21 本と約束(1)
テスのつやつやした頬を見ると、やはり食べる物の違いだろうかとレツはいつも考えた。
「僕を置いて、どこへ行くつもりだ」
「見回りです」
悪の魔導士だ何だと大騒ぎしたのに、テスは次に会った時にはけろりとしていた。それがレツには不思議で仕方がなかった。
(いい人ではあるんだろうけど)
しかし、彼の大きな体は空間を圧迫してしまうので、それが難点だった。
団長と目が合うと、「連れて出ろ」と無言の命令があったので、レツはテスを置いていくことを諦めた。
「中央広場と、東の市場を中心に回るんですが……一緒に行きますか?」
「当然だ」
胸を張って――それでも腹の方が出ていたが――言うので、レツはテーブルの上に無造作に置かれている黒い布の山から、帯を一つテスに手渡した。毎年使うものらしく、日に焼けて色が褪せてしまっている。
「これは?」
「自警団だと分かりやすいように、こうやって肩に掛けるんです。建国祭の日は、よそから来ている人も多いので」
レツは、輪っか状の帯を左肩に掛け、右は腕を通した。体を斜めに走る黒い帯は、人混みの中でも意外と目立つそうだ。
「他の色はないのか?」
「自警団は黒と決まってます」
騎士団の魔導士と被らないようになっているのだ。
テスはしぶしぶと帯に首を通し、右腕を通した。
「……おかしくはないか?」
本人が疑問に思うだけあって、確かにおかしかった。彼の体には帯の輪が小さかったようで、レツのように垂れることなく、ぴったりと体に張りついてしまっている。少し胸を張ると、縫い目から駄目になりそうだった。
「えっと……首に掛けるだけにしておきましょうか」
準備を終えて、二人は詰所から大通りへと出た。
まだ朝で開いていない店も多いが、普段と比べると明らかに人が多かった。場所に慣れていない様子の人も見かける。日が高くなってから行われる騎士団の任命式の前後が特に人が多いらしいが、まだレツには想像がつかなかった。建国祭の日に町中にいるのは初めてだ。
通りを吹き抜けるのはもう秋の風だったが、人が集まればきっと熱気で暑いだろう。テスが体調を崩さないように気を付けなければならない。
東の市場から溢れるようにして、西側の通りにも露店が出ていた。開店準備をしている所もあれば、既に開けて客を呼んでいる所もある。どこかで売っているのか、焼きたてのパイの匂いが漂ってきた。
「そういえば、お店の方は大丈夫なんですか? こういう日は忙しいと思ってたんですが」
テスの実家は有名な料理店だ。聞くところによると、かなりの高級店らしい。レツには縁のない場所だ。
「お客様がいらっしゃるのは夕食時だ。だから、今の内に自警団を訪ねるようにと、父上がな」
社会勉強のための入団だそうだが、はたして勉強になっているのだろうか。普段テスがいる世界を知らないので、レツにはよく分からなかった。
祭りとはいえ、まだ朝ということもあって比較的平和だった。道案内に迷子の保護、普段お世話になっている店の人の手伝いなど、内容は普段とそれほど変わらない。いい匂いがする度にテスが露店に吸い寄せられるので、レツはそれを連れ戻したり、時には放っておいたりした。
しかし、テスが露店を覗きたがる気持ちは分からないでもない。この日にしか目にしないような品物がたくさん並んでいるし、歩き回っていれば小腹も空く。ただ、今は一応仕事中だし、レツはそもそもお金を持っていないので、覗いても冷やかしにしかならなかった。
「ああ、良いところに」
声がした方へ目を向けると、自警団がいつも世話になっている商会の人だった。べそをかいている幼子の傍らに立つその男性に、レツは近寄った。
「おはようございます。迷子ですか?」
「それが、何とも言えないんだよ。宿屋で目が覚めたら親がいなかったらしくてさ。荷物も何もなくすっからかんだと。それで、パニックになって飛び出してきたみたいなんだが、こう小さい子だと、その宿屋がどこかも覚えとらんし、出身地も言えんようだし」
捨て子だろうか、とレツは考えた。
「分かりました。ひとまず僕が預かります」
「助かるよ。うちもそろそろ用意をしなきゃならんし。団長によろしく言ってくれ」
男性が忙しなく去っていったのを見届けて、さて、とレツはその子供に向き直り、膝をついた。
三歳か四歳くらいだろうか。少なくとも、まだ学び舎には通っていない年齢だろう。服装を見るに少女のようだ。泣き腫らした目が真っ赤で、寝癖もそのままの散々な状態だった。
「おはよう。名前を教えてくれる?」
少女はもじもじするだけで、答えてくれなかった。少しずつ後退りして、レツと距離を取ろうとする。
(目の色が恐いのかな)
呪いのことを知っているのかどうか、微妙な年齢だった。自分の周囲に居るならともかく、そうでなければ知らなくてもおかしくない。少女はレツの顔をちらちら盗み見るようにしていたが、それも目が原因なのか、単に人見知りなのか、いまいち判断がつかなかった。
「どうかしたのか」
とてつもなく甘い匂いがしたと思ったら、テスが隣に立っていた。匂いの元は、きっと左手に抱えている紙袋の中だろう。右手で摘まんでは口に放り込んでいる。
「置いていかれてしまったみたいで。とりあえず、自警団に連れていこうと思うんですが」
管轄としては騎士団かもしれないが、普段、迷子などは自警団で保護している。探している側が自警団に顔を出すことが多いからだ。捨て子の可能性があるので何とも言えないが、団長か副団長に指示を仰いだ方がよさそうだとレツは考えていた。
「これが欲しいのか?」
少女がずっと紙袋を見つめていることに気付いたテスが、ガサガサと紙袋を振ってみせた。一つ取り出し、手のひらに載せて差し出す。
「それ、子供が食べても大丈夫な物ですか?」
「暁苺に砂糖をまぶしているだけだ。君も食べるか?」
「いえ、僕は甘い物はちょっと」
砂糖をまぶしているだけだと言うが、なぜだか匂いがすさまじく甘かった。それだけでお腹が膨れそうだ。
少女は手を出そうかどうか迷っているようだったが、やがてテスの手の上にあるそのお菓子を摘まんだ。大きく口を開けて頬張る。しばらく口をもぐもぐさせていると、やがて少女は涙でぐちゃぐちゃの顔のまま笑った。美味しかったらしい。
もう一つ食べさせてから、テスは少女を抱き上げた。
「自警団まで行くのだろう?」
早くついてこい、と言わんばかりの様子で歩き出したので、レツはテスについていった。
「君は子供の扱いが下手だな」
「自分でもそう思います」
自警団に来るまでは、子供と関わることなどほとんどなかった。入った当初はどう接してよいか分からず困ったが、最近ようやく慣れてきたところだった。
二十歩ほど歩いたところで、重くて限界だと訴えられ、代わりにレツが少女を抱き上げた。テスが間に入ってくれたおかげか、大して怖がらずにいてくれた。
少女を連れて詰所へ戻ったが、自警団側では何も情報を掴んでいないということで、騎士団本部へ連れていった。
騎士に経緯を説明し、テスの持っていたお菓子を結局紙袋ごと貰った少女を残し、二人は中央広場へと戻った。




