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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第二章 自警団
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04 サイベン

 音もなく雨が降っている。魔法で雨を避けることもできたが、ルイはこれ幸いと外套のフードを深く被っていた。道を行き来する者は皆そうなので、怪しまれずに済む。


 サイベンは、ポーセから東に進んだ場所にあった。人口はあまり多くないが、農業に適した土地なので広大な畑が広がり、ルイの故郷であるノーザスクと比べると大きい。

 ルイは住居の並ぶ通りを歩いていた。湿気を避けるため、この地域の建物は一階にあたる部分は柱以外に何もなく、風が通るようになっている。雨が降っている今は、そこで農夫が農具の手入れをし、子供達が輪になって遊んでいた。


 目的の家はすぐに見つかった。目印である青木蓮(あおもくれん)の木が花をつけていた。

 青木蓮は魔除けの花だ。強い芳香でそこにあるものを誤魔化し、隠すと言われている。近付くと、雨の中でも確かに強く香っていた。

 青木蓮を見上げていると、その家の二階――一階はないに等しいので、実際には一階と言えばいいのか――の窓からこちらを見ている老婆と目が合った。頭を下げると、その人は窓から離れていった。

 ルイがじっと待っていると、老婆が二階から階段を下りてきた。


「こちらへ」


 ルイは言われるがままに彼女の後に続いた。老婆は、彼女の出てきた建物とぴったりと隣り合った、もう一つの建物へと続く階段を上る。先程の建物の半分もない、小さなものだった。

 扉をくぐり、ルイはようやく外套を脱いだ。


「手紙にあった……ルイさん、ですよね。あの子はどこに?」

「彼は一緒に来ていません。今日は我儘をきいてくださってありがとうございます」


 レツがいないと聞いて、老婆は目に見えて安堵した。それから彼女は、ルイを部屋の中へと案内した。

 泥だらけになった靴を脱いで中に入る。板張りの床がぎしぎしと嫌な音を立てた。

 昼間だというのに、雨のせいで室内は暗い。老婆は吊り下げてある月光灯を灯した。部屋は研究所の寮よりやや広いが、物置がわりなのか、雑多な物が積み重なり埃を被っていた。他にはベッドが一つと、ローテーブルが一つ。


「ここは、彼の使っていた部屋ですか?」

「あの子と、あの子の母が使っておりました……お茶を持ってまいります」


 老婆がいそいそと出ていったので、ルイは気兼ねなく部屋を観察した。

 二人で使っていたと言っていたが、ベッドは一つしかない。母親が亡くなった時に処分したとも考えられるが、あのベッド自体からレツの気配がしなかった。恐らく母親のものなのだろう。レツが家を出た時にレツのものを処分したのか、あるいは最初からなかったのか。

 ルイは部屋の隅へと近付いていった。一番闇の精霊の気配を感じる。なんとなく、そこの床にうずくまっている姿が見えるようだった。


(そういえば、初めて会った時もうずくまってたな)


 盗賊に捕まっていたあの姿から四年が経ったのかと思うと、不思議な気持ちになった。


 ふと、その床のすぐ近くに積んであった本が目に入った。レツは本が好きだ。文章であれば何でもいいのではと思うくらい、選り好みせずに何でも読んでいる。

 埃を被っているそれを手に取る。一番上にあるのは辞書だ。その下にあるのは本ですらなかった。折り畳んであったこの国の地図と、もう一つは誰かが書いた家計簿のようだ。

 老婆が戻ってきて、ローテーブルに茶器を置いた。敷物の上に座って淹れてくれるのを待っていると、老婆はちらちらとルイの方を見てきた。


「あの……あの子は、この家のことを、どのように……?」


 ルイは笑顔を張りつけたままで答えた。


「迷惑をかけてしまうと、申し訳なさそうにしていましたよ。すみません、今回のことは私の我儘なんです」


 嘘ではなかった。レツは、自分がこの家と関わりを持つことで、この家の人々に迷惑がかかることを心配していた。呪われた人間と未だに繋がりがあると分かれば、村八分になるかもしれないと考えたのだ。

 だがこの老婆は――レツの祖母は、自分達が恨まれていると思っているようだった。

 レツは故郷のことはほとんど話さない。両親がいないことも、今回ここを訪れることになって初めて彼の口から聞いた。金銭面を見ていて、なんとなくそんな気はしていたのだが。


「ここでの暮らしが良いものでなかったのは分かっています。でも私達も、どうしてよいものかと……。魔導士になるためにここを出たことも、その……色々と、咎められるのです。復讐されると。もしそんなことが起こってしまったら……それよりかは、呪いの力の方が強いものでしょうか?」


 老婆はきつく両手を握り合わせ、ルイに祈りを捧げた。高齢の人は特にそうだと、ルイは内心で嘆息する。ルイのことを、本当に神獣が遣わしたと信じているのだろう。一々否定するのも面倒だし、話を聞くには警戒心がない分都合が良いと、ルイはもうそのままにしておくつもりだった。


「復讐など決してさせないので、安心してください。でも、そのためにも、彼のここでのことを詳しく知りたいんです」


 もし、レツが「復讐する」などと言い出したら、むしろ少し見直すかもしれない。そういう熱意が、彼にはとことん欠けていた。

 すがるように見つめてくる老婆に、ルイは笑みを返した。

 老婆は淹れたお茶をルイに勧めると、少しずつ昔の話を始めた。


 彼女――レツの祖母は、母方の人間だ。レツの母親は、彼女の娘にあたる。

 レツの母親は昔から体が弱く、兄である伯父夫婦が継いだ家業の中でも、比較的負担の少ない仕事を手伝っていた。

 その彼女にも、親しくしている幼馴染の男性がいた。レツの父親だ。ずっと恋人のように仲睦まじい二人だったので、彼の両親が事故、病と立て続けに亡くなった時、引き取るような形で結婚した。

 二人が結婚してしばらくは、何の問題もなかった。

 やがて母親は腹に子を宿した。体が弱いことを周囲は心配したが、幸い、順調に子供は母親の中で育っていった。

 臨月になり、いつ子が生まれてもおかしくないという頃、父親が死んだ。穏やかな浅い川での溺死だった。母親は当然、嘆き悲しんだ。それでも、父親の血を引く子が腹の中にいるという希望があった。


 そして生まれたのがレツだった。

 喜びもつかの間、その目が紫色なのに気付いた母親は、それこそ狂ってしまったようだったという。

 母親が赤ん坊の名前を「レツ」と決めた時、さすがに家族は反対した。呪われているとはいえ、本人に罪があるわけではない。縁起の良い名前とは言わないから、せめて普通のものを、と。しかし、母親は頑として聞き入れなかった。既に自分の父親を呪い殺しているのだから、名前でその力を弱めるのだ、と。これ以上、他の誰かを殺さないように。


 全てにおいて、お前は誰よりも劣っている。その言葉を、まだ赤ん坊だった頃から息子に言い聞かせ続けた。


 赤ん坊を殺してしまうのではと危惧していたが、意外にも、母親にはその気配は全くなかった。

 母親は、レツが九歳の時に亡くなるまで、彼をなるべく他人の目に触れさせないようにして一人で育てた。

 出産でさらに体が弱ってしまったが、それでも子供の世話は自分一人でやると言って聞かなかったらしい。

 たまに祖母がここを訪れた時には、決まって部屋の隅で小さくなり、本を読んでいたという。先程、ルイが見ていた所だ。

 学び舎と家をただ往復するだけの日々を過ごし、母親以外の家族ともほとんど交流がなかった。母親の死後も、それは変わらなかった。言われたことに返事をするだけで、家族に心を開く様子はなかった。もっとも、家族の側も、呪われているレツと積極的に関わろうとしなかったのだろうとルイは思った。


「彼の、父方の人間に話を聞くことはできますか?」


 老婆は首を振った。


「元々早死の家系だそうで、親戚の類は誰もいないと言っておりました。……あの子は、大きくなるにつれ父親によく似た顔付きになっていって。だからこそ、娘も暴力までは振るわなかったのかもしれません」


 ルイは黙ってうなずいた。名付けも含めて言葉の暴力はあっただろう。だが状況を考えると、無事セタンに出てこられただけ恩の字だ。こういう閉鎖的な所なら、事故扱いで殺されることも珍しくない。


 歪んだ環境の中で育ったにしては、レツはあまり曲がった性格をしていない。自尊心は低いし、精神的な幼さはあるが――もしかしたら、闇の精霊の影響もあるのかもしれないとルイは思った。

 レツは、眠っている間は魔法で姿が消える。それがいつ頃からなのか知りたかったが、今の話を聞く限り、母親がいない今となっては分かりそうもない。


 老婆の話が終わると、ルイは礼を言ってその家を後にした。

 老婆は、ルイが去っていく間、ずっと祈りを捧げていた。何を祈っているのだろうか。何も起こらない内にレツが亡くなるのを願っているのだろうか。雨に濡れるのも構わずに、一心不乱だった。ルイが、彼の生きる道を探していると知ったら、あの老婆はどんな顔をするだろうとルイは思った。

 相変わらず降り続く雨の中を歩きながら、ルイは深呼吸した。雨の匂いが肺の中を満たす。雨のせいで、全ての景色がくすんで見えた。


(この後に予定を入れなくて良かった)


 この機会に、ポーセに滞在している両親に会う予定だった。姉のためにも、ルイ自身が家業を継ぐ気がないことをはっきり伝えなくてはならなかった。両親に会うのはただでさえ憂鬱なのだ。あの話の後では気が重すぎる。なるべく早くセタンに帰りたかったので大分迷ったのだが、日を分けたのは正解だったようだ。

 レツは、ノーザスクでどんな風に話を聞いただろう。それを考えると、ルイは心が落ち着かなかった。

 だがきっと、再会しても彼の態度は変わらないだろう。ただの直感だがそう思ったからこそ、ルイは今回のことを提案したのだから。

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