07 自警団
セタンの大通りはいつも以上に賑やかだった。精霊感謝祭なのだから当然だ。行き交う人々の顔は明るかったり、忙しさに険しかったりと様々だ。
大通りから脇に入った道に立ち、レツはその様子をぼんやりと眺めていた。慌てて外套で包んだ荷物は、両手で抱えているものの大した重さにはならなかった。
どうしよう、どうしようと考えている内に、時間だけが過ぎてしまった。いい加減動き出さなければと思うのに、どこへ向かえばいいのかも分からなかった。
師匠代理であるウィルに相談しようと騎士団本部を訪ねてみたが、生憎会うことは叶わなかった。少なくとも数日は本部に戻らないという。
ふと、手の甲の傷を思い出した。まだじんじんと痛みがある。血が滲んでいるそこには、ペンのインクの黒もしっかり残っていた。
レツは荷物を一旦地面に置くと、傷の上に手をかざした。自分の内にある異物を取り出すイメージをする。
上手く精霊に伝わったようで、インクは彼の傷から浮かび上がり、地面へと散っていった。成功したことに安堵して、ほっと息を吐く。
(感謝祭の日なのに、魔法を使ってしまった)
でも後で腫れたりしても嫌なので、この場合仕方がないと諦めた。
再び荷物を抱えて、どうにもならない痛みは無視してレツは考えた。
故郷であるサイベンに帰るつもりはなかった。そもそも馬車に乗るお金がない。歩いて帰ると何日もかかってしまうので、辿り着く前に野垂れ死にそうだ。
(とりあえず必要なのは、寝る所と、仕事か)
そう簡単には見つからないだろう。レツは憂鬱な気分になった。
十五歳というのは微妙な年齢だった。人によっては一人前に仕事を始める歳ではあったが、成人を迎える十八歳まではまだ時間があるため、大人の庇護下にいることが大前提だ。基本的にはまだ子供扱いされ、契約を交わす資格は持たない。金銭が絡むことはなおさらだ。だが、孤児院にお世話になれる歳でもない。
誰かが保護者として名前を貸してくれなければ、部屋も貸してもらえないし、合法的な仕事はできないだろう。
保護者になってくれるような人物が、レツには思い浮かばなかった。ウィルが数日以内に戻ってくるなら彼を待つのだが、去年も長い期間顔を出さない時期があった。今回も長期間帰ってこない可能性がある。
(師匠達もまだ帰ってくる様子はないし……)
彼らの顔を思い浮かべて、ふと、かなり苦しいが一応知り合いと呼べる大人を思い出した。リースの両親だ。以前食事をしに行った時に、挨拶を交わしたくらいだったが。
駄目で元々だと、レツは記憶を頼りにリースの実家へと歩き出した。
とりあえず、ウィルか師匠達が戻ってくるまでの間だけでもいい。相談するだけしてみようとレツは思った。
ずっと訪れていなかったが、意外と迷わず辿り着くことができた。建物の外観はそのままで、宿屋であることを示す看板もそのままだ。
祭りの日は宿屋もきっと忙しいのだろう。窓越しに、中でリースの母が足早に部屋を横切るのが見えた。
忙しそうな様子を見て、レツの心が少し萎えた。よりによって祭りの日に、こんな面倒事を持ち込むなんて、向こうにしてみれば迷惑でしかない。リースは確かにレツの師匠ではあったが、その家族にとっては、レツなど何者でもない。しかも、この目の色をしていて、表面上は優しくしてくれていても、内心恐がっている可能性は十分にあった。
やめようか。そう考えた。しかし、やめたとして、他にあてがあるわけでもない。
(いや、やっぱり……行こう)
ここまで来たんだからと、勇気を振り絞ってレツは歩き出した。宿屋に近付き、扉を叩こうと手を上げる。しかし、彼の拳が扉に触れるより先に、扉が開いた。
「やっぱり君だ。何年ぶりかな」
人の好さそうな顔が優しげに笑っている。その男性は、レツにも見覚えがあった。
「リース師匠の恋人の……トニさん?」
何とか名前を思い出す。トニは「当たりだ」と満面の笑みを見せた。
「ちなみに、今は恋人じゃなくて婚約者だよ。正式に婚約したからね。彼女が帰ってきたら結婚するんだ」
「それは……おめでとうございます」
自然と頬が緩んだ。今日初めて明るい顔をしたかもしれない。
「レツ君だよね? 大きくなったなぁ。話だけはたっぷり聞いてるけど、記憶の中では小さいままだったから。それで、今日は大荷物でどうしたんだい? まさかロウと同じ道を辿ってるんじゃないだろうね」
「ロウ師匠?」
「ロウもね、君みたいに荷物を抱えてここに来たことがあるんだよ。『研究所を追い出された』ってね」
初耳だった。普通に研究所を卒業して騎士になったのだとばかり思っていた。
「えっと……同じ道みたいです」
トニは「やっぱり」と笑うと、レツに宿屋の前で少し待っているように言い、自分は奥へと引っ込んだ。
言われたとおり待っていると、トニはパンを二つ持って現れた。
どうせ食べてないんだろうと言われ、パンを渡される。言われるまで、昼を過ぎていることに気が付かなかった。
その辺に置いてあった木箱に腰掛けて、二人はパンを食べた。
「ロウが来た時は、確か十六か十七だったかな。卒業まであと一年もなかったから、ちょっと状況が違うけど。リースも追ってきて、お客さんの前で二人とも大喧嘩さ」
「ロウ師匠は、どうして退所になってしまったんですか?」
「詳しいことは聞いてないけど、教授と揉めたみたいだよ。リースの口振りからしても、ロウが全面的に悪いわけじゃないみたいだけどね。まぁ、俺やロウは親がいないから偏見の目はどうしたってあるし、正しい言動をしていても正しく評価されるとは限らないさ」
ロウはその後、独学で一級魔導士の資格を取得し、騎士になったらしい。研究所や養成所に所属していなくても試験が受けられることはレツも知っていた。だが、合格する割合はぐっと低くなる。
だが、ロウは一級魔導士になることを諦めなかったのだ。
そしてレツも、騎士になるのを諦めるのは嫌だった。
「ロウ師匠は、働きながら勉強してたんですか?」
「そうさ。本人は飄々としてたけど、かなり大変だったと思うよ。君も、住む所と仕事を探しに来たんだろ?」
レツがうなずくと、トニはパンを平らげて立ち上がった。レツも慌てて残りのパンを口に押し込む。
歩き出すトニに並んで、レツはついていった。
「騎士になるまでの間、自警団に置いてもらってたんだよ。元々あそこはそういう所だからね」
自警団は、規模の違いこそあれ、ほとんどの町に存在する。騎士が介入しないような住民同士のちょっとした揉め事の仲裁に入ったり、自分達の住む町の安全のために見回りをするなど、様々な活動を行っている。お金を払えば、法に触れない範囲で何でもやってくれる便利屋のような一面もあった。
あそこは誰でも入団できる。そして団員として割り振られた仕事をしていれば、とりあえず住む所と食べる物には困らずに済む、セーフティネットのような役割を持っていた。だから、保護者がいない今のレツや、昔のロウでも受け入れてもらえる場所だ。トニはそう説明してくれた。
まだセタンの自警団にお世話になったことはなかったし、団員に会ったこともなかった。何しろ、今まで研究所からはほとんど出ずに暮らしていたのだ。
トニは、騎士団本部や研究所の方角へと歩いた。そして辿り着いたのは、セタンの中央広場から騎士団本部へ続く大通りの途中にある、小さな建物だった。何度も通ったことのある道なのに、ここにあることに全く気付かなかった。
古い建物なのか、石造りの壁を苔と蔦がびっしりと覆っている。「自警団本部」と書かれた看板も、それに紛れてとても見辛くなってしまっていた。
開けっ放しになっている扉から中を覗き込んで、トニが声をかけた。中からそれに応じる声が返ってくる。トニが中に入っていったので、レツも彼に続いた。
中は外から見るよりずっと狭く見えた。あちこちに物が溢れているからだ。棚という棚に、本や紙切れが縦に横にと押し込まれてはみ出ている。その棚の上にはぎりぎりのところで均衡を保っていそうな具合で雑多な物が積み上げられていた。机の上はもちろん、椅子の上にも何か置かれている。
トニが誰と喋っているのかというと、積み上げられた物が壁のようになっている、その奥にいる人物と喋っていた。どうやらそこも机らしく、その人物は狭い中で書き物をしているようだ。積み上げられた物の間から、その顔が覗く。白い髪と髭が豊かで、目尻に皺を寄せた朗らかな印象を受ける老人だった。
「その子が入団希望者かい?」
「レツです。はじめまして」
「はい、はじめまして。私の名前は気にしなくていいよ。皆『じいさん』とか『副団長』とか呼んで、本名なんて覚えてくれないからね」
副団長だという彼は、手で払うようにして物の山を掻き分けると、一枚の紙を置いた。入団のための用紙らしい。
「字の読み書きは?」
「大丈夫です」
「じゃあ、これを読んでもらって、最後のところに名前を書いて」
「……そんなに簡単に入団できるんですか?」
入団できなければ困るのは自分のはずなのに、思わずそう尋ねていた。もっと色々調べられると思ったのだ。
「守ってもらわなきゃならないことはあるけど、基本的には誰でも受け入れる場所だからね」
そういうものかと、レツは用紙に書かれている文章を読んだ。団員が守るべき事項が簡単に記載されている。
団長、副団長、その他指示者の指示には従うこと。指示に従うことで不利益を被る場合は、暴力ではなく口頭で伝えること。これだけだ。
レツはペンを受け取り、一番下の欄に名前を書いた。
「ここにある、『期限』というのは?」
「自警団にいつまで所属するか、ということだ。絶対じゃないし、ただの目安だからあまり深く考えなくていいよ。『無期限』と書く人もいるし、『怪我が治るまで』『新しい仕事が見つかるまで』とかね。色々だ」
レツはしばらく考えた後、その欄に「騎士になるまで」と記入した。
「騎士志望か、いいね。体力仕事をたくさん振るよ。人手が足りていないんだ」
用紙を副団長に渡していると、背後で見守ってくれていたトニが「こんにちは、団長」と声をかけた。
「お帰りなさい。何か変わったことは?」
「いつもの祭りだ! 酔っ払いと喧嘩と盗人にゃ不自由せん!」
大きな声に、レツの鼓膜がビリビリと震えた。まるで怒鳴っているかのようだ。
団長と呼ばれた中年の男性は、筋肉質でとても大柄だった。その恵まれた体躯は、この建物をより狭く感じさせる。
どかどかと足音を立て、だが物と物の間を意外にも器用にすり抜けて、団長は副団長の隣に腰を下ろした。
「新人が入りましたよ」
「俺がいない間に決めたのか!」
「いつもいないじゃないですか」
団長がぎらりとレツをにらみ付けた。副団長とは対照的に、チクチクしていそうな短い黒髭だった。
「レツです。はじめ――」
「聞こえん!」
「レツです! はじめまして!」
「なんだそのバッジは!」
「二級魔導士のバッジです!」
もしかして、この人と話す時は毎回こうして叫ばなければならないのだろうかとレツは思った。先程食べたパンの分はもう消費してしまった気がする。
「この子、ロウの弟子なんだよ」
トニの言葉に、副団長は嬉しそうに目を細めた。
「ロウか、懐かしいね」
「あの野郎の弟子か! どうせ研究所から追い出されたんだろう!」
「魔導士が来てくれたのは嬉しいね。頼りにしてるよ」
団長と副団長の反応が両極端で、レツはどんな顔をしていいのか分からなかった。それを見てトニは笑っていたが、「また今度様子を見にくるよ」と言って帰ってしまった。
(よし……頑張るぞ。大丈夫、まだ道がなくなったわけじゃないんだから)
心の中で自分に活を入れる。
新しい環境で不安はもちろんあったが、研究所を放り出された直後に比べれば大分気持ちは前向きになっていた。
気弱な気持ちが団長の大声で吹き飛ばされたのだと、後になってレツは思った。




