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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第二章 自警団
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02 ノーザスク(2)

「置いていくぞ」


 老人の声に、レツは慌てて建物から視線を逸らした。それから、外套のフードをぐっと目深に被った。

 限られた視界の中で、レツは老人の後を辿った。雪が解けて間がないのか、地面はぬかるんでいた。その中を、小さな子供達がはしゃぎ回っている。時折、物珍しげにレツに近寄ってくる子供もいたが、その時にはフードをできるだけ下げて目を見られないようにした。


 老人はやがて、一つの建物の前で立ち止まった。それから壁に取り付けられている足場を使って、ぐんぐん上へと登っていく。レツもそれに続いた。登るとかなりの高さだ。建物の半分くらいの高さまで来たところで、それは終わっていた。老人が開いて入っていった扉の中に、レツも足を踏み入れた。


「おーい、連れてきたぞ」


 勝手知ったるといった風に老人は奥へ入っていくが、レツはどうしていいか分からずその場で固まっていた。考えてみると、知人の家を訪ねるのは、リースの実家の宿屋で食事をした時を除けば初めてだった。


 扉をくぐったところは、数人でいっぱいになりそうな小さな玄関だった。今は老人が脱いだ靴だけが転がっている。老人はというと、その先にある扉のさらに奥へ入っていってしまった。もうレツがいる場所からは姿が見えない。

 レツは外へと繋がる扉を閉めると、外套を脱いだ。家の中は不思議なほど暖かかった。

 家の奥の方で発せられた老人の三度目の呼びかけにようやく返事があり、奥から駆けてくる足音が聞こえた。


「お待たせしました」


 老人が消えた扉の向こうから現れた姿に、レツは慌てて頭を下げた。


「お、お邪魔します。はじめまして、レツです」


 顔を上げると、彼より少し年上の女性がそこに立っていた。


「はじめまして、リーシャです。ルイがいつもお世話になってます」


 どちらかというと自分がされている気がしたが、何と返していいのか分からなかった。


「どうぞ上がって。そこで靴を脱いで、こっちに履き替えてくれる?」


 言われたとおりに室内靴に履き替え、部屋の中へと進むリーシャについていった。

 扉の先は居間兼台所で、外で見たよりも広く感じた。壁には、トンネルで見たのと同じ木の根のような魔法道具が張り巡らされている。天井には小さな窓があるのか、日の光が明るく室内を照らしていた。


「そこに座ってて」


 そう言うと、リーシャは台所へと姿を消した。レツは椅子の一つに腰掛けて、部屋の中を見回した。壁にはドライフラワーが飾られ、飾り棚には木彫りの彫刻が置かれている。室内なのにどこからか風が吹いているらしく、風見鶏に似たものが天井の近くでくるくると回っていた。

 レツは飾り棚に置いてある一枚の絵を見つけた。遠いのではっきり見えないが、目を凝らすと、人が描いてあるのが辛うじて分かる。その色合いから、そこに描かれているのが誰なのか、レツには分かる気がした。


「あれ、ルイの姿絵なの」


 盆を手に戻ってきたリーシャは、レツの向かいにある椅子に腰掛けた。


「セタンへ行くって決まった時に、両親が描かせたのよ。国のお偉い様でもないのに姿絵なんて、おかしいでしょ?」


 レツは曖昧に笑うしかなかった。きっとルイはすごく嫌だっただろう。

 リーシャからお茶の入ったカップを受け取り、礼を言った。それから、忘れない内にと鞄の中から小箱を引っ張り出した。


「あの、これルイから預かってきました」


 それを見た瞬間、リーシャの目がぱっと輝いた。


「嬉しい! こっちじゃ中々手に入らないの」


 レツから受け取った小箱をうきうきと開ける様子を見て、彼女とルイはあまり似ていないとレツは思った。彼女の髪も目も茶褐色だから、余計に違って見えるのかもしれない。

 小箱の中身はレツにも知らされていた。沼唐辛子のオイル漬けだ。透明な瓶の中はいかにも辛そうな色をしていた。


(割れたり漏れたりしてなくて良かった)


 淹れてもらったお茶を飲むと、胃の中がじんわりと温かくなった。


「もう四年も会ってないのね。変な感じ」

「リーシャさんは、ルイとは仲が良いんですか?」


 相手の好物を覚えているくらいだ。悪くはないんじゃないかとレツは思った。だが、リーシャは首を傾げた。


「さあ……あの子がどう思ってるか訊いたことがないし。そういえば、ルイの話を聞きに来たのよね? 手紙には、何でも喋っていいって書いてあったけど。魔法の勉強のためだって」


 リーシャは土産とは別の小瓶を手にし、それをお茶に加えた。レツにも勧めてきたが、丁重に断る。かすかにお酒の匂いがした。


「魔法の勉強って、変なことするのね」

「皆がするわけじゃないんです。一部の人だけで……」


 より威力のある星舞にするためには、パートナーのことをよく知っていることが重要らしい。特に彼らのように、魔導士として若く未熟なら尚更なのだそうだ。

 彼女はスプーンでお茶をかき混ぜながら、じっと視線をレツの方に向けていた。少し居心地が悪いというか、緊張する。


「レツ君って言ったっけ。あなた、ルイの隣にいて惨めに思ったことない?」

「ないです」

「即答ね」

「考えたことがなかったので……」


 リーシャは苦笑した。


「私はあるわよ。あの子が生まれてからはずっとそう。隣にいなくたってね」


 お茶を一口飲むと、彼女は盛大に溜息をついた。


「神獣の加護だとか、天からの使者だとか、両親も村の人達も大喜びでね。子供ながらに凄い子が生まれたんだって思った。赤ちゃんの目なんて、生まれたばかりはほとんど閉じたままだけど、大人達が押し合いへし合いして見ようとしてたのよ。今思い出しても変な光景だわ」


 小さな村に生まれた赤ん坊は、首がすわる前から大人達に担がれていたらしい。むしろ幼い内の方が神性を帯びていると考えていたのかもしれない。決め事があればくじを引かせ、悪い事が続けば祈りを捧げにくる人もいたそうだ。正直、今のルイの姿からは想像がつかなかった。

 両親も、村の大人も子供も皆がルイを崇拝するのが、リーシャには面白くなかった。彼女自身その時はまだ幼く、赤ちゃん返りもあったのだろう。我儘を言っては無視され、弟に悪さをしてはきつく叱られた。彼女が友達と取っ組み合いの喧嘩をしようが、学び舎で褒められようが、両親は大した関心を示さなかった。そうして、その内彼女は諦めた。自分と弟の立場がひっくり返ることは永遠にないと思い知ったのだ。


 リーシャは、弟が乱暴で我儘な困った子に育てばいいと思った。そうすれば、ルイを崇めている人々は困るだろう。困った子に振り回されて頭を抱えて、それをリーシャだけ遠目に見て笑ってやりたかった。


「性格悪いでしょ」


 リーシャはレツに向かってにやりと笑った。


「でも生憎というか、あの子はそういう風には育たなかったわ。曲がったことは嫌いだし、真面目で、人一倍正義感が強くて、揉め事があれば自分から止めに入るような子になった」


(揉め事……)


 ポーセの養成所でのアルの件を思い出した。

 レツは、ルイが自ら揉め事に首を突っ込むタイプだと考えたことはなかった。今までのことを思い返すと、どちらかというと自分が介入することを避けているように思える。


 リーシャはお茶に小瓶の中身を足した。まだ残っている湯気に乗って酒の匂いが届いてくる。酔いたい気分なのだろうか、とレツは思った。


「今思うと我ながら下らない話なんだけどね、私の……八歳くらいの誕生日のことなんだけど。ルイは五歳くらいで、私はもうあの子に近寄らないようにしてたの。だって一緒にいても良い事なんて全然ないんだもの。それで誕生日に、夕食に好きな物を作ってくれるって母が言ったのよ。忘れられちゃう年もあったから、すごく嬉しかったの。グラタンか、それともシチューかって考えてた時に、あの子が私に言ったのよ。『オムレツはどう?』って。そしたら母は、私のことなんて頭からすっぽ抜けちゃって。もうその日のメニューはオムレツに決定よ。こっちを見もしなかったわ。それで私、かっとなって手近にあった本をあの子に投げつけたの」


 厚手の本は、ルイの腕にぶつかった。それを見た母親はかんかんになって怒ったが、彼女は自分の部屋へと逃げ出した。弟の方を心配して、母親はリーシャを追ってこないだろうと彼女には分かっていたし、実際そのとおりだった。


 最悪の気分で部屋に閉じこもったままで、彼女は誕生日のほとんどを過ごした。夕食の時間になっても、誰も部屋には来なかった。少し離れた居間から、談笑しながら食事をする音がかすかに耳に届いてきたが、彼女はお腹を鳴らしながらも意地でも居間へは行かなかった。


 やがて扉を叩く音がし、扉の向こうから弟の声がした。「一緒に食べよう」と。

 冷静である今ならば、弟は優しかったのだと分かる。リーシャがどんなに冷たくしても、ルイはいつも他の人に接するのと変わらない態度で接してくれていた。だがその時の彼女には、それに気付く余裕は全くなかった。むしろ弟への怒りはこの時がピークだった。だから、傷付けるつもりで、怒りに満ちた顔を見せるために、わざわざ扉を開けて言ってのけた。「あんたなんて大っ嫌いよ」と。その時のルイの顔が、リーシャには忘れられないらしい。もしかしたら、彼にとっては、他人に嫌われた初めての経験なのかもしれなかった。

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