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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第一章 魔法魔術研究所
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05 授業

 魔法魔術研究所に到着して翌々日の朝。まだ日が出る前から目が覚めて落ち着かず、レツはベッドからそっと抜け出した。

 二段ベッドの上はまだ静かで、カーテンもぴっちりと閉められている。物音で起こさないようにと注意しながら、彼は自分用に宛がわれた椅子に腰掛けた。


 今日から授業が始まる。故郷の学び舎ではせいぜい読み書きと計算を習う程度だったので、はたして自分はついていけるのだろうかという不安があった。昨日リースに薦められて借りた本には目を通したものの、彼はまだ自分が何を知らないのかすら知らない状態だった。

 再び借りてきた本を読んでみるが、不安すぎて内容は一向に頭の中に入ってこない。

 レツの机から数歩離れたところに置かれているルイの机の上を見る。そこには、リースと一緒に借りた本以外にも何冊か本が積まれていた。彼の所有物なのか資料館で新たに借りたのかは分からないが、レツの読んでいる初歩的なものよりは少し専門的な表題だ。

 何となく、ルイはとても勉強する人なんじゃないかとレツは思った。


 リースの前で話して以降、二人は会話らしい会話をしていなかった。せいぜい寝る前と起きた時の挨拶くらいだ。だが彼と同じ部屋で過ごすのは、レツにとっては意外と苦痛ではなかった。会った時から感じている彼の雰囲気が、とても心地良いからかもしれない。

 彼にとってはとても不思議なことだった。そんな風に感じたのは、母の死後、部屋に一人きりでいる時だけだったからだ。

 向こうがどう思っているのかは分からないが、表面上、ルイはレツがいてもいなくても関係ないという風に過ごしていた。


 その日も、ルイが起きてきてからも二人は挨拶以外の会話をせず、別々に朝の支度を済ませ、別々に食堂へ向かった。

 まだ早い時間にもかかわらず、食堂にはぽつぽつと人の姿があった。レツのような研究生よりは、研究員と思しき大人の方が多いようだ。こんなに朝早くから仕事なのか、仕事終わりなのか、はたまた休憩中なのかはレツには分からなかった。

 レツも彼らに倣って適当な席について食事をしていると、やがて大勢の人がやってきた。食堂の中が一気に賑やかになる。だが、誰もレツのいる場所には近付こうとしなかった。

 さっさと席を空けた方がよさそうだと頑張ってパンを口に詰め込んでいると、研究員らしき男性がやってきて、食堂の壁に紙を一枚貼っていった。ざわざわと騒がしい室内へ向けて「一年生は見ておくように」と言って去っていく。うっかり聞き逃さなかったのは幸運だった。

 レツは空になった食器を下げると、既に何人かの研究生が見つめている貼り紙を背伸びをして覗き込んだ。

 紙には、最初の授業の場所を示す簡単な地図が書かれていた。教育棟の一階にある講義室のようだ。教育棟も、昨日リースに案内してもらっている。迷わずにたどり着けそうだった。


 レツは一度部屋に戻り、授業に必要そうな本や文具を手に取った。

 少しそわそわした気持ちになりつつ、部屋を出て目的地へと向かう。

 授業についていけるだろうかという不安と、同じ年頃の子供が集まっている場所に入っていくのだという不安で気持ちが落ち着かない。


(大丈夫。昨日も一昨日も何事もなかったじゃないか)


 心の中で自分に言い聞かせている間に、彼は教育棟に着いていた。

 教育棟も、建物の造りとしては寮とあまり変わらなった。入口から入ってすぐの壁には大きな掲示板が掛かっている。その反対側には事務所があり、事務員が顔を覗かせるための窓があった。ただ、まだ朝早いためかカーテンが垂れ下がっている。

 講義室は入口から大して離れていなかったため、レツはすぐに見つけることができた。

 室内は、黒板と楕円形の大きなテーブルが一つ、そのテーブルの周囲にたくさんの椅子が置かれているだけで簡素だ。一つだけ、肘置きがある少し大きな椅子がある。早くも到着していた他の研究生数人がその椅子を空けて腰掛けていたので、彼もそれに倣った。


 やがてぽつぽつと人が訪れ、少しずつ席は埋まっていった。

 部屋に集まった子供は、全部で二十人を下回る程度だった。椅子も丁度そのくらいの数が揃っている。

 机の向こう側にルイの姿が見えた。数人の男の子と話をして笑っている。昨日の夕食の席から、彼の周りは男女問わず人が集まっていた。対照的なのは魔法の種類だけではないらしく、ペアを組む機会がなければ話すことさえなかっただろう。


 子供でいっぱいになった講義室に、男性が一人姿を現した。三十代くらいだろうか。ピンと背筋を伸ばし、服の着こなしやその動作から神経質そうな印象を受ける。


「今年入った研究生はこれで全部か? そこ、早く座りなさい」


 男性はレツの背後を見遣って言ったので、レツはそれにつられて振り返った。女の子が二人、もじもじしながら立っている。

 そこで初めて、レツは自分の両隣しかもう席が空いていないことに気付いた。

 二人隣り合って座りたいのかと、一つ隣に移動する。そうすると、女の子の内一人だけ、レツと隣り合っていない方の椅子に腰掛けた。もう一人の子は戸惑った表情のまま動く様子を見せなかった。

 その様子を見てようやく思い至り、レツは自分が座る分の椅子をテーブルから少し遠ざけ、離れた位置に腰掛けた。もう一人の女の子も、やっと椅子に座る。

 自分のような人間にはなるべく近寄りたくないものだ。昨日一昨日と、親切な人とばかり接していたので彼はうっかりしていた。

 全員が座ったのを見計らって、男性は自分も腰掛けた。


「私はベンだ。この研究所の研究員だが、君達研究生が魔導士になれるよう指導する教育部門の責任者でもある。最初に断っておくが、この研究所は今まで君達がいた学び舎や他の都市にある魔導士の育成機関とは違う。口を開けて待っているだけの者を魔導士にしてやるつもりはない。魔導士になりたければ、自主的に、積極的に学ぶことだ」


 ベン教授はそこまで言い切ると、ざっと研究生を見回した。全員の目が自分に向いていることを確認すると、彼は次に今後の大まかなスケジュールを説明した。


 そもそも魔導士と一言で言うが、実際には二種類の魔導士がいる。一級魔導士と二級魔導士だ。

 研究生は四年目の冬、二級魔導士の認定試験を受ける。そこで受かれば良し、受からなければ研究所を去ることになる。また、二級魔導士で十分という者も、この認定試験が終われば研究所を去る。

 そこからさらに三年間勉強し、研究生となって七年目の冬、一級魔導士の認定試験を受け、合否にかかわらず研究所を卒業することになる。


「一級と二級の違いは知識と技術の差だ。この国では、一級魔導士でなければ就けない職がある。この研究所の研究員、スタシエル王国騎士団の魔導士隊、医術師、薬師。他にもあるが、いずれも高い能力が要求される。こういった職に就きたい者は、より勉学に励むように」


 日々の授業の予定は教育棟の入口にある掲示板に随時書き込まれるので、よく確認するようにとベン教授は念押しした。教授は何人かいるが、そのほとんどが教育とは別に研究も行っているため、研究の都合で予定が変わってくるらしい。


「最後に、ここで学ぶ上で守るべきルールを伝える。勉学に励まない者、暴力沙汰を起こした者、その他私が問題があると判断した者はここを去ってもらう。以上だ」


 ベン教授は自分を見つめる研究生達をぐるっと見た。そして誰も質問を投げかけないと分かると、さっさと講義室から出ていってしまった。

 それまで押し黙っていた子供達が一斉に話を始める。賑やかに喋りながら講義室を出ていく波に少し遅れて、レツもその場を後にした。

 皆行きつく先は同じで、教授が言っていた掲示板を見に教育棟の入口に集まっていた。張り出された黒板には今日から五日間の予定が、一年生、二年生……と書き込まれている。今日はもう、一年生に関しては何も予定がなかった。

 明日からは、日によって一つから三つの授業があるようだ。担当する教授の名前と授業内容も載っている。先程の話からすると、授業の前にある程度自分で学んでおかなければならないだろう。今日の内にできるだけ進めておかないと置いていかれそうな気配がした。


 レツは足を資料館の方へと向けた。他の子が資料館に集まる前に、さっさと借りてさっさと自室に引き上げようと思った。今日の授業の様子から、リースが教えてくれた「日没の矢の魔術は人にはうつらない」というのは、魔導士を志す子供達であっても浸透してはいないようだ。それなら、今までそうしてきたように、あまり接触がないようにするのがお互いに幸せだと彼は考えた。誰だって死に至る呪いに関わりたくはないだろう。


 まだひと気のない庭を駆けていくと、この研究所の建物の中で、一番奥にある資料館が見えてきた。

 資料館は三階建てで、用があるのは二階だ。一階は書物以外の道具類が保管されており、二階と三階が書物になる。レツのような研究生が利用する書物は、主に二階に集まっていた。

 重い扉を開け、すぐ脇にある階段を上る。司書の座っている受付の横をすり抜け、昨日リースに教えてもらった書架へ向かう。入所したばかりならばここから勉強するのが良いと教えてもらっていた。彼女は本当に親切だ。


 明日は午前中に魔法の基礎、午後に薬草に関する授業がある。

 魔法の基礎に関しては昨日借りた本があったが、もう一歩進んだものを手に取った。

 だが薬草に関してはどれを読めばいいのかさっぱりだった。初心者向けと思われる本でも色んなものが並んでいる。図鑑に、薬草から薬の作り方、薬学の歴史。それらを折衷したような本。

 手当たり次第借りてみようかと考えていると、ふと背後に人の気配を感じた。後ろを向くと、立っていたのは同い年くらいの少年だった。気まずそうにかいている鼻の頭にはそばかすが浮かんでいる。

 邪魔だったのかと思い数歩横にずれると、少年はおずおずと一冊の本の背表紙を指差した。


「これ……あの、あ、明日の授業なら、多分これがいいよ」


 レツは目を丸くした。それからようやく、少年が自分に本を薦めてくれたのだということに気が付いた。


「ありがとう」


 少年がはにかんだので、レツもそれにつられた。彼が薦めてくれた本は同じものが何冊かあったので、お互いに一冊ずつ手に取る。


「あ、あのね――」


 少年は言葉の続きを飲み込んだ。ぞろぞろとこちらに向かってくる足音の方を見遣る。レツもそれに続いて見てみると、同じように本を借りに来た一年生の集団のようだった。

 折角早めに来たのに、迷っている間に思いのほか時間が経ってしまったらしい。


「あの、本当にありがとう」


 レツはもう一度お礼を言うと、集団から遠回りする道を選んで受付へと向かった。

 本を借りる手続きをしている間、レツは心の奥が湯に浸かったように温かくなるのを感じていた。

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