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黄昏色の魔導士  作者: 雨森 千佳
第一章 魔法魔術研究所
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40 別れの時

「ごめん、ちょっと休憩」


 クィノが地面にへたり込んだので、ルイは木剣を下ろした。

 柔らかい風が額に浮かんだ汗を撫でていく。まだ年が明けていないのに日差しが暖かく、練習するにはちょうどいい。

 ルイはクィノの隣に座り、離れたところで木剣を交えているレツとザロを見た。ザロの笑い声が、風に乗って少しだけ届いてくる。


「やっぱり、俺が一番体力ないよなぁ」

「まだこれからじゃないか」

「うん……弓もちょっと考えたんだよ。でもやっぱり、ヴァフ隊長みたいに風に適性がないと中々ね」


 王国騎士団魔導士隊のトップである彼の矢は、国内であればどこにでも届くのだという。ルイはまだ会ったことすらないので、にわかには信じがたかった。


「俺さ、一度だけヴァフ隊長に会ったことがあるんだ。会ったっていうか、遠くにいるのを見ただけだけど」


 ポーセの町中で、偶然見かけたのだという。ポーセにも騎士団の支部があるので、そこに用事があったのかもしれない。その時クィノは、既に養成所の一年生になっていた。


「隊長の胸にはさ、レツにある『あれ』がなかったよ」


 クィノの言っている意味が分かり、ルイは目を見開いた。

 レツの左胸には、日没の矢の魔術にかかっていることを示す黒いもやがある。それがヴァフ隊長にはないというのだ。


「最初からないのか、途中で消えちゃったのかは分からないけど」


 こればかりは、本人に確かめなければ分からないだろうか。だが、ヴァフ隊長自身の属性は光と風だと聞いている。もしかしたら本人にも分からないかもしれない。クィノやルイのように命の魔法に適性がなければ、あれは見えないのだから。


「……二人で決めたことだろうから、俺が口を挟むのもよくないかもしれないんだけど……」

「何?」


 促すと、クィノは赤毛を弄んでいた手を止めた。言い辛そうに、一度咳払いをする。


「正直なところさ、あんまり時間ないよね」

「ああ。あいつは春生まれだから、あと最大で六年かな」


 ザロも大抵口を慎まないが、クィノも意外と言いたいことははっきり言うタイプだ。そのおかげか、この一年で色んなことを話した気がする。

 そもそも、日没の矢の件をレツ以外と共有することになるとは、ここに来るまで全く予想していなかった。


「俺達が卒業してすぐ騎士になれても、その時にはレツはもう十八歳だろ? 半年間は訓練だから、自由に動けるのはその後だとして……長くて一年半だ」


 改めてクィノにそう言われると、少し実感が湧いてきた。

 はたして自由に動けるだろうかという不安もあったが、そこは考えても仕方がない。まずは騎士にならないことには、探すための情報を得られないのだから。第一、強くならなければ破壊できない。探し出して返り討ちに遭うわけにはいかなかった。


「だからさ……日没の矢を破壊するのは目標として持っておくとしても、まずは、死なない道を探した方がいいんじゃないかと思うんだ」


 その案に、ルイは眉根を寄せた。


「それが可能なら、もちろんその方がいいけど……つまり、ヴァフ隊長が通った道を探せって?」


 ヴァフ隊長は確かに日没の矢から逃れられたかもしれない。だが、これと決まった方法がはたしてあるだろうか。それが本当にあって、かつ実践可能なら、とっくに教えてくれている気がする。


「ヴァフ隊長の経歴は、割とよくある感じなんだけどね。セタンの研究所に入所して、そこで一級魔導士になって、そのまま騎士団に入団だ。隊長が他の魔導士と違う点は、とにかく魔法に関しては歴代の隊長の中でもかなりすごいところだね」


 通常、魔導士隊の隊長は二人いる。騎士になった魔導士は星舞を使うために二人一組で行動するからだ。しかしヴァフ隊長は、一人で隊長職に就いていた。

 そもそも彼は、今まで誰かとペアを組んだことがないらしい。紫色の目を持つ者への風当たりが幾分かましになったのは、彼が隊長として国を守る立場に就いたからだ。それまでは、魔法や魔術の知識があるはずの魔導士にも冷遇されていた。そんな状況下でパートナーになってくれる者などいるわけがない。

 騎士はもちろん、二級魔導士になるのにも星舞は必須だ。だからヴァフ隊長は、自身の属性である光と風の両方を使いこなし、一人で星舞を行えるようにしたという。そんなことができる人間はもちろん少ない。パートナーもおらず、厳しい環境だったことを考えるとほとんど奇跡に近かった。


「隊長のことを考えると、王都キャトロイを浄化したのと同じことが、人の体に対してもできるんじゃないかと思うんだ」


 魔術によって滅びた王都キャトロイは、ポーセにいる魔導士達の力で緩やかに浄化されている。特に意識していないが、ルイやクィノも僅かながらそれに加わっているはずだ。


「精霊の力で、人の体から日没の矢の魔術を追い出すのか。理屈としては分からなくもないけど」


 一体どれくらい優れた魔導士になれば、追い出されてくれるのか。その基準が分からないことには、希望を持ちたくても難しい。


「別に、今すぐ何か決めなきゃいけないわけじゃないだろ? 俺達が一人前になるまでまだ時間がかかるし、どの道を選んだって強くならなきゃいけない。ただ、一つのものだけ見つめるより、色んな可能性も探しながらの方が可能性が広がると思って」


 今のところ、はっきりしていることなどほとんどない。日没の矢を破壊するといっても、それがどこにあるのかすら分かっていないのだ。クィノの言うとおり、色んな道を探すことは大切だと思えた。


「ありがとう、クィノ。セタンに戻ってからも色々試してみるよ」


 クィノは一つうなずいた。言いたいことは全部言えたようだ。


「二人とももうすぐ帰っちゃうんだよなぁ。去年の今頃は、どんな人達が来るのかってちょっと恐かったけど。来年はどんな年かな」


 数日後にはここを去っているのだと考えると、何とも不思議な気分になる。想像していたよりも実りの多い一年だった。


「来年は二級魔導士の試験だろ? ザロに勉強させてるだけで一年終わりそうだな」


 クィノはがくりと肩を落とした。今だって、彼はあの手この手でザロを机の前に座らせようとしている。それを見ていると、来年は大変だろうとルイは思った。


「これでも、今年はまだ勉強した方なんだよ。同じ部屋にいる君達が暇さえあれば勉強してるからさ。来年また違うペアと同室になった時が恐いよ。遊ぶ子達だったら引きずられるから」


 クィノも苦労するなとルイは思ったが、それでも彼はペアを組むならザロがいいのだろう。彼らは属性の点ではベストではないし、研究所はともかく、ここにはたくさんの生徒がいる。それでもパートナーを変えようとはしないのだから。

 休憩しているルイ達に構わずに練習を続けているザロを見ていると、その理由も分かる気がした。楽しそうにしているザロにつられて、その相手をしているレツも笑っている。もう大分疲れているはずなのに。


「そういえば、アルはよその養成所へ移ったってさ」

「そうなのか。途中からいるのかいないのか、よく分からなかったけど」


 手紙の件で彼が謹慎処分になったという話は聞いたが、謹慎期間が終わってもアルは授業に姿を現さなかった。時々廊下でこそこそしているのを見かけたので、心身に不調があるようには見えなかったが、表向きは体調不良ということになっていた。


(結局、謝罪の一つもなかったな)


 もっとも、謝罪のためにあの顔を見るのも嫌なのだが。

 思い出すと必ず腹立たしくなるので、ルイは意識して考えないようにしていた。授業に出てこないのだから、これ以上は何も起こらないだろうと思っていたのもある。

 レツは長く落ち込むだろうかと思ったが、ルイが考えるより早く持ち直した。それもザロがペアを組んでくれているおかげだと、ルイは考えていた。あの明るさに引っ張られるのだ。ザロ自身が意識してそう振る舞っているのかは知らないが、それがルイには正直なところ羨ましかった。自分はああいう風に人を支えることはできない。


「ザロとアルって、幼馴染なんだ」


 一瞬、聞き間違いかと耳を疑ったが、クィノの顔を見るとそうではなさそうだった。


「だから、一年生の夏頃までは仲が良かったんだ。なのに気が付いたら犬猿の仲みたいになっててさ……何があったかとか、何も訊けてないんだけど」

「……そうなんだ」


 もしかしたら、レツがザロのパートナーになったことも切っ掛けの一つだったのかもしれない。そう思ったが、今となっては確かめようもなかった。

 彼はまだ騎士を目指しているのだろうか。もし諦めないのであれば、四年後の入団試験には顔を合わせることになる。

 四年後、自分達は一体どんな風になっているのだろう。

 近いとも遠いとも言えない未来だった。

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