんど何も喋らなかった老婆は、今まで喋った倍以上の量を一気にまくし立てていた。
彼女の声に野次馬が現れ、やがて騎士が到着しても、もうなるべく何も考えずにレツは事務的に処理するのに努めた。
騎士に引きずられるようにしてドリーが去り、ダンと一緒に南支部の仕事を済ませて寮に戻る頃には、体力はともかく気力が限界だった。
闇の魔導士にあんな人間がいたことと、この半年が無駄だったという事実が、思いのほか気力をそぎ落としてしまったらしい。
レツも、頭では分かっていた。魔導士には善人も悪人もいるし、ドリーの元へ通う時間が無意味だとも薄々気付いていた。あの男性の財布が守れただけでも良かったし、これから出てくるかもしれなかった被害もなくなったのだ。そう言い聞かせてみるが、あまり意味がなかった。
(数少ない闇の魔導士にあんな人がいるなら、警戒されても仕方ないな……)
もう夜も更けて、寮は静まり返っていた。冷気がきりきりと肌に痛い。この時間では近所の共同浴場も開いていないので、レツはさっさと寝てしまおうと寮の階段を上った。寝ている人を起こさないようにと、音を立てないように気を付ける。
自分の部屋の鍵を開けて扉を開き、ふと、懐かしい気配にレツは顔を上げた。
部屋の中は真っ暗だった。小さな窓から外の光がほんの僅かに入ってきているだけで、当然誰もいない。
(……ルイの気配がしたと思ったのに)
不思議に思いつつ、扉を閉めて月光灯を点けた。狭い室内が明るくなる。あまり物のない部屋で、朝ここを出る時にはなかったものを見つけるのは簡単だった。
部屋の隅に積み上げておいた本と本の間から、折りたたまれた紙がはみ出していた。気配の正体がそれだと分かる。
レツはすぐにそれを抜き取った。
開いてみて、雪が降るより前に出した手紙が、無事に届いていたことを知る。
自分の書いた一文の下に書き加えられた文字に、沈んでいた気持ちが浮上してくるのが分かった。
(鳥が運んできてくれたのかな。いつ来たんだろう)
紙の中央には、レツの字で「僕は、君との約束は全部守りたい」と書かれている。
その下に、見慣れた字で「覚悟してろよ」と書き添えられていた。




