15 帰還
自警団にとっては少し困ったことだが、テスは以前より頻繁に顔を出すようになった。二日に一度は必ずやってくる。日によっては、朝来て夕方にもやってくる。
「すげぇやり辛い」
ダンが武術の練習を中断したので、レツも構えを解いて息を吐いた。それを見ていたテスが、「なんだ、もう終わりなのか?」とつまらなさそうに少し離れたところで零している。相変わらず大きな体だが、通う頻度が高くなったためか、以前より少しだけ体積が減ったようだ。
ダンはレツに近付くと、テスに聞こえないように耳打ちした。
「な、お前なんで好かれちゃってんの?」
「多分、魔導士だからだと……」
テスの相手は、すっかりレツの担当になってしまっていた。会う度に魔法を見せろとせがまれ、時には教えろと詰め寄られる。突っぱねられずに応えてしまうので、要求はどんどん増えているような気がした。
二人が練習を再開する気配がないからか、テスはずんずんと近付いてきた。それに比例してダンがレツから離れていく。
小さな目をきらきらと期待に輝かせて、テスはレツの前に立った。彼には申し訳ないが、どうしても圧迫感がある。
「武術の練習は済んだのか?」
「え、えっと……」
ちらりとダンを見ると、ダンは面白いものを見るような目をしながら「済んだ済んだ」とうなずいた。
「それなら、次は魔法の練習だな。たまには僕が手伝ってあげよう」
手伝ってもらうようなことは何もない――と言おうとして、レツは考え直した。
(いい機会だし、付き合ってもらおうかな)
最近、レツはある魔法に挑戦していた。ルイが教えてくれた、「眠っている間に姿が消えている」というのを、意図的に使えるようになりたいと考えたのだ。
周囲を全て闇で包んでしまう七日夜の魔法も姿を隠すのに有効だが、影響範囲が広すぎる。だが、自分の姿だけを消すのであれば、それよりもっと使いやすくて便利なはずだ。
レツ自身を消してしまうのは割と簡単だった。だが他人にも使えるかを、まだ彼は試したことがなかった。物を消すことには成功しているし、攻撃する類のものではないので、危険はないだろう。
「じゃあ、姿が見えなくなる魔法をかけてみてもいいですか?」
「おお、それは面白そうだ!」
幸いなことにわくわくしてくれたので、レツは彼に動かないように指示を出し、いつもより集中して魔法を使った。人に対して――特に魔導士でない人――に魔法を使う経験はほとんどなかった。それに、魔法を使う時に可視化される闇の精霊の気配のようなものが、なるべく見えないように気を付ける。
ポーセの養成所にいた時にザロにも言われたが、闇の精霊というのはレツの想像以上に恐れられるものらしい。最初、ダンや他の自警団の人にも恐がられてしまった。紫色のもやが少し見えるくらいなのだが、闇の魔導士自体がほとんどいないため、余計に恐いらしい。
闇が恐いという感覚がないレツには不思議な気分だったが、一般的には闇は恐いものらしい。夜、眠る時に真っ暗だとほっとするのに。レツはそう思った。
「すげぇ、本当に見えなくなった!」
ダンが感嘆の声を上げた。
どうやら成功したらしい。精霊の気配が分かるので、レツには大体どの辺にテスがいるのか分かる。テスは興味深そうに、右往左往していた。動いても姿が見える様子はない。
「闇の魔導士ってすげぇな! 俺にも――」
ダンはそう言ってから、しまったと慌てて自分の口を手で覆った。だが、出てしまったものはどうしようもなかった。
姿が見えなくなっていても、テスが硬直したのがレツには分かった。慌てて彼にかけている魔法を解くと、テスはその大きな腹を存分に活用して絶叫した。巨体に似合わぬ素早さで駆け出し、詰所へと逃げ込む。ドタンバタンガシャンと盛大な音を立てて、やがて絶叫は表の大通りに出ていき、小さくなって聞こえなくなった。
「ダ、ダンさん……」
「やっべ、ごめん」
二人で急いで詰所を覗くと、テスの大きな体は色々な物を引っ掛けていったようで、物があちこちに散乱していた。
(折角整理したのに……)
ここに来てから、時間を見つけては整理して、ようやく綺麗になってきたところだったのに。レツはがっくりと肩を落とした。
「なんだこりゃ! おい、お前ら片付けろ!」
運悪く、ちょうど団長が帰ってきた。足の踏み場もない詰所の様子に驚いている。
「すんません、団長。俺のせいなんです」
言われたとおり、二人で急いで片付け始めた。とりあえず、歩く場所くらいは確保しなくてはならない。
彼らの一部始終を見届けながら、いつもどおりの場所に座っている副団長が「若い子は元気だねぇ」と笑っていた。
「テスさん、どこ行ったんでしょう」
「知らねぇよ。帰ったんじゃないか? もうあのでけぇ体見たくねぇ……」
ダンはそう零したが、彼の願いは生憎叶わなかった。
何とか床から物を取り除いた頃に、遠くからあの声が近付いてきた。それに気付いて、ダンが嫌そうに唸る声をレツは聞いた。
「こっち! こっちです! 悪の魔導士が!」
その言葉に、もしかして……と、レツは嫌な予感がした。
テスは帰ったのではなく、騎士団本部に駆け込んだのだ。彼らだって忙しいのに、人騒がせもいいところだ。
しかし、テスが引っ張ってきた騎士の顔を見て、レツは自分の顔が明るくなるのが分かった。
「ロウ師匠」
戸口に見えたその懐かしい姿に、レツは急いで駆け寄った。
「いつ帰ってきたんですか?」
「昨日の夜だ。お前、大きく――なってねぇな。成長期どこいった? ルイと大分差つけられたんじゃないか?」
「い、今から来ませんか」
「でかくなりたきゃ、もっと食え。デブになられても困るけどな」
久しぶりの会話がとても嬉しかった。もう二年も会っていなかったのだ。
和気あいあいとしているのを見て、テスは焦ったようにロウの肩を叩いた。
「騎士殿! この、この者が! 闇の! 悪の!」
ロウは思い出したようにテスを見て、それからレツを見て苦笑いした。
「苦労するな、お前も」
レツは曖昧に笑った。きっと、こういうことは魔法を使い続ける限りついて回るのだろう。
「師匠、それより指導してください。星舞の練習も」
「お前ら、ほんと好きだよな。ルイも開口一番それだったぞ」
ロウは詰所の中を覗き込むと、中にいた団長と副団長に軽く手を振った。
「こいつ借りていきます」
「お前、『お久しぶりです』くらい言えねぇのか」
ロウは笑って誤魔化すと、レツを連れて通りに出た。成り行きについていけずにテスが困っていたことに、レツは全く気付かなかった。それほど、ロウに会えたのが嬉しかったのだ。
少々派手に魔法を使っても大丈夫なようにと、ロウは練習場所にセタンの西門を出てすぐの草むらを選んだ。騎士団本部の隣に門があるので、目と鼻の先だ。
「新しい魔法も色々覚えたんです。それから、自警団でも武術はダンさんに付き合ってもらってて」
「留守中のことは聞いたよ。お前があそこにいる経緯も」
レツは何と言っていいのか分からず、黙ってロウを見上げた。彼は自嘲するような顔をしていた。
「お前がトニを頼ってくれて良かったよ。まぁ、俺もお前と似たようなもんっていうか……濡れ衣でない分、俺の方が酷いけどな。とにかく、帰ってきたからには、研究所にいない分のフォローはできる限りするから。ちゃんと俺やリースを頼れよ。あいつと一緒に騎士になるんだろ?」
「……はい」
師匠達が帰ってきたという実感に、ふわふわと漂っていた心が落ち着くようだった。自分がそれほど彼らを心強く思っていたことに、今になって気付いたのだ。




