32 仲間
窓で切り取られた四角い空は茜色に染まっていた。太陽とは反対側の空には夜の色が忍び寄っている。その間にできる紫色を、ルイは頬杖をついてぼんやりと眺めていた。
授業が終わった後、レツとザロはリュド先生に連れていかれてしまい、部屋にはルイとクィノだけで戻ってきた。今頃は授業中の喧嘩について話をしているのだろう。
「聞いてもいいかな?」
クィノの声に、ルイは窓から目を離した。薄暗い部屋の中で、クィノは椅子に座ってルイの方を見ている。
「レツの目のことなんだけど」
これまで、クィノもザロも、二人の目の色のことは一度も口にしたことがなかった。
「俺はさ、命の魔法に適性があるから……ルイもみたいだけど……やっぱり見えてる?」
レツの左胸にある黒いもやのことだ。ルイはうなずいた。
リースに教えてもらってからというもの、気にならない日はなかった。一度気付いてしまえば意識せずにいるのは難しい。
黒いもやは、大きくなることも小さくなることもなく、いつも同じ場所でくすぶっている。
「実はさ、俺達が一年生の時に上の学年にいたんだ、レツと同じ目の色の人」
言い辛いのか、クィノの声は少し小さくなった。それでも二人きりの室内では十分ルイの耳に届いていた。
いた――ということは、現在はいないのだろう。その理由をクィノは口にしなかったし、ルイにも分かっていた。研究所でも去年、一人亡くなったからだ。
開けられることのない棺の上に乗せられていく花の様子は、まだ瞼の裏に焼き付いていた。
紫色の目は珍しいが、生まれてくる割合としてはルイの琥珀色の目よりはずっと大きい。小さな村でも、数年に一人は生まれると聞いたことがある。このように大きな養成所であれば、生徒として入所してくる者も珍しくはないだろう。だから先生達の態度もごく普通なのだ。
「ここでも、卒業までいられない人はそう珍しくないらしいんだ」
日没の矢にいつ呪い殺されるかは、誰にも分からない。どれだけ長く生きても二十歳を超えられないということ以外は。
クィノはその先を口にするのを躊躇っているようで、その手が赤毛に伸びたり引っ込んだりしていた。
「あのさ、えーと……それで……ルイはさ、レツのことどう思ってるんだろうと思って」
「どうって?」
「二人とも騎士になりたいんだよね? 朝早くから練習してたし、空いてる時間とか休みの日とか、ルイもレツもずっと勉強してるし。才能以上に努力してるんだろうって、まだ短い付き合いだけど何となく分かるよ」
クィノが何を言いたいのか、ようやくルイにも察しがついた。朝もこの話がしたかったのだろう。もしかしたら、ここ数日はずっと胸の内に抱えていたのかもしれない。
「だからさ、その……的外れかもしれないけど……」
「多分当たってるよ」
これを自分から口に出すのは初めてかもしれない、とルイは思った。
「俺達は、日没の矢を破壊したいと思ってる」
クィノは驚かなかった。当たっていたらしい。
「無理だと思うか?」
ルイは自嘲気味に笑った。他人が聞けば、無理に決まっていると笑われそうな話だ。だが彼自身は、諦める気持ちは欠片ほどもなかった。
雪の日の約束を、生半可な思いで交わしたつもりはない。
「難しいことだとは思うけど……かなり危険だろうし。でも、絶対無理だとは思わないよ。何にだって終わりはあるさ」
クィノは赤毛を弄ろうとした指を無理矢理下ろし、拳を作った。
「あのさ、俺も手伝っていいかな?」
「それは構わないけど――」
なぜ、と尋ねたいところだったが、タイミング悪く魔法の鳥がクィノの肩に止まった。白い鳥なので、きっとザロだろう。鳥はクィノの耳元で囁くと、すぐに姿を消してしまった。
「先生との話が終わったから、そのまま食堂へ向かうってさ」
「そうか。じゃあ、俺達も行こうか」
二人は部屋を出て食堂へと向かった。
廊下にはちらほら他の生徒の姿が見える。彼らと同じように食堂へ向かう者もいれば、友人の部屋に出入りしている者もいる。勉強から解放された楽しげな空気の中に入り、先程の話を続ける雰囲気ではなくなってしまった。
「クィノもザロも、変わってるよな」
「ザロは分かるけど、俺も?」
心外だったらしい。目を丸くするクィノを見て、ルイは少し笑った。
「俺達に普通に接してくれる奴はかなり珍しいよ」
「ザロと一緒に過ごしてると、君達なんてかなり普通さ。ザロなんて、しょっちゅうトラブルは起こすし突拍子もないし――」
大きく溜息をつくクィノの頭に、背後からぽんと手刀が降りおろされた。
「なんだよ、俺のいないところで俺の話か」
振り返るとザロとレツだった。表情が明るい。お咎めがあったわけではなさそうだ。
四人揃って食堂に入る。ぽつぽつと人がいるが、まだ混んでいる時間ではなかった。
研究所のものと比べて何倍も大きな食堂には、六人掛けの円卓がたくさん並べられていた。庭へ向かう扉が開け放たれており、その先にも円卓が続いている。天気の良い日は外で食べられるようになっているのだ。気候の良い時期が長いポーセらしかった。
日替わりのメニューは三つほどあるので、その中から好きなものを取り、四人はなるべく人が来なさそうな円卓を選んで座った。
(メニューが三つあると言っても、副菜はどのメニューも一緒だから避けられないんだよな。いや、主菜が選べるだけましか)
今日の副菜を見てルイはこっそり溜息をついた。サラダの上に生の貝が添えられている。
ルイは貝が嫌いだった。ノーザスクもセタンも港から遠いので、そもそも今までは干し貝くらいしか食べたことがなく、自分が貝が嫌いだということをここに来て初めて知ったのだ。干し貝はせいぜい出汁がわりだし、食べても独特の食感も失われているので「好きではない」くらいだったのだが。ポーセは港町なので、彼が嫌になるほど貝は身近なものだった。三つのメニューの内、必ず一つは使われているくらいだ。
「それ、僕が食べるよ」
「ごめん、ありがとう」
「いいよ。その代わりこれあげる」
レツとのこの会話も、もう定番になってしまっていた。
レツはサラダから貝を引き上げると、代わりにスコップケーキをルイに押し付けた。
セタンでは一緒に食事をすることがほとんどなかったので知らなかったが、レツは甘い物が苦手だった。せいぜい生の果物が限界で、砂糖を使った菓子や干して甘みが増したドライフルーツは手をつけたがらない。ルイは甘い物は好物なので、スコップケーキは単純に嬉しかった。
手をつける前の定番のやりとりが終わると、四人は食事を始めた。
「そういえば、先生との話はどうだった?」
クィノが尋ねると、思い出したのかザロがむっとした。
「どうもこうも、最初から最後までアルの奴がグダグダ言ってただけだ。レツの方から仕掛けたって」
あの少年はアルというらしい。人数が多いのもあり、ルイはまだ同じ組の生徒の名前を覚えきれていなかった。
「けど近くにいた奴が証言してくれたし、あいつの方が日頃の行い悪いしさ。アルは注意受けてたけど、レツはなんもなしだ。俺はちょっと怒られたけど」
聞くところによると、ザロとアルは犬猿の仲らしい。二人とも騎士を志望しているので授業で顔を合わせる機会が多い上に、実力もザロが少し上とはいえ拮抗しているので、今までにも何度か衝突しているのだそうだ。
「またあいつの母ちゃんが乗り込んでくるぞ、めんどくせー」
「ごめん、原因は僕なのに」
申し訳なさそうにするレツに、クィノが「いつものことだから」と手をひらひらさせた。
ちょっとしたいざこざくらいなら、養成所から保護者へ連絡することはない。だが、アルが自ら親に知らせるので、しょっちゅう母親が乗り込んできて教師に文句を言うらしい。金持ちの家の息子らしく、結構良い額を寄付しているとのことで、親も態度が大きいのだそうだ。
その話を聞いていて、自分の母親を思い出してしまってルイはげんなりした。研究所に入ってからは一度も会っていないが、彼の母親も大差ない人物だ。もしレツとペアを組んでいることを知ったら必ず反対するだろうと考え、絶対に教えずにいようとルイは自分に誓った。
「ねぇ、ルイ」
レツに名前を呼ばれて、ルイは慌てて顔を上げた。
「ごめん、聞いてなかった。何?」
「日没の矢の話、クィノに話したって聞いて」
「ああ、うん」
クィノは手伝うと言ってくれたが、ザロも参加すると意気揚々だった。クィノと違い、ザロの場合はあまり深刻に考えている様子がない。この二人はこれでバランスがとれているのだろうとルイは思った。
「それで、明日なんだけど――」
クィノが言いかけたところで、離れたところから「ザロ!」と女の子の声が聞こえた。
声の方へ目を向けると、数人の少女達が円卓の間を縫うようにしてこちらに近付いてくる。
「またアルとやりあったって聞いたよ」
「悪いのはあいつの方だ。あいつが大人しくしてたら何も起こらないんだから」
ルイは会話に入らず食事を続けた。ぼんやりしていた分、他の三人より少し遅れているし、なるべく女の子とは関わりたくなかった。
だが、その望みは早々に断たれた。
「ねぇ」
ぽんぽんと肩を叩かれて、嫌な予感がしつつもルイは振り向いた。少女の一人が少し頬を染めて立っていた。
「この後って時間ある?」
折角声をかけてくれたのに申し訳ないと思いながらも、その先を予感してルイは首を振った。
「ごめん」
「じゃあ明日は? 休みの日だけど」
「本当ごめん、用事があって」
土地柄なのか母数の違いか、セタンと比べるとここの方がこういうことが多かった。もう何度目か分からないし、相手の少女の顔も覚えていられない。
相手の子がそれで引き下がってくれたので、ルイは内心ほっとした。
「あ、もしかして甘い物好きなの?」
スコップケーキの皿が二つ置かれているのに気付いたらしい。その言葉を聞いて、後ろで様子を窺っていた他の少女達も会話に入ってきた。
「ほんとだ、意外」
「可愛いー」
くすくす笑い合う少女達に固まっていると、クィノが「食事ができないから」と助け舟を出してくれた。
ちらちらとこちらを見ながら去っていく少女達を見送ってから、ルイはがっくり肩を落とした。
「……今年十三になる男に可愛いはないだろ」
「褒め言葉じゃないか」
「あっそ。じゃあお前は可愛いって言われたら喜ぶんだな」
そう言い返すと、レツは困ったような顔をした。困っているのはこっちの方だとルイは思った。
そのやりとりを見ていたザロが、腕組みをして珍しく真面目な顔をした。
「俺もルイもさ、光の魔法に適性があって強いだろ? だけど俺が甘いもん食ってたって、絶対褒められないぞ。なんでだと思う?」
それは本気で言っているのかと、クィノが呆れた顔をした。
「似てるのはそのくらいじゃないか。外見も違うし中身だって全然違うだろ」
「え、強さが重要なんじゃないのか?」
「よほど貧弱じゃなきゃそこまで気にしてないよ、きっと」
ザロはあまり納得がいっていないようで、相変わらず腕組みをしたまま唸っていた。
「セイが言ってたんだ」
レツはろくなことを言わないだろう。ルイは何となくそう察したが、実際そのとおりだった。
「ルイは、王子様ってこんな感じかなって容姿をしているって」
「お前は今このタイミングで俺にそれを伝えて、一体どうしようっていうんだ」
レツは少し考えた末に「分からない」と答えたので、ルイはもう相手にするのを止めた。
次の誰かが来る前にと、四人はここで話を続けることを諦めて、皿の上に残っていたものをかき込んだ。折角のスコップケーキの味も、残念ながらあまり分からなかった。
四人は食堂を出ると――その間も何人かに話しかけられた――まっすぐに寮の部屋へと向かった。
他愛ない話をしているクィノとザロの後をレツと共に歩きながら、ルイは何となく先程の女の子達のことを考えていた。
ルイは、なぜ周囲が自分に興味があるのか、いまいちよく分からなかった。やはり目の色なのだろうか。
(どうにかして変えられたらいいのに)
自分でも無茶だと分かっていたが、そう思わずにはいられなかった。
「ちょっと待ちなさい」
管理人室から顔を出した管理人に声をかけられ、ルイはぎくりとして振り返った。だが幸い、彼に対する用事ではなかった。
引き留められたのはレツで、手紙を一通受け取るとすぐに三人の元に戻ってきた。目に見えて嬉しそうで、ルイは差出人が誰なのかすぐ分かった。
「フィーナ?」
「うん」
あまりに嬉しそうなので、ルイは思わず笑ってしまった。
「ルイだけじゃなくレツもなのか。俺も青春したい」
ザロが零した言葉の意味はレツには伝わらなかったようだが、ルイもわざわざ伝えようとは思わなかった。
部屋に戻って邪魔が入らなくなってから、クィノはやっとといった風に切り出した。
「さっき中断してた話の続きなんだけど」
そう、日没の矢の話をしていたのだ。
「明日は休みだし、行ってみようよ。日没の矢で滅びてしまった、王都キャトロイに」




