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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第二章 自警団
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11 団長の奇妙な一日(1)

 自警団の団長である彼は、この自警団の中では古株だった。元々父親が団長をしていたこともあり、子供の頃からここに出入りしている。

 その彼よりさらに古株の副団長には敵わないが、彼はここで様々な人と出会い、関わってきた。大きな事件も小さな事件も、たくさん経験している。


「この本、お借りしてもいいですか?」

「好きにしていいよ。長い間ほったらかしになってて、誰のものかも分からないから」

「ありがとうございます」


 副団長とのやりとりの後、レツは詰所の棚に眠っていた本を一冊ずつ取り出していった。

 物が溢れすぎた詰所を片付けるように指示を出したものの、進んでいるか微妙なところだった。物が多すぎて、減っている気が全くしない。

 レツは不用品を麻袋に詰め、本は別にして積み上げ、使えるものは木箱にまとめていった。団長は、黙々と作業する横顔を盗み見た。平凡で大した特徴がない中で、紫色の目だけが異様に人目を引いた。


 レツに対する印象は、可もなく不可もなくといったところだ。真面目に働いているようだが、年のわりに元気がないというか、大人しい。騎士を目指す人間には見えなかった。


(まぁ、何かあるなら、騎士団の方から通達があるだろう)


 自警団は行き場に困った人達が集まる場所であるが故に、犯罪者の隠れ蓑にされやすい。そのため、団員の情報は常に騎士団に提供していた。過去にも、しょっ引かれた人間が何人も存在する。家出少年から詐欺師まで、ピンからキリだが。


「おーい、こっち手伝ってくれ!」

「今行きます」


 裏手からのホセの声に、レツが答えた。ガラクタの詰まった麻袋を抱え上げ、裏手へと出て行く。


「若い手が増えて、良かったですね」

「まぁな」


 だが、せいぜい数年だ。騎士団と自警団の掛け持ちはできない。

 ダンや、以前いたロウもそうだが、ここは騎士団への踏み台じゃないぞ――というちょっとした不満がありつつも、貴重な若人の入団が嬉しくもある。騎士を目指しているだけあって体力はあるので、重宝するのだ。だからこそ、去られるのが惜しいのだが。


(長いことやってくれる奴が来ねえかなぁ)


 贅沢な悩みだ。人が足りなさすぎて、当番制の都市もあるのだから、それに比べればよほどましだ。

 取り留めもなくそんなことを考えながら、ふと開け放たれている窓を見た。表の大通りを大勢の人が行き交っている。そろそろ夕刻だから、家路に着く人も多いだろう。

 その窓枠に、ちょこんと小鳥が留まった。彼は思わず目をしばたいた。夕日のせいか、小鳥が光っているように見えたのだ。よく見ると白か――と思った時には、鳥は飛び立って見えなくなってしまった。

 この目で見たこともない神獣など信じていない彼だったが、今のはなかなか神々しかった。吉兆か凶兆か、などということは分からないが。


(もう一日が終わるってのに。こういう日は、日付が変わるまで気が抜けねぇ)


 夜もここに居座ろうかと考える。一度夕食を食べに帰ったら、また来よう。妻や子供達には申し訳ないが、今夜は何か起こる気がする。

 裏手から、肉の焼ける匂いが漂ってきた。ホセが夕食の支度を始めたらしい。


「今夜は俺が残る」

「えらく急ですね」


 副団長は書き物をする手を止めなかった。


「どちらにしろ私も残りますよ。さっさとこれを片付けてしまわないと。誰かさんが溜めた分までね」


 気まずくなって頭をかくと、副団長は忍び笑いを漏らした。

 読むのも書くのも、どうも苦手だ。体を動かす方がよほど性に合う。


(若い手も欲しいが、こういった事が得意な奴も来ねえかなぁ)


 手元にある、一向に読み進められない報告書をペン先で叩くのを止め、団長は首を回した。肩が凝りそうだ。

 気分転換に見回りにでも行こう。どうせ今夜はここに残るのだから、書類と睨めっこするのは後回しでも構わないだろう。彼はそう思った。


「副団長、俺はちょっくら――」


 腰を僅かに浮かした時だった。

 裏手からレツが飛び込んできたので、彼は続く言葉を飲み込んでしまった。


 狭い詰所の中を走り、足元にあったガラクタの山を一つ崩して表の通りへと出ていく。先程の「大人しい」の評価を取り消したくなる慌てようだった。


「ルイ!」

「お前、今何かにつまずかなかったか?」


 詰所の中からは見えないが、表に誰かが来ているようだ。知らない少年の声がする。しかし、裏手にいてなぜ気付いたのだろうと不思議に思った。


「急いでたんだよ。君が通り過ぎてしまうと思って」

「通り過ぎるわけないだろ。お前に会いに来たのに」


 子供同士の賑やかなやりとりを遮って、副団長が声をかけた。


「レツ君、中に入ってもらったらどうだい? 往来だと落ち着いて話せないだろう」

「ありがとうございます」


 レツが、ルイと呼ばれた少年と一緒に中に戻ってくる。「お邪魔します」と礼儀正しく頭を下げた少年の姿は、この場にそぐわないほど派手だった。金髪はともかく、琥珀色の目は長い人生の中で初めて見る。レツが着ていたのと同じ制服を着ているので、彼も魔法魔術研究所の研究生なのだろう。だが堂々とした立ち居振る舞いで、庶民の子というより由緒正しい家系のご令息という雰囲気だった。レツと並ぶとちぐはぐに見える。

 二人は物をどけて場所を確保すると、椅子に座った。


「連絡したかったんだけど、手段がなくて。ウィルさんに伝言は残したんだけど」

「あの人には俺も会ってないな。それより、何があったか説明してくれ。研究所内で噂が回ってるけど、尾鰭が付きまくってひどいもんだぞ」


 レツは肩を落とした。彼にとっては思い出したくもない出来事なのかもしれない。だが、つたないながらも、彼はその日あったことを説明し始めた。


 その日の朝、彼は朝食を済ませると資料館へ足を運んだ。

 祭りの日ということもあり、資料館にはほとんど人がいなかったらしい。彼は二級魔導士の書架へと向かい、本を選ぼうとして違和感を覚え、周囲を見回した。

 壁であるはずの場所に空間があった。そしてその闇に沈んだ中に、床に横たわる少女と、それに覆いかぶさっている男の姿を見てしまったのだという。

 見られたことに気付いた男が激昂したように迫ってきたが、闇の中から突然光の中へ出て目が眩んだのか、レツに辿り着く前に書架に勢いよくぶつかり、それが原因で怪我をした。


 一連の出来事をレツはそう認識したのだが、居合わせたもう一人の少女が語ったのは全く別の物語だった。

 彼の主張は聞き入れられることがなく、その場で退所が決定された。


 その後は、団長自身の見たとおりだった。知人であるトニに紹介され、レツはここに辿り着いたのだ。


「ベン教授に嫌われているのは分かっていたけど……正直、あんなに話を聞いてもらえないとは思わなかったよ。一年目の時からもっと努力してれば、何か違ったのかもしれないけど」

「どうだろうな。所長と一緒に話を聞きにいったけど、お前個人の問題というよりは、ヴァフ隊長との問題の八つ当たりに思えた。まぁ、所長に聞いた話だと、どちらにしろ研究所に戻るのは無理だけど……約束、諦めたわけじゃないよな?」

「諦めないよ。そんなの、悔しいじゃないか」


 それを聞いて安心したのか、ルイは少し笑みを零した。


「あまり会うこともないだろうけど、研究生を見かけても近付かない方がいいぞ。目が合ったら襲われるって噂だから」

「……僕、そんな風に見られてるのか……」

「関わりのない奴はほっとけばいい。飽きたら忘れるだろう。ただ、フィーナにはお前の言葉で説明してやってくれないか」


 ルイが取り出したのは一通の手紙だった。差し出されたそれを受け取り、レツはまじまじと眺めた。


「噂なんて信じてないとは言ってたけど、かなりショックだったみたいだから」


 レツが読んだ手紙の内容はもちろん分からないが、少なくとも悪い内容ではないようだった。はにかんだ様子で目を通した後、手近にあったペンを使って手紙に書き加える。


「……お前さ、勉強の算段はついてるのか?」

「うーん……算段をつけている最中、かな。ポーセのリュド先生に手紙を出したんだ。向こうにある書物を借りられないかって」


 ルイは一つうなずいた。


「確かに、リュド先生なら協力してくれそうだな。お前はとにかく、ここにいる間は勉強のことだけ考えてろよ。日没の矢のことは俺が調べておくから」

「……ありがとう」


 レツは手紙を折りたたむと、元の封筒に入れてルイに手渡した。

 親しい相手と話しているからなのか、ここの誰と話す時よりもレツは表情豊かに見えた。新しい環境で緊張もあったのかもしれない。

 ずっといる集団に新しい人間を迎えるのと、見知らぬ集団に飛び込むのとでは大分気持ちも異なる。年を取って経験豊富になった分、そういうことを忘れてしまっていたのだろうかと思った。


「お前はつくづく、運がないよな。セタンに来る時も盗賊に捕まってたし」

「そういえば、そんなことあったね。でも、運がないばかりじゃないよ。ルイと出会えたのは、すごく幸運だと思ってる」

「……お前の羞恥心が、ここでもうちょっと育つことを祈ってるよ」

「え、どうしてさ」


 ルイは頬を掻いていたが、気を取り直したように立ち上がった。窓の外を見ると、もう日はとっぷりと暮れている。


「定期的に鳥を寄越すから、手紙は出すなよ。検閲されるから。あ、それと」


 忘れていた、といった様子で、ルイはレツの方に向き直った。


「お前、眠ってる間は他の人から見えないから。誰かと一緒に眠るなら一言言っとけよ」


 レツはその言葉がすぐには理解できなかったようで、ぽかんと口を開けた。


「え……え? 何それ? 初めて聞いたんだけど」

「俺も初めて言った。ポーセじゃ、俺達の方が早起きだから見られる機会なかったし」

「どういうことなんだ。説明してくれないと分からないじゃないか」

「会った時からそうなんだから、俺だってよく知らないよ。闇の精霊がまとわりついてる気配はあるから、魔法の一種なのは間違いないと思う」


 レツは目を閉じてその言葉を反芻しているようだったが、最後には「分かった」とうなずいた。

 話はそれで終わりのようだった。


「すみません、お邪魔しました」


 ルイは一つ頭を下げると、この狭い詰所を出ていった。途端に、詰所の中が一段暗くなったような錯覚に陥る。

 表で少年達が別れの挨拶を交わし、やがて去る気配がしても、レツは中々詰所には帰ってこなかった。


(やっぱり、一緒に帰りてぇか)


 それも当然だと思えた。突然居場所を失って、心細い思いもしただろう。

 だが、彼を特別気にかけてやるわけにもいかない。ここには訳ありの連中がたくさん――というより、訳ありでない方が珍しいのだから。


「それで、先程は何を言いかけていたんですか?」


 副団長の言葉に、団長は首を傾げた。

 確かに何か言おうとしていたはずだが、もうすっかり忘れてしまっていた。

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