04 紫色の目を持つ人々
翌日、リースは約束どおり研究所の中を案内してくれた。
ここには寮の他に四つの建物がある。研究生が利用する教育棟、研究員が研究を行うための研究棟、一部の限られた研究員のみが出入りを許されている特別研究棟、書物や資料が保管されている資料館だ。資料館には勉強に必要な書物も揃っているらしく、リースが薦めてくれたものを早速借りることになった。
研究所のあちこちを回っている間、昨日とは違い色んな人とすれ違った。
この国では春が新年の始まりなので、授業は年の暮れから今日まで休みになっている。そのため、今日は親元から戻ってくる者が多いのだ。大きな荷物を抱えて門をくぐる者や、親に付き添われて寮に入っていく者もいた。
「私とロウが実技の指導をする時は基本的に屋外だから、庭のどこかにいてくれたらいいわ。あなた達を見つけるのは簡単だし」
修練を積んで魔法を使えるようになれば、精霊の気配と、その精霊がどの種類かは自ずと分かるようになるらしい。
「光も闇も、研究生の中で他に適性のある人がいないから。昨日森の中にいたあなたも、そうやって探し出したのよ」
そうやってリースが説明している間も、近くを通りかかった人――ほとんどが女の子だ――が、くすくす笑ったりはにかみながら、時には足を止めたりして三人のそばを通り過ぎていった。
皆ルイを見ているのだ。当然リースも気付いていた。
「人気者ね、ルイ」
「からかわないでください」
ルイは少し頬を赤くしている。
あまり多くの人と出会う機会がなかったレツでも、ルイが特別整った容姿であるのには気付いていた。金色の髪と琥珀色の目も相まって彼はとても人目を引く。その横顔をまじまじと見ていると、「なんだよ」と睨まれた。
「皆、君が好きなんだなぁと思って」
「……お前、口開くとろくなこと言わないな」
リースが声を出して笑ったので、ルイは続きの言葉を飲み込んだようだった。
「折角ペアになったんだから、仲良くしてね。どうしても無理なら考えるけど」
昼の鐘が鳴ったのを合図に、三人は食堂へと向かった。
今朝、朝食を食べた時もちらほらと人の姿はあったが、今はそれとは比べものにならないほど食堂は人で溢れていた。
「年明けの一日目は、研究員は全員研究所に顔を出すことになっているから、今日と明日は特別混んでるのよ。普段はこんな風じゃないんだけど」
研究員と言ってもずっと研究棟に籠りきりというわけではなく、国の各地に出向くことも多いのだそうだ。まだ魔法の基礎すら知らないレツには、彼らがどんな研究をしているのか全く想像できなかった。
食堂の中に座る場所がなかったので、庭で食べようとトレーを受け取って食堂を出る。同じように考えた人達で既にベンチも埋まっていたため、適当な芝生の上に座り込んだ。
丸パンに切れ込みがあり、そこに蒸した野菜と焼いた卵が挟んであるのを零れないように頬張っていると、ふと視線を感じて顔を上げた。リースと目が合うと、彼女はにこりと笑みを見せた。
「昨日より、目を合わせてくれるようになったわね」
そう指摘されて初めて気が付いた。彼女は褒め言葉として言ってくれたのだろうが、レツは何となく罪悪感を覚えた。首から下の母親の姿が脳裏を過ぎる。
「二人とも出身はセタンじゃなかったわよね。食事とか結構違うんじゃない? 大丈夫?」
レツはうなずいた。彼の出身である田舎町のサイベンは南の蒸し暑い地域なので、こういったパンの類よりのど越しの良い麺類が多かったが、ここでの食事はとても美味しかった。
「こっちの方が断然美味しいです。ノーザスクは今でも保存食が多いから」
「あそこは土地柄、仕方ないわよね」
ノーザスクはこの国の最北端だ。雪深いところだと聞いたことがある。
お互い正反対の土地に生まれ育って、ここに来ることがなければ一生出会わなかったかもしれないとレツは思った。
リースはセタンの出身で、実家は小さな宿屋をしているのだという話をしている時、彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「リースさん!」
二人の女性が小走りに駆け寄ってくる。
「弟子になる子達、もう到着してたんですね」
「ええ、昨日着いたの」
二人の女性の内の一人がくるりと向き直り、パンを食べているレツの顔を覗き込んだ。その人を見返して、レツはうっかり手にしたパンを落としそうになった。
女性は、レツと同じ紫色の目で彼を見ていた。
「ミーシャよ。よろしく」
差し出された手を握りながら、レツは慌てて口の中のものを飲み込んだ。
「レツです」
ミーシャは次にルイとも握手を交わした。レツは次に、もう一人の女性とも握手をする。彼女はマリーといった。
「そういえば、ロウさんは?」
その問いに、リースは苦笑を返した。
「うーん……やっぱり研究所にはあんまり来たくないみたい。指導の時は無理矢理引っ張ってくるつもりだけど」
「あ、噂をすれば、ですね」
リースの肩に、真っ赤な鳥が降り立った。鳥は何も語らないし彼女も何も言わなかったが、口に出さずに何か会話しているようだった。
話が終わると、眉間に皺を寄せたリースを置いて、鳥は飛び立っていってしまった。
「今日は一日空けといてって言ったのに」
残りのパンを詰め込んでスープを一飲みすると、リースはトレーを持って立ち上がった。
「レツ、あなたにはお金のことだけ今度説明しなきゃいけないから、また来るわね。今夜時間が空けばいいんだけど」
「お金のことなら私が説明しておきましょうか?」
ミーシャの申し出に、リースは眉間を幾分開いた。
「本当? 助かるわ」
「いえ、これに関しては私の方が詳しいし」
リースは礼を言うと、トレーを返しに走っていった。
「ミーシャ、私は先に帰ってるわね」
「ええ」
マリーを見送ると、ミーシャはルイに目を合わせた。
「君はどうする?」
「関係ない話みたいだし、俺も部屋に戻ります。さっき本を借りたし」
いつの間にか食べ終わっていたらしい。ルイも空になったトレーを手にすると、さっさと寮の方へ歩いていってしまった。
ルイが去っていくのを見送った後、ミーシャは再びレツに向き直った。レツもつられてミーシャを見る。
自分以外の紫色の目を持つ人を見るのは初めてだった。
「リースさんに君の話を聞いてから、会えるのを楽しみにしていたのよ」
そう言ってミーシャは笑顔を見せた。
「年下の子で同じ目を持つ子に会うのは初めてなの」
「研究所には、まだ他にもいるんですか?」
ミーシャはかぶりを振る。
「研究所には私達二人だけよ。でも、お隣の騎士団の魔導士隊にはヴァフ隊長がいるわ。彼も元々は研究所の出身なんだけど」
彼女は、内緒話をするように少し額を寄せ、声を潜めた。
「隊長はもう、三十歳を超えているの」
その言葉を理解しきるのには時間がかかり、レツはただ目を丸くすることしかできなかった。
「すごいでしょ? 唯一、二十歳を超えられた人なの」
レツは何度もうなずいた。まさか、呪いから逃げられるとは思ってもみなかったのだ。
ミーシャも、なぜヴァフ隊長が二十歳を超えられたのかは知らないらしい。ただ一つはっきりしているのは、若くして隊長に任命されるほどの、歴代でも特に優れた魔導士だということだった。
「すごく強い魔導士なら、もしかしたら魔術から身を守れるのかも……私、ここの研究員になろうと思ってるの。私自身を実験台にして研究してやるわ」
ミーシャの表情はとても明るかった。それを見ていると、ずっと体の奥底にあった重石が少し軽くなるような気がした。
まだ方法も分かっていないしきっと難しいことだと思うが、それでも可能性がゼロではないというのは気分が随分違うものだった。生きることなど、もうかなり前に諦めてしまっていたというのに。
ミーシャはそれから、リースから説明されるはずだったお金に関しての話を始めた。
彼女もレツと同じく両親がいないため、本来であれば親が負担するはずの部分を国からの施しに頼っていた。
食事に関しては寮で食べる限り心配はいらないし、勉強に使用する道具類は親のいるいないにかかわらず、ルールを守れば使用できる。
研究所内で使用する制服は指定のものが配布されるが、普段着や寝間着に関しては皆個人のものを使用しているので、定期的に支給される僅かなお金を貯めて買うか、誰かに譲ってもらうしかなかった。
お金の申請を横についてもらいながら済ませると、ミーシャは彼を連れて研究所の外へ出た。
どこへ行くのかと不思議に思いながらついていくと、辿り着いたのは床屋だった。自分で適当に切っているだけの黒髪は、確かにみすぼらしい。だが、誰かが切ってくれるわけでもないので、レツはいつも自分で切っていた。
ミーシャがいつも世話になっているらしいその床屋は、他の床屋が嫌がるような客を積極的に受け入れているらしく、いつでも来いと言ってくれた。
(皆、優しい)
風が当たって落ち着かない襟足を撫でながら、お礼を言って床屋にお金を払った。
レツは自分でも気付かぬ内に頬が緩んでいた。だがやはり、心の片隅で、罪悪感が消しきれなかった火種のようにくすぶっていた。
母親があれだけ言いつけていたことを破って、それに自分は幸福を感じている。それがとても悪いことのように思えて仕方がなかったのだ。