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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第二章 自警団
72/133

29 ポーセ、パラソルの下

 セタンの南部に位置するスラム街は、何度訪れても慣れるものではなかった。着古しているレツの服でさえ新品に見えるほどに、人も町も汚れきっている。道を歩けば、金目の物を持っていないかとジロジロ品定めされた。

 こういう場所は大きな都市であれば大抵できてしまうものらしい。だが放置すると治安は悪化してしまうしと、悩みの種になっているようだ。

 以前教えてもらった、ドリーという闇の魔導士の家の前に立ち、レツは少し躊躇った。


(ここのはずなんだけど……本当に間違ってないよね?)


 長屋の一番端がその老婆の家らしいが、雑多な物が道にまで溢れ、この周囲でも特に匂いが酷い。食べ物の腐ったような匂いと下水の匂いが混じり合って、正直少しでも早くここを去りたかった。

 一級魔導士であれば、普通は職に困らない。研究所で研究員をしていた者ならなおさらだ。どうしてこのような場所に住んでいるのか不思議だった。

 帰りたい気持ちを何とか振り払い、レツは一つ深呼吸した。


(僕だって、同じ属性の魔導士から学びたい。せめて話だけでも)


 開きっぱなし――そもそも、扉の内外に物が山を作っていて、閉じることができない――の戸口から中を覗いた。日当たりが悪いのか、昼にもかかわらず中は暗い。


「すみません、どなたかいらっしゃいませんか?」


 何も動く気配がない。留守だろうか。


「すみません」


 念のためにもう一度呼びかけてみたが、やはり中はしんと静まり返っていた。

 出直そうかと考えて、ふと、レツは背後に気配を感じて振り返った。

 自分の胸あたりの位置に人の頭があり、驚いて後ずさった。足元にあった物ががしゃがしゃと音を立てる。

 その人は、総白髪で四方八方に乱れた髪の下から、じとっとした目でレツを値踏みしていた。男性とも女性とも区別がつかないような年老いた人だった。この町に住む他の人達と同じように茶色のような灰色のような服を着ているが、襟元には美しい装飾の首飾りが煌めいている。それが何ともちぐはぐだった。


「えっと……ドリーさんですか?」


 相手は返事をしなかった。だが、確かに闇の精霊の気配を感じる。話に聞いたとおり、闇の魔導士であることに間違いはなさそうだ。


「自警団のレツといいます。あの、ドリーさんが闇の魔導士だと聞いて……その、同じ属性の方に、色々伺いたいと――」


 老婆がぐいと何かを差し出したので、レツは反射的にそれを受け取った。空の麻袋だった。


「片付け」

「え? あ、はい」


 ただで教えてもらえるわけがないかと、レツは袋を広げた。そんなレツを横目に、老婆は物の隙間に体を横たえ、大きく息を吐いた。




◇◇◇◇




 ポーセでも、建国祭は一年で一番大きな祭りだった。首都であるセタンと異なるのは、騎士団の任命式に出てくる隊が違うくらいだ。こちらでは、船に乗り国を守る船導士(せんどうし)の任命式が行われている。

 その任命式もとうに終わった。屋台を回り終えた人がぽつぽつと帰る姿が見える頃、クィノは馬車が着くのを待っていた。

 何台か止まった馬車の一つから見知った人が降りてくるのを見つけて、クィノは大きく手を振った。


「ルイ!」


 まだ夏に近い日差しを受けて輝く金色の髪の人物が、クィノに応えて手を振り返してきた。


(やっぱり。ルイ一人だけだ)


 こちらに来るというルイからの手紙を受け取った時、何となく、レツは来ないのだろうという予感はあった。


「久しぶり。二年半ぶりくらいかな」

「ああ。悪いな、突然誘って」

「なんでさ。突然でも何でも、大歓迎だよ」


 どこかで落ち着いて話をしようと、クィノはルイを案内した。まだ暑いくらいのこの時期、広い道には色とりどりのパラソルが広がり、その影でたくさんの人が喉を潤していた。


「ザロは?」

「ちょっと遅れて来るって」


 二人は屋台で飲み物と摘まむ物を買い、パラソルの下の空いた席に腰を下ろした。

 無難に勉強の話題で話し始めたものの、さてどうしようかとクィノは考えた。ルイはきっと、気まぐれに会いに来たのではない。絶対に、何か話したいこと――もしかしたら、相談したいことがあるのだ。


(レツが来ないってことは、きっとレツ絡みなんだろうな。喧嘩? まさかね……でも、そのまさかなら、慎重に切り出さないと)


 ルイの方も、本題に入ろうかどうか迷っている様子がある。甘い飲み物を飲みながら、こういう時、大人のように酒が飲めたら話しやすいのだろうかとクィノは思った。


「ああ……駄目だった……」


 背後で唐突に呟かれた声に、クィノはぎくりと肩を震わせた。


「ザロ、久しぶりだな」


 クィノとルイの間の席に座りながら、ザロはちらりとルイを見て盛大な溜息をついた。


「俺もルイくらい女受けする見た目だったらな……今頃こんなむさ苦しいとこにいないのに……」

「この中で一番むさ苦しい男が何言ってんの。その様子じゃ、また振られたみたいだね」

「クィノはいいよな、今の子と長く続いてるし! どうせこのまま結婚するんだろ!」


 何を勝手に人の恋愛事情を喋っているんだと、クィノは慌てた。ルイを見ると、少し笑って「おめでとう」なんて言っている。恥ずかしいことこの上なかった。


「な、長いって言っても、せいぜい二年くらいさ。結婚なんてまだまだ先の話だよ」

「予定はあるんだ?」

「い、いやー……だってさ、騎士団に入団したら、半年はセタンで研修だろ? それが終わったらどこに配属されるか分かんないし……さっさと入籍して、配属先についてってもらおうかって話が出てるだけで……そもそも入団しないと始まらないけど」


 しどろもどろになりながら話すと、ザロが呻いた。


「ルイ……お前はまだ俺を置いてかないよな? 養成所にいた頃も片っ端から断ってたし……俺に内緒で恋人作ったりしてないよな?」

「お前に報告する必要がどこにあるんだ」

「いるのか!」

「いるというより……いた。割とすぐ別れたけど」


 意外な話に、クィノもザロと同じように目を丸くした。養成所にいた頃は、恋愛に興味なしという感じだったのに。


「すぐ捨てたんだな、人でなしめ」

「誰が人でなしだ。振られたのは俺の方だよ」

「ザロ……とりあえず、君も何か買ってこいよ」


 確かに腹が減ったと屋台へ向かうのを見送って、クィノは溜息をついた。


「ザロは相変わらずあけすけだな」

「なんかごめん……いや、俺が謝るのもおかしな話だけど」

「いいよ、ザロのああいう所は結構好きだし」

「それならいいけど……でも、残念だったね。折角付き合ったのに」


 相手のことを思い出しているのだろうか。ルイは少し肩を落とした。


「もう少し向き合ってほしかったってさ。さすがに申し訳なかったよ」


 養成所での過ごしぶりから想像すると、恋人と過ごす時間が少なかったのだろう。クィノだって、たまに不満を漏らされる。だが、騎士になるためには、やらなければならないことが山ほどあった。


「それで、どこまでいった? その恋人と」


 屋台から帰ってきたと思ったら、ザロの開口一番はそれだった。


「ザロ……君ね……」


 ちょっとは慎むことを覚えてほしい。だがザロには、クィノの声は聞こえていないようだった。


「どこまで……そうだな。羨ましさでザロがのたうち回るくらいまで」


 それを聞いて、本当にのたうち回るんじゃと思うくらいにザロが身を捩って唸ったので、二人で笑った。


「じゃあ俺とレツだけ置いてけぼりだ! あれ、レツは?」


 気付いてなかったのかとクィノは呆れた。それに、慎重に切り出そうと思っていたのにめちゃくちゃだ。もういいや、とクィノは諦めた。


「レツ、元気にしてる?」


 ルイは小魚のフライを一つ摘まむと、視線を自分の飲み物に向けたままで言った。


「……一年くらい会ってないから、分からない」

「一年……え、一年?」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


「セタンの研究所って、めちゃくちゃ狭いんだろ? 会わないなんてできるのか?」


 ザロの疑問ももっともだ。いや、そもそも、会っていないということは、ペアを解消したのだろうか。


「二級魔導士になってすぐに、強制退所させられたんだよ」

「え! 何で? 強制退所ってよっぽどだよ?」


 あのアルでさえ、強制退所ではなかった。養成所と研究所では多少の違いはあるだろうが、そう簡単にできるものではないはずだ。


「まぁ、運が悪かったというか……」


 その経緯を、ルイはざっと説明してくれた。あまりに彼らしくない理由なので、そんなでっち上げで退所させられたというのに驚きだ。


「そういうわけで、今はセタンの自警団に入ってる」

「そうなんだ……」


 養成所で見た限り、レツは真面目に勉学に励むタイプだった。だから一級魔導士になり、騎士になることもそれほど難しくないと思っていたが、研究所を追い出されたとなると厳しいかもしれない。そうクィノは考えた。

 研究所や各地の養成所に所属している場合、一級魔導士認定試験の合格率は七割ほどだ。だが、所属していない場合は一割にも満たない。所属中の研究実績がない分、試験内容が難しいのもあるが、やはり独学では難しいのだ。

 だが、ルイの顔を見て、それはあまり問題視していないのだと分かった。彼の顔を曇らせている原因は、他にある。


「なあ、ルイ。全部喋っちゃえよ。楽になるぞ」


 肉の串焼きにかぶりつきながら言えるところが、ある意味強いのかもしれない。ザロのこういうところは、確かにクィノも好きだった。重く澱みそうなのを引っかき回してくれる。


「ザロの言うとおりだよ。口に出すと考えがまとまることもあるし。口止めされてなければ、だけど」

「口止めは、まぁ、されなかったな」


 そう言いながらも、ルイは周囲に聞かれないように魔法で自分達を覆った。


「あいつ、今年で十六だろ? それで……それで、ぎりぎりまでは生きられるらしい」

「なんだ、いい話じゃないか――いや、いい話か?」

「良くはないよ。ヴァフ隊長みたいに二十歳は超えられないってことじゃないか」


 今すぐでない分、ましなのかもしれないが。


「ヴァフ隊長と同じには、絶対になれないって言われたよ」

「……隊長のことは置いておくとして、どうしてぎりぎりまでは大丈夫って分かったの? いつ日没の矢の魔術が発動するかは分からないってことになってるけど、実は国は把握してるってこと?」

「いや、国というか、神獣がそう言ってるらしい。隠れている日没の矢を引きずり出すのに一番いい時が来るまでは、精霊があいつを守ってるって」


 ルイはさらりと語ったが、話の規模が大きすぎて実感などまるでなかった。神獣だなんて、普段はほとんど意識しないからだ。

 だが、それでも事の重大さは分かる。

 精霊が日没の矢を排除したがっているのは、やはり魔術を嫌悪しているからだろうか。

 それにしても、神獣が未来を語るとは。


(でも、どうしてレツなんだろう。紫色の目を持っているからなのか、闇の魔導士だからなのか、他に要因があるのか)


 考えたって分かりそうもなかった。そもそも神獣の考えることなんて、想像もつかない。


「なぁ、俺の察しが悪いのが駄目なのかもしれないけど、ルイが何に落ち込んでるのか分からないんだよな。日没の矢が見つかるってことは、壊すチャンスってことだろ?」


 レツやルイにとって「ただのチャンス」なら、悩む理由などないだろう。

 ルイが何を語るのかを察して、クィノは背筋に冷や汗が流れるのが分かった。


「神獣は……あいつを、おびき出すためのエサ、贄だと言った。だから……」


 だから何なのか、ルイは言わなかった。

 ザロも察したようで、少し唸っただけだった。


「……それ、レツは知ってる?」

「分からない。何となく、知らないんじゃないかと思ってるけど」


 一年も会っていないのは、それが原因か。

 クィノだって、こんな話を聞かされて、平気な顔で会えるとは思えなかった。たった一年とはいえ、一緒に寝起きした仲だ。呪われていて、いつか殺されてしまうということは最初から分かっていたが、それとはまた少し話が違う。


「考えたんだ。二十歳まで生きられないことが確定したなら、騎士を目指すのなんてやめて、好きなことを好きなだけする方が幸せなんじゃないかって」


 彼らしくない考え方だ。それだけ参っているということかもしれない。騎士になることを提案したのはルイの方だという話は、以前聞いていた。

 自分との約束が、相手の幸福を奪っているかもしれない。そう考えてしまって辛いのだろう。何が幸福かは本人が決めることだが、今のルイはそれに思い至らないらしい。


(……自分だったら、どうだろうなぁ)


 ルイの立場でも、レツの立場でも、きっとたくさん悩んだだろうと思う。

 クィノは、慎重に言葉を選んだ。


「俺はさ、もう長いことレツに会ってないし、レツがどう思ってるか、本当のところは分からないから。だから、ルイが言ってほしいんだろうなってことを言うけど」


 我ながら、少し意地悪な言い方だと思う。だが、気遣って嘘をついても良い事はないと思ったのだ。

 レツが二十歳になるまで、あと三年と半分。悩んで出した結果が何であれ、後悔しない道を歩んでほしいとクィノは思った。


「養成所にいた時のレツは、自分から楽しんで学んでるように見えたよ。あんまり主張しない方だけど、レツだって意志があるんだから、騎士を目指してるのはレツの意志だ。今になって『それをやめて好きなことをしろ』って言われても、その方が悲しむんじゃないかな」


 ルイは、喜んでいるような、苦しんでいるような、複雑な表情で笑った。


「ありがとう。確かにそう言ってほしかったよ」


 クィノだって、レツに死んでほしくない。だがそれが望み薄だと分かっていて、それでも生きる道を探して突き進む勇気もなかった。それをするには、自分には勇気も覚悟も足りなかった。


「二人に話せて良かった。後は……ちゃんと、自分で答えを見つけるよ」


 きっと、見つけるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。クィノはそんな予感がした。

 セタンからここまでかなり距離があるというのに、彼はこれから帰るという。そのルイを、クィノはザロと一緒に見送った。

 いつのまにか赤く染まった夕焼け空の下、去っていく姿は少し寂しそうにクィノの目に映った。


「レツに何かあったら、あいつはこの国を出ていく気がする」


 ぽつりと零したザロの言葉に、クィノはうなずいた。

 そうなってほしくはない。

 そう思うものの、どうすれば彼らの力になれるのか、クィノには分からなかった。


 数年後、自分達は一体どうなっているだろう。それを想像するのはとても恐いことだった。

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