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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第二章 自警団
56/133

13 テス

「ただいま戻りました」

「おかえり」


 空になった木箱を抱えて戻ってくると、いつものようにペンを走らせたままの副団長が迎えてくれた。

 この団のお金はほとんど彼が管理しているらしく、彼はいつも机に向かってペンを握っている。


「そうだ。手紙を預かってきました」


 胸ポケットに大事にしまっていたそれを副団長に手渡す。いつもの納品先からのものだ。


「ああ、そろそろかと思っていたけど、来たね」


 副団長は嬉しそうに目を細めた。目尻の皺が深くなる。


「こうして内職を続けているとね、住み込みで働かないかと引き抜きの話が来るんだ。腕の良い職人をよそに取られたくないんだろうね。条件さえ合えば、晴れてここを卒業だ。あとで団長から話をしてもらわないとね」


 いつも詰所にいる副団長とは対照的に、団長はあまり詰所にはいなかった。大抵、見回りで外にいる。他の三つの支部を回っているのだろう。


「そういえば、君宛に小包が届いていたよ」

「小包?」


 空いた机の上に放置されているそれを見て、レツは喜びで胸が躍った。ポーセの魔導士養成所にいるリュド先生からだ。

 厚い紙の箱の蓋を開けると、中には手紙と、本が数冊入っていた。

 手紙には、以前出した手紙の返事が書かれていた。

 先生は、本の貸出を快く了承してくれた。研究所からも事情を聞いているとのことで、一級魔導士の試験に必要な本を見繕って送ってくれたらしい。読み終わったら次の本を送るので連絡するように、と書かれている。

 気遣ってくれているその文面が、とても嬉しくて懐かしかった。


(事情を聞いているって、ルイが知らせてくれたのかな)


 また勉強できるというのが、驚くほど嬉しい。研究所に入っている頃も学ぶのは楽しいと感じていたが、一度機会を失ってしまったからか、より強く感じられる。

 小包を寮の部屋に置きに行こうと、レツはそれを持ち上げた。分厚い本が入っているため、大きさに反してそれは重かった。

 そして寮へ向かおうとした時に、動かした肘がぶよんと柔らかいものに触れ、ぎょっとしてレツは顔を上げた。


 その少年の第一印象は、とにかく「大きい」だった。

 同じ年頃の子供だとザロはかなり背が高かったし、ルイもレツより高い。この自警団でも団長などはガタイが良い方だ。だが、そういう「大きい」ではなかった。

 縦にも横にも幅があり、球体に手足と頭がくっついたようだった。顔は、頬袋に物が詰まっているかのようにパンパンだ。


 ぶつかってしまったのだから一言謝るべきところだが、レツは言葉が出てこなかった。

 目の前にいるその少年は、恐らくレツとさほど歳は違わない。巨体のせいで相対的に小さく見える目はくりくりとつぶらだ。レツが着ているような古着ではなく、真新しい、眩しいくらい白いシャツに、汚れではなく丹念に染め上げられた黒いズボンを履いていた。


 レツと同じように少年は言葉を失っていたが、正気に戻るのは少年の方が早かった。少年は、見た目にそぐわない、少女のような金切声を上げた。耳鳴りで頭がくらくらする。


「の、呪われた人間め!」


 少年は慌てふためいたかと思うと、腰のベルトに付けていたらしい一本の棒を取り出した。手のひらより少し長いそれは、きちんと取っ手があって杖のように見える。


「魔導士の名において命じる。光の精霊よ、闇を払いて呪いを解け!」


 びしりと杖先を向けられるが、レツは居たたまれなくなって副団長の方に視線を向けた。彼は目を合わせまいとしているのか、先程より前のめりになってペンを走らせていた。


(……僕は一体、どうしたら)


 そもそもこの少年は一体誰なんだ。それと、いい加減重いので、荷物を置きにいきたい。レツはそう考えたが、杖先を向けられたままでは居心地が悪かった。


「あ、えーと……はじめまして、レツです。何日か前にここに入団しました」


 少年は驚いたような顔をしたが、ようやく杖を下ろしてくれた。少しほっとする。


「そうか! じゃあ君は僕の後輩だな! 僕はテスだ。ちゃんと先輩と呼ぶように!」


 この人も団員なのか、とレツは驚いた。ここには色んな人がいるものだとしみじみ思う。


「僕は光の魔導士だ。君の呪いは僕が解いてあげたから安心したまえ」


 そう告げる顔は、誇らしげにつやつやしていた。だが、さすがのレツも、彼が言っていることが嘘であることはよく分かっていた。


「あの……魔導士でない人が魔導士を名乗るのは、場合によっては罪になるので、やめた方が」


 レツの言葉に、テスと名乗った少年は小さな目を見開き、ずずいと顔を寄せてきた。圧迫感がすごくて、レツは思わず身を引いた。


「なぜ君にそんなことが分かる」

「……えっと、一応、二級魔導士なので」


 テスは、レツの頭の先から足の先までを眺めるように、目線を動かしていった。もっとも、自身の腹に邪魔されて下の方は見えていないかもしれないが。


「……さっきの魔法は成功していたか?」

「してません」


 そもそも、呪文が必要なのは魔法ではなく魔術だ。精霊は人の言葉は理解しない。

 魔法王国と言われていても、関わりのない人にとっては魔導士など遠い存在で、意外に知らないものなのかもしれない。


「君が魔導士だという証拠は?」

「バッジを付けています」


 襟元に付けた雛鳥の形のバッジを、テスは穴が開きそうなほど熱心に眺めた。


「何か使ってみせてくれないか!」


 とてもきらきらした、期待に満ちた目だった。よく見ると髪が金色で、なぜか唐突にルイのことを思い出した。

 レツは迷った末、視覚的にも分かりやすいだろうと鳥を作り出した。紫色の小鳥が現れ、テスの周りをくるくると回る。それを見てテスは大喜びした。鳥を追いかけるようにして、自分もぐるぐると回り出す。

 鳥に誘導させて、テスを少し離れさせた。圧迫感が小さくなってほっとする。

 今の内にと、レツは荷物を持ってその場を離れた。


(変わった人だなぁ)


 どうやら魔導士に憧れがあるようだが、その知識はかなり怪しかった。まるで物語に登場する架空の魔導士のようだ。


(魔導士になりたいみたいなのに、どうして研究所へ行かなかったんだろう)


 意外といっては何だが、彼からは風の精霊の気配がした。恐らく適性はあるのだろう。

 レツは荷物を部屋に置くと、すぐに詰所へ戻ろうとした。だが、詰所と寮の間にある中庭に出てきていた副団長に引き留められ、レツは足を止めた。

 裏口からそっと詰所の中を覗くと、テスは疲れたのか椅子に腰掛けて肩で息をし、窓枠をちょんちょんと跳ねている小鳥を目で追っていた。


「彼のことだけど」


 副団長には珍しく、ひそめられた小さな声だった。


「良家のご子息でね。社会勉強として、お父上がここに入団させたんだ。寄付金をたくさん頂いていてね」


 なるほど、自警団としては彼を持て余しているのだろう。寄付金を貰った手前、帰れというわけにもいかないが、いると仕事の邪魔なのだ。


「彼は君を気に入ったようだし、今日は彼の相手をしてやって。昼食の時間には帰るだろうから」

「えっ」


 それはちょっと、と言いたかったが、副団長の白い眉がすっかり下がってしまっているのを見て、レツは言葉を飲み込んだ。お世話になっているのだから、これくらいの事はしなくては。


「わ、分かりました」


 その返事に副団長は満足したようで、彼を連れて見回りに行くよう言い渡し、再び机へと戻っていった。

 見回りと言っても、まだ若いレツにできることなどたかが知れている。せいぜい道に迷った人の道案内くらいだ。普段は年上であるダンと一緒に行くことが多いのだが、今はとにかくテスを詰所から追い出したいのだろう。詰所は、彼の巨体には小さすぎる。


 見回りに行こうと誘うと、テスはまだ息が切れていたものの、快諾した。レツが魔法で作り出した鳥が気に入ったようなので、消さずに彼の肩に乗せてやる。

 太陽の下に出ると、彼の金髪はぴかぴかと光っていた。少々の風にも揺れないようにセットされているし、髪の毛用の油を塗っているのかもしれない。レツには縁のないものだったが。


「君は魔導士だそうだが、杖はどうした?」

「威力に拘らないなら必要ないですよ。それに、杖じゃなくても長細い物なら何でもいいんです。騎士団の人達は剣や槍を持つ人が多いし……僕は基本は杖だけど、僕のパートナーは剣を好んで使います」

「パートナー?」

「魔導士は星舞という特別な魔法を使うのに、パートナーが必要なんです。職業上、必ずペアを組むのは騎士くらいですけど。後は、まだ勉強中の人達くらいで」


(ルイは今頃、研究所で新しいパートナーと組んでいるだろうけど)


 彼はどんな人と組んでいるのだろうか。

 星舞の練習をしようと思えば、相手が必要だった。だが、レツには練習相手になってくれるような人がいない。単独での魔法の練習はできるが、星舞の練習がお預けになるのは妙にやきもきした。


(……新しいパートナーとの方が、上手くいったりして)


 想像して、勝手に落ち込んでしまった。


(考えたってしょうがない。後悔しないように、一人でもできるだけのことはしないと)


「君、鳥が消えてしまったぞ」


 考え事に気を取られ過ぎてしまったらしい。

 気が付くと中央広場まで来ていた。テスは噴水の縁に座ると、ふうと大きく息を吐いた。額に浮かんだ汗が光っている。


「テスさんは」

「先輩と呼べと言っただろう」

「……先輩は、魔法魔術研究所や魔導士養成所へは行かなかったんですか?」


 テスがうなずく。顎の肉が強調されてすごかった。


「入らないかという打診はあったのだが、母上が反対されてな。どこも寮生活だから、心配されたんだ。まぁ、家業を継がぬわけにはいかないから、魔導士になったところで宝の持ち腐れだろうが……ところで、水をくれ。喉が渇いた」

「え、持ってきてないです」

「魔導士だろう」

「そういう魔法は使えないので……」


 やはり物語に登場するような魔導士と混同していると、レツは困惑した。

 テスはやや大げさに溜息をついた。


「使えない後輩だ」

「すみません」

「いい。帰る。送ってくれ」


 思っていたより早く帰ってくれるらしいことに、レツはほっとした。重い体を噴水の縁から上げて歩き出した後についていく。

 テスは北側の通りに入っていった。レツが用事で訪れるのは東側ばかりなので、こちらはほとんど知らない。

 遠いのだろうかと思ったが、意外に近かった。そしてとても大きかった。


「……これが家ですか?」

「家は別だ。僕も修行中の身だからな。ここで昼食を食べて、そのまま家業の手伝いだ」


(研究所の寮くらい大きい)


 白塗りの豪奢な建物だった。大きな窓には綺麗に磨かれたガラスが嵌まり、そこから見える内装もとても凝っている。見慣れていないレツでも、そのどれもが高級品であることが分かった。両開きの大きな扉の前では、武装した門番が守りを固めている。


「この辺りでも特に評判の良い料理店だ。何なら、少しくらい食べさせてやってもいいぞ」

「いえ、自警団の仕事があるので」


 それに、高級な料理がどんなものなのか想像もつかないし、食べ慣れていない自分にはきっと良さが分からないだろうとレツは思った。


(早く仕事を終わらせたら、今日はリュド先生が送ってくれた本が読めるし)


「それじゃあ、僕はこれで」


 建物の目の前まで来たのだから、もうお役御免だろう。

 テスを残して、レツは元来た道を駆けていった。

 未知の料理よりも、お預けを食らっている本の方が、今の彼には魅力的だった。

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